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大会三日目:〈銀の牙〉(一)

 赤の月、第五週第五の日――大会二日目が終わり、三日目がきた。

 前日はどんでん返し有り、波乱万丈有り、予想通り有りの一日だった。ゾーラとウェイブラスの一番手が早くも対戦し、下馬評を覆してウェイブラスの若者が勝利したことは(ゴシップ)好きな街人の話題の一つになった。ゾーラの一番手、リー・ウェンを除いて他の騎士団の一番手は皆勝利を収めた。

 だが、全ての試合が安全に終わったわけではない。ハイヴァーン率いるチェイスタルの一番手ケレンドスは対戦中相手に致命傷を負わせた。傷は酷く、もう軍職は続けられない、というのが医師団の見解だった。

 無論賛否両論があったわけだが、基本は死をも覚悟で出場しているのだから、というのが主な意見だった。

 幸いと言うべきか、その不運な剣闘士はウェイブラス騎士団の者ではなく、〈第七の将〉ジェイス・ランバルディーンのゴディス騎士団員だった。

 その結果に、眉を寄せたのはウェイブラス騎士団副将、マルスヘルム准将だった。


「あの青二才は何を教育しておるんだッ!!」


 怒りを顕に、血で顔を赤くさせる。


「やはりやりおったか! いつかはやると思っていたぞ!!」


「落ち着け、マルス」


 と(なだ)めるアリオン・ハンサーネスの米噛みもピクピクと震えている。あまり感情を顕にしないアリオンには珍しく、怒っているのだ。


「これが落ち着いておられますか! 人一人殺したようなものですぞッ!」


「確かにそうだ。だが、ケレンドスのやつもルールに(のっと)ってやったのだからやつに非はない」


「それは重々承知です! だが!」


「お前の言いたいことは痛いほどわかる。わたしも同じだ」


 ようやくマルスヘルムは落ち着きを取り戻し、呼び出していた二人の騎士を向いた。


「早ければお前たちは準決勝、おそければ決勝でケレンドスと対戦する。わかっておろうが、一切情けはかけるな」


「ただし殺すなよ」


 というアリオンの言葉にも怒気が含まれている。

 シルヴァンともう一人の男――三人のうち、一人は昨日敗れたのだ――は頷いた。



***



 第一回戦ではどの騎士団も一人は敗戦していた。

 今日行われる第二回戦は昨日の第一試合の勝者がシードなので、他の十四名が戦い七名が勝ち残る。続いて行われる第三回戦ではシードの一人が加わって四人が残る。

 その四人は最終日、くじ引きで対戦相手を決める。つまり今日の試合を勝ち残った者は相手が誰になるのか予想できないのだ。



 シルヴァンは東の控え室で休息していた。

 相手の戦力は未知数。あまりにも不確定要素が多すぎる。彼は昨日の試合を見ておかなかったことを後悔していた。が、いまさら後悔しても仕方がないのでリラックスしている、というのが彼の決定事項であった。

 シルヴァンは座りながら自分のセイバーを見つめた。

 調子は悪くない。昨日のように動けるなら、勝機はある。

 扉がノックされ、シルヴァンの出番が来たことが告げられた。


 入口からコロッセオを覗くと、その光景は幾分昨日とは違った。

 まず客席に“色”が付いている。それは帝国軍騎士が己の体に支給される色付きの武具を装着しているからだ。観客専用席に収まりきらない分は、各騎士団応援席の前部が観客用になり、後部はそれぞれの騎士団が座を占めている。

 上から見れば南北部分を除いて白、赤、緑、橙、紫、黄、青の七色が綺麗に円を形成していることだろう。

 パラスラの白、チェイスタルの赤、ゾーラの緑、クルバルティスの橙、トゥアドランの紫、ウェイブラスの黄、最後にゴディスの青だ。

 彼らは概それらの色をした鎧、鎖帷子、胴着を目立たせていた。

 シルヴァンは自分の腕に巻いてある黄色い布を見た。

 時は近い。

 気持ちを落ち着かせようと、深呼吸をした。

 昨日は実力以上のものがあった。何故なら相手が“卑怯者”だったからだ。今回は違う。

 百メーラほど前方の入口には同じように、一人孤独に佇む影がある。


「西、トゥアドラン騎士団一番手、シン。東、ウェイブラス騎士団一番手、シルヴァン」


 熱された砂地に、二人の剣闘士は進んだ。

 決闘場の中央で相見(あいまみ)ゆ。

 互いに相手の姿を見つめあった。

 男とは思えないほど艶やかな黒髪、大空のように澄んだ碧眼、誰もが虜になってしまいそうな美貌、すらっとした身長に鍛えられた体躯。腰には一本のセイバー。

 一方、額と耳を隠す綺麗な白混じりの金髪、黒曜石のように光る瞳、小さな潤んだ唇、見事なまでに整えられた顔の輪郭、そしてあまりにもバランスのよい体付き。腰には二本のセイバーが。

