一七話 石造りの都
ウェイブラス騎士団三個大隊――バヤード駐屯のマルスヘルム軍から新たに一個大隊拝借してきたのだ――は首都へ踏み込んだ。
とにかくでかかった。建物も、規模も、大きさも、何もかもが。そして、多くの建築物は切り出された石で造られていた。それが『石造り』の由来だった。
ガイズの巨大な南大門から入ると目の前には大通りがあり、一番目に付くのは、その大通りの遥か向こうに一際大きい建物――周りの建物ですらおもちゃに見えてしまうほど巨大な建物があった。――ダレアース宮廷、ガイザード政府の姿だった。
遠目からでも周りの建築物と格の違いがわかる。白、黒、灰の三色の大理石がダレアース宮廷を構成していたから、見た目の力強さは圧巻だった。建物の間から突き出た塔、本殿、金宮、後宮、離宮の規模の凄さが垣間見れる。
その政府の建物の上空を旋回している小さな姿が見える。小さくてよく見えなかったのでじっと目を凝らした時、彼らの上に影が落とされた。ウェイブラス騎士団は上を見上げた。
影の正体は、大きな翼とその胴体だった。それは真っ直ぐ宮廷の方を目指して飛んでいった。
「アリオン将軍、あれは竜ですか?」
翼が撓り空気が振動する大音の中、将軍は大声で笑った。
「ハッハッハ! あれを初めて見たか? あれは竜じゃない。翼竜だ!」
「ワイバーン――」
「そうだ! 伝説では竜族の眷属とか末裔と呼ばれている連中だ。帝国が軍事用に飼育している幻獣だ」
先程の影は五騎の翼竜で構成されていて、楔形の陣形をとっていた。その翼竜の上にはなんと人が座っていた。なんとも壮大な眺めだ。
「シルヴァン、あんなので驚いていたらこの先困るぞ! あれはトゥアドラン騎士団――フラゥフェン将軍の幻獣部隊だ!」
シルヴァンは驚きに包まれていた。
**
ウェイブラス騎士団は大通りを進み、あまりにも広い大広場に出た。その広場の中央には数匹のワイバーンがいた。隣には騎兵が談話していたり、餌をやったりして休憩していた。
彼らがその広場の端を通って縦断しようとした時、新たな数頭の翼竜が広場の上空に現れた。旋回しながら徐々に高度を下げ、着陸した。
アリオンが停止の合図を送ると伝令は騎士団中を駆けて行った。
「全軍停止!」
「全軍一旦停止!」
アリオンは相手の正体がわかったので、素早く馬から下りた。彼の側近もそれに倣う。
緑色の硬い鱗を持ち、竜と違って前足がない幻獣ワイバーンは専用の鎧――唯一ともいえる弱点の柔らかい下腹や顔を守る革と鉄製の防具を装着していた。
その中で最も大きく、装備している鎧も他のワイバーンとは異なるそれに乗る騎手の一人が安全ベルトを外して鞍から軽々と跳躍、着地し、彼らに近づいてきた。よく見ると、その人物の装備する鎧もどこか豪華だった。他の騎手もそれに続いて地面に降り立つ。さきに着陸していた他の騎兵達は、上空にその姿が見えた時点で既に直立不動の構えで敬礼の姿勢をとっていた。
騎士達は兜を取った。例のリーダー格の男は初老で、豊かな白髪と見事なまでに整えられた口髭を太陽の下に晒した。
「お久しぶりです、フラゥフェン将軍!」
「やはり君だったか、アリオン将軍」
両者は握手を交わした。
「いつこちらに戻られてきたんです?」
「十日程前だ。北方の妖魔の抵抗が弱まったのを機に帰ってきた。ちょうど時期も時期だったのでな。
おぉ、マルス! 久しぶりだな!」
「全くだな、フロウ!」
お互い親しい愛称で呼ばわった。二人の初老は抱擁を交わした。
「相変わらずでなによりだ。元気だったか?」
「もちろんだ。お前の方こそ、北の戦地でくたばったのではないかとヒヤヒヤしていたぞ」
「ぬかしたな!」
二人は高らかに笑った。
その光景を尻目に、シルヴァンはアリオンに訊ねた。
「マルスヘルム准将とフラゥフェン将軍はお知り合いなのですか?」
「ああ、あの二人は傭兵時代からの付き合いで、所属する騎士団は違えど今も昔と変わらぬ仲さ。いわゆる“腐れ縁”ってヤツかな。二人とも昔大会で優勝したのさ。確か先に優勝したのはフラゥフェン将軍だったらしいな。マルスはなかなか認めたがらないが。――将軍と准将という位の差はあるが、二人ともこんなに気さくに接していられるのは羨ましいことだな」
アリオンは優しく微笑みながら言った。
「フラゥフェン将軍、今年の大会には女性を出場させると聞きましたよ! それも一番手で。一体どういうことなんです?」
フラゥフェンはアリオンに向き直った。
