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希望を求めて 前編

 道端の花々が蒼翠にアクセントを加える。草原の緑が柔らかい風に踊り、優しい新緑の薫りを運んでくる。緩やかなカーブを描きながら続く道は延々と、なだらかな坂の向こうへと消えていく。

 人通りのほとんどない、どこまでも遠くを見渡せる牧歌的な風景。その中を、一台の馬車が轍を作りながら進む。逞しい黒馬が引く、やや地味な濃緑色の車体には、一人の若者が乗っている。

 トラシェルム帝国の役人が着る、ライトブルーの制服に身を包んだその青年は、砂利道が作り出す馬車の揺れに身を任せながら、傍らを過ぎ行く新緑の風景を眺めつつ、冴えない面持ちで、心中においてはこんなことを繰り返していた。


 人選ミスだろう……。


 ここはトラシェルム大陸、ローセルム。水と緑に溢れた名所。豊かな自然に恵まれた風光明媚な土地柄でよく知られている。

 かつての戦役の際にはリ・デルテアの侵攻によって被害を被ったものの、その後は小さな騒乱もなく、国内外の戦争と無縁であるかのように、長閑で平和な時を過ごしてきた。今では都会の喧噪とは無縁の、観光にうってつけの場所となっている。

 だが、この世界のどこにも、永遠の平穏が保障されている場所などはない。実際に、未来に立ち込める暗雲は、ここに降り注ぐ平和という名の光を遮り始めている。

 直近のアフラニール公国との戦争勃発の報せが、国内各地の政庁施設に飛び、このローセルム統治府もトラシェルム中央政庁からの下知を受け取っていたのである。

 予想されるアフラニール軍の侵攻ルートでは、ローセルムが戦場となる可能性は極めて高い。戦況いかんによっては戦争の矢面に立たされ、否応無く戦火に巻き込まれるかもしれないとされた。

 さて、この地の統治責任者であるヒム卿という人物。彼は故ローセルム王国の重鎮だった男であるが──今や帝国の地方政庁施設となった城内で雑多な事務処理に追われていた。

 そんな彼の元へ、帝都から重要な指令と情報を携えた勅使がやってきたのであった。で、勅使が伝えたその内容とは、アフラニールの侵攻を挫くために空域防衛戦を展開するが、その結果次第ではローセルムが主戦場になる可能性があるということ。

 その艦隊戦に備えて、ローセルムに空軍司令部を設置するのでそれに協力せよという下知。

 そしてもう一つ……ローセルム内に住む『オーファ』と呼ばれる人物を見つけ出し、帝都に遣わせよ、という指令であった。


 これは国の存亡を賭けた、一刻を争う重要な任務である。必ず違えることきように……。帝都からの勅使はそう付け足した。


 ローセルムの空軍力配備と基地準備は滞りなく行なわれ、問題は最後の一つ、『オーファ』の件を残すのみとなった。風変わりだが、これは中央からしつこく念を押されるほどに重要な任務であった。うろたえるヒム卿は適任者を求めたがが、この任に当たるに相応しい人材はいなかった。

 何を隠そう、最高責任者であるヒム卿本人でさえ、特に優れているわけではないのだ。当地に馴染みが深いだけの、極めて凡庸な人物である。

 帝都からやって来た勅使は用件を伝えるやいなやそそくさと帰ってしまったし、四の五の言っても仕方のないこと。追い詰められたヒム卿の狼狽振りは気の毒な程だったが、何とかこの任務を担当する人間が選出されたのである。


 ──で、大抜擢とでも言うべきか。その任に当たることになったのが、馬車に揺られているこの青年、トマ・ライグェフである。

 彼はローセルム地方政庁の政務担当官である。交渉事や実地での探索などは、事務仕事がメインである彼の専門ではない。彼は馬車に揺られながら、いつまでも悶々としていた。


(聞けば、今度の命令はあの摂政ロシオウラ様から直々に発せられたものだという。そもそも、そんな重要な任務ならば、帝都の優れた文官が自ら当ればいいのだ。それを、人手が足りないとか、土地勘があるだろうとかの理由だけで我々に託すとは、どういう了見なんだろう。それに、ヒム様もヒム様だ。何で、よりによって僕なんだよ。ああ、これに失敗したら、僕、そしてヒム様だって首が飛ぶかもしれないのに……)


 心の中で愚痴るトマの気持ちは、すこぶる奮わなかった。こんなに責任重大な役目が自分に回ってくるなど、考えもしなかったことである。自己評価では取り柄といえるものもほとんどなく、しいて挙げれば真面目で裏表のないところくらいだと自覚している。

 そんな人間が、これから国の存亡を左右するやもしれない重要な任務に挑もうというのだ。その可笑しさは本人が一番良くわかっていた。


 オーファを連れて来い、か……。


 危機が迫る状況で、この命令は的外れにも思える。

 重要な任務と言うわりには漠然としすぎで、真偽の程が疑われるような内容である。信憑性の欠片もない。とても口には出せないが、要するにこの上なくうさん臭い。

 あるいは自分のような人間に任されたのも、皆がどこかでこの勅命を軽んじていたためではなかろうか。この使命の重みを感じている人間がほとんいなかったのではないだろうか。帝都から遠く離れたこの平和な地においては、戦争の気配は遠く感じられるのだ。

「ロシオウラ様も、どういうおつもりなんだろうな……」

 しがない地方役人に過ぎないトマは、当然ロシオウラに会ったことはない。だが、彼の才能は聞き及んでいる。苦境に立たされた故の荒唐無稽な策ではなく、勝算あっての策だと、そう信じたい。


 トマは馬車の走っている方向に目をやった。広大な緑の絨毯を分断するように引かれた一本のラインが、先行きのわからない未来を予感させ、何が待っているかを故意に包み隠しているように見える。この道を歩いた多くの旅人、先人達が抱いていたのは、道の先に待ち受けるものへの期待だったのか、あるいは不安だったのか。

(もしくは、その両方か──)

 いずれにせよ、真に希望を求めるならば、強い意志を持って、この道を行くしかないだろう。これ以上は考えても無駄だと、ようやく彼は気持ちを切り替えて、この任務の成功を心に誓うに至った。


 *  *  *


 草原の道をしばらく行くと、トマはオーファがいるという街に到着した。ローセルム地方、カルフィノ・ファリの街である。

 漆喰壁の建築物が立ち並ぶ美しい街並みと穏やかな風土が実に良くマッチしていて、トマはまず第一に、ここがとても仕事で来るような所ではないと感じた。馬車でも容易に通行できるくらい道幅があって、交通網の整備も行き届いているようだ。さすがは有名な観光地、特別管理区域といったところだろう。

 生花店のガラス扉から、原産品種のカルフィノ・リリィが顔を覗かせていた。道行く人に挨拶でもするかように、その優雅で存在感のある貴婦人の如き白い顔を街路に向けている。


 また、街の風景を横目に見れば──。

 子供たちが楽しそうに戯れている。

 走ってきた郵便配達人が、民家の軒下にあるポストに手紙を突っ込んだ。

 果物屋の店主が店先で主婦を相手に商売をしている。

 道端で歓談する人々の笑顔は喜びに満ちていた。


「……平和だな、本当に」

 そこには、美しい住宅街で幸せそうに暮らす人々の姿があった。きっと、ここでの生活に満足しているのだろう。そんな人々の様子を眺めていると、戦争どうこう言っていることや、ついこの間までこの大陸が戦乱の真っ只中にあったことなどは夢のようである。一部の地域ではまだ戦争の傷跡が残っているし、抵抗勢力の活動も継続していると聞くが、このローセルムに関しては戦役の後遺症は全く見られなかった。

「とにかく、まずは情報だな」

 街には着いた。あとは、目的の人物の居場所をつきとめるだけである。

 それにしても、帝都の諜報機関ならばその程度の仕事など造作もないであろうに、曖昧な位置情報しかよこさないというのは怠慢か、それとも事態が緊急すぎたゆえか。ローセルム地方の山麓付近、というざっくりとした情報からこのカルフィノ・ファリを特定できたことは、ローセルム政庁の奔走が結実した証である。

 さて、手始めとばかりに。トマは通行人に声をかけてみた。彼という人物は普段からおっとりした性格で、温厚だが気の弱い人間でもある。しかしこの時は、初っ端にナメられたら負けだという変なプライドを携えて、慣れない事ではあるが、できるだけ高圧的に話しかけた。

「おい、そこの住民。私はローセル政庁の役人である。オーファがどこにいるか、知っているか? 知っていたら……あー。教えるのだ」

「……」

 住民は偉そうにふんぞり返るトマをじっと見つめるだけで、彼の質問には答えない。トマも無言になって目を逸らした。さすがに聞き方が高慢すぎたかと思い、普段の彼らしく親しみやすい口調で聞こうと思った。

「えっと、オーファと呼ばれる人物がこの街に住んでいると聞いたんだけど、知っていたら教えてくれないかな?」

 しかし、それでも住民は答えないのだ。それどころか、そっぽを向いて去っていってしまった。トマはその後姿を見つめながら、呆然と立ち尽くした。

(役人が怖くないのか? それとも、ここの人間はみんな薄情なのか? ……いや、さっきの明るい街の人々からして、そんなはずはないと思うんだが──)

 普段、室内で事務ばかりをやっているトマには、役人と言う立場で国民と接する機会がほとんどない。だから役人に対しての普通の反応というのがよくわからない。

 確かに帝国の建国時に制定された憲法では、役人たりともみだりに人を傷つけることを固く禁じている。憲法違反は重罪だ。だから、住人は安全だとでも思っているのだろうか──。

 単に個人の性格の差だと気持ちを切り替え、他の住民にも尋ねてみたが、どれも同じような反応が返ってくる。この調子では有用な手がかりは全く得られそうもない。

「ふう。仕方が無いな。面倒だが、街の管理局に行ってみるか」

 情報源の役所ならば確実だし信頼がおけると、トマは街の南方に建つ管理局に足を運んだ。年季を感じさせるひなびた役場の窓口では、多くの人間が列を作って並んでいた。

「平日だというのに、ずいぶんと人が多いな」

 とりあえず、トマは列の後ろに立った。

 カルフィノ・ファリの統治はローセルム中央局の下に置かれている。管理局は国家の特別区画であるカルフィノ・ファリの行政を担当しているが、中央政府の管轄ではなくローセルム政庁の下部組織に当たる。だからトマには特権があるし、わざわざ時間を割いてまで列に並ぶ必要も無いのだが──。

 それ以前にトマのいでたちを見れば、彼がローセルム中央局の役人であることがすぐにわかるはずだ。実際に今、彼の姿を目にした中年の女性が受付から出てきた。彼女は軽く頭を下げてから、トマに声をかけた。

「本日は、どういったご用件でしょうか? 失礼ですが、視察ならば先日行なわれたばかりだと記憶しておりますが──」

「いや、今回はそういった用件じゃないんだ。ちょっと聞きたいことがあって──」

 話をつけようとしていた最中である。

「トマ、もしかしてトマ・ライグェフじゃないか?」

 大音量で声をかける者があった。トマが見れば、頭には自分と同じトラシェルム役人の証、立派な羽飾りのついた冠をかぶっている。程よく肥えていて、実に明るそうな人物だ。

「君は……エネミオ? エネミオじゃないか」

「そうだよ! いやぁ、本当に久しぶりだなっ。元気してたか?」

 人の良さそうな、屈託の無い笑顔を見せ、エネミオは友人であるトマの腕をぽん、と叩いた。二人は同郷の出身だが、仕事の忙しさも手伝って関係が疎遠になっていた。懐かしさを禁じえず、二人は別室に入ってじっくりと話をすることにした。

「……それにしても、ローセルム政庁で働いてるなんて、ずいぶんと出世したじゃないか、トマ。友人として鼻が高いよ」

 そう言ってから、エネミオは慌てて自分の口を押さえた。

「おっといけねえ。そちらはお偉いさんだったな」

「はは、別に気にしなくてもいいよ。僕はローセルム中央局で働いてはいるけれど、それこそただの事務職員みたいなものだからね。君こそ特区の行政管理局長だなんて凄いじゃないか」

「まあ、それほどでもないさ。ひとつ欲を言えば、給料が雀の涙みたいに少ないことだな。お前の方からヒム様に増給を頼んでくれよ。このままじゃ、痩せさらばえて死んじまう、ってな。だははっ!」


 ──それから、二人はしばし思い出話を語ったりなどしたが、エネミオのほうから本題について切り出してきた。

「それで、政庁の事務係官が、一体どんな用件があってこんなところまで来たんだ? ……しかも一人で」

「それなんだけど……」

 トマはこれまでのいきさつをエネミオに話した。

「そういうことか。トラシェルム中央政庁からの指令とは、これまた大役じゃないか」

「しかし、だ。住民にオーファのことを尋ねても、誰も教えてくれなかったのは、いったいどういうことだろう?」

「おい、お前。オーファのことを何も知らないのか?」

「ほとんど何も知らないな。ずっと昔に存在した、特別な力を持った人間だってアカデミーでそう習ったくらいかな。……あ、もしかして。住民がそいつに懐いていて僕を惑わしたということなのかな?」

「いや、違う、逆だ。避けているんだよ。街の人間が、オーファを」

 エネミオが沈んだトーンで話した。言われてみれば確かに、トマが住人にオーファのことを尋ねた時、彼らの態度には共通して、厄介事を避けるかのような感じがあった。

「しかし、それはまた……何故なんだ? オーファってのは、力を持った英雄みたいなものじゃないのか?」

「とんでもない。オーファは遥か昔、世界を平和にするために戦ったらしいが、英雄扱いされるような連中じゃなかったそうだ」

 若干表情を険しくしながら、エネミオはさらに話を続けた。

「奴らはな、悪霊だか、死神だかを操るんだそうだ。さらに古代文明が生み出した危険極まりない術を用いて、敵対するもの全てを滅ぼした。で、戦争を終わらせたのはいいが、強大な力のせいで世界がメチャクチャになった。だから、奴らは決して平和の象徴なんかじゃないんだ。この辺では、英雄どころか災いを招く悪魔の象徴とされている。だからみんな忌避しているんだ」

 脅し文句のようなエネミオの口調と相まって、その迫力は相当なものである。トマは圧倒され、しばしのあいだ言葉を失ったが、やがてハッとして叫んだ。

「ということは、まさか、ロスト・エラの……!」

「ああ、そうさ。歴史については、俺よりもアカデミー出身のお前の方が詳しいだろう? オーファが旧世界の末期、ロスト・エラの終焉クァタナル・デフィリースドに関与したのはまず間違いないらしい。つまり、旧世界が滅んでシーレが誕生したのは、オーファのせいでもあるってことさ」


(そんな者の力を借りようとしているのか!)

 

 とは思ったが、会わなければならないことに変わりは無かった。たとえオーファが身震いするほど恐ろしい相手であろうとも、一縷の望みとして残された救国の光を、自分の気の弱さや勝手な判断で手放すわけにはいかない。

「悪いけど、オーファが住んでいる場所、教えてくれないか?」

「ああ、勿論いいとも。待ってな、地図に書いてやるから。確か、……じいさんと二人で暮らしているとか聞いたな。正体を隠してひっそり暮らしてるようだが、さすがに管理局の目は盗めんさ」

 そう言ってエネミオは机の引き出しから配布用の街の地図を取り出し、目的の場所に印を付けてくれた。トマはその様子を見ながら、徐々に自分の中で緊張が高まってくるのを感じていた。

「……ところで、君はどんな人物だか知っているのか? そのオーファ……」

「いいや、俺はこの目では見たことがないからわからんな。……何だトマ、そんな死人みたいな顔するなよ。取って食われたりはしないって。……多分な」

「……正直、不安で仕方ないんだが」

「なあに、会ってみればわかるって。心配するな、骨はカルフィノ・ファリ管理局が拾ってやるからよ。頑張って行ってこいや!」

 エネミオなりの激励をしながら、トマの背中を力任せに叩いて送り出した。

「いてて……」

 とにかく、オーファに辿り着くまであと一歩のところにいるのは間違いない。トマはエネミオに礼を言うと、役場を後にした。そして、期待と不安を抱きつつ、渡された地図に記された場所に急いだ。

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