一〇話 邂逅こそは縁成りき(三)
シルヴァンはハッとし、相手の顔を見つめた。ケンタウロスの眼はまっすぐ彼の顔を捉えていた。焦点も合っているらしい。そして、小さくその唇が動いた。
彼はその動きを確認すると激しく振り向いた。
「ライカ! 君の出番だ!」
「え、何をすればいいの?」
「彼が何を言ってるのか教えてくれ」
「え?」
ライカは驚いた。まさかそんな質問をされるとは思ってもみなかったのだ。
「わたしそんなことできないわ」
「いや、君ならできるはずだ」
「できないわ」
「できるさ。ケンタウロスは人語を解するから、聞き取ろうと思えば僕にもできなくはないと思うが、猫の声も馬の声も聞こえたのは君だけだ。それには何か理由と秘密があるはずだ。僕にはできない。君の方が彼らの心をよく聞けるはず。やってみてくれ」
「――うん」
ライカは頷き、シルヴァンの側にしゃがんだ。彼女はケンタウロスに眼を凝らし、耳を澄ませた。ふと彼女は瞼を上げ、手を伸ばしてケンタウロスの手を取った。
「――『わたしは――あたなを――知っている・・・・・・どこかで――見た記憶が』――」
ライカの口を使って別の誰かがしゃべっているような口調だったが、声音そのものは彼女のものだった。
シルヴァンは驚いた。彼はケンタウロスにあったことなど記憶にない。いや、あるとすれば三年前以前――彼の記憶から欠如している部分の頃のことだ。彼は好奇心を抑えきれず、先を促した。
「『――いや・・・・・・あなたに似たような――人だったかもしれない――わたしは・・・・・・あなたに会ったことがない――かもしれない――だが・・・・・・確か――見たことがある――その青い瞳――それはあの人の・・・・・・似ている』」
彼女がそう言い続けている間にもケンタウロスの口は僅かに動いていた。ほんの僅かだがケンタウロスの口から言葉が洩れているような気がする。だが、シルヴァンにはわけの解らない言語だった。
「それは誰だ?」
そう問うようにシルヴァンはライカに言った。
「それは誰?」
彼女は半ば正気を失っているようにも見える。そう言ったのも機械的な動作だった。
「『――ああぁ――頭がおかしくなりそうだ――何もわからない――記憶が・・・・・・飛ぶ――あぁぁあぁあ――わからない――助けて・・・・・・』」
「しっかりしろ!」
シルヴァンは叫んだ。
「教えてくれ、僕、いや、その僕に似た人とは誰だ?」
ライカは唾を飲み込んだ。
「『――それは――』」
と、そこまで言ったところでケンタウロスは口から血を吐いた。
「おい、大丈夫か!」
ケンタウロスは大量の血を流しながらも、最後の抵抗を試みるかのように起き上がろうとした。しかしそこで彼は力尽き、動かなくなった。手は力なくライカの両手から滑り落ちた。
ふたりとも押し黙ってしまった。
猫はただケンタウロスの遺体に眼を注ぐのみだった。しばらくして彼は静かに天幕から去った。あとに残ったのはシルヴァンとライカだけだった。
シルヴァンはケンタウロスの瞼をそっと閉じ、うなだれた。
ふたりが檻の外で佇んでいると天幕の外で人が歩く音がし、灯りが近づいてきた。
「何者だ! 盗人か!?」
いきなり眩しい光を浴びせられてライカは怯んだ。
シルヴァンは動じず、無機質な視線を音源に送った。逆にたじろいだのは彼の顔を見た男達だった。一見して無表情に見えるが、彼の心の動きを読み取ったからか。気を取り直して旅芸人らしき男は問い質した。
「答えろ! 何者だ!」
その言葉を聞いてシルヴァンは立ち上がった。男達が後退ったのは、彼の腰にある一刀を見たためか、はたまたその異様な雰囲気を感じ取ったためか。
「このケンタウロスが欲しい」
旅芸人達は一瞬何を言われたのかわからなかったようにポカンとし、顔を見合わせた。
「いくらだ?」
「なんでこんな死に損いが欲しいんだ?」
男は唾を飲み込み、言った。だがどうやら言葉選びを間違えたようだ。
