四話 淡恋色の髪の学徒
ライカは営業準備をしていた。
あと一時間もすれば客が詰め掛けてくる。開場前は建物の前に長蛇の列ができ、開場後も販売会場前には行列ができる。
ライカの主な仕事は生地の調達と接客だった。生地が足りなくなったら地元の仕立て屋に赴いて、顧客の指定したものを購入する。仕立て屋の生地もすぐなくなってしまうのでしょっちゅう店を変えなければならない。
カルダン達プロはと言えばふたつのグループに分かれていた。接客班と製作班だ。
「ライカ、生地がなくなったわ。仕入れてきてちょうだい」
「ライカちゃん、今手が離せないからお客様の対応お願いね」
「ライカ、この紙と資料を製作班の連中に渡してくれ」
「わかりましたー」
仕事がひとつ終わればまた新たな仕事がやってくる。目が回るほどの忙しさだが、ここ数週間働くと流石にもう慣れてきた感じがある。
作業をそつ無くこなす彼女の姿を保護者のカルダンは我が子の成長を目にしている親のように見ていた。
約二ヶ月の開催期間も半分が過ぎようとしていた頃、ライカはカルダンから待望の一声を受けた。
「ライカ、よく働いてくれた。君の働き振りには本当に感謝している。お礼と言ってはなんだが、予定では発表会の終わり頃にしようかと思っていた私塾の編入試験を、今週受けなさい。わたしの友人を介して、塾の老師に直接君の力を見てもらえる。彼の眼鏡にかなえば君はそこで学ぶことができる」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」
「気にすることはないさ、そういう約束で働いてもらっていたんだからな。ただ、合格してもあと一ヶ月、つまり発表会が終わるまではここの手伝いを続けてもらいたい。その後であれば君は晴れて私塾の生徒になれる」
「わかりました」
「試験までは仕事を休んで勉強しても構わないよ」
「え、いいんですか?」
「大切な試験だからな。それで君の将来が決まると言っても過言ではないだろう。だが、おそらく合格できると思う。そんなに難しい問題は出ないという風に聞いたよ。じゃあ、試験勉強を頑張りなさい」
「はいっ」
それから数日間、ライカは文字通り寝る間も惜しんで勉強に励んだ。
数日後、カルダンに付き添われて向かったのはバヤードでも一、二を争う有名な私塾だった。バヤードは外国から比較的来やすい地理に位置するので、多くの留学生はこの都市で学んでいく。
目の前に建つ横に大きい建物が彼女が入るであろうイー・チェン・イェン私塾だった。
水の国スィーンから来た塾長のイー・チェン・イェンは東方と西方の神秘学を研究し、独自の前衛的な授業は高く評価され、支持されている。ライカの持つ書物の中に少なくとも一冊は彼が著述した本がある。彼女がその塾の名前を聞いたのも初めてではない。
ライカは緊張して塾の扉をくぐった。
建物内を歩いていくと、多くの教室から教師陣の声が聞こえた。塾は大体が七年制で、この塾には約二千弱の生徒がいる。
ライカは塾内に綺麗な庭があるのに驚きつつも足を進めた。何もかもが新鮮だった。
やがて大きな部屋の前でカルダンは足を止め、扉を叩いた。
「お約束していたカルダンという者です。入ってもよろしいですか?」
すると部屋の中から老人らしき人物の声がした。
ライカはカルダンに続いて入室した。
その部屋は普段の授業ではなく講義をする時に使われるらしく、後ろの方に椅子が並べられていた。彼女の目の前には横長の机と椅子が一つずつと、ひとりの老人が立っていた。
白い髪と髭を蓄え、ゆったりとした着物を着た東方系の老人がイー・チェン・イェン――この塾の長――だった。
彼はにこやかに挨拶した。
「はじめまして。ここの塾長を勤めるイー・チェン・イェンです」
「ご高名な先生にお会いできて光栄です。バスティアで仕立て屋を営んでおります、カルダン・エリアースと申します。こちらが、今回試験を受けさせていただきますライカと申します」
カルダンに紹介されたライカは何度も練習した自己紹介をした。
「ライカと申します。バスティアの〈竜巣の谷〉から参りました。今回は試験を受けさせていただき、まことにありがとうございます」
彼女は深々と頭を下げた。
イー・チェン・イェンは笑った。
「ホホ、そこまで鯱張らなくともよろしいぞ。そうか、君がライカ君か。話は聞いておるよ。わしも長年生徒を見てきたが、〈竜巣の谷〉出身の生徒は持ったことがなくてな、君が初めてというわけだ。お会いできて嬉しいよ。後々その村の話でも聞いてみたいものだな」
「あ、あの、その、きょ、恐縮です」
老師に話しかけられたライカはせっかくの練習を無駄にしてしまった。
彼女の慌てぶりをみた老師もまた笑った。
「では、さっそく試験を行おうか。問題は簡単なものばかりだから難しく考えることはない。約二時間程で終わるが、その間はどうなさる?」
と老師はカルダンに訊いた。
「私は先に失礼させていただくことに致します」
「よろしい」
「じゃあ、頑張りなさい。君なら合格できるさ」
とライカを激励するとカルダンは部屋から出て行った。
「さて、そこの席に着きなさい。紙と筆はこちらで用意した。これから問題を渡すから、時間内にできるだけ多く解いて解答用紙に記入しなさい」
「はい」
彼女は席に着いて深呼吸した。
「それでは始めなさい」
試験が終了した後のライカは精根を使い果たしていた。結果がどうであれ、一生懸命頑張ったことと疲れたことに変わりはない。
「ふむ、素晴らしい」
とイー・チェン・イェンから褒められて、彼女はビクっと身を起こした。
「非常によろしい。三年目の生徒達の中でも上位の成績に食い込めるだろう。一、二年の授業はおそらく君にとって退屈でしかあるまい」
ライカは次の言葉を待っていた。
老師は微笑んで言った。
「おめでとう。合格だ」
ライカの中で幾百もの想いが、可能性が駆け巡った。
「カルダン殿から話は聞いておる。一月後に君が入ってくる時に置いてかれてないように、教材を渡しておく。指定してある箇所を勉強しておきなさい」
「あ、あの・・・」
「どうした?」
「わたし、本当にここの生徒になれるんですか」
老師はにっこりと笑って告げた。
「そのとおり」
ここにきて、初めてライカは笑った。
――いよいよわたしの人生が始まるんだ。
彼女は老師の後に続いて塾内を見学していた。実験教室や通常の教室では、顔立ちも年齢も性別も違う人が同じ場所で学んでいた。窓越しにハンサムな顔付きの生徒と目が合い、思わずドキッとした。
ここでわたしも勉強するんだ、と思うと胸が高鳴る。
会場に戻るとその日の後片付けをしているカルダン達の中にシルヴァンがいるのを見かけた。
彼らも彼女の登場に気付き、「おかえり」という言葉と「どうだった?」という言葉が入り乱れた。
「合格よ!」
彼女は笑いながら言った。
すると、一斉に大きな拍手と口笛が響いた。
「おめでとう!」
「よくやった!」
「今日はお祝いね!」
彼女は次々にかけられる祝福の言葉にお礼を返した。
戦闘着姿のシルヴァンはすうっと前に出て、彼女に手を差し出した。
「おめでとう」
ライカは手を握る代わりに彼の体に飛びついた。拍手と揶揄と口笛が一層大きくなった。
鳴り止まない拍手の中、彼女は笑っていた。