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一話 〈竜巣の谷〉(一)

「またここに居たのね」


 彼女は探していたものをようやく見つけたような調子で云った。悪戯道具を見つけた子供のように嬉しそうな顔をしている。


「お客様が来られたから、馬の世話を手伝って。私だけじゃ手が回らないわ」


 色とりどりの花が咲き乱れる花畑に颯爽とその少女――年は十六、七歳に見えるが、まだその顔には幼少の頃のあどけなさと清純さがあった――は現れた。服装は年頃の女の子らしく、サンダルを履いて白スカートを穿き、上着には桃色の薄着を着ていた。肩から先は素肌が出ており、胸元を強調するような造りになっていた。

 彼女は誰もいない事を確認してから花の中央に座っている黒髪の人に眼を据え、走り出した。座って背を向けている男に近づいた少女は、しゃがんで後ろから手を回し相手の目に被せた。


「だーれだ」


 柔らかい唇から笑い声が漏れる。そよ風が少女の長い髪を(なび)かせる。


「ライカ?」


 目を隠された男――声からして、若い男のものだった――も顔を綻ばせ、云った。


「ぶーっ。はずれ」


「こんなことをするのはライカくらいさ」


 女の子は口を膨らませ幾分不満げな顔を作ったが、すぐにいつもの顔に戻って笑った。無邪気にはにかんだ彼女の顔はまるで天使のようだった。

 青空は眩しく、暖かかった。空にある白雲は疎らな孤島を創り、東に流れる。木々は歌い、鳥は歓びに鳴いていた。

 彼女は手をどけて男の首を抱き、肩に顎を乗せた。


「お母さん達が探してるよ。手伝って欲しいことがたくさんあるって」


 彼女は男にしか聞こえないくらいの小さな溜息をついた。


「手伝うのが厭なのかい?」


 彼は訊いた。甘い香りがする。いつも花に囲まれて生活する人々にしかこんなに甘い蜜の匂いは染み込まないだろう。


「ううん。ただ他にもっとやりたいことがあるし、まだ今日の仕事は全部終わってないのにまたやることができちゃったから」


「僕がその新しい仕事もやるから、したいことをやりなよ」


 彼は少女を慰めるつもりで云ったのだが、彼女はまた溜息をついた。


「お母さんが仕事は皆平等にやらせる人だって知ってるでしょ。私だけ好きなことをしてたら怒られちゃうもの」


「僕からライラさんに頼んでおくからさ」


 彼女は息を大きく吸い、男にわざと溜息を聞かせるように息を吐いた。


「お母さんはほんとにシルヴァンの頼みだけは断らないからなぁ。羨ましいわ」


 彼は苦笑した。彼女の云う通り、ライラは彼の頼み事にはできるだけ応えるようにしていたし、彼のことも信頼していた。それも彼が他の人より能率よく仕事をこなし誰よりも働いてくれ、仕事の量が増えても文句一つ云わないからだ。

 彼女は抱いていた腕を離して立ち、青空の下、大きく背伸びをした。深呼吸をして空気の匂いを嗅ぎ、満足そうに


「さっ、遅れたらまた何云われるかわからないから往きましょ。あ、その前にお花も少し摘んでいきましょう。お客様方が来てるから、何か花瓶に飾らなくちゃね」


 彼女はそう云い、体を屈めて辺り一面に咲く花を選別し始め、手に花を集めていく。


 男もその姿を見ながら微笑み、ゆっくりと立った。

 シルヴァン、と呼ばれたすらりとした男はゆったりとした造りの肌色の服を着けていた。上着もサッシュも、田舎に住む人が都会で流行っている高価な服を一生懸命真似て作ってみたような感じに作られていた。黒革のブーツを履き、見た目はすっきりしていた。

 彼らの住む村ではその格好は羨望の眼差し――特に若い男女から――で見られていたのだ。

 大人の男にしてはやや身長が高めで、無駄な脂肪は一切なく、体のバランスが良く整っていた。小麦色の肌は滑らかで、輪郭がはっきりとした顔も綺麗に整っており、もし彼が都市に出かけたら暇をもてあましている金持ちの女や、貴族の遊び好きの女から声をかけられるかもしれない。

 また、青色の澄んだ瞳と流れるような黒髪は見る者を引き付けてやまない。風が吹く度に優しく揺れる長髪も若者の憧れの的だった。


「じゃ、戻ろうか」


 ライカの手の中に溢れんばかりに集まった花を見て、シルヴァンは云った。

 彼らが居る花畑は今まで村の長い歴史の中で誰も見つけることはできなかったが、その場所を最初に見つけたのはシルヴァンだった。

 〈灰色山(グレイ・マウンテン)〉の渓谷にある入り組んだ道の中に一本だけとある洞窟に通じるわき道があり、そこを進み短い洞窟を通ると山の中腹にある大きな窪地に着くのだ。そこに花畑はあった。