その言葉はシルヴァンの逆鱗に触れた。彼は怒りを抑えるために全神経を集中させなくてはならなかった。ライカですら初めて見た、シルヴァンの全身から溢れる怒りに満ちた黒いオーラ。数年一緒に暮らしているが、彼女が初めて彼に恐怖した瞬間だった。
一座の男どもは全身冷や汗をかいていた。
「知りたいか?」
シルヴァンは訊いただけだったが、男達を恐怖させるにはそれだけで十分だった。
「いえ、結構です。そんなにこいつが欲しいなら売りましょう。一万ルーアでは?」
「このケンタウロスはもう既に死んでいる。確認してみるがいい」
その言葉には何か強制させるものがあった。男達の中の一人がおずおずと進み出、檻の鍵を取り出して錠をはずし、体を調べた。
「た、確かに死んでいる。痛めつけ過ぎたか」
またもシルヴァンの眉が上がる。
「で、では、な、七千?」
シルヴァンはジロリと男を冷たく見下ろした。男は慌てて訂正した。
「ご、五千?」
まだその視線は男に向けられていた。
「に、二千五百?」
男ははやくその視線から逃れたかった。寿命が縮まる思いだった。そのためには値を下げるしかない。
「せ、千八百?」
「千だ」
旅芸人達は驚き呆れた。
「だ、旦那。そりゃあんまりだ。ケンタウロスは生きたまま取引されれば一万は下らないし、死んでても需要はあるから六千、七千は妥当なところだろう。千ってのはナメすぎてやしないか?」
入口にかたまっている中の大柄の男が答えたが、すぐに後悔することとなった。
シルヴァンはゆっくりとその太った男の方を見た。男は自分に眼を向けられて尻込みした。シルヴァンは柄に手を置いた。
「聞こえなかったか?」
「い、いや――」
「千だ」
彼は男がまだしゃべろうとしたのを遮った。一座の男どもはこれ以上逆らうと痛い目をみることを察知した。熟練した戦闘士でなくてもわかる――体から漲る殺気は、いつ切り込まれてもおかしくない。
そして不思議なことに、彼らは揃いも揃って(死ぬくらいならまだマシだ)と思ったのである。彼と戦えばそれ以上に恐ろしい目にあう――そう本能的に感じ取った。
「わ、わかりました。千ルーアでお譲りします」
代表らしき男がそう言うと、シルヴァンは懐から銀貨を十枚取り出しその男の足元に投げた。
「運ぶ物も用意しろ」
男達は急いでその場を去り、荷台車を用意した。
ケンタウロスの体はとても重かったが、シルヴァンは辛い顔をしながらもライカと協力して荷台に遺体を乗せた。
運ぶ準備ができると、それを見ていた男達に言った。
「バヤードにいる帝国軍に通報しても無駄だ。僕はウェイブラス騎士団員だ」
男達は頷いた。もし通報したことがわかれば殺されるだろう。そんな気がした。
「忠告しておく。僕の前に二度と顔を見せるな。でなければ殺す。
また同じようなことをしてるのが分かれば、殺す。わかったら消えろ」
男達は最後の言葉を聞く前に一目散に逃げ出した。
シルヴァンはバヤード市内の墓所に向かっていた。道中、彼の隣を歩くライカは何を話せばいいのか分からず、黙っていた。色々なことが起こった――。初めて彼女がシルヴァンに恐怖を覚えた日でもある。しかし、今、彼の背中はどこか哀愁が漂っていた。彼女は慰めたい気分に駆られたが、その術を知らなかった。いや、知らない方がよかったかもしれない。少なくともシルヴァンは自分一人の世界に引きこもっていたかった。
墓所に着くと管理者のいる建物に赴き、管理人と交渉した。夜遅くに、しかも妖魔の遺体を焼くことに難色を示していたが、金を見せると表情を一変させて了承した。
外で火葬の準備をしている時、黒猫がやってきた。口にはラベンダーの花が咥えられていた。組み立てられた木の上に安置されているケンタウロスに一瞥を投げ、
「これを」
と言ってシルヴァンに花を渡した。無論実際の会話ではなくテレパシーだった。シルヴァンはそれをケンタウロスの横に添えた。
夜、燃え盛る炎の上、白煙が舞った。煙は天に還る魂の如く夜空に昇って行った。星々は優しくその葬送を見守っていた。
用語解説
・ルーア・・・お金の単位。一ルーアは約二百円ほどの価値。銅貨一枚=一ルーア、銀貨一枚=百ルーア、金貨一枚=五千ルーア。