表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

第三話

*人の死を悲しむ場面があります。

 

 悲しい知らせは突然来る――――


 体調が良くなってきたと思われた第一王女エリアナの容態が急変した。

 その知らせを受け取った時、妹たちは城にいなかった。

 隣国、サマラヤとの国境に近い所にある別荘に遊びに来ていたのだった。

 外へ出られても、長旅は無理ですという医師の言葉にがっかりして二人は計画を延期しようとしたのだが、エリアナの

「自分の分まで楽しんで来て」

という声に後押しされた。

 休み休み二日馬車に揺られて辿り着き、まだ三日しか経っていなかった。


「アンバーお姉さま? お呼びですか?」

 キャセディが姉の部屋に入った時、青白い顔をしたアンバーはキャセディの元へ走り寄り、彼女を抱きしめた。

 そして耳元で囁いたのだ。

『エリアナ姉さまが……』

 アンバーは最後まで言うことが出来なかった。それでもキャセディが姉が言わんとする事を理解するには十分だった。

 姉に何かあったのだ、と。

 すぐさま馬が用意され、帰り支度へと取り掛かる。アンバーはキャセディを抱きしめていた力を緩め、後ろに控えていたジュードへと振り返った。


「お前はディーと戻って来い。私は先に馬で帰る」


 キャセディとジュードはそれに抗議の声を上げた。

 キャセディは自分も馬で戻る、と言い

 ジュードは主の道中を案じて己も共に戻る、と言った。

 しかしアンバーは二人を視線だけで黙らせた。彼女の視線には困惑、悲しみ、焦りで満ちていた。


「ディー、ジュードとなら道中は安全だ。ジュード、妹を頼む……頼む」


 キャセディは今までに見たことのない苦痛に満ちた目を見ていたら何も言えなくなってしまった。馬で一緒に戻ったとしても姉の早さには到底ついて行けるわけはなく、お荷物になるだけだとキャセディは分かっていた。


(大好きな一番上の姉の所へ鳥のように飛んで駆けつけられたら)


 キャセディは唇を噛んだ。


「はい、アンバー様……キャセディ様をお守りします。道中お気をつけて」


 とジュードが言った時、キャセディははっとした。


(ジュードが私を……守る?)


 アンバーは早々に数人の騎士だけを伴って城へと出発した。自分自身が戦える技量にあったこと、と多くの伴を妹に残してやりたいとの配慮だった。

 キャセディとジュードは朝を待って出発することが決まった。


 来た時よりも馬車は早く進む。

 姉とおしゃべりをしながら楽しい道中だったのも遥か昔のように感じられた。

 目の前に座るのは強張った顔の乳母ネリで、目を閉じ、ひっきりなしに祈りの言葉を口にしていた。

 エリアナが心配――――これは天に誓って言える、とキャセディは思った。

 だが、姉を心配する気持ちと同時に馬車の隣を走っている男の存在に心は飛んでいるのも事実だった。

 ジュードの前には、隣にはいつも姉の姿があった。

 でも今は……その姉の場所に自分がいる。

 その事実はキャセディの胸を高鳴らせた。


 今夜を越せば明日には城へ戻れる所まで戻ってきた。

 ネリが眠っていたキャセディを起こした。

 まだ窓の外は暗いので出発の時刻ではないだろうと訝しがったキャセディだったが、すぐに何かが起きたのだと乳母の泣き腫らした顔を見て悟った。


「どうしたの、ネリ」


 はらはらと涙がネリの頰を伝い地面に落ちる。


「ねぇ、どうしたの! まさか……」

「キャ、セディ様…………ああ!」


 キャセディの手を握り、言葉をつなぐことができないネリを前にキャセディは頭を振る。


「嘘よ。嘘……嘘!!」


 ネリの手を振り払い、ベッドを飛び降りた。

 そのまま部屋の扉を勢い良く開ける。


「キャセディ様!」


 廊下を走りだしたキャセディの手を取ったのはジュードだった。


「離して! 今から、今から、お姉様の所へ……お姉様の所へ!」


「キャセディ様!」

「お姉さまの所へ行かないと! 行かないといけないの! 私、戻ったら旅行のお話をすると約束したの! 約束したの、お姉さまに――――」

「ディー!!!」


 強い力がキャセディの肩を掴んで――――大きな体がキャセディを包み込んだ。


 一瞬何が起きたのか分からなかった。

 気がつけば顔中が涙に濡れ、目の前の騎士の袖を濡らしている。

 ジュードが自分を抱きしめていた。


「ジュー……ド。私、私……今すぐにお姉さまの所へ、行かないと。お願い。お願い、ジュード」

 

 ジュードは一度目を瞑り、細く息を吐いた。


「今からでは危険です。悲しい気持ちは痛いほど分かりますが夜明けを待って下さい、キャセディ様。そして夜明けと共に参りましょう。馬車は……置いて行きましょう。その方が速い。私と相乗りになりますが、よろしいですか?」


