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一六話 都へ吹く風

 アリオン軍がバヤードを出て六日目、首都ガイズへの道程の約五分の四を踏破していた。彼らはガイズとバヤードの間にある街シュイツに滞在していた。この街を過ぎればガイズ到着は目前だった。

 シュイツの街は朝を迎えていた。朝日が青と灰を混ぜ合わせたような色の街を照らし出す頃、街人はようやく家から出て商売の仕度を始める。バヤードやガイズ程ではないがそれでも大きな街であるシュイツは、ガイズと他の地域を結ぶ最終中継地点であったので旅篭の数がとても多かった。道を行けばどこもかしこも旅館や高級ホテルでいっぱいだった。他にも旅行で訪れる人をもてなすため、繁華街や歓楽街で賑わう一面も持ち合わせている。

 シュイツの一角、どこよりも宿泊施設の密集率が高いその地区は主にガイズと南方の地域を往来する帝国軍や、たまに団体客を泊めたりもしていた。

 まだ日が昇って間もない頃、一人の旅人が広場の井戸へやってきた。

 息が白い。夏の朝はどこも寒かった。

 旅人は先客がいるのに気が付いた。先客の男は釣瓶から瓶に水を入れ替えている最中だった。馬に水をやるのだろう。男の側にはまだいくつか空の瓶が置かれていた。


「手伝いましょうか?」


「ありがとうございます」


 旅人は腰を屈め、瓶に手を伸ばした。頭をスッポリとフードで隠していて、俯いているので顔を確認するのは難しかった。

 男が一つの瓶に水を入れ終わると、別のを渡した。


「朝から大変ですね。肌寒い中を一人でこんなに運ぶなんて」


「全部自分でやらないと気がすまないもので。そういう性分なんですよ」


「これからどちらに向かわれるのです?」


「ガイズへ。そこにちょっと用がありまして。

 あなたは?」


「あなたと同じです。これから首都へ」


「奇遇ですね」


「偶然ではありませんよ。これも運命神(テサーナ)の思し召し」


 旅人はフードの下で笑った。

 男はいぶかしんだ。

 この奇妙な男、前にどこかで会ったか? 


「全てはテサーナの御心のままに」


 この独特な言い回しと文句――聞いたことがあるぞ。それにこの声も。もしや――


「お気付きになりましたか?」


 旅人はフードを後ろに引っ張った。目にも鮮やかな金髪が砂のように流れ落ちる。


「あぁ、君か、トリスタン。久しぶりだな」


「お久しぶりですね、シルヴァン」


 彼らはお互いに手を取り合った。

 緑色の瞳をしたトリスタンは笑った。シルヴァンと似たような年齢だが、顔にはまだ子供時代のあどけなさが残っている。

 シルヴァンは問うた。


「どうしてここへ?」


「我が神はわたしを帝国の首都へお使わしになりました。与えられた任務を全うするために。

 そういうあなたはもしかして剣闘技大会にでも用があるんじゃないですか?」


「まぁそうだ。僕は大会に出る」


「それはスゴイじゃないですか。時間があれば応援しに行きますよ」


「いいのか? 神に仕える僧侶が俗世なんかと関わって」


「いいんですよ。ちょっとくらい息抜きは必要ですし。それくらいだったら神も許してくれるはず」


「チケットはどうするんだ?」


「なぁに、それも問題はないです。大会に出席する位の高いテサーナの神官達に頼めば簡単に入り込ませてくれますよ。わたしにはコネがありますからね」


 なんだか妙に僧侶っぽくないな、とシルヴァンは思った。


「では、これで失礼します。わたしは一足先にガイズに向かいます。またお会いしましょう」


「ああ」


 トリスタンは後ろを向いて歩き始めたが、数歩歩いたところで足を止める。


「失礼、一つあなたに伝え忘れたことがありました」


「何だ?」


「――ガイズへ到着したら、〈パルクの酒樽亭〉へ行きなさい。そうすれば・・・・・・」


 とだけ言い残し、トリスタンは去った。

 シルヴァンは無言のままその場に立ち、トリスタンの言葉の意図を考えた。

 ――そこにはなにがある?


**


 シルヴァンと別れたトリスタンは自分の宿へ行き、宿代を支払って馬を返してもらった。

 トリスタンは馬の背に鞍を乗せようとすると、面白いものを見つけた。


「おや、こんなところで黒猫とは珍しいな」


 どこからともなく現れた(ミャオ)は彼らに近づいてきた。猫はトリスタンの足元で“待て”の姿勢をとった。クネクネと動く尻尾がなんとも可愛らしい。


「綺麗な毛並みだ。手入れがしっかり行き届いているな。でも首輪がない。ということは野良猫か?」


 黒猫は「野良猫」の部分に反応し、「シャー!」と唸って毛を逆立てた。

 トリスタンは苦笑し、しゃがんで手を差し出した。

 猫はその手を見つめ、手の上に何もないのが分かると手を差し出す振りをして、掌を軽く引っ掻いた。“お手”はあえなく失敗した。

 猫は気分を害したようにその場を立ち去った。

 ――猫も人も変わらないな。

 トリスタンは立ち上がろうとし、その瞬間激しく咳き込んだ。地面に倒れたトリスタンは身を(よじ)り、悶え苦しんだ。咳は長いこと続いた。しばらくして咳がおさまると、口から離した手には血の跡があった。

