一四話 神々と魔法の理(一)
金の月の最終日、平和な国々では感謝祭が行われていた。一年に一度、今までの豊作を祝い、これからの豊穣を願って。
ウェイブラス騎士団はバヤード市内全域を警備していた。が、さすがに一日中巡回にあたるのは体力的にも、祭りに参加できないという気持ち的にも騎士団員の不況を買ってしまうと判断したアリオンは、連れてきた護衛及び補充要因も含めて順番に交代で出歩くことを許可した。これこそ、アリオン将軍の人心掌握の技だった。
その日はライカの仕事の最終日でもあったが感謝祭と重なるため、事前に客入りが少ないと予想していた主催側はその日の正午をもって発表会を終えることを決めていた。建物の中で店が閉店する度に、仕事仲間達は拍手をしてお互いを褒め称えあった。
最後の店が静かに閉まると中からは店主が従業員を労う声が聞こえる。ときおり、涙声まで聞こえてきた。彼らもその青春の全てをこの二ヶ月という期間に捧げてきたのだ。
「みんな、今日までよくがんばった。本当にありがとう」
カルダンも店内で従業員を労っていた。何度かこういう大舞台を経験している者は慣れているが、特に新人達はまだ信じられないような顔をしていた。泣く者もいた。
そう、本来であればこんな衣服発表会に店を出店できるのはあっても一生に一度なのだ。だがカルダンはもう既にこの大舞台を三回も経験し、どこでも成功させてきた。彼らの誇り、バスティア公国の誇りでもある。
「今年は、わたしが今まで経験した中で最も楽しく、そして一番売り上げがよかった年でもある」
お得意のジョークに男女は大笑いした。
「諸君はよくやってくれた。特にライカ、君には本当に感謝しているよ」
名指しで呼ばれた少女は顔を赤らめた。
「この二ヶ月間、本当の店員でも臨時のバイトでもない君は一生懸命に働いてくれた。そしてその忙しい中私塾の試験にも合格し、晴れて明日からは有名校の生徒となる。おめでとう!」
皆励ましの言葉と拍手を惜しみなく送った。ライカは頭を下げて礼をした。
「さて、今日は運良く感謝祭だ。そして運悪く我々の仕事は先程終わってしまった。さらに売り上げ金は諸君らの給料分を差し引いても腐るほどある。皆、どうする?」
と問いかけた。その言葉を聞くや、男も女も息を吸い込み、叫んだ。
「パーティーだ!」
ライカやカルダン達は片付けを後回しにして、とりあえず街に出かけた。
その日の午後、彼女達はとにかく遊びまわった。まだ陽が高い時、宴はちょうど三次会の場所に移ったところだった。彼らは市内にたくさんある大広場の一つにいた。そこには椅子やテーブルが数えきれないくらい並べられ、細い隙間を縫って料理を運ぶウェイターやウェイトレス、席に着いて酒を呷り豪華な肉料理に手をつける者達で溢れかえっていた。
まだ夜は先なのに、カルダン達はもう酔い始めていた。酔っていないのは金を預かる会計係数名とライカくらいなものだった。彼女は前の経験から自分は酒と相性が悪いと悟っていた。
その様子を遠目から認めた男は彼らに近づいた。
「ライカじゃないか! 久しぶりだね。打ち上げかい?」
と声をかけられて振り向いた先には彼女の知り合いがいた。
「あら、シルヴァン! どうしてここへ? 今はお仕事の最中じゃないの?」
「今は自由時間だ。あまり時間はないけどね」
「おぉ、シルヴァンじゃないか。久しぶりだな。どうだ、一杯やらないか?」
「カルダンさん、もう酔ってるじゃないですか。気をつけてくださいよ」
「馬鹿言っちゃいかん。これくらいで酔うなどとは恥もいいところだ。感謝祭の本番はまだ先だからな!」
そうは言うものの、カルダンは顔を赤くしていた。
シルヴァンとライカは苦笑した。
近くで怒鳴り声がした。そちらの方に目をやると、女性店員がなにやら箒を振り回しているではないか。彼女は地面にある何かを追い回しているらしかった。徐々にこちら側に近づいてくると箒で攻撃されているものの正体がわかった。
