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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕だけが知らない。

作者: ホモンロ

 当たり前に過ごしていた毎日、頭の中が、腐っていくような日々。

 連日の暑さにやられて僕の頭は何かを考えることをやめていた。

 大して風も入ってこないのに窓の開け放たれた教室には、蝉の鳴き声が届いてくる。

 それが妙に耳に障って、ああ夏だなあと、他人事のように僕は思った。


 教鞭に立つ教師は昔ながらの硬派な人で、このご時世に暴力は当たり前、貴様らはクズだの何だの、時々何を言ってるのか分からないほどの暴言まで浴びせられる毎日だ。

 その点、僕は上手くやってる方だと思う。

 クラスで馬鹿やって悪目立ちする奴が優先的に叱られて、僕みたいに大人しく慎ましくやってれば殴られまですることはそうそうない。

 だからこそ、暑さの所為だけじゃなく、考えることに疲れてるんだと思う。

 それで楽しいかと聞かれれば、確かに疑問ではある。

 華の学生生活、毎日を棒に振っている気がしてならない。

 かといっては、教師に殴られることも健全とは言い難いだろう。

 腐っていく日々を受け入れるのか、殴られる毎日を受け入れるのか、どちらにしても、得はないんだよなあと思う今日この頃。


 とにかく、この耐え難い理不尽に抗う会議が放課後毎日のように行われるのは何時ものこと。

 誰が先に発狂するか、そんなチキンレースを楽しめるほど僕たちに余裕はなかった。

 クラスのリーダー的存在で、それ故いつもあの教師の標的になっている彼は言う。


「君たちはこんな理不尽に何時まで耐えているつもりだ? みんな悔しいだろう? 苦しいだろう? このままでは、本当に先生の洗脳にかけられてしまう! いい加減、我々の手で一矢報いなければならない時が来た!」