 ライカはでシルヴァンの手を取って歩き出した。


「この場所は〈竜巣の谷(ドラゴン・デイル)〉に住む人にしか教えちゃいけないから、カルダンさんに見せられないのが残念ね」


「仕方ないよ。それがここの新しい掟だからさ」


「あの方は特別よ。わたし、あの方にたくさんいろんな事教えてもらったもの。都会の事や流行っている服装とか、勉強のことも北の国の神秘的なお話だって。少しくらい教えて差し上げてもいいのに」


「そんな事したら長やライラさんに怒られるよ」


 シルヴァンは苦笑した。ライカは不満げに口を膨らませた。

 彼らは薄暗い洞窟を抜けて渓谷を通り、山の麓に着いた。山の麓から南を見渡すと、村の美しい景色が広がっていた。

 鮮やかな色の花々が咲き乱れ、太陽の光を受けて宝石のごとく輝いていた。


 そこが彼らの住む〈竜巣の谷〉の村だった。



 〈灰色山〉から村に通じる道の両脇には、よく耕された農地と丁寧に栽培されている花畑が連なっていた。

 シルヴァンとライカは家に帰る道を歩いていた。ライカは家に来た“お客”の中に徴兵されていた父親が混ざっていた事を話していた。彼女の父ハイデンは妻のライラと村で花を栽培して生計を立てていたが、昨年村で年に数人徴兵される人の内の一人になってしまいバスティア公国の首都に派遣され、一年間の兵役を終えて帰ってきたのだ。

 賓客として招かれたカルダンはハイデンと小さい頃からの知り合いで、カルダンの方がハイデンより十歳近く年上だったが彼はライラの双子の妹ネイラを妻に(めと)っていた。つまりカルダンは年下であるハイデンの義弟にあたるのだ。

 カルダンはバスティアーラで有名な仕立て屋を経営しており、ガイザード帝国をはじめカンバルド連合公国の国々に招かれて展示会を開いたり、発表会への参加要望がきていたりしていた。


「今度ここから近いガイザードの都市バヤードで発表会をするから、そこに往く前に寄ってくださったんですって。兵役の終わったお父さんの見送りも兼ねてね」


「じゃあしばらくカルダンさんはここに泊まるのかい?」


「たぶんね。どれくらいになるのかは聞いてなかったけど、できるだけいてもらいたいなぁ。また色んなお話聴かせてもらいたいし」


 彼女はそう云ったきり小さい頃にカルダンから聴かせてもらった物語の中に想いを馳せていたので、まだ自分がシルヴァンの手首を握っているのに気付いていなかった。シルヴァンは気付いていたが、彼女の真剣な表情を見て黙っていることにし、青空を見ていた。

 しばらく歩いていると、シルヴァンは前から歩いてくる少年を認めた。少年の方もとっくに二人に気が付いていて、十メーラほどに近づいたところで彼は声を掛けた。


「やぁ、いい天気だね、シルヴァン。それにライカも」


 最後の部分はわざと取って付けたように云った。その時ライカははじめて少年の存在に気付き、一瞬体をビクッとさせた。


「おふたりとも仲良く手を繋いでどこに往ってたんだい? 羨ましいねぇ」


 少年は顔をニヤつかせた。その言葉には幾分誇張も含んでいたが。


「な、なに云ってんのよ!」


 ライカはそう云いながら自分がシルヴァンの手首を掴んでいることに気付き、すぐさま手を離した。彼女は道中ずっと手首を握っていたことを思い出し、心の中で自分に悪態を吐いた。

 見る見るうちに彼女の顔が髪の色と同じくらい朱に染まっていくのを少年は目敏く見つけ、腕を組みながらやっぱりな、という感じでからかった。


「いいなぁ、シルヴァンは。オイラも(あやか)りたいもんだぜ」


「ちょっと、いい加減にしなさいよ、グレド! 殴るわよ!」


 彼女は耳まで真っ赤にしながら殴る格好をして叫んだ。


「おお、怖いなぁ。シルヴァンも大変だよな。ライカと付き合うなんてさ」


 グレドは手をあげて身を守る真似をした。彼女がその言葉の意味を悪くとったのか良く取ったのかは誰も知ることはないだろう。ますます彼女の顔は赤くなっていった。


「ま、二人ともお幸せにな。じゃ、シルヴァン、また後でな。用事を終わらせたら会いに往くよ」


 グレドはそう云うと危険を察知したのか、すぐさま彼らが来た道を走って往った。シルヴァンは苦笑いするしか他になかった。


「あんたなんか二度と(うち)に来なくていいわよ! シルヴァンには会わせないから!」


 ライカはグレドの後姿に向かって大声で叫び、グレドが走って往った方向を睨んでいた。しばらくすると彼女は振り返り、本来往くべき道を大股で歩き出した。シルヴァンもやれやれとそれに従った。