それはシルヴァン達に気がつくと走ってきた。
「あれってマオじゃない?」
黒猫の口から肉の一部がはみ出ていた。
――あいつめ、盗み食いしたな。
猫はすかさずシルヴァンの後ろに回りこんだ。
(助けてくれ)
猫は懇願するようにシルヴァンを見上げた。
シルヴァンは溜息をついた。
「お客様、その野良猫を追っ払ってください!」
(ノラ猫だとぉ)
「お前は静かにしてろ」
シルヴァンは猫にそう静かに言い付け、
「すいません、うちの猫がご迷惑をおかけしました。こいつがなにかやったのなら、弁償します」
「ちょっと困りますよ、お客様。その猫は他のお客様の食べ物を・・・・・・」
その女性は初めて目の前に立つ男の容姿を見た。
――うそ・・・・・・綺麗――
肩まで伸びた黒く艶やかな髪、細く高い鼻、綺麗に澄んだ青い瞳、小麦色の肌、高い身長、どれをとっても完璧だった。彼女は言うべき言葉も忘れて一瞬呆然とした。目の前の青年は彼女の好みにストライクだった。
そんな感慨も知らずにシルヴァンは女性に近づき、そっと手を掴んだ。
女性店員は体温を上げながら自分の手を掴んでいる手を見ると、その中には光るものがあった。
「少ないですけど、受け取ってください」
と悩ましいほどの笑顔で言われて、彼女は自分の手を開くと銀色の硬貨が一枚滑り込まれていた。
「え、こ、こんなに――?」
「ほんの気持ちですよ」
シルヴァンはニッコリと笑って言った。
「あ、あの、その・・・・・・」
女性はしどろもどろになりながらも何とかして言いたいことを伝えようと奮闘していた。
「こ、今夜一緒に、お食事でも――」
そんな女性の慌てた様子を目に収めながら、シルヴァンは彼女の肩に手をやって遮った。
「あっちでお客さんが呼んでますよ」
「え、あ、は、はい」
女性は指差された方を見、名残惜しそうにシルヴァンを振り返りながら去っていった。
「いいの? あんなにお金使ってばっかりで。この前もあの件で結構使っちゃったじゃない」
なによ、あんな女に――
ライカは幾分ブスッとしていた。
「僕は別に欲しい物とかないからいいのさ。たまにはああいう使い方もしないとお金も喜ばないだろ。さすがに最近は使い過ぎた感はあるけど」
「女性のハートを奪うのに?」
「誤解だよ」
シルヴァンはお手上げだ、と言うように両手を上げた。
「ニャー」
その泣き声で二人は猫の存在を思い出した。
「久しぶりね。どこに行ったと思ってたら、こんなところで盗み食いとはね。野良猫と言われても仕方ないわね」
「キシャー!」
吠えた。
「お前も肉を食べるかい?」
シルヴァンは猫を抱え上げてなだめた。すると猫はすぐにおとなしくなって「ニャ〜」と恭順の意を表し、甘えるように顔をシルヴァンの腕にこすりつけた。
「ご都合がいいこと」
猫は地面に座りながら与えられた肉を貪っていた。
シルヴァンは椅子に座り、
「ついでだし、今日は報告がある」
「何?」
「剣闘技大会に出場することがこの前決まった」
ライカは思わず立ち上がって「スゴイじゃない!」と叫んだ。周りの客や店員が怪訝そうにこちらを眺めているのに気付いて慌てて座った。
「カルダンさん、今の話聞きました?」
「ん、一体どうしたんだね?」
従業員達と話に興じていたカルダンは振り向いた。
「シルヴァンが剣闘技大会に出るんですって!」
カルダンは目をパチクリさせた。
「本当か?」
「本当ですよ」
シルヴァンは答えた。
今度こそ、カルダンは叫んだ。
「皆、聞いたか! わしは彼は絶対にやってくれると信じていたぞ!」
「どうしたんです、社長?」
「シルヴァンだよ! 彼は今年の剣闘技大会に出場するんだ!」
周りに座る客もカルダンの大声を聞いてそちらの方を見た。