 親に相談してみれば? なんて僕は思うのだけれど、そんな無粋なこと彼の熱意の前には口に出しにくかった。

 少なくとも、そんな学生のノリで覆るような環境じゃないだろうと、心の中に悪態づく。

 まあ、人より殴られることの少ない僕だから、これだけ他人事のようでいられるのだろうけれど。

 僕からしてみればこの強制参加の会議も理不尽なのだが、敢えて、口出すことはすまい。

 そういえば、大昔にも似たような境遇の映画があったなあなんて、場違いなことを思っていた。


「君はどうなんだ、奈良山田なろうやまだ君!?」


 と、そんなことを考えていると、僕こと奈良山田は急に話を振られる。

 この会議においても普段と変わらず大人しく慎ましく徹する僕には珍しく、久々に発言の機会を渡された。

 こればかりは身を入れて聞いてなかった僕が悪いと言わざるを得ないが、熱意のままに僕にまで飛び火するんじゃあない。

 降り掛かる火の粉を払うように口を開きかけたところ、慌てたように、誰かが言う。


「お、おい、奈良山田は、いいんじゃないか?」


 なんだか引っ掛かる物言いに、ハブられている感じもして特別良い気はしないが、いずれにしても口を開くタイミングを失ってしまう。

 こんな僕でも除け者扱いには流石に多少傷ついてしまうところ。

 僕だけが知らないことがあるなんて、気持ちの良くなるものではなかった。

 助け舟にしては気分も悪いが、クラスのリーダー的存在の彼もそうだなと、納得して引き下がってしまうのだから張り合う余地もない。

 薄情な友人たちだ。

 もっとも、そんな彼らに一線を引いているのは、僕の方なのだろうけれど。


 陽が落ちて、緋色に染まった教室に響くのは耳障りな蝉の鳴き声。

 誰かが、口を開くのも躊躇うような、この空気を作ったのが僕ではないと思いたい。

 この軽はずみな発言は許されないような空気を、多少強引でも変えてしまうのは、やはりクラスのリーダー的存在である彼のクラスのリーダー的存在である所以だろう。


「――とにかく! 我々はいつまでも下を向いていられる場合じゃないんだよ!」


 概ね彼の言うことはその通りだろう。

 ただ、熱い目的の割にその手段を提示されていないわけで、僕たちが手持ち無沙汰な感は否めない。

 そうしていつも変わらない、会議は平行線をたどっていく。


 このままじゃ埒があかない。

 なぜ彼らは、こんなことをしてても無駄だと気づかないのだろうか。

 先程の気分の悪さも併せて、空気を壊すようで申し訳ないが、言いたことは言わせてもらうべきだろう。


 蝉の鳴き声だけがよく響く平行線の会議には、不意に立ち上がる椅子の金切り声はよく響いた。

 僕の主張を強調するように、注目を集めた。


「あのさ。さっきから聞いてても意味の無いことを繰り返してさ、そんなので本当にこの状況を変えられると思っているのかい? そうだとしたら、とんだお遊戯だぜ?」


 誰にと言えば、この場の全員に向けてはいるが、強いて言えばクラスのリーダーに。

 気分の悪かった先程の件で発端となる彼に標的が向くのはやぶさかではない。

 怒りというか、呆れというべきか、僕の主張はまだ尽きなかった。


「何も、僕だって理不尽な暴力や暴言に怒りを覚えないわけじゃあないぜ? けどさ、お前らのやってることはただのお遊びだ。学生特有のテンションで乗り切りたいなら、せめてあんたの口から具体意的な案を出してくれよ。それができないなら、パパやママにでも相談してくれ」


 勿論、この件で反感を買うのだろうが、それでも僕なりの熱い気持ちとやらがあるわけで。

 二つの熱い思いがあるのなら、ぶつかり合うのもまた必然。

 クラスのリーダー的存在の彼は虚に衝かれたような表情で、唇を震わせている。

 僕がこんなことを言う性格だとは思ってもいなかったのだろうか。

 無論、僕も過去にこんな発言をした覚えはない。

 こんなことを言うから失望したというのなら、理不尽がまかり通るこの教室には何があっても可笑しくはない。

 そんなことで失望してしまう方が間違っているのだ。


 奈良山田君……と呟いては、それっきり彼は口を閉ざす。

 だから追い打ちをかける。


「もしくは、僕みたいに大人しくしてれば殴られることも少なく済むんだぜ? むしろ、お前らが馬鹿やるからとばっちりで殴られることの方が多いくらいだ。お前らも賢い生き方をしなきゃ、いつまででも殴られちまう」


