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第四話

 姉になりたい。

 あの手に自分の手を重ねたい。

 姉の傷だらけの手が包み込まれたように、私もあの人と指を絡め、

 それから小さな口づけを甲にそっともらうの。

 ああ……二人で馬に乗った時のようにいつでもあの温かい胸に寄り添いたい。


 どうして私は彼女じゃないの。

 どうして。

 どうして。






 ――――エリアナ第一王女の死から季節は巡る 




「ふぅ……」


 イメルダ語の本に少し飽きもあったのか、キャセディは本から目を上げ、窓の外へと目を向けた。

 キャセディの部屋から見られる庭園には色取り取りの花々が咲き乱れているのに、彼女は外へ出られない悔しさに爪を噛んだ。

 それを乳母のネリに指摘される。


「今日は風が強うございます。今日は駄目ですよ、キャセディ様」

「分かってるわよ……朝から何度も聞いてるもの」

「でしたら、その癖をお止め下さい。せっかく綺麗な形の爪でいらっしゃるのに」


 キャセディは先週高熱を出し、数日床に臥せっていた。

 季節の変わり目にはよくある事だった。

 やっと起き上がられるようになると冬の景色も彼女の体調に合わせたように変わっていった。どんよりしていた空には青空が戻り、ずっと降っていた雨が止んだ。


 長い長い冬が終わり、待ちわびていた春が訪れたのだった。


(あーあ……)


 同じ事を朝から何度も聞かされて飽々していた。それがつい態度に出てしまってネリの小言が長くなった。


(やっと静かに勉強でもするわ、と本を開いていたのに)


「お姉様は今日はいらしてくれないのかしら」


 ネリのグチグチとしたお小言をもう聞きたくなくて、キャセディは話を遮った。


「第二王女様は今朝から会議にお出になっていてまだ終わってないようですよ」

「今朝から?……もうお昼をとっくに過ぎているのに……」

「仕方ありませんわ。春の訪れは戦の訪れ。イメルダ帝国との情勢が良くありませんもの……」

「……良く、ないの?」


 ネリは『しまった』といった顔を見せた。どうやら帝国のことはキャセディに黙っていたようで、ネリは己の口の軽さを呪うと共に、主の姉から叱りを受ける覚悟を決めた。

 こうなってはキャセディは後には引かないのだ。


「円満に交渉を終えたのではなかったの? アンバーお姉さまはそうおっしゃっていたのに。違うのね」

「いや、えっと……」

「ネリ。教えなさい」


 情勢が一変したのはこの部屋だとネリは思う。主人の癖を注意する前に己の癖を直さねばと心の中で自嘲した。


「ネリってば!」


 乳母が話そうとしないことに苛立ち、キャセディは立ち上がった。

 その瞬間、膝にあった本が床に落ちた。

 本を拾おうとして床に屈むと――――扉の方から大好きな人の声が降ってきた。


「お転婆さんはどうしてネリを困らせてるのかな?」 


 アンバーだった。


「お姉さま!」


 部屋を訪れてくれるのを待っていたキャセディは嬉しくて、姉に抱きつこうと起き上がったが裾を踏んづけてしまってバランスを崩し、前のめりになる。


「キャセディ様!」


 床に転がることを覚悟して目を瞑ったが一向に衝撃が来ない。

 キャセディがそっと目を開けると、太くて温かい腕が彼女の体を支えていた。


「お怪我は?」

「あ、りません」

「ディー、全くお前は!」


 姉が自分の体をその腕から解き、抱きしめる。


「ジュードがいなかったら怪我をしていたぞ! せっかく熱が引いたというのに!」

「ご、めんなさい……」


 姉の騎士は微笑む。


「お怪我がなくて良かったです」

「ありがとう、ジュード」

「いえ」


 ジュードはさっと立ち上がり、アンバーの後ろへ回った。その一瞬、キャセディは見落とさなかった。

 ――――二人の目が合い、言葉無くして会話をしたのを。


(あっ、今……)

  

 キャセディは胸がちくりと痛むのが分かった。

 

 騎士と乳母は第二王女に下がらされ、キャセディは姉と長椅子に座った。


「イメルダの事を聞いていたんだろう? ディー、お前が心配することは何もないんだよ」

「本当ですの、お姉さま」

「ああ、私が嘘をついたことがあったか?」

「それは……いいえ……」

「だろう?」

「本当に大丈夫ですのね?」

「本当の本当だ。少し会議が長引いただけだよ」

 

 キャセディの手を取った姉の手は荒く、自分の滑らかな手とは大分違う。

 ちりり、と嫌な感情が湧き上がる。


(あの時、この手を……ジュードは取ったのだわ……)

 

 古傷の跡。つい最近出来たのであろうかすり傷。今でこそ豆はないが、触ればあちらこちらにその跡が残っているのが分かる。

 一目で貴婦人の手ではないことは明らかだった。ましてやこれが一国の王女の手だと誰が信じようか。

 もしキャセディがこのような手をしていたらネリは嘆き、毎晩香油をかかさず、ねっとりつけてくるに違いない。

 キャセディは姉の顔を見上げる。

 優しい目が彼女を見下ろしていた。

 男のような手の姉だけど、やっぱりこの世で一番美しいわ、とキャセディは溜息をつく。


(私が勝てるわけがないじゃない――――私の……お姉さまなんだもの。ジュードの最愛の女性であって主でもある……)

 

 二人の中に入り込む余地はないと分かっているけれど、彼の姿を見る度に少し膨らみかけた胸はときめいてしまう。

 と同時に締め付けられるように苦しくもなる。


(でも……でも……いつかは……)

 

 姉と騎士、そして乳母が退出した後、キャセディは体を横たえてそっと目を閉じた。

 枕に顔を埋めつつ先ほど騎士に抱きとめられた自分の体を抱きしめた。

 彼の温もりをまた思い出せるように、強く、ぎゅっと――――







 



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