 彼はその血をじっと見て拳を握り締めた。

 トリスタンは口と手を拭い、ゆっくりと立ち上がった。彼は鞍を乗せ直し、馬に乗るとガイズへ急いだ。



***



「アリオン将軍は貴族の出なのですか?」


 ガイズへの道の途中、シルヴァンとアリオンは(くつわ)を並べていた。


「その通りだ。バヤードの近くに小さな領地を持つ下級貴族の家だがな。わたしの父――ハンサーネス家の現家長は男爵で、わたしは準男爵だった。だが剣闘技大会で優勝したことで父と同じ男爵の爵位を当時の皇帝陛下から賜り、騎士団の将軍になったことで子爵に昇格された。新たに領地を購入する権利は与えられたが、父はこのままでいいと言い張るものでな。未だに貴族と平民の間の存在だ」


 アリオンはそう答えた。


「ですが、アリオン将軍は民衆からも慕われていると聞きました」


「父も実は平民上がりなんだ。だから平民の辛さや厳しさは知っている。できるだけ自分の領地の税は高くせずに彼らが少しでも生活を楽に過ごせれるように努力してきた」


「立派なお父君ですね」


「わたしの誇りだ」


 アリオンは誇らしげに言った。そう言うアリオンの横顔は輝いて見えた。シルヴァンはアリオンの父だけではなく、アリオン自身も民から慕われている理由がわかったような気がした。


「シルヴァン、君は美の国バスティア公国の〈竜巣の谷〉出身と聞いた。是非そこのことを知りたい。教えてくれ」


 シルヴァンはアリオンに伝えた。春から秋にかけて咲き乱れる宝石のような花々のこと、村に流れる綺麗に澄んだ川のこと、遥かなヴァリノイアへ続く大きなバーナムの森のこと、恐ろしい獣が巣くう〈灰色山(グレイ・マウンテン)〉のこと、そして〈竜巣の谷〉のこと。

 アリオンはその話にじっと耳を傾けていた。


「美しいのだな、その村は。わたしも一度行ってみたいものだ」


「軍を退役された後に行ってみたらどうです? 気に入られると思いますよ」


「そうだな、考えておこう」


 彼らはいまだ馬に揺られていた。周りの景色は相変わらず拓けた農地が続き、緑、黄、茶色の耕され肥えた大地が顔を覗かせる。


「シルヴァン、もうそろそろでガイズに着く。その前にお前にいくつか教えておきたいことがある」


「はい」


「まず、大会の少し前まではお前達もガイズの警備に当たってもらう。実は先日、ガイズで嫌な事件が起きたのだ。知っているか?」


「いえ。何があったです?」


「ある夜、ガイズにある〈第一の将〉バラン殿の邸宅――正しくはガイズの内部にある特別な領地――が武装した集団に襲撃された。その時は使用人(かまい)達が少なかったから被害者は少なかったが、バラン殿の奥方と二人の息子が誘拐された。今もその行方を捜索している。

 犯人どもの襲撃は速やかに、そして静かに行われた。何人かの使用人も殺され、バラン殿の邸宅は無残に破壊されていた。ほぼ全壊だ。いくら夜中とはいえあれだけの被害を起こすには時間が足りない。犯人グループは荒らした形跡から大人数であると判明された。しかし、やつらは人目に付かずにバラン殿の領地に侵入し、消えるように逃げたらしい。どうも解せん。隠密行動が得意と見える。

 今もバラン殿はその事件解明の最前線で指揮を取っておられる。だが、如何(いかん)せん当時バラン邸が含まれる地区の警備を担当していたのは彼が率いるパラスラ騎士団だったのだ。無論、真っ先にパラスラ騎士団が疑われた――身内に裏切り者がいて、手引きをした、としてな。彼も気が気ではないだろうな。自分の信じる騎士団に裏切り者がいるなどとは信じたくないだろう」


 シルヴァンは黙って注意深くその話を聞いていた。


「発生して一月半近く経つが事件は進展を見せていない。バラン殿もまだ諦めてはいないが、正直心の中ではもはや期待していないだろう」


「――そうですか」


「こんな暗い話をしてすまない。だがガイズに行く以上は知っておいて貰いたい。今ガイズでどういう事件が起きていて、どういう陰謀が渦巻いているのかを」


「はい、心に留めておきます」


 アリオンは頷いた。


「次の話だが、わたしくらい長年軍に仕えていれば、大体は顔を見ただけでその人物がどの騎士団員かわかる。それぞれの騎士団にも特色とかがあって、例えばパラスラ騎士団はバラン将軍が厳格な方だから部下にも厳しくしつけする。故に街で厳しそうな顔をしている兵を見たら真っ先にそいつはパラスラ騎士団員であると疑えばいい。パラスラ騎士団は己に対しても厳しいと専らの評判なんでな。実際わたしもそう思う時がある。

