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第二話

 

 次の日からジュードに言われたようにキャセディはアンバーの訓練場には行かなかった。

 それだけではない。

 執務室にも、食事の間にも、休憩中の庭にも、キャセディは姉に会いに行かなかった。

 怖かったのだ、ジュードにまた『邪魔』だと言われるのが。彼の怒った顔を見るのが。

 キャセディはなぜ自分が怒られたのか胸が痛くなるほど分かっていた。

 自分の愚かな行いせいで大切な姉が怪我をしたのだ。今回は運良く打ち身だけで済んだが、一歩間違えれば彼女の命に関わることだったのだ。

 だからジュードは自分に怒っている。彼の主人を危険な目に合わせた自分だから。

 いくら主の妹とはいえ、王の娘だとはいえ、主を危険にさらすものからは身を挺してでも守る。

 ――――それが騎士。

 

(分かってる。分かってるわ。でも……)


 キャセディはもやもやとした気持ちを抱える。

 その気持ちがなんなのか自分でも分からぬのが余計に気持ち悪くて、やりきれなかった。




 足は自然ともう一人の姉の所へ向かう。

 エリアナ第一王女の部屋だ。

 今、エリアナの体調が良いことがキャセディにとってなにより嬉しいことだった。

 静かに扉を叩くと、中からエリアナの侍女が顔を出す。

 姉が上半身を起こすとキャセディは直ぐさま姉のベッドに駆け寄った。


「庭でやっと水色の花が咲きましたのでお持ちしました。エリアナお姉さま、このお花が特にお好きでしたでしょう?」

「綺麗だこと。ありがとう、ディー」


 金茶色の髪が一房エリアナの顔にかかっている。

 ずっと寝たきりでなかなか髪を洗うこともままならないだろうに、それでも姉の髪はいつ見ても艶やかで美しい。

 しかしながらキャセディが差し出す花を受け取った姉の手はびっくりするほど青白く、目を背けたくなるほど細くて痛々しい。

 外で陽の光を毎日浴びて小麦色の第二王女のアンバーとは大違いだった。


「今日のお加減はいかがですか、お姉様」

「昨日よりももっといいのよ。明日も良いようならほんの少しだけ外へ出てもいいと医師に言われたわ」

「まぁ! 本当ですか!」

「ええ」

「その際にはぜひ私も一緒に、いいでしょう?」

「もちろんだわ」


 エリアナが微笑むと両頬の赤みがうっすらと戻ってきて、それを認めたキャセディはとても嬉しくなった。


(この調子でエリアナお姉さまが元気になってくれたらいいのに……)


 母の顔を覚えていないキャセディは年の離れたエリアナを母のように思うことがあった。

 一方でエリアナも精一杯母の代わりを務めることが出来たら、と思っていた。

 母が生きていた頃エリアナが教わったあれやこれを末の妹は経験していない。だから、自分が母代わりにならねばと思うのだが、体は思いに反して言うことを聞いてはくれず、いつももどかしい思いを抱えていた。

 そんな妹思いのエリアナだったから突然の妹の変化に誰よりも早く気がついた。すぐさま乳母のネリに詳細を尋ねた。

 どうして最近キャセディはアンバーの所へ行かないのか。

 どうしてアンバーの話題に出せば、今にも泣きそうな顔をするのか。

 キャセディを溺愛しているアンバーだったから、まさか喧嘩ではないだろうとエリアナは思っていた。 喧嘩ならば早々にアンバーが折れているからである。

 だからネリの話を聞いた時、エリアナは耳を疑った。

 まさかアンバーの騎士が絡んでいたとは――――

 

 エリアナはどうしたものかと悩んだ末、侍女に耳打ちをした。




「エリアナお姉さま、明日お庭に出られた時には外でお茶を召し上がりませんか。私、ネリから美味しいお茶の入れ方やお菓子の作り方を教わったのです」

「まぁ、キャセディ。もうそんな事が出来るようになったの?」

「はい、お姉さま。私はもう子どもじゃないのです。今は先生からイメルダ語を教わってもいますし、それから――――」


 先ほど姉の侍女から出されたお茶を手に、姉との会話を楽しんでいる時だった。

 扉が小さく二度叩かれ、誰かが部屋に入ってきた。乳母のネリだろうか、とキャセディが視線を向ければ、扉近くに彼女が予想もしていなかった人物が立っていた。

 キャセディが会いたくなかった人物、アンバーの騎士のジュードだった。


「ジュー、ド……」

「エリアナ様。お呼びと聞き参りました」

「早かったのね、ジュード。今アンバーはどこに?」

「王と執務室にいらっしゃいます」

「そう。じゃあ、少しぐらいは長くなってもいいわね」


 キャセディは半開きになっていた口を一旦閉じ、また開けて閉じた。なんとか心を落ち着けようとしていた。


(どうしてここにジュードが……?)


「お姉さま。お二人でお話なら私、部屋に戻りますわ」


 立ち上がりつつキャセディはこの場から早く逃げたい、と思った。

 しかし姉は優しく微笑みながら首を横に振った。


「違うのよ、キャセディ。ジュードはあなたに会いにここに来たの。私はここから動けないから貴方達が隣のお部屋でお話して下さると嬉しいんだけど。さぁ、隣の部屋に二人を案内して」


 エリアナの言葉に侍女が機敏に反応し、隣へ続く居間の扉を開けた。


「エ、リアナ……様?」

「お姉様? あの……」


 ジュードとキャセディは困惑を隠せない。

 そんな二人にエリアナはにこりと笑う。


「ジュード。私の妹があなたに何かを言いたいそうなの。お手柔らかに受け止めてあげて」


(えっ!?)


 驚いてエリアナを見れば、姉は片目を瞑って、キャセディにこう告げた。


「『もう子どもじゃない』のなら、嫌なことから目を背けないことよ、キャセディ」





 静かに扉が閉められ、キャセディは途端に息苦しくなった。

 父以外の男の人と二人きりになったことなんて今までの短い人生の中で一度もない。

 どうすればいいのか。

 何を話せばいいのか。

 キャセディは伏せていた目を少し上げる所からまず始めることにした。

 そうすると


「キャセディ様」


 と、ジュードの低い声が頭の上から降ってきた。

 同時に「困ったな」とジュードが呟くのも聞こえてくる。


(困ったのはこっちの方だわ)

 

 キャセディは泣きたくなる気持ちをぐっと抑えた。

 一体姉は何を考えているのだろう?

 キャセディは先ほど姉がジュードに言った言葉を思い出す。


(私がジュードに『何か言いたいこと』がある……? そんなのないわよ)

 

 そう思った直後、彼女はふとある事に思い当たった。


(言いたいこと……ある。うん。私、まだ謝ってないじゃない)

 

 一度も怒ったことのないジュードが怒ったのは自分のせいなのだ。

 あの時は姉が怪我をしたことや彼が怒ったことなど色んな事が重なりすぎてキャセディは謝る機会を逃してしまったのだ。

 まずは謝ることからしなくては……キャセディはぐっと拳に力を入れてジュードの顔を見上げた。


「ジュード」

「はい」


 視線がキャセディに注がれる。

 その時、キャセディは初めてジュードが綺麗な目をしていることに気がついた。


「ジュード……」

「はい」


 もう一度名前を呼ぶと同じように彼はまた返事をする。

 そして――――キャセディは目を見開いた。

 

 ジュードが頭を下げたからだ。


「キャセディ様。この間の私の非礼を……謝罪致します」


 キャセディが言おうとしていた事が彼の口から溢れ出る。


「謝罪と言ったところで王女様への数々の暴言、許されることでは無いことは重々分かっております。しかしあの時はアンバー様の怪我の事があり、私は――……キャ、セディ……様?」


 名前を呼ばれて始めてキャセディは自分が泣いていることに気がついた。

 頬に手をやり、その手が濡れていると分かると、次から次へとまた涙が溢れてくる。


「キャセディ様」

「どうしたのかしら……私……私……」


 手で拭っても拭っても涙が溢れてくるのが恥ずかしくてキャセディはまた俯いた。そうすると視界に赤い布が入った。ジュードが持っていたハンカチを差し出したのだった。

 おそるおそるそれを受け取り、涙を拭う。

 涙が止まるまでジュードは何も言わずキャセディの側にいた。

 それから彼女は彼に促されるまま椅子に座ると、やっと少し気持ちが落ち着いてきて王女は再び騎士の顔を見ることが出来た。

 不安そうな瞳がキャセディの瞳とぶつかる。


「ごめん……なさい」

「なぜ謝るのですか」

「ごめん……なさい、ジュード……」

「…………キャセディ様」

「はい」


 ジュードは一つ息を吐く。それにびくりと反応したキャセディ。また彼を怒らせてしまったのかと不安になって両目に涙が溜まる。


「また今までどおり訓練を見に来てくださいませんか」

「えっ……」

「キャセディ様がいらっしゃらなくなってアンバー様はとても寂しそうなのです。前のようにキャセディ様が来てくださればアンバー様は喜ばれるでしょう」

「で、でも……」

「お願いします」


 騎士は視線をキャセディと同じくする。

 キャセディは彼の瞳を見つめた後で、こくんと頷いた。


「では……またお越しいただけるのですね?」

「はい」

「そ、うですか! ありがとうございます」


 ジュードは目を細めて笑顔になった。


(あっ…………笑った)


 いつからだっただろう。

 姉の後ろで優しく微笑むジュードを見るのが好きになっていた。

 でもここ最近はその笑顔を見ることも叶わず、彼の怒った顔を思い出すことばかりだったのだ。

 キャセディはほっとする。そしてまだ膨らみもない小さな胸の中でそっと思う。


 ――自分がまた姉を訪れることで姉だけじゃなく……彼にも喜んでもらいたい――


 この日は小さな王女の胸に小さな恋の蕾がついた日であった。





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