「アリオン、もういい加減フロウと呼んでくれても構わないのだぞ。他人行儀でいかん。君とわしの仲だろう」
アリオンは頭を下げた。
「身に余る光栄です。ですが、マルス准将とフラゥフェン将軍との親密な仲にわたしのような者が割って入るような感じがして、なかなかそうもいかないんです。我々の近くには軽々しくそのフロウの名を呼ぶ者までいますしね。そんなヤツと同列にされたくはありませんので」
フラゥフェンはとっさにハイヴァーンのことが頭に浮かんだ。おそらくアリオンが言いたい相手もその男だろう。
「そんなに畏まらなくてもいいぞ。まぁいい、いつかそう呼んでもらえる日を待つとしよう。
話を戻すが、実はその女性――女傭兵らしい――は我々が北方大陸で戦っている時に現地に訪問してきたのだ。彼女はトゥアドラン騎士団に入隊したいと言ったのだが、わしらは最初真面目に話を聞かずに暇を告げた。女性のいる場所じゃない、と言ってな。だが『一人で妖魔と戦わせてみてくれ』と言うもので、戦わせて見れば獅子奮迅の戦いぶりだった。一人で何体もの妖魔を屠り、華麗に舞うその姿に誰もが惚れ惚れとしたものだ。あんな美しい戦い方をみたのは生まれて初めてかもしれん。わしは彼女に心底惚れ込んだ。だからその女性の入隊を認め、大会の一番手として出場させることを決めたのだ。もしかしたら君の部下と戦うかもしれんが、油断しないことを勧めるぞ」
そう聞いてアリオンも黙ってはいられなかった。
「将軍の方こそ、いくらウェイブラス騎士団が七大騎士団の中で最も優勝から遠ざかっているとはいえ、下に見てると怪我をしますよ。シルヴァン、来い」
「はっ」
シルヴァンは下馬し、アリオンの横に付いた。
「フラゥフェン将軍、彼は我が騎士団の一番手です。お気をつけなされよ。彼はマルスと戦って彼の顔に傷を付けた男ですから。しかも、マルスが魔法戦闘具の〈第二形態〉まで展開して戦った末の結果です。いくらその女性が強いとはいえ、彼の前に出はしないでしょうな」
アリオン自身もまだその事実を認めるのは難しかったが、フラゥフェンの方はもっと信じられなかったらしい。
「怪我? マルスが? それは冗談ではないのか?」
「耳も遠くなったのか、この老いぼれめ。本当だ」
マルスヘルムは傷痕を指し示した。
「・・・・・・ついにお前もオンボロか。『闇毒』の名も落ちたな」
フラゥフェンは嘆くような口調で言った。
「オンボロはお互い様だ。お前も闘ってみればわかるさ。だがそれは大会までとっておけ」
フラゥフェンは笑った。
「そうだな。本番が楽しみだ。シルヴァン、だったな。よろしく頼むぞ。わしはトゥアドラン騎士団将軍フラゥフェン、通称フロウ。〈第五の将〉だ」
「申し遅れました。わたしはウェイブラス騎士団十人隊長シルヴァンと申します」
「ハハハ、礼儀正しいところもアリオンにそっくりだな。若いうちはもっとハッチャケた方がいいぞ、若者。それでは、まだ我々は空を巡回しなくてはならんから、これで失礼する。また会おう」
フラゥフェンは再び翼竜の背に乗り、手綱を引っ張って離陸した。ワイバーンは着陸時と同様に旋回して徐々に高度を上げ、十分に舞いあがると飛び去った。
アリオンは前進の合図を出し、兵舎に向かった。
**
途中、街中でシルヴァンは奇妙な騎士を見かけた。
「将軍、あの騎士がもっている“もの”は何ですか?」
アリオンはシルヴァンが指差す先を見つめた。
その騎士は身長の半分くらいある、長い鉄製の棒とも刀剣とも見えるような奇妙な形状のものを手にしていた。
「あれはパラスラ騎士団だな。前に言ったバラン将軍の騎士団だ。
彼らが持っているものは“銃”だ。帝国の科学研究所が最近開発した新しい武器で、何でも“火薬”という貴重なものを使用しているらしい。まだ実用性に乏しいので今は試験段階だな。テストも兼ねてパラスラ騎士団が現在使用しているのだ」
シルヴァンはその武器に興味を惹かれた。
「研究所は魔法や科学、果ては妖魔のもつ妖力について研究していて、近年魔法・科学の両方の分野の特性を一つの“形”にしようとしている。研究所職員の知り合いから聞いた話だが、数ヶ月前、研究所が開発した銃の原型となった兵器でヴァリノイアの竜を一頭仕留めたのだ。その武器は“大砲”といって火薬を大量に使って目標に“弾”を発射し、爆破するものなんだが、ヴァリノイアの竜相手に使ったのは特別製の弾だ。帝国お抱えの魔術師達が、火薬に氷系の魔法をかけたのだ。それは爆破はするのだが、火薬の特性である『熱を放出』するのではなく『熱を吸収』するらしい。つまり対象物を燃やすのではなく凍らせるのだ。