 キャセディに否と言えるはずもなかった。


 姉の死が本当に起こったことなのかキャセディは受け入れることが出来ず、頭がふわふわとしているようだった。

 そして今、自分が馬にジュードと乗っていることが夢のようだった。

 姉の死と共にこんな嬉しいことが舞い込んでくるなんて女神さまはなんと酷い人なのだろう、とキャセディは思う。


「大丈夫ですかっ、キャセディ様!」

「はい!」


 時折自分を案ずる声を掛けてくれるジュードの声は胸と同じで温かく、とても広かった。




 エリアナ第一王女、二十の短い一生の終わりは彼女が愛してやまなかった妹達の帰りを待つことなく訪れた。

 通い慣れた姉の部屋へ通されると、泣き顔の父がキャセディを抱きしめた。

 そして父と手をつなぎ冷たくなった姉の近くへと促される。

 色白のエリアナの頰は侍女達が化粧が施しほんのり赤く染まっていた。

 それだけでエリアナは今までに見たことがないほど美しく見え、ただ眠っているようだ、とキャセディは思う。


「エリアナ……お姉さま……?」


 姉が大好きだった水色の花が枕元に所狭しと飾られている。


「お姉さま……今度は一緒に旅行しましょう、と約束しました。そうでしょう?」

「ディー」

 

 いつのまにか隣にはアンバーが立っていた。見下ろす両目の端は赤く腫れぼったかった。それだけで滅多に泣くことのないアンバーが目を腫らすほど泣いたのだと知る。


「アンバーお姉様……私、これからはもっとネリの言う事を聞きます。お勉強だって怠けたりしないし、立派な王女になるために努力します。だから、だから……どうかエリアナお姉様を起こしてさしあげて。お願い。なんでも出来るお姉様なら簡単でしょう?」

「ディー……」

「お願い……早く……エリアナお姉さまを……お願い、アンバーお姉様!」


 自分でも馬鹿な事を言っているのだとキャセディは分かっていた。

 姉を困らせていると分かっていた。

 それでも言わずにはいられなかった。胸がはち切れそうだった。

 アンバーはぎゅっと妹を抱きしめる。そしてキャセディの肩を涙で濡らしてそっと呟いた。


 ――――ごめん、ディー。その願いだけは叶えてあげられない。ごめん、と。




 キャセディが目を覚ました時、一瞬自分自身がどこに寝ているのか分からず、自分の部屋にいるのだと分かるまで少しの時を要した。

 頭がはっきりすると、とにかくエリアナに会いたい思いを抑えられず、ネリが長椅子で寝息を立てている横をそっと通った。

 廊下には騎士が一人立っていたが、「姉の所へ行く」と一言言ったら頭を下げて何も言われなかった。

 エリアナの部屋に行くためにアンバーの部屋の前を通ることにした。

 その際、ふとキャセディはアンバーの部屋の扉に目をやった。

 少しだけ空いていた。表には騎士の姿はなく、廊下は仄暗い。

 姉はここにいるのか、それともエリアナの所にいるのか。

 ここにいなければエリアナの所なのだから、とキャセディは空いていた扉を中へ押し開く。

 音もなくゆっくりと扉は開き、キャセディはその間に滑り込んだ。

 部屋の中は暗いが奥の部屋から話し声がしていた。


(お姉さまがいらっしゃる)


 どうやら姉の他に誰かもう一人いるようだった。

 そろりと居間を通りぬけ、執務室へ繋がる部屋の扉の前に立った。

 ぼそぼそと話し声が聞こえてくるが話の内容までは聞こえてこず、もう一人が誰なのかも特定することが出来ない。

 立ち上がって扉を叩けばいいだけの話なのに……

 キャセディはなぜだかこの時、邪魔をしてはいけない気がしてならなかった。

 胸が次第に早さを増していくのが分かる。


 その時だった。

 話し声が近くなり、足音が扉の方へ近づいているのが聞こえた。

 キャセディは慌てた。

 辺りを見回して、一番に目に入った長椅子の後ろへと隠れた。


(私ったら隠れなくても!)


 キャセディが床に座ったのと扉が開いたのは同時だった。

 部屋から出てきたのは、姉のアンバーとその騎士、ジュードだった。


 彼女が彼から逃げるように前を歩き、彼が彼女の肩を取って引き寄せた。

 彼女は彼の胸へと収まるが、彼女は両手で彼の大きな胸を叩き出す。

 彼は彼女に叩かせるままにしておいた。彼女は泣いていた。

 何度も何度も名前を呼びながらとうとう彼女が叩く手を止めた時、彼は彼女の手を取り、指を絡めた。

 彼女は彼の肩に頭を乗せ――――目を閉じ、二人の影は一つとなった。

 嗚咽を漏らしながら震える彼女の背を彼は上下にゆっくりと擦った。


 夢の続きだろうか……キャセディはぼんやりと思った。

 自分が何を見ているのか分からなかった。

 床から身体に伝わる冷たさが目の前の光景は夢じゃないのだと無情に伝えてくる。

 キャセディは身体を両手でぎゅっと抱きしめ、二人が部屋を出て行くまで少しも動かずにその場に座っていた。



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