第一話
「太陽が西から昇り、東に沈むように。
風が吹いて木の葉が空に舞うように。
山の雪解け水が川へと流れ出すように。
月の光が闇の中を照らすように。
私の身体は貴方の側になくとも心は貴方と共にある。
たとえ貴方の隣に別の男がいようとも。
私はこの身が滅びるまで貴方だけを愛すると誓う」
最後の夜に愛を告白し、そっと王女を広い胸に抱いたのは一人の騎士だった。
王女と騎士は愛し合っていた。
しかし二人は今の今までお互いを想う気持ちに目を背けていた。
彼は騎士で。
彼女は王女で。
決して結ばれない人だったから――――
窓の外には太陽が海に沈みゆく様子を描いた真新しい旗が揺らめいていた。
祖国の旗は切り刻まれ、焼かれた後の煙が一筋空に昇っていた。
バザーン国には王女が三人いた。
第一王女は体がとても弱く、幼少時から寝たきりなことが多かった。
第二王女は第一王女の健康をすべて奪ってしまっているかのように元気で活発な女の子。
そして第三王女は年が上の姉達を離れているせいかとても可愛がられ、蝶よ花よと育てられた。
三人の王女を産み落とした王妃は第三王女が二つになった時に亡くなった。
王は王妃の死をひどく悲しんだ。そして彼女の遺言を守ると誓った。
それは『三人の王女を慈しみ、守ること』。
故に、王は愛人の一切をもたなかった。もしも愛人に子どもでも生まれれば、三人の王女の立場が悪くなると考えたから。
だが、彼は一国の王の身。後継者はなんとしても必要。
男が一人でもいれば、事は丸く収まったのだが、女を男には変えられない。
第一王女は軍会議で重鎮を唸らせる案を持つほど聡明ではあったが、いかんせん体が弱く、成人まで生きられるかどうか分からないと医師が首を横に振っている。
だから王は第二王女に目を向けた。
彼女は人形よりも剣を手に取り、お伽話よりも軍記を読んだ。長く伸ばせばより美しいのに、「邪魔だから」という理由で、髪はいつも肩の上で切り揃えられていた。
ただの男勝りの女ではなかった。彼女には周囲を惹きつけてやまない何かがあった。
王となりうるには絶対不可欠な魅力。そして王としての技量と能力。
彼女が成長するにつれてこれらが開花するのは目に見えていた。
王は思った――――彼女なら、将来この国を任せられるのではないか、と。
そうして第二王女は幼少から女性が学ぶ一切よりも君主としての学問を優先された。
二人の王女が大人へと成長した時、年が離れた第三王女はまだ少女であった。
王はこの娘をどうしたものかと、腕を組んで頭を捻った。
キャセディは姉の事がなにより自慢だった。
一番上の姉は聡明で優しく、二番目の姉は強くて美しい。でも三番目の自分は何があるのか。
自分に何も誇れる事が無いのが時に虚しくて、悲しくて。二人のようになりたい、といつも願って子犬のようにいつも姉の後ろをついて回る事が多かった。
キャセディが物心ついた頃から第一王女エリアナはほとんど外へ出ることはなく、ふせっていることの方が多かった。
大好きな姉とおしゃべりをしたいと思っても、扉の前で門前払い。よって次第に足はいつも下の姉、アンバーの所へ向く。
第二王女の彼女はとても忙しい人だった。 それでもキャセディの顔が見えるといつでもにこりと笑って妹を迎える。
姉が部屋で勉強している時は隅に座って自分も編み物の練習をしたし、外で剣の訓練の時は同じように外に出て彼女が騎士を相手に剣を振るのを見て過ごした。
キャセディが八歳の誕生日を迎える頃、姉は一人の騎士を護衛としていつも従えるようになった。
名前をジュードと言った。
彼は姉と同じく優しい人。それがキャセディが抱いた最初の印象だった。
毎日姉の所へ通う内に、いつの間にか姉の姿ではなく、姉の後ろで優しく微笑む彼に会うのが楽しみになっていることにキャセディは気がつく。
でもこの時の彼女は
(姉だけではなく兄も出来て嬉しいわ)
としか思っていなかった。
菓子の作り方を学んでから姉に差し入れをすることが多くなったこの頃。
乳母ネリの手伝いもあって、なんとかほどよい甘さのお菓子が出来上がり、それを籠に入れて訓練場までの道のりをそろりそろりと歩いていた。
訓練場が見えてきた時、いつものようにジュードの騎士仲間とアンバーは剣を交えていた。
「休憩にしませんかー、アンバーお姉さま!」
キャセディが声を掛けた時、アンバーはその声が愛しい妹だと気がついた。
その瞬間。
アンバーの集中力が途切れ、声の主の方へ注意が向いてしまった。もちろん、それは瞬きをするよりも速いだったのだが、その一瞬に騎士の剣がアンバーの腕に当たる。
訓練中で剣は本物ではなかったものの、バチンと大きな音がして、アンバーは剣を落としてしまう。
「お姉さま!」
持っていた籠が地面に落ち、キャセディは走りだした。
地面に尻をついたアンバーは片方の手でもう一方の赤くなった腕を抑えていた。
そこで姉の姿は黒の影の向こうに隠れてしまう。
黒い影の主はジュードだった。
「アンバー様」
「たいしたこと、ない」
「あ、アンバー様……も、申し訳、ご、ござい――」
「謝るな。これは訓練だ。今のが戦場だったら私は間違いなく腕を切り落とされていた。お前は何も悪くはない」
青い顔をした騎士になりたての男が小刻みに震えているのを認め、彼を安心させようとにこりと笑ったアンバー。
その彼女の横で膝を地面につき、ジュードは主の腕の具合を調べた。
「ただの……打ち身ですね」
「ああ。明日になったら赤黒くなってるだろうな」
「冷やしましょう」
アンバーとジュードは立ち上がる。
入り口の方へ歩き出した二人は第三王女がそこに立ち尽くしているのに気がついた。
「お、姉さま……」
「ディー! ははっ――無様な所を見られてしまったか」
「お姉さま……だ、いじょうぶですか……」
姉が怪我をするなんて日常茶飯事だったが、キャセディが彼女の怪我を見るのはいつも事が起こってからで、事の最中に出くわしたことは一度もない。
キャセディの体は震えていた。
「ディー……どう、した?」
「怪我、を……されたの……」
そこまで言ってキャセディは自分の膝の力がゆっくり抜けていくのが分かった。
そして――――ふわりと体が浮いた。
「ディー!!」
「えっ……、あ……」
抱きとめてくれたのはジュードだった。
姉もキャセディの隣に駆けつける。
「ディー、大丈夫か!」
「あっ、は、はい……」
(なんて情けないの。お姉さまが危ない目に合ったのに自分が倒れそうになるなんて!)
ゆっくりと回された腕を解かれ、ジュードは少し膝を折ってキャセディの目を見た。
彼はいつもの笑顔をたたえておらず、今までに見たことのない怖い目をキャセディに向けた。
「は、い。あの、ジュード……」
キャセディはお礼を言うために彼の名を呼んだ。そうすればいつものように笑ってくれるだろうと淡い期待を抱いていた。
だが、笑顔の代わりに吐出された言葉はとても辛辣なものだった。
「キャセディ様。訓練場にはもうお越しにならないで下さい」
「ジュー……ド……?」
「今日は運良く打撲で済みましたが、先ほどはキャセディ様がお声をお掛けになったからアンバー様の気が逸れたのです」
「ジュード、さっきのはディーのせいじゃないぞ。私が周囲の声なんかに気を取られたから」
「そうです、アンバー様。貴方ももっと真剣に訓練に集中すべきだった。貴方がさっき言ったんですよ、今のが戦場だったら腕を切り落とされていただろう、と。私でしたらあの後すぐに敵の命を取ります。腕だけでは済みません」
「そ、れはそうだが……だからといって今ここでディーを責めるのは間違ってる」
「いいえ。今のような事が今後起こってはいけないのです。そして、姉が怪我をする場面を見て倒れてしまうような妹がいては訓練の邪魔です」
「じゃ、ま……?」
「ジュード! それは言い過ぎだ!」
「…………午後の予定をすべて変更して参ります。医師をお部屋に呼んでおきますので」
ジュードはさっと身を翻し、訓練場を出て行く。
アンバーは震えるキャセディの背をそっと抱いて擦る。
「あいつ、なんであんなにカリカリしてるんだか。ディー、すまなかった」
「い、いいえ……」
(あんなに怒ったジュード……初めて見たわ……私、邪魔だと言われた。私、邪魔だったんだわ)
キャセディは気分が良くないからと呟いて、訓練場を後にした。
手の震えは止まらず、姉の心配そうな顔を正面から見られなかった。