 二人はそこで対峙する。

 どちらの眼にも戸惑いや緊張、怯えの色はない。

 審判の二人は例の如く説明を終え、その場を離れた。

 ずっと女の方を見つめていると、


「どうかした?」


 と透き通るような声が訊ねた。

 シルヴァンは話しかけられた事に慌て


「い、いや……」


「そう」


 シンはフッ、と微笑んだ。

 どう見ても剣闘士には見えないとシルヴァンはこの時思ったのだが、後にそれが誤りだったと悟る事になる。

 そして相手を甘く見すぎていた、ということも。


「離れなさい」


 彼らはゆっくりと間隔を取った。


「構えッ!」


 シルヴァンは剣を抜いて騎士の礼をし、続いてシンも優雅に腰を曲げて礼をした。


「始めィッッ!!」



 歓声が轟く。特にトゥアドランとウェイブラスの陣営から。

 が、試合開始してすぐ、歓声は静かになりゆく。

 観客は目の前の状況をいぶかしんだ。

 シンが構えない。剣を抜こうとさえしない。

 シルヴァンですらも状況が掴めていなかった。


「お願いがあるの」


 客席には聞こえない声でシンはシルヴァンに語りかけた。

 シルヴァンは構え続けるのを止めない。いつ何が起きてもいいように。


「これを触ってみてくれない?」


 その不可思議な問いの意味は何なのか?

 シンは(おもむろ)に腰からセイバーを引き抜いた。

 (しろがね)の剣だった。鋼より鮮やかに光り、鉄よりも光沢を放つ。

 彼女はその剣の刃をシルヴァンに向けた。


「少しだけでいいから」


 返答はない。

 シンは肩をすくめた。


「しょうがない。まぁ当然よね」


 そう言って鞘に収める。


「でも、わたしがこの勝負に勝ったら触ってみてくれない? 無反応は肯定と取るわよ?」


 沈黙――


「じゃあイエスってことで」


 と、シルヴァンは跳び、セイバーを振るう。

 が、刀身は直撃する手前で停止する。

 シンの白刃が応戦したのだ。

 さっきとは別のもう一本の鞘から瞬間的に抜いたのだ。その速度、まさに神技。


「慌てないでよね」


 こんな状況にも拘らず、その美しい女性は楽しんでいるように見て取れる。

 その自信の源は一体なんなのか。

 剣を払い、二人は距離をとった。

 そこで再び歓声が響き始めた。

 シルヴァンの表情は真剣そのものだが、いまだシンの方は微笑を崩さない。

 シルヴァンは近付き、シンの顔に向かってセイバーを薙ぐ。

 シンは避け、白刃を顔に狙いを定めて突くがシルヴァンは後転跳びしながら足で攻撃者の顔を蹴ろうとする。

 が、攻撃を回避しながら攻撃を繰り出す方も凄いが、相手も()る者、同じように後転跳びで蹴り上げられる足を僅かな差で避ける。

 体勢を整え、シンが動いた――と思った刹那、鋼の打ち合う音のみが鳴り渡る。

 見えるのは剣が動く軌跡だけだった。それと互いに交じり合い、どこからどこがシルヴァンので、どこからどこがシンのものか判断するのは難しい。

 刃と刃の領域は互いにぶつかりつつ、相手の領域を侵食しようと蛇の如く動き回っていた。

 その一歩も退かない攻防はあまりにも長いこと続いた。

 彼らを中心に砂埃は飛び、風は舞い、音は激しさを増す一方。

 応援団は固唾を呑んで見守っていた。



 その時点で経過時間は三十分を優に超えていた。

 変化が生じた。片方がもう片方を押し始めたのだ。

 どっちが優勢なのか? 答えは――

 一方がバランスを崩した――それはシルヴァンだった。

 よろめくシルヴァンを、シンの白刃は逃さない。

 シンは屈み、大腿筋にエネルギーを溜め、前に跳躍した。あまりにも速い。

 剣が躍る――が、シルヴァンは上に跳躍し、空中で軽やかに回転する。高さ四メーラは跳んだだろう。

 後方に回られたシンは後ろを振り向く。

 通常、そのような人間離れした技を見れば誰しも驚くだろう。その証拠に、コロッセオには「ああッ!」という驚愕の声が洩れる。しかし彼女の顔に浮かんでいたのは驚愕ではなく、純粋な“悦び”だった。

 さらにその唇から発せられた言葉、


「やるじゃん」


 は、シルヴァンに動揺を誘い込む。

 その隙をシンは逃さず、再び跳んだ。今度はシルヴァンは飛べなかった。

 剣を払い、応戦する。

 本気を出さなければ負ける、と彼は判断し、持ち前の剣舞を披露する。

 変幻自在に宙を駆けるセイバーの前に、シンもただ受け流すだけで精一杯だった。

 次第にシンは壁際に追い詰められ、状況は圧倒的にシルヴァンに有利だった。

 シルヴァンはほぼ勝利を確信し、鎧で保護された腹を刺そうとする。

 が、セイバーは目標を見失う。

 シルヴァンの頭上に影が落ちた――。

 ああ、太陽を背に、シルヴァンと同じように空中に身を躍らせているではないか。しかも、その高さはシルヴァンのよりも高い。その姿はまるで空を飛ぶ白鳥のようであった。

 シンが着地した時、シルヴァンは焦り始めていた。何故ならその時、シルヴァンが肩で息をし汗を流しているのに対し、シンは汗一つかかず息も乱していないからだ。

 シンはまだ微笑んだままだった。


「さてと、準備体操は終わりね」


 言い方に比べ、愕然とするような内容だった。

 今までの動きは全て小手調べだった思わせるほどの速度でシンは走る。

 あわてて剣で対応するが、勢い付いたシンの白刃を受け止めきれない。

 シンが腹に蹴りを叩き込むと、シルヴァンは後ろに弾き飛ばされた。

 砂まみれになりながらも立ち上がろうとした刹那、彼の視界に白光が煌く。

 反射的に身を捩ると、さっきまで彼の顔があった場所に刃が突き刺さっていた。

 矢継ぎ早に刃を突き刺し、シルヴァンの首を刎ねんとしていた。

 砂地を転げ回り一打一打を回避するが、その度にシンの刀が振り下ろされる。

 シルヴァンが立ち上がっても追跡する刃の勢いは衰えず、またもやシルヴァンは転倒した。

 こうなっては仕方ない――シルヴァンの脳裏に浮かんだ決断。

 シルヴァンはわざとその時立ち上がろうとしなかった。相手が突いてくるのを待っていたのだ。

 案の定シンは上から刃を振り下げたが、シルヴァンはその攻撃を体全体で避けずに顔を少しずらしただけで回避した。

 刀身が地面に刺さる瞬間、シルヴァンは両足をシンの腕に絡ませ、固め技を決めようとした。

 が、シンは足を絡まされた時点で体に勢いを付け、前に倒れこむ形になった。そんな状態でも手は剣を放していなかった。

 シンの手はシルヴァンの足から解放されたが、着地に失敗して地面に倒れた。

 ――チャンスだ。

 だが、シルヴァンにもう襲う力はない。心臓は爆発寸前まで鼓動し、喉は渇き、手は振るえ、足は動かず、汗を垂れ流し、息遣いは荒れ、汗と砂が混ざって彼の体は汚れていた。

 そんな状態の中、シルヴァンは敵を見つめた。

 女剣闘士は悠然と立ち上がり、乱れた髪を整える姿は場違いなほど美しく、身に付けている衣服と装飾品さえ普通のものであれば、彼女ほど『美』という言葉が似合う女性はいないのかもしれない。


「我流にしてはすごいわ。太刀も鋭いし、目標に向かって最短距離を走ってくる。それに動き自体も素早いしね。ただ、やっぱり無駄が多いかな、他の我流の人に比べれば少ないとは思うけど」


 と、そこで舌でいったん唇を湿らせる。


「……とても楽しかったわ。北方大陸で戦った時以来かな。ヴァリノイアにいた時の方がもっと楽しかったけど」


 あくまでその口調は試合開始時となんら変わりなかった。しかしシルヴァンにとっては死を告げる死神(デーサーン)の如き終了の宣告であった。


「“わたし達”はね、ある人――わたし達は“彼”って呼んでる――を捜してるの。“彼”はどんな人でどこにいるのかも全く分からないから、手がかりを元に捜索してる。

 でね、わたしの仕事はこの大会に出る剣闘士の中に“彼”がいるかどうかを吟味しなきゃいけないの。で、わたしは候補を二人見つけた」


 観客の声は彼らに届かない。もうすでに勝敗は喫しているのだ。


「一人はコール・オフ・アイジェンド。そしてもう一人は」


 シンはゆっくりと指を差した。


「あなた」


 シンが何を言っているのか、シルヴァンには全く理解できなかった。ただでさえ脳細胞が酸素と養分を要求しているのに、意味不明な発言に付いていく余地はない。

 シンは銀造りの刃を抜き、柄をシルヴァンに向かって差し出した。


「約束守ってくれる?」


 天使のような微笑だった。場違いにも程がある。

 シルヴァンは自分の敗北を悟っていた。相手との差は歴然とし、且つ埋めがたいものがある。

 勝者に従うべく、彼は刃の柄を握った。程好い重みが加わってくる。見た目は普通のものと変わらない。だがこれに何の意味が?


「どう? 何か感じる?」


 シルヴァンは何度も握りを変え、感触を確かめたが何も起こらなかった。


「いや……」


 シンは溜息をついた。玲瓏な美貌が初めて見せる、愁いを帯びた表情だ。


「そう――残念。ハズレか……」



 その瞬間、“それ”は起こった。


 剣の(しろがね)が輝き――


 頭の中になだれ込む、“爆発”――そして消失。



「――――――――――――――――――――――!!!!」


 銀の剣は手を離れ、カキィンと音を立て砂地に落ちる。

 体を曲げ、シルヴァンは苦痛に顔を歪めて苦悶の表情をする。力の入った手は頭を抱え込んでいた。青白い血管は皮膚から浮かび上がり、額から汗が滲み出ていた。

 シンはハッとした。


「もしかして――」


 その拳はギュッと握られ、喜びと戸惑いの感情に満ちていた。

 まだシルヴァンは苦しみ続けている。

 客席からも、不審と疑問の声がする。

 シンは只一人、満足げに頷いていた。


「すいません」


 と審判の一人に話しかける。


「棄権します」


「ハ? お前何を言っているんだ?」


 審判は思わず聞き返した。


「今言った通りです。わたしは棄権します」


 審判は顔を見合わせ、相談を始めた。


「棄権する自由は剣闘士にあるはずだわ」


 ときっぱりと言い渡され、赤い旗を前、白い旗を後ろにして交差させ、司会席に向けた。


「え……え……え〜と、シ、シンの棄権により、シルヴァンの勝利」


 と覇気のないアナウンスが場内に響くと、かなりの間をおいてブーイングの荒らしが巻き起こった。


「なにやってんだ!」


「意味わかんねーぞ!!」


「金返しやがれ!!」


「この腰抜けども!!」


 けれどもシンだけは満足な顔をしていた。

 まだ地面に崩れるシルヴァンの側に鞘を置き、


「その剣はある偉大な方がその息子の為にお造りになられた物。名は〈銀の牙(シルバー・ファング)〉、大切になさい」


 シルヴァンは気力を使い果たし、そこで気絶した。

 その光景は、見るものが見たならば勝者と敗者の立場が全く逆の想像をするだろう。まさか地に伏す男が勝者、凛々しく直立する乙女がまさか敗者などと、だれが予想し得うるのか。

 シンは西の出入り口に向かう途中で一度だけ振り向いた。


 ――シルヴァン……どこかで聞いたような名前だが、誰の名だったかな……。

 それになんとなくだけど“あの人”に顔立ちが似ているわ。

 まさか、“あの人”の血族の方か!?

 いや、違うはずだわ。

 なぜなら、“廃王”の血を受け継ぐ人はもはや“あの人”しか残っていないのだから。


 そしてシンは歩き去った。

 シルヴァンは審判に担ぎ出される形で決闘場を後にした。

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