再会、そして……
~煌天暦二百六十五年 ドルトス・メルセニア帝国本土某所~
活気に満ちた酒場の賑やかさの中にあって、静寂を湛えた金髪の青年が一人──。
気品と精悍が同居する中性的な顔立ち、優しさと知性を携えた瞳。服の袖から雪のような白い肌を覗かせ、細身の体格に儚さを漂わせた、何とも浮世離れした美貌の持ち主である。
威勢のいい盛り場の中で、彼の容姿は異彩を放つ。活気に埋もれて目立たなくとも、柔らかい照明に照らされ、孤高の空気をかもし出していた。
彼は自分の荷物の中から使い込まれてはいるが、しかし見事な造形美を誇るひとつの竪琴を取り出すと、しなやかで美しい指先で、その弦を爪弾いた。
ポロン。
柔和で深みのある音色が空間に弾み、聞こえ渡る。それから、彼はこの騒がしい酒場の中で調律を始めた。
この活気に満ちた大音量の中では、竪琴の音などは荒れた海に浮かぶ小さな漁船の如く、簡単に飲み込まれ、かき消されてしまうに違いない。
だが、彼が指を躍らせ音を奏でる度に、酒場から徐々に雑音が消えていくのである。それほどまでに、彼の奏でる竪琴の音色は人々の気を引いた。
そして彼が調律を完全に終える頃には、酒場は物音ひとつない程に静まり返り、誰もが美しい風采と只ならぬ雰囲気をもったこの音楽家に対し、熱い視線を注いでいたのである。
彼は自分の呼吸を感じながら、竪琴の繊細な調べに乗せて、静かに詠い始めた。
その歌声の美しさは、まるでこの世のものとは思えなかった。優しく澄み切った天使の福音とは、このようなものに違いない。染み込むような深い叙情を大いに含ませては、場を自らの詩で包み込んでいく。そこに同調した竪琴の甘美な旋律が加われば、それは女達を蕩けさせるのはもちろんのこと、男の心さえ奪いかねなかった。
──今、彼が歌い紡ぐのは、世界の滅びと再生、絶望と希望の一編。
歴史より生み出された記憶の詩である。
邪なるもの その名はロトゥプス
果て無き闇より 現れし
全てを滅ぼす憎悪の怨塊
紛うことなき 死の化身
揺らぎ続ける 破壊の虚影
混沌と 絶望と 避けられぬ終焉をもたらすものなりき
今ここに 抗うことの出来ない滅びが迫る
天は 暗雲に遮られ
大地は生命を枯渇され
もはや世界は 滅びに向かうのみ
そう定められた
ロトゥプスが告げる最後の刻を
人々は 迫り来る破滅に恐怖し 戦慄するも
母なる大地に逃げ場は無く
ああ もはやどこからも笑顔は失われた
だが 幸いなる哉
空を仰ぐ人々の
希望は 最後まで費えず
真実の炎が導いた
剛毅なる女神 御名はネア・ミア
強さと美しさを湛えし 愛を司る女神
威光と共に 天空より降り立ち
生を望む人々と 手を携え 邪神に挑んだ
凄まじき死闘が繰り広げられる
いつ果てるとも知れぬ応酬と
無限たるロトゥプスの闇の前に
傷つき倒れていく戦士達
暁の空すら血で染まるが如く
疲弊してゆく森羅万象
消滅していく 世界の根源
なおも聞こえる 死神の足音
おお やはり滅びは避けられぬのか
誰もが 目前に迫る闇を垣間見た
いや! 汝 諦めることなかれ
信じよ 母なるネア・ミアを
祈りを捧げよ 我らが神に
おお 慈悲深き純白の女神
その友愛に彩られし御手で 我らを救いたまえ!
