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第九話

 

 姉のアンバーと抱擁を交わした後、人払いをしてキャセディは彼女と二人きりになった。

 廊下には再びアンバーの騎士に戻ったジュードがイメルダ帝国兵と共に扉を守っていた。

 部屋を出て行く直前、彼がちらりとアンバーの方へ視線を向けたのをキャセディは見逃さなかった。

 もちろん、アンバーがその時ほんの少し微笑みを浮かべて頷いたのも。

 ツキン、と胸が痛む――――

 キャセディはその痛みを取り払うかのように笑顔で姉と話をした。

 ここ最近城下の人々と過ごしていたキャセディには話題の引き出しが愉快な話で溢れていたのだ。

 例えば、最近三つ子が産まれた話。

 探していた物が遠く離れた家から見つかった話。

 何日も帰ってこなかった猫が実は隣の家にいた話。

 結婚式に花嫁の父親が突然反対して取り止めになった話など。

 どれもが明るくてくすりと肩を震わせる話で、尚且つどれもが戦や国といった事柄とは全く関係のない話であった。 

 二人は久し振りの姉妹のゆっくりとした時間を楽しんでいた。

 父を亡くし、国をも亡くしてしまったバザーン王国最後の王女達は悲しく辛い現実からこの時だけは目を背けたかったのだ。

 明日になれば否応なしにそれらに直面しなくてはいけないのだから。


 キャセディは話をしている間でも頭の隅でずっと考えていたことがあった。

 それをいつ姉に言おうか頃合いを見計らっていた。

 アンバーが喉が渇いたからと言って立ち上がり、水差しに手を伸ばした時だった。


(今なら……言えるかもしれない)


 キャセディは姉の名前を呼んだ。握り締めた手には燃えるように熱かった。


「お姉さまは私が小さい頃からいつも私の我儘なお願いを聞いてくれましたよね。いつもどんな時でも」

「私の可愛い妹だからね。無理をしてでも叶えてやりたいと思っていた、私に出来る範囲ならね」


 アンバーは片目を瞑り声を上げて笑った。だがその笑い声は途切れる。アンバーを前に摘んだ裾をふわりと床に広げ、キャセディが膝を折って頭を垂れたからだ。


「ディー……?」


 それは臣下が王にする敬いの礼。

 最後のバザーン国女王に心から仕えるという証。

 そしてまた王に慈悲を乞う姿でもあった。


「何を、してるんだ、ディー……立って、そんな事しなくていい!」


 キャセディは首を横に振る。


「今までたくさんのお願いを聞いてくださったのに、またか、とお思いでしょう。どうかお許し下さい。でも、これで最後です。最後ですから……どうか、どうかお聞き入れ願います、お姉さま」


 いつもの可愛いお願い、にしてはキャセディの様子が違う、とアンバーは笑顔を消し、表情を引き締めて頷いた。そして妹の言葉を聞いて目を見開いた。


「ジュードを……お姉さまの騎士を私に下さい」


 はっ、とアンバーは笑いを零す。

 いままで彼はキャセディと一緒にいたではないかとアンバーは訝しがるが、キャセディが瞬きもせずに己を見つめる姿を見て、彼女の本心に気づく。

 キャセディの、騎士ジュードへの恋心に。


「……ジュードの事が……?」


 アンバーは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。

 でもキャセディはアンバーの質問の意図をはっきりと読み取り、頷くことで返事とした。


「そ、うか……」


 震える声がキャセディの耳に届く。


 姉はきっと断らない――――キャセディは確信していた。と同時に


(もしかしたら。今だったらお姉さまはご自分に正直になられるかもしれない。もしかしたら断られるかもしれない……)


 と思う心も隠せなかった。


 ゴクリと二人の喉が鳴った。


(嫉妬してるんだわ。それに意地悪がしてみたかったのかもしれない……)


 王女として完璧な姉。

 女として完璧な姉。

 そして姉として完璧な女。


 どれか一つでも崩れたら、この目の前の女性はどう変わるのだろう……?


