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煌空の輪舞曲 〜Ronde of the sky-universe Seare〜  作者: 暁ゆうき
第九章 メルセニアの亡霊
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要塞の一夜 ~天使の詩~

 ドルトス・メルセニア本土の最北東にあるシュナッツォ要塞は、戦争と無縁のまま長い時間を過ごしてきた大規模軍事施設である。他国への侵略が進むにつれ本土での戦闘とは無縁になったメルセニアだが、取り分け戦線とかけ離れた位置にあるこの要塞などは、分裂戦争の終結後は戦火に巻き込まれることもなく、古めかしい建造物と成り果てていた。積極的な侵略行為と強硬な支配体制により、本土上での戦いというものが見られないためである。

 北方空域の支配者ドルトス・メルセニア帝国の版図は広く、その本土は、南北に細長い大型の浮遊大陸で、南部は涼しく穏やかで過ごしやすい気候だが、北部は容赦の無い寒冷な気候である。半島を含む最北東部はその大部分が凍土に覆われた過酷な自然環境で、一年を通して季節の変化が乏しい極寒の地である。この日も、最北に位置するシュナッツォ要塞の屋外は一寸先の視界さえ得られない強烈な吹雪に晒されていた。

 誰しも、このような辺鄙な場所に居座りたくはないだろう。軍人や役人にとっては恐るべき転勤……いや左遷先に他ならない。

 そんな常に最小限の人間が置かれているだけのこの拠点には珍しく、今夜は大勢の人間が駐留しているのだ。それはもちろん、メルセニア帝国所属のラフ・ラリングス討伐軍団である。


 今、シュナッツォ要塞内の大講堂では、まるで天使が降臨したかの如き美しい響きが鳴り渡っていた。派遣軍団に同行している詩人レゼリスの甘美な歌声と澄み切った竪琴の調べが、娯楽の無い要塞に滞在する軍人達の心を癒し、憩いの時間を与えているのだ。中には離れて久しい家族や故郷を思い出し、望郷の念から涙まで浮かべる者すらある。レゼリスの持つ天賦の才能は、一晩の内に全軍に知れ渡るところとなった。

「すまねえな、レゼリス。成り行きとは言え、お前まで巻き込んじまって」

 一仕事を終えたレゼリスを、ドゥハルグが労った。

「君が謝る必要はないよ。こうやってみんなを鼓舞して、少しでも元気を与えられるなら、何も言うことはないさ」

「そうかよ。全く、お前のお人よしには頭が下がるな」

 ドゥハルグには呆れ半分、賞賛半分といったところだ。

「……だが、確かに感謝されてるだろうぜ。猛吹雪のせいでこのシケたデカブツに足止めとくりゃ、兵士達には相当鬱憤が溜まっているだろうからな」


 ──今回の討伐作戦。その目標である神獣ラフ・ラリングスは、離島にある遺跡建造物内部に潜んでいる。そこまで艦船で直行できれば何ら問題はなかったのだが、突然の天候不良に加えて、深海から吹き上がるメナスト干渉流の影響が強すぎて、事が思うように運ばなかった。そのため、軍隊は目的地の最寄にあるこの図体ばかりの古めかしい要塞に足止めを喰らう羽目になってしまった。


「それにしても、今回投入されたこの戦力の規模はどうだ。まるで、戦争でもおっ始めるみたいじゃねえか。あの宰相閣下、一体何を考えているんだかな」

「確かに凄い人数だよね。でも、あの人は君にとっての命の恩人なわけだし、僕は悪く言うつもりはないよ」

 レゼリスは長年大切に使ってきた竪琴の手入れをしながら、そんなことを言った。彼は植物性のオイルを柔らかい布に馴染ませ、それで竪琴の表面を丁寧に磨いているところだ。

「いや、まあ……そうとも言えるけどよ。あいつは明らかに普通とは違う部分があるし、信用できねえんだよ」

 ドゥハルグは用心深い男だ。彼は宰相バルナザームの絶対的な自信と悪魔的魅力に惹かれながらも警戒は怠らなかった。時折顔を覗かせる、人間離れしたバルナザームの異質な存在感が、嗅覚に優れたドゥハルグにはこの上無く不気味なものに感じられるのだ。例え、彼が名高き帝王グナディアスに認められるだけの能力の持ち主であっても、それは信用する理由にはならない。影の宰相と呼ばれる人物は、やはり影に彩られた部分が多すぎるのだ。

「まあ、その本人が、まだこの要塞にすら到着していないって話だがな」

 それを聞いて、竪琴を片付けていたレゼリスの手が止まった。

「……えっ、そうなの? それはまた、ずいぶんと余裕のある行程だね。あの人が指揮をとるんじゃないの?」

 少し驚いた顔で、ドゥハルグの顔を直視するレゼリス。

「いや、あいつが直接この軍団の指揮をとるわけじゃないんだと。別の人間が司令官に任命されているとか」

「だからゆっくりでもいいわけか……」

 レゼリスは違和感を覚えたらしかった。

「ゆっくりって言っても、いきすぎた重役出勤ってやつだな。何を考えているんだか知らねえが、こんなことを平然とやってのけるあたり、俺にはどうも腹黒く思えて仕方がねえ」

 ドゥハルグは皮肉を込めて言ったつもりだが、レゼリスは思索を巡らせているらしく、だんだんと難しい顔になっていった。

「ねえ、ドゥハルグ。どうしてグアディニス様は、彼みたいな素性の知れない人間を側近にしておくんだろうね。実際には存在しないのに、宰相なんて地位を与えてまでさ……」

「さあな。俺達がいくら考えたって、天辺にいらしゃる帝王さんの考えなんざわからねえだろうよ。だが、それほどまでに寵愛されるあいつの実力とか、本性については、今回の作戦で少しはわかるかもな」

「うん……そうだね」

「それよりも、だ」

 ドゥハルグは自身のたくましい両拳を胸の前でかち合わせ、にんまりと笑みを浮かべた。

「ラフ・ラリングスのことだが、とにかく俺の闘争心を刺激してくれる相手であることを願うばかりだな。桁違いの化け物とくれば、俺の血が騒ぐからな」

 闘志をたぎらせるドゥハルグを見て、レゼリスは高く整った鼻からふぅっと溜息を吐き出して、あとはただ呆れるばかりだった。

「もしかしたら死ぬかもしれないっていうのに、ずいぶんと嬉しそうだね、君は。この前、酒場で会った時とは比べ物にならないくらい活き活きしているじゃないか」

 ずっと呆れ顔のレゼリスの前で、ドゥハルグは震えるほど強く自分の拳を握り締め、夢見る少年のように目を輝かせている。

「おおよ! 命を賭けた殺り合いほど、俺の心を熱くさせるものはないからな。それに、死神が死を恐れてどうするよ」

「……これだものな。本当に困った性分だね、君って男は。ちょっとは心配する側のことも考えて欲しいところだよ。……まあ、目標ができただけでも、良しとすべきなのかなあ……」

 友人の、ギリギリのラインで生きたがる性分は相変わらずである。レゼリスはドゥハルグに命の尊さを悟ってもらいたいが、その方法がなかなか思いつかない。

「……なあレゼよ。よく覚えてないんだが、確か伝承にラフ・ラリングスに関する記述があったよな。お前、そういうの詳しいだろう、聞かせてくれよ」

「そうだね。確かにあるにはあるけど、本当にほんの少しだよ。現代に残されている旧世界の伝承は、歴史資料としては全然アテにならないから、参考にはならないと思うよ?」

「構わないから、わかる範囲で教えてくれよ」

 今のドゥハルグは、まるで大人にお話をねだる子供のようである。レゼリスはそんなドゥハルグに強請られて、断片的にしか残っていない叙事詩の中から、使えそうな部分を抜き出してドゥハルグに教えようとする。

「ラフ・ラリングスは『光翼……つまり、光の翼を持った神獣』。そして『ロスト・エラの最期、終焉クァタナル・デフィリースドにも関与した』とされているね。当時は大空を統べるものとして、人々から崇められていたらしいよ。それが神獣と言い伝えられている理由なんだろうね」

「滅びた歴史、旧世界の魔物ってことだよな。……まあ、それはいい。それよりも光翼ってのが気になるな。まず、空を自由に飛べるような奴なら、どうしてそこらへんを飛び回ることもせず、同じ場所に居座って、途方もない年月、律儀に過ごしてきたかだ」

「そうだね。確かに、ラフ・ラリングスは今まで姿を見せなかった。空を統べるはずの存在が、空の世界である煌天世界の人間に目撃されていないのは不思議だ。伝説の魔物がこんなに近くにいたなんてびっくりだよね。目立たないように、人知れずロスト・テクノロジーが眠る古代の遺産を守り続けてきたのだろうか?」

 それからレゼリスは少しばかり天井に目をやって思案したが、なおも納得がいかない面持ちであった。

「……でもさ、神獣は危険なテクノロジーの遺産を人間に渡したくないんだから、僕達を危険から守ろうとしているとも言えるよね。魔物と言われているけど、人間を襲ったりしないことだってわかっているし、考えれば考えるほど、『ここに近づくな』って言う忠告には素直に従った方がいい気がしてくるんだ」

「それは、俺もそう思う。奴が守りたいものは、世界を滅ぼした文明の遺産なんだ。ヤバい代物に違いないだろうさ。……だが、どうもあの宰相は、遺跡やテクノロジーよりも、ラフ・ラリングスを殺すことが一番の目的みたいだぜ。それこそ、執念に近いものを感じたからな、あの時は」

「うーん、ラフ・ラリングスや遺跡のことも気になるけど、宰相がどうしてそれ程までにラフ・ラリングスにこだわるのか、それが一番気になるね」

「まあ、気にならなくもないが、俺は強い相手と闘えるんなら、それで満足だ。……大輪の花の散り際は派手でいいもんだ。自分好みだぜ」

 胸躍らせるドゥハルグ。しかし、レゼリスは複雑な心境である。

 何気なく口にした言葉だろうが、自分の闘いを散る花に例えるあたり、やはりこの戦いに臨むのに、死をも厭わぬ覚悟があるのではないだろうか。

 レゼリスはドゥハルグが失っていた生きる熱意や闘志を蘇らせていることに嬉しさを感じながらも、彼に安易に命を投げ出させないための方法がないものかと、ますます真剣になって考え始めていた。

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