六話 『闇毒』のマルスヘルム(二)
人物紹介
・タクリッド・・・ウェイブラス騎士団マルスヘルム軍所属の百人隊長。シルヴァンの入隊試験の際相手をして敗北した。
またざわめきが広がり、多くの者がシルヴァンの方を見た。
ギースやグライドは彼を小突いた。
「願ってもない機会だ。こん中にお前の右に出る男なんてそうそういない。大丈夫だ」
そう言われ、シルヴァンは整列する兵士の間を通って前に出た。彼が何を考えているのかは、その無表情な顔付きから窺い知ることはできなかった。
彼が前に出ると、マルスヘルムの目が光った。
(ほう、やはり来たか)
別の列から男が出てきた――タクリッドだ。彼はシルヴァンを見るとニヤっと笑った。この前の借りは返すぞ、と言わんばかりの粋な表情だ。
マルスヘルムは「もういないか?」と群に訊ねた。
「私もです」
と言ったのは、マルスヘルムの後ろに控えていた男だ。兵士達は驚くと同時に納得の表情を浮かべた。
(やはり来たか――)
(マルスヘルム准将直属千人隊長の筆頭――)
(来ないはずがないもんな。千人隊長の四人の内一人はあいつに負けてるんだし)
(それよか、あの人もあいつと闘いたいような感じだぜ)
「ほお、お前も出るか、ユリウス」
「はっ」
と返事をした男は頭を下げた。大きな体付きをした彼は、マルスヘルムを除けば彼こそがこの中で最強と目されていた――シルヴァンが現れるまでは。その地位が既に揺らぎ始めているのを彼も感じたのだろう。
マルスヘルムは顎鬚をなでた。
「他にはおらんかの」
徐々に騒ぎも静かになっていく。
「それでは・・・・・・どうしようか・・・・・・この場で闘ってもらおうかの」
途端に、「オオ!」という声が兵士達の口から洩れた。
「まず、そうじゃの。シルヴァン、百人隊長のタクリッドと闘うのだ。その勝者がユリウスとやり、最後に勝ち残った者を将軍に推薦しよう」
演習場の興奮は頂点に達しつつあった。もう既に誰が勝つかに賭け出す者までいた。
「シルヴァンに三百ルーア!」
「タクリッドに二百五十!」
「ユリウスに五百だ!」
その喧騒を尻目に、タクリッドはシルヴァンに近づいた。
「また闘えて嬉しいぜ」
「こちらこそ」
「今度は前みたいにはいかないぜ。油断するなよ」
「そっちこそ」
二人は握手を交わした。
「よろしい! それでは戦士に道を開けい!」
マルスヘルムを先頭に、三人の戦士は演習場の中央に進んだ。
見物人達は彼らを円状に取り囲んだ。
千人隊長のユリウスは円の最前列に座って闘いの行方を見守ろうとしていた。
タクリッドとシルヴァンは向かい合い、彼らの間にマルスヘルムは立った。
「用いる武器は自由。原則としてどちらかが負けを認めなければ試合は続けるものとする。ただし、明らかに勝敗がついた場合やそのようにわしが判断した時は独断で中断させる。また、相手を死なせてしまった場合はどちらも負けとする。よいな?」
「はっ」
「はっ」
シルヴァンは左腰から剣を抜き、右腕を下方に垂らした。
一方、タクリッドは背中から百セートもありそうな大剣を引き抜いた。戦など大人数相手ではその有効性を十分に発揮できる武器だが、一対一になるとどうしてもその重さや大きさが邪魔になってしまう諸刃の剣でもあるが、あえてそれを選んだのには彼がその武器で今の地位を確立させた意地と誇りがあったからだった。
タクリッドはソードを後ろに構え、体勢を低くした。ちょうど腰に差した刃を抜くかのように。
シルヴァンは右腕を垂らしたままだった。
マルスヘルムは右腕を上げ、
「はじめいッ!」
サッと振り下ろした。
はじめに動いたのはタクリッドだった。シルヴァンに飛び掛り、片腕でソードを薙いだ。
シルヴァンは避けずに両手で柄を握って攻撃を受けた。しかしあまりの力強さに彼はもといた位置からずれることとなった。
タクリッドは続けざまに得物を刀剣のごとく巧みに操って切り結んだ。
しかしどれも悉くシルヴァンに受け流されている。
このまま続けても無意味と素早く判断したタクリッドは二歩ほど後ろに下がり、一気に突いた。しかし、前回同様彼はまた目標を見失った。
彼は上を見上げた。それは照明を遮り、影を彼に投げかけた。
タクリッドは結果的に後ろを振り向くことになった。一瞬何が起きたのかわからなかったが、状況を思い出して構えなおした。彼も瞬時に理解したのだろう。今の一瞬ほどの時間さえあればシルヴァンが突きを繰り出して彼を負けに追い込むのは容易いことだと。
次に動いたのはシルヴァンだった。彼にしてはゆっくりめに動いたらしいが、その力は普通ではなかった。
セイバーを持つ片手のどこにそんな力があるんだと思わざるを得ないくらいの打ち合いの音が響く。今度のタクリッドは防戦一方だった。しかも両手で受け流しているのに、手に伝わる衝撃は半端ではなかった。
受けているうちにだんだんと手が痺れてくるのを彼は感じた。
その時、シルヴァンは相手の右手首に剣の横っ腹を打ちつけた。
タクリッドは呻き、左手に持ち替えたがそこへまたセイバーが振り下ろされた。彼は果たしてソードを落とした。
すかさず攻撃者は落ちた武器を拾い、両手に構えた剣を交差させて相手の首すれすれに当てた。
「ま、負けだ」
タクリッドは宣言した。途端に、歓声が兵舎中に響き渡った。
シルヴァンはソードを下ろし、持ち主に渡した。
互いに喋る声が聞こえないような騒ぎの中、タクリッドはシルヴァンを褒め称えた。
「見事だ。前よりもはっきりと君の凄さを知ることができた。手を叩かれた瞬間、戦場だったら俺の戦士生命は死んでいた。あの時――二回も――俺の手を叩いた剣がまっすぐに俺を捉えていればな。本当に凄かった」
シルヴァンは礼を言った。
大きな拍手がした。今の勝負――そしてふたりに対して。
マルスヘルムが再び中央にやってきた。
「両方見事! シルヴァンの勝ちとする」
彼は宣言してシルヴァン側の手を上げた。
敗者は勝者に礼をし、群衆の中に入っていった。
すぐに新たな相手――千人隊長ユリウスが現れた。
「休むか?」
「大丈夫です」
と言ったシルヴァンに向かってユリウスは不敵な笑みを浮かべた。
「ほほ、せっかちじゃな」
マルスヘルムは笑った。
ユリウスは剣――彼もセイバーの使い手だった。今回の闘いは戦士として、そして同じセイバーの使い手として負ける訳にはいかないのだ――を引き抜き、構えた。構えも眼も真剣そのものである。
油断すれば重傷は免れないとシルヴァンは感じ取った。彼は今度ははじめから構えた。
「では、はじめいッ!」
勝負はほんの数十秒で決着が付いた。しかし、その内容を全て理解できたものはいたのだろうか。
合図がすると同時に、両方が跳んだ。空中で交差する瞬間、セイバー同士が打ち合う音がし、両者は相手がさっきまでいた位置に立っていた。構えも全く変わらずに。
再び影は交差し、自分がもといた位置に舞い戻った。
また跳んだか、と思った瞬間には既に両者は中央で切り結んでいた。
そのスピード――全てを目で追うのは難しかった。
シルヴァンもユリウスも上下左右から相手に技を繰り出し、同じように繰り出されたセイバーを受け流す。両者の中で時間は意味を成していなかった。周りの雑音もゆっくりにしか聞こえない感覚だった。
見ている者には、足で蹴りを出しているところや、体を回転させて見事に攻撃を避けてすかさず守備から攻撃に移ったところが映った。
足技をかけられ、転んだのはシルヴァンだった。打ち下ろされるセイバーを彼は受け止め、床に横になりながらも相手の足を引っ掛けて転ばせた。
両者は同時に立ち上がり、再び組み合った。
人々は息を呑んだ。
すると、剣の動く速度が遅くなってきた。力の均衡が崩れてきた証拠である。
シルヴァンは切り込んできた相手の柄付近にセイバーを繰り出し、腕で大きく円を描いた。その動きに合わせて相手の得物は腕ごと押しのけられた。
その瞬間、シルヴァンは相手の喉にセイバーを当てた。
「――俺の負けだ」
――沈黙が流れ、大歓声が響動もした。
「やりやがったぜ! あいつ!」
「だから言ったろ、あいつが勝つってよ!」
「おい、忘れんなよ! 四百ルーアだからな!」
またしても勝者と敗者は近づき、熱い握手を交わした。
「これほどの者とは。――完敗だ」
「こんなに強い相手ははじめてでしたよ」
ユリウスは笑い、礼をした。拍手は鳴り止まなかった。
「見事! 勝者、シルヴァン!」
この日一番の拍手、歓声、口笛が鳴り響く――
マルスヘルムは右手を上げ、「静粛に」と言うと直ちに群衆は静まった。
マルスヘルムは重々しく言った。
「皆が見た通り、彼は二度闘い、二度勝者となった。彼を推薦することに異存はないな」
「はい」
誰もが異口同音に応えた。
「これほどの強者であれば我れらが騎士団約二十年ぶりの剣闘技大会優勝も夢ではない。わしは嬉しいぞ。
だが、だからこそ、本当に素晴らしい戦士のみを将軍に推薦したいと思う。残念だが、このままだと彼を将軍に推薦することはできない」
兵士達は驚いた。
しかしマルスヘルムは続けた。
「確かに彼はかなりの実力者ではある。それは認めよう。だが、彼くらいの実力者であればわしは何人も見てきた。剣闘技大会に出場すればそんな者はごまんといる」
騎士団はざわついた。中でも、シルヴァンと親しい者達は怒って文句を言った。
だが、本当に彼らが驚いたのは次に彼の口から出た言葉だった。
「故に、わしが直々に彼の腕前を見よう。無論、真剣勝負でだ」
用語解説
・セート・・・長さの単位。一セートは約一センチ。