 だが、わたしの言いたいのはそういうことではないのだ。お前はまだ全ての騎士団の特徴を理解していないからわからないと思うが、もし街中でお前の視界の内にクルバルティス騎士団員と、ゾーラ騎士団かチェイスタル騎士団のどちらかの騎士団員が入った時は気を付けろ。そこは危険だ。バスティア出身のお前は知らないと思うが、帝国ではこの話は常識なのだ」


「その三つの騎士団には確執でもあったんですか?」


 アリオンは肯定した。


「今から十数年前、当時〈第六の将〉だった現チェイスタル騎士団将軍にして〈第二の将〉ハイヴァーンが帝国の法律をひもとき、厄介な法を偶然見つけた。力の時代に制定され、もう忘れ去られたと思われていた、それが諸悪の根源だ。その法とは、一人につき一度のみ将の順位が一つ上の将に対して決闘を挑むことができるというものだ。将軍同士が一対一で決闘し、もし順位が下の者が勝った場合、順位は入れ替わる。制定された理由は、おそらく軍の士気をあげるためのものだと考えられている。

 ハイヴァーンはそれを利用し、当時〈第五の将〉だったクルバルティス騎士団将軍ツァイソスに勝負を挑み、これに勝利した。結果ハイヴァーンは〈第五の将〉に昇格され、逆にツァイソス将軍は格下げされた。本来であれば彼にも復讐の権利――その忌わしい法を使って再びハイヴァーンに勝負を挑むこともできた。だが、彼はこれ以上帝国内に内輪揉めを広げるつもりはなかったのでその場に留まることにした。

 だが、まだこの話には続きがある。その闘いが終わって間もない頃、再びその法が行使された。行使者は当時〈第七の将〉で、現ゾーラ騎士団将軍にして〈第三の将〉クィンラン。クィンランは格下げされたばかりのツァイソス将軍と対峙した。結果はクィンランの勝利に終わる。噂では、ハイヴァーンが気の合うクィンランにそうするよう仕向けたらしいが、確証はない。二度も敗北したツァイソス将軍はそれ以上将軍職を続けることはできなかった。騎士団内外から非難を浴び、彼は退役した。そしてその後釜になったのは現〈第四の将〉リマニウス・ルードアント将軍だ」


「そして今でもその確執は続いている?」


「そう。気性の荒い者が多いチェイスタルと、他の騎士団を馬鹿にする傾向の見られるゾーラの騎士団はそれらの将軍がそうであるように妙に気が合うらしい。やつらは今でも十何年も前のことを話のネタにする。無論その二大騎士団とクルバルティス騎士団が仲が良いわけはない。他の騎士団もその二大騎士団をあまり好いていないがな。彼らは隙あらばお互いを潰そうとしている。騎士団間で喧嘩沙汰が多いのは彼ら――特にチェイスタルとゾーラの騎士団が原因だ。ツァイソス将軍をほぼ自ら解任状態にさせたとは言え、クルバルティス騎士団も将軍のことに関しては二大騎士団を恨んでいる。

 そして前皇帝陛下はこのことで頭を痛められ、この法律を全面的に廃止された」


「・・・・・・帝国上層部でも争いごとが起きているんですね」


「愚かしいにも程がある。ハイヴァーンとクィンランこそ、帝国の平和を乱すも者としかわたしには思えん」


 アリオンは頭を振った。


「さらに、だ。ハイヴァーンには悪い噂ばかり付き纏う。クィンランもだが、ハイヴァーンに比べれば大したことはない。噂の中には奴は悪の神格を信奉していると聞く。また、奴はかの有名なウルギア盗賊団出身という噂もある」


 その言葉を聞いてシルヴァンは眉を寄せたが、その様子にアリオンは気が付かなかった。彼はまだ〈竜巣の谷〉の事件を知らないのだ。


「ウルギア盗賊団に籍を置いていたが、あまりの残虐ぶりに首領のウルギアでさえ恐怖し、奴を脱退させたらしい。その時の戦闘でハイヴァーン相手に盗賊団は団員の四分の一を失ったとも聞いた。奴のそのような所業がウルギア盗賊団の名を高めたのであって、実際のウルギア盗賊団は大したことはないと言う者もいる。とにかく、奴に関しては良い噂は皆無だ」


 そこまで言うと、嫌な空気を吐き出すようにアリオンは溜息をついた。

 シルヴァンは苦い顔をした。

 僕が戦った相手は雑魚だったのか? だから村人は“一人も”死なずに済んだのか?


「とにかく、チェイスタルとゾーラの騎士団には注意しろ。挑発されても乗るな。まぁお前なら大丈夫だと思う」


「はい」と相槌をうつ。


 彼らがそうこうしているうちに太陽は頂点に達していた。そして、遠くに大きな街並が見えた。


「将軍、あれが・・・・・・」


「そう。石造りの都、ガイズだ」

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