これはその竜――かの有名なヴァリノイアの赤竜に凄い力を発揮した。赤竜は炎系統の竜だから弱点をつかれたわけだ。その竜も攻撃が届くとは思っていなかったのだろうな。赤竜は攻撃を受けた後バスティアの方へ逃げたと報告があったが、君の国でそういう話があったか?」
――竜・・・・・・わたし〈灰色山〉の花畑であるものを見たの・・・・・・赤竜・・・・・・すごく綺麗で、大きかった・・・・・・ライカの話・・・・・・血のように赤い竜だったわ・・・・・・ヴァリノイアの竜・・・・・・“彼女”は傷付いてたの・・・・・・炎系統の竜・・・・・・今日の出発の前に花畑に寄ったらいなくなってたの。多分昨日の夜に飛んで行ったんだわ・・・・・・〈竜巣の谷〉・・・・・・やがて時代は過ぎ、増えてきた人間によって住処を奪われた竜達が安住の地を求めて西の海を渡り始めた頃、〈竜巣の谷〉からも竜は消え始めた・・・・・・〈灰色山〉・・・・・・元気が出るように、ほら、わたしとシルヴァンしか知らないあの花畑の隅に咲く透明な赤い薔薇の花をあげたの・・・・・・バスティアの方へ逃げた・・・・・・村の伝承・・・・・・ありがとうって言ってくれたわ・・・・・・僕達が村を出た日・・・・・・花畑の窪地・・・・・・竜・・・・・・この傷はすぐ治る。だけど、わたしより何倍も苦しんでいる方がいる。それに比べたら大したことはない・・・・・・竜・・・・・・二度と竜が谷に来ることはなかった・・・・・・竜・・・・・・赤竜――――――――――――
――僕はその竜を知っている――
頭に激痛が走った。この世の痛みとは思えないほどの苦痛。彼は呻いて頭を抱え込んだ。
「おい、どうした! 大丈夫か!?」
アリオンは心配して馬上から声をかけた。なおもシルヴァンが痛そうに頭を抱えているので、近づいて肩を揺さぶった。
「しっかりしろ! なにかあったのか?」
痛みが少しずつ引いていく――まるで痛みなど最初からなかったかのように。
ようやくシルヴァンは落ち着いたが、体中から汗が噴き出している。呼吸が荒い。
「すいません、急に頭が痛くなって。もう大丈夫です」
「そうか? 大会も近いから無理はするな。必要であれば医者にも診せろ」
「は、はい」
「二、三日お前は警備につかなくてもいい。ゆっくり休養してろ」
「わかりました」
アリオンはシルヴァンの様子を観察したが、一応異常はなさそうだったので行進を再開した。
「なにがあったんだ?」
シルヴァンは首を振った。
「わかんないんです。将軍の話を聞いていたら急に頭が痛くなって。何かが頭に浮かんだんですけど、今のショックで忘れてしまいました」
「なんの話をしていたかな? ――ああ、研究所の開発した兵器のことだったな。何か気分を害すような発言をしていなければいいが」
「・・・・・・将軍。将軍はヴァリノイア戦役についてどうお考えなのです? やはり妖魔は根絶やしにすべきだとお思いですか?」
アリオンは愁いに満ちた表情をしていた。
「――わたしは軍人にして政治家だ。だが政を司るのは皇帝陛下だ。我々はそれに従うのみ。陛下の決定に疑問を抱いてはならんのだ。それが間違いに見えても。
・・・・・・しかし、個人的な意見を言わせてもらうのなら――わたしは戦争に反対だ。戦は戦しか呼ばない。戦争では人も妖魔も傷付いていく。人に親が、子がいるのと同様に妖魔にも親がいて、子がいて、妻がいて、夫がいる。それらを我々は奪っているのだ。わたしの父が死ねばわたしが悲しむのと同じく、妖魔の子供も父が死ねば悲しむだろう。そしてその子は人間を恨み、憎む。また戦は続くのだ。そうやって歴史は繰り返されてきたといっても過言ではない。
わたしは平和な世を望む・・・・・・馬鹿らしい夢だが、いつの日か妖魔と一緒に暮らせる日が来たら、といつも思っているのだ。死ぬ前に一度、ヴァリノイアに行ってみたい。人間と妖魔が平和に暮らす理想郷に」
最後の方は小さい呟きになって消えた。
「・・・・・・」
しかし、シルヴァンにはもはや周りの音など届いていなかった。
――将軍の話を聞いてると、不思議な感覚に襲わた。そして、最後僕は『何か』の結論に達しようとしていたんだ。・・・・・・思い出せない。痛みの衝撃で忘れてしまった。僕の失われた過去と何か秘密があるのか? それは一体何なんだ?