 結局、先生に従順してしまう方が楽なんだよと、僕は言い切った。


「……分かった。君の言いたいことは良く分かったよ、奈良山田君……」


 彼は認める。

 否、根本的な僕の意見を認めたわけではないのだろう。

 ひとつの意見として聞き入れ、続けるのだ。


「だけど……さっきから聞いて、なんてことは、君に言う資格はないんだよ」


 それがどういう意味なのか、なんてことは分からない。

 彼が僕の意見を初めて知ったみたいに、僕も彼の考えを全て知っているわけではない。

 先ほどと同じく、彼を呼び止めようとする声まで聞こえる。

 けれど彼はそんな制止すら無視して、僕の目を見た。


 悲しそうな、可哀想なものを見るような、そんな瞳だった。


「――そうやって達観しているから、君はすぐに自分を失ったんだよ」


 彼が何を言っているのか、僕には欠片も分からなかった。

 分かるはずが分かったのだ。


「君は、あの教師を普通だと思うのかい?」

「……? このご時世に珍しいけど、暴力教師なんていつの時代にだっているだろう?」

「あの暴力が普通だって言うんだね?」

「熱心な教育さ。目瞑って歯食いしばってりゃ案外痛くないし、お前らも大人しくしてりゃ殴られずに済むのさ」

「この、奇妙なまでに不快な蝉の音が、普通に聞こえているのかい?」

「風流だろう? 短い命なんだよ。蝉の鳴き声くらい聞いてやっても損はないぜ」

「そうか。だったら、教師のあの格好が変だなんて、考えたことはなかったかい?」

「おいおい。ファッションまで否定してやるのかよ。あんたがそういうタイプとは思わなかったぜ」

「……服装の話じゃ、無いんだよ……」


 そこまで言って、目を伏せる。

 気づけばクラスのみんながそうだった。

 僕だけが顔を上げている。

 みんな悲しそうに、悔しそうに、俯いている。

 僕だけが不思議に、言葉を待っている。


 何だって言うんだ。

 まるで僕だけが知らない隠し事があるようで、怖くなってくる。

 クラスの誰一人として目を合わせてくれない。

 まるでこのクラスに僕だけが……


 まるで、この世界に僕だけが、異常みたいじゃないか。


「――君は、あの骸骨・・の教師を普通だって言うんだな……」


 それの。

 それの何に可笑しな部分があるのだろう。

 僕には分からない。

 何もかも、分からない。


 言葉は出なかった。

 可笑しな部分が見つからなかったからだ。

 僕だけが知らずに、不思議に思う。

 彼らだけが全てを知って、僕を軽蔑する。


 やめろ。

 やめろよ。

 その視線は、人が人に向けてもいい視線じゃない。

 僕を、人ならざるもののような目で見るのは、やめてくれ……


「……ここは異世界だ。我々は、あの骸骨の教師や悪魔の居る世界に、召喚された。君はもう、完全に忘れてしまったんだね。洗脳されてしまったんだ。だから君はこの日常が普通だと思っている。このクラスのメンバーがそっくりそのままこの世界に転移させられたことを、何も覚えていない。抵抗する手段もないまま理不尽な暴力を受け、我々を悪魔にするため、教育を施されている。そして、君は……」


 それ以上は言わずとも分かる。

 僕が立派に教育を終えた優等生だとでもいうのか。

 僕が狂っただなんて言うのか。

 だが、そんな馬鹿げた話、あってたまるか。

 僕だけが異常だなんてありえない。

 僕だけが知らなかったなんて、ありえない。

 だったら彼らとておかしくなければ、おかしいのだ。

 骸骨の教師だってどこの世界でも居るだろう。

 僕が悪魔になる? 素晴らしいじゃないか。

 何故彼らはそれを拒もうとするのか。

 そんな光栄なこと、他にない。


 やはり、異常なのは僕じゃあない。

 異常なのは、彼らの方だ。


 記憶。

 記憶を探る。

 深い、記憶に聞いてみる。

 僕の方が普通だということを証明するために、脳汁溢れるほど記憶の限りを引っ張り出すのだ。


 頭の中をかき回すように、脳を引き裂くように、それに合わせて僕の虚ろな目が泳いでいる。

 何も見ていられなくなった。

 呼吸をすることも忘れるほど思い出すことに精一杯で、あっあっ、と息が漏れる。

 涎が垂れる。

 瞳孔が開く。

 鼻から随液が滴り落ちる。

 落ち着くことの無い腕が、僕の体を掻き毟ろうとしている。


 おかしいなぜこの僕が僕だけが異常で普通なはずなのにバカなバカどもがうるさい死ね僕を否定するななぜこんな目にあわなければそんな目でみるなぼくはおかしくないぼくはいじょうじゃないぼくはふつうだぼくはおとなしくてぼくはつつましくてぼくだけがしらなくてぼくはあついひがつづくなあぼくはあくまでぼくは……


 何も、異常じゃない。


「奈良山田君……」


 また哀れむような声だ。

 それだけが僕の耳に届いた。

 異常なのは僕じゃない。


 僕は何も間違ってはいないはずなのに、記憶が、答えてくれない。

 それが、答えであるはずがない。


「君は自分の記憶を否定したいんだね。だけどこれが現実だ。君は悪魔に、成り下がってしまった。君はもう、我々の、仲間ではない……」

「嘘だ! ありえない! そんなことがあるはずがない! だって僕たちはクラスメイトじゃないか! 僕だけが異常だなんておかしいだろう! お前らだって俯いてるふりして本当は内心じゃ僕を否定できないんだよなあ!? お前らだって僕と同じだから何も言えないんだろう!? 全部嘘だ! 嘘だあ!」


 呂律が回らない舌で拒絶する。

 僕が否定したいのは自分の記憶じゃない。

 僕が否定するのは、彼らだ。


 気づけば、俯いてる人なんて居なかった。

 みんな僕を見ている。

 当たり前のように堂々と、僕を否定するのだ。


 そんな目で見るなよ。

 今度は哀れむような目だ。


 そして漸く、僕は真実に気づく。


「そうだ……! 間違ってるのは僕じゃない! お前たちの方だ! 何だよみんなして狂っちまって! このクラスで正常なのは僕だけか! それは穏やかじゃないなあ!?」


 間違っているのは僕じゃない。

 彼らの記憶が間違っているから、みんな僕を否定したがるのだ。

 そうだ、そうに違いない。

 そうとも知らず、よくもまあ恥ずかしげもなくそんな堂々としていられるものだ。

 なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。

 テレビのニュースに振り回されて、間違った情報を発信するような痛々しさだ。

 まあ、僕たちの世代というものは得てして自慢したがるもので、それは決して悪いことではない。

 誰もがその積み重ねで大人になっていく。


 彼らはきっと、僕に嫉妬しているのだろう。

 僕だけが先生に認められ、一人大人になったことに憧れているのだ。

 だからそこまで攻撃的になる。


「もういい……もういいんだよ、奈良山田君……」


 彼はそれだけ言って、また目を伏せた。

 これだけの屈辱、頼りにならない記憶の限りに、初めてのことだった。

 これほどまでの非難を一同に集めると、なんだか悪い気がしてきてしまう。

 僕は何も間違っていないのに、冤罪というのはこうして成り立つんだなあと、そんなことを考えた。

 ここまで来たら恥を忍んで、少しくらいはやり返したいじゃあないか。

 どれだけ惨めに映っても、男にはただで引き下がるわけにはいかない瞬間というものがある。


「お前ら全員僕に恥をかかせた罪は重いぞ! 先生に言いふらしてやる! 先生に言いふらしてやるうううううう!」


 クラスの一人一人の顔を見ながらお前にはどんな目に合わせてやろうと指を指し、こいつには、そいつにもと、先生に殴られた時の顔を想像する。

 どいつもこいつも恐怖に震え、涙で滲む歪んだ顔だ。

 面白いじゃないか。

 現実は、哀れな目で僕を見ていた。


「――奈良山田君!」


 誰かの、恐らくクラスのリーダー的存在である彼の制止を振り切って、僕は教室を抜け出した。


 捻じ曲がった廊下。

 けたたましく笑う骸骨の肖像画。

 ガラス越しの窓の外には永遠の闇が広がっている。

 通りすがりの、鱗肌の先生とも挨拶をかわしつつ。

 何もおかしなところもない、どこにでもよくある学校の風景だ。


 職員室は、記憶通りの場所には存在しないが、あちらこちらと駆け抜けるうちにようやく見つけた。

 失礼しますと、元気な掛け声で、我らが担任の元へと駆け寄る。


 教室であった出来事を全て話した。

 骸骨の先生は笑っている。


「そうか。それなら、御仕置きが必要だなあ……」


 骸骨の教師は、気味の悪いほどにいやらしくにたついている。

 不気味に上顎と下顎を打ち鳴らしている。

 きっと、みんな夏の暑さにやられてしまったんだ。


 その瞬間、僕は掛け替えのない何かを思い出したような気がして。


「あっ」


 何もかも信じられなくなった。




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