「なによあいつ。勘違いにも程があるわ」と、ライカはシルヴァンに聞こえないようにイライラと小言で呟いていた。


 まだ顔がほんのり赤い。道を歩いている最中、彼女はできるだけシルヴァンの方を見ないようにしていたが、ちらっと横目で彼の表情を窺っていたりした。

 彼女は先程より周囲を警戒するようになり、人とすれ違う時はシルヴァンの隣を歩かないよう少々小走り気味になっていたが、知り合いを見つけた場合は必ず彼より五メーラは前を歩くよう気を付けていた。


 やがて道の先に大きな家があった。家の横にある馬小屋にはいつもより多くの馬が入っていて、来客の訪問を示していた。

 ライカは自分の家の庭を通って扉の前に立ち、ベルを鳴らしてから家の中に入った。

 ライカは靴を脱いで笑い声が聞こえる居間に向かった。

 シルヴァンはライカの後に続き、居間では机をはさんで椅子に座りながら女ひとりと男ふたりが談笑しているのを認めた。背が高そうで胸が大きく、三十歳を越えているがどう見ても二十代半ばにしか見えない(ひと)はライカの母ライラであった。


「お帰りなさい、ハイデンさん」


 シルヴァンは髭を生やした男の方を向き、少しばかり頭を下げて云った。髭を生やした男性はライカの父ハイデンだ。徴兵されただけあって往く前よりも筋肉質になっており、血管が浮き出て太くなった腕は頼もしそうだった。


「お久しぶりですね、カルダンさん」


 シルヴァンはハイデンの横に座っている恰幅のいい――少々太り気味ではあった――男性に向かって頭を下げた。

 富豪の象徴である大きな宝石の付いた指輪を左手の薬指にしており、高価な服をゆったりと羽織っていた。


「ただいま、シルヴァン」


 ハイデンは云った。そう笑った渋い顔と鍛えられた体を見れば、夫に不満を持つ同年代の女性がコロッと心変わりしてもおかしくはない。


「おお、久しぶりだね、シルヴァン」


 カルダンは笑って云った。その笑顔は誰もが(ああ、この人は良い人なんだな)とすぐに理解し得るくらい無邪気で素直だったのだ。

 二人は上から下までシルヴァンを眺め、顔にはわずかに驚きの表情が見て取れた。


「本当にシルヴァンか? 見違えたぞ、ここまで良い体付きになっているとは」


「まったくだ。去年見た時よりも元気そうじゃないか」


 すっかり農夫から兵隊目線になってしまったハイデンが低く唸った。カルダンも思わず頷いている。


「おかげさまで。もうさすがに良くなりましたよ」


 一通りの挨拶が済むとシルヴァンは「カルダンさん、ちょっと太られましたか?」と訊いた。

 その発言を聞いてハイデンとライラは笑いを堪えているように見えるが、当の本人は苦笑いをしてお腹を擦った。


「やはり君にもそう云われたか。先日はハイデンに、さっきはライラにも云われてな。まったく、結婚生活とは辛いものだよ」


 カルダンは言葉の割にさほど辛そうでもない口調で云った。結婚前はすらりとしていた体も、愛しの妻の手作り料理を食べることで横に大きくなってしまったのだ。


「ネイラさんはお元気ですか?」


「ああ、もちろんさ。わたしが家に居ない時も使用人達と一緒に家を守ってくれている。わたしは幸せ者だよ」


 本当に幸せそうな顔でさっきとは反対のことを云った。カルダンはなぜか周りがクスクス笑っているのに気付き、


「それにしても、ライカもすごく綺麗になったね。もうすっかり大人の仲間入りか」と話の矛先を変えた。


 ライカはまた顔を赤らめた。しかし、


「まだまだですよ。ご近所の男の子よりもお転婆で困ってしまうわ。早くいい相手を見つけて結婚してくれれば嬉しいんですけどねぇ。当分先になると思いますよ」と母親は頭を振りながら溜息交じりの声で云った。


 ライカはムッとして


「わたし、馬の世話をしてきます」と云い残し、大股に居間を出て往こうとした。


しばらく黙っていた父親は心配そうな声で訊いた。


「この辺りでライカにちょうどいい男の子はいないのかい?」


「ヒューネのところの子供さんはまだ十歳を過ぎたくらいだし、カリエの息子は確かもう相手が決まってるって聞いたわ」


「もう決まってるのか。彼は確かライカの一つ下だったな」


「そうよ。でもあんまり贅沢云うと(ばち)があたるから。やっぱりちょうどいいのはサリミアのところのグレドかしら」


 シルヴァンはライラがそう云った直後に玄関先で大きな溜息がするのを聞いた。



 夜、自室に引き取ったシルヴァンは寝台に座って窓の外にある星空を見つめていた。今夜は満月だった。星はいつものように光り瞬いていた。

 しばらく見つめていたシルヴァンはふと疲れたように寝床に潜り込み、目を閉じた。眠りは速やかに彼を夢の中に誘った。

用語辞典

・メーラ・・・長さの単位。一メーラは約一メートル。

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