カルダンの部下は「オオ!」と叫び、拍手喝采し、シルヴァンに駆け寄った。
その騒ぎは波紋を呼び、遠くの客まで何だ何だと言い出した。
自分のことのように喜ぶカルダンは興奮し、酔いも加わったせいで椅子の上に上がった。
「皆さん、お耳を拝借! 今、こちらにいる青年が今年の剣闘技大会に出場することとなりました!」
完全に調子に乗っている。
客はそう聞くと唸り、立ち上がって拍手し始めた。
「すげぇぞ、少年!」
「頑張りなさいよ!」
「どこの騎士団の何番手だ!?」
との声が飛び交った。
「シルヴァン、何番手になったんだ?」
「一番手です」
苦笑しながらも答えた。
「皆さん、お聞きください! この青年は、あのアリオン将軍直属の騎士団、かのウェイブラス騎士団の一番手に選出されたのです!」
拍手と歓声がより一層大きくなった。騒ぎ出した客を静めるのに店員達もてんやわんやの騒ぎだった。
「すごいわね。一番手なんて」
「まぁね」
「いつガイズに向かうの?」
「再来週にはもう出発してるかな。君の誕生日の少し前だ。悪いけど一緒に祝えそうにないな」
「いいのよ。いつまでも祝ってもらうわけにもいかないんだし。
それより、誕生日プレゼントは大会優勝でいいわよ。他にはなんにもいらないわ」
「難しいプレゼントだな」
「いいのよ、本当は優勝なんてしなくても。大切なのは気持ちよ、き・も・ち」
ライカは極上の笑顔で簡単に言い放った。
こういう時のライカは「絶対優勝してよね」と言ってるんだな、と素早くシルヴァンは判断した。冷や汗をかいたような気分だ。
赤の月、第二週第一の日の夜、シルヴァンは兵舎で出発の準備をしていた。数少ない荷物を袋に詰め込んでいる時、部屋の扉が開けられ「面会したい女の子が来てるぞ」と告げられた。
シルヴァンが兵舎の入口に向かうと、ライカが待っていた。
「どうしたんだい?」
「ちょっと話したいことがあって」
「二人きりの方がいいか?」
「いえ、別に構わないわ」
「じゃあ立ち話もなんだし、僕の部屋にでも来るかい?」
「うん、いいけど・・・・・・」
「けど?」
「いくらわたしがいいプロポーションしてるからって、変なことしないでよね」
ライカは燦然と言い放つ。
シルヴァンは溜息をついた。
ライカは初めて宿舎の中を目にした。自分が知ってる建物とは全く違う造りだ。飾り気がなくて質素だ。それに、住む人も違う。彼女が知ってる人間達よりも粗野で、怖そうで、力強そうで、頼もしそうだ。
彼女は建物内に目を走らせながらシルヴァンに付いていった。
すれ違う人が「おいシルヴァン、女を連れ込むたぁいい度胸だな!」と笑いながら大声で叫ぶのでライカは顔を上げて歩くことができなかった。朱に染まる顔を見せたら、それこそその言葉通りの関係だと思われてしまう。
「シルヴァン、若い女性を兵舎に招くのはいい心掛けとは言えんぞ」
と彼らに声をかけたのはマルスヘルム准将だった。
シルヴァンは気を付けの姿勢をとりながら、
「すいません、閣下。こちらの女性は私の知り合いでして、僕がここの兵舎にいる間にどうしても中を見てみたいと言い張るものですから。彼女は私と同じバスティア公国の〈竜巣の谷〉出身です。どうかご勘弁の程を」
「そうかそうか。若い女性がむさ苦しい兵舎なぞを見学したいと申すのはなかなか珍しいの。では特別に許そう」
「恐れ入ります、閣下」
「シルヴァンがいつもお世話になってます」
ライカは挨拶した。
准将は顔を皺だらけにして微笑んだ。
「ホホ、こりゃ一本取られたの、シルヴァン。こんなに綺麗な女子を見たのは久しぶりだ。さすがバスティア公国、美女名産の地と謳われるだけのことはあるな。くれぐれも失礼のないようにな」
と言い残し、マルスヘルムは去って行った。
二人はシルヴァンの部屋に向かった。部屋には誰もいなかった。二人は下段の寝台に腰をかけた。
「で、話したいことってのは?」