 しばらくの間、アンバーとキャセディは無言だった。

 また乾いた笑い声がアンバーからした後、彼女はキャセディに背を向けた。そうして震える小さな声で「分かった。ジュードに伝えておく」と呟いたのが聞こると、キャセディは心の中で


(ああっ!)


 と大声で叫んだ。


 なんて愚かで、なんて不器用な人なんだろう!


 脳裏に浮かぶのは愛しいひとの姿。

 でもその彼の瞳に映るのは……たった一人の女性。

 彼女はこれから自らが犠牲となって国を守ろうとするのだ。

 心の中に秘め続けた想い人を妹に譲り、他国の皇帝に抱かれるのだ。

 背中はこれほどまでに『嫌だ』と叫んでいるのに、その気持ちを押し込んで耳に蓋をしているのだ。


 ああ、これだけ『立派』な人がいるなんて。


(敵うわけないのは分かっていたのに。その通りだった。私の方が愚かだった。お姉さまは最後までお姉さまだった)


 キャセディは痛む胸を抑えつつも、どこか晴れ晴れとした気持ちが浮かび上がってくるのを感じずにはいられなかった。


(これで私は…………)


 背を向けたままの姉に一礼をして、キャセディは部屋を後にした。




「ジュード。お願いがあるのです」


 その夜、自室に訪ねてきた騎士を迎え入れたキャセディは開口一番に騎士に告げた。


「私が出来ることでしたら」


 騎士はいつものように笑顔を王女へ向ける。

 だがここからがいつもと違った。

 王女の要望を聞いた騎士は笑顔を崩し、彼女に聞き返したのだ。

 騎士は聞き間違えたかと思ったのだ。


「愛を誓って欲しいのです」


 しかし目の前の王女は冗談を言っているようには見えず、騎士はしばらく呆然とした。

 何を言えばいいのか分からなかったのだ。

 キャセディは繰り返す。


「私の手を取って、愛を誓い、口づけをして欲しいのです」

「キャ、セディ……さま……」

「さぁ」


 キャセディは手を騎士へと差し出す。

 ジュードは瞳を揺らす。


 ――王女はどうしてこんな事を言い出すのだろう?


 彼の瞳は困惑に満ちているのがありありと読み取れた。

 もちろんその疑問にキャセディは答えない。

 騎士は命令された通り、王女の小さな手を恐る恐る取った。

 ゆっくりと跪くと小さな手に唇を寄せた。

 キャセディはふるっと体を震わせる。


「誓いを」


 騎士は王女を見上げる。

 昔は膝を折れば視線は同じだったのに、今の彼女は泣きそうな顔をしていた昔の少女ではない。

 

 ――彼女はいつこんなにも大きくなったのだろう。

 ――いつ大人の女性になったのだろう。

 

 ゴクリと音を立てて喉を鳴らした騎士は唇を湿らせた。

 騎士の口から誓いの言葉が流れだす。


「太陽が西から昇り、東に沈むように。

 風が吹いて木の葉が空に舞うように。

 山の雪解け水が川へと流れ出すように。

 月の光が闇の中を照らすように。


 私の身体は貴方の側になくとも私の心は貴方と共にある。

 たとえ貴方の隣に別の男がいようとも。

 私はこの身が滅びるまで貴方だけを愛すると誓う」


 騎士の瞳に映っているのは間違いなく自分の姿なのに、自分に愛しい姉の姿を重ねているんだわ、とキャセディは思った。

 その証拠に彼は『貴方の隣に別の男がいようとも』と言っている。


(それでもいい。これが愛しい人からの最初で最後の誓いだから)


 キャセディは広い胸に顔を埋め、涙を流す。

 膨らみかけた胸の中で


『ごめんなさい』


 と何度も何度も謝りながら。






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