人々の信仰がひとつとなり やがて戦いの女神を光と輝かせる
力を増した女神の腕より
天をも引き裂かんばかりの神聖なる一撃が放たれ
猛る邪神の心臓を貫いた
滅びの神ロトゥプスの最期
轟きと共に 闇の向こうへと消え去った
僅かに残されていた 世界の命を道連れにして
人々は救われた
しかし 延々と哀しみは消えず
失われたものは 計り知れず
母なる大地は 見果てぬ夢となった
我らは 自らの犯した罪を 思い知った
それでも 女神は 世界を見守っていようか
女神は 我々を見守っていようか
我々は信じ 煌空の元に生き続ける
透明な空の向こうに 希望を届ける
シーレの世界 変わらぬ夜明けと共に
『ポピュラーな伝承より、独自の解釈による改変を加えた詩』
曲が終わると、少しの間を置いてから、惜しみのない拍手が巻き起こった。
感動に心を打たれた人達が詩人の周りに集まって、賞賛の言葉をかけたり、お金を渡したりする。それらオーディエンスの反応が落ち着くと、酒場は徐々に騒々しくなり、やがて元の喧噪へと帰っていった。
詩人は竪琴を片付けると、少ない荷物をまとめて、酒場の反対の端にあるカウンターへ向かった。そこでは、際立って目立つ立派な体格の青年が彼の到着を待っていた。詩人はその青年の隣の椅子に腰を下ろした。
「……よう。久しぶりだな、レゼリス」
口を切ったのは、カウンターで待っていた大柄の男の方だった。予想通りの、低くて重みのある声である。
しかし、発した言葉とは裏腹に、それ程喜びを表すでもない。相手の顔をしっかりと見るわけでもない。
「……やあ、ドゥハルグ。約束通り、来てくれたんだね。嬉しいよ」
相手の浮かない反応に表情を曇らせたが、詩人は明るい口調でそう言った。
酒場のマスターは先ほどの演奏に感銘を受けたらしく、自分のおごりだと言って、レゼリスに酒をプレゼントした。レゼリスは礼を言って、グラスを受け取った。
「割と元気そうだな」
「そっちもね」
僅かな沈黙が流れる。
「ずっと聴いていたが、何であんなつまんねえ詩を詠んでいるんだ。ありきたりで、その上うさん臭いやつをよ」
そう言ってから、ドゥハルグは手に持ったグラスの中身を口に運んだ。
「はは……。そう言う君は、相変わらず腕を鳴らしているらしいね。行く先々で君の勇名……いや悪名かな? 色々と耳に入ってきたよ」
「悪名か、言ってくれるな。まあ確かに、今じゃ俺の顔なり名前なりを知っている人間は全く寄り付こうともしない。逆に、命を狙って近づいて来る奴は滅法増えたがな……」
そう言うと、口角を僅かに持ち上げて、自嘲気味の笑みを浮かべた。
「だがな、レゼリス。お節介なようだが、あんな苔の生えた詩よりも、昔のような歌を歌った方がいいぜ。お前ならいくらだって成功しそうなもんだ」
「ありがとう。でも、普通の歌は……もうやらない。古臭くてもみんなが知っている詩と音楽で何かを与えてあげるのが、今の僕にとっては一番だから」
「お前らしいが」
お互いが、ふっと息を吸い込むように小さく笑う。旧知の仲、親友との再会は、静かなやりとりの中でお互いの存在を確認し合うだけで十分だった。
それから両者は流浪の冒険談、思い出したような昔話からとりとめのない世間話までを語り時間を過ごしたが、やがてレゼリスは頃合を見計らい、これこそが本題とばかり急に口調を鋭利にさせてドゥハルグに迫った。
「……話は変わるけれども、どうしても君に聞きたいことがあるんだ」
「ん、何だ?」
「最近の、君の仕事だよ。正直感心できないところがある。傭兵稼業を悪く言うつもりは無いけれど、悪党に分類される人間にも区別なく手を貸すというのは、いささか人の道に反していないか。それとも、それは何か抜き差しならない理由でもあってのことかい?」
対し、罪の意識を持っていないのか──、ドゥハルグは指摘されても表情を変えなかった。善悪を区別する方法を忘れたのか、そこに不都合なことなどあるはずもないといった風に。
「いや、仕事は仕事だと割り切っているだけさ。それに、俺のような人間が、こういった世の中には必要なんだぜ。最後まで何の価値も無く……価値はないが、役に立つ捨て駒みたいな人間がな」
すると、途端にレゼリスは眉をひそめた。そんな言葉は聞きたくなかったと表情が語っている。
「しかし、強盗や殺戮など汚い悪事の手伝いをもしていると聞いたぞ。金のためなら、無抵抗な人間を殺すという噂も聞いた。僕はもちろん嘘だと信じているが……」
「いや、それは真実だ」
レゼリスの言葉を遮って、ドゥハルグは噂の真なることを告白した。一瞬だけ愕然と表情を変えたレゼリスだったが、すぐに持ち直して相手の所業を非難した。
「どうして、そんなことをするんだ。君のような、もともと気高く正義を貫く男が、金のためとは言え、そこまで身を落とす必要があるのか」
レゼリスの声には、憤りから生じた怒気が込められている。彼は本来のドゥハルグを良く知るだけに、単にその身を案じるばかりでなく、本人が好んで荒んだ境遇に身を置いている事実に対して不満をあらわにしているのだ。
「俺を買いかぶるなよ。元々正義ぶっちゃいないさ」
「違う! 僕の知っているドゥハルグは誇り高く、悪を許さない性格だった。特に道義無き悪を憎んでいた。傭兵になる前からずっとだ」
「それは昔のことだろうが。……俺は汚い世界に漬かり過ぎたせいで、そういう風にしか生きられなくなっちまった。人間の生み出す闇に捕まって、人の生命や、俺自身が生き続けることに何の価値も見出せなくなったのさ」
「やめてくれ!」
「今じゃ、この手にかけた人間の数が思い出せねえ。悪人だけじゃない。罪の無い人間もたくさんいた。こんな人間は地獄に向かうのが筋ってもんだ。……違わないだろう?」
レゼリスは思わずカウンターの席から立ち上がると、激昂して叫んだ。
「本当に、しばらく会わないうちに情けない男になったもんだな! 君は確かに人を殺めねばならない仕事をしていた。時には罪のない人間を手にかけることもあったかもしれない。ならば、なお更、その罪滅ぼしが必要なんだろう。そしてそれが今のような形であっていいはずがないだろう!」
「罪滅ぼしだと? 傭兵には死ぬまで救いなんてありはしねえよ。死人の墓前に行って一人一人に黙祷を捧げるか? 例の女神様に世界平和の祈りでも捧げるか? それでこの血塗られた過去が償えるなら、俺はいくらでもそうしてやる。だが、俺の身体に刻み込まれた傷跡は、俺を許さねえって毎晩疼きやがる。お前にはわからないだろう、死神に取り付かれた男の気持ちは」
「……君は死神なんかじゃない。そう、僕は知っている。君があの日に掲げたものは、闇を払う光の如く輝いていた。それ以来、君はどんな時でもれっきとした正義と信念を持っていたじゃないか。汚い真似をする連中を誰よりも嫌っていたじゃないか。……では、あれは全部嘘だったって言うのか。君が掲げたあの崇高な魂は」
「さあ? ……もう忘れたな、そんな昔のことは」
「くっ!」
「そうさ……。結局、正義なんてものは戯言に過ぎない。聖人気取りの理想主義者や、偽善者の妄想でしかねえんだよ」
「……本気で言っているのか」
「ああ。俺は、お前みたいに詩で人間を救済できると思っているアマちゃんにはなれなかったってことだ」
少し前までの和やかな空気が嘘のようである。ドゥハルグの言葉と態度に、レゼリスはとうとう怒り心頭に発してしまった。彼は唇を噛み締めドゥハルグを思い切り睨み付けると、何も言い残すことなく足早にこの酒場を去ってしまったのである。
「……」
レゼリスが怒るのも無理は無い。自暴自棄の果てにドゥハルグがやつしたのは、仁義に篤い傭兵ではなく、時に人の道を外れた悪事の手伝いであり、卑劣な行為の肩代わりであった。終わりの無い殺し合いの中で自分を見失い、勝ち取った輝かしい名誉も失われ、気付けば地獄の淵に立っていた。それが今の自分の姿だ。
(だが、これでいい。無駄な手間が省けたんだからな)
誰にも聞こえない心の呟きを発し、ドゥハルグはグラスの中に残された酒を全て喉に流し込んだ。
(そう、これでいいんだ。これでいいんだぜ、レゼリス。もうすぐいなくなる俺のことなんて、とっとと忘れちまえよ。それは今後の、お前のためなんだぜ……)
* * *
それから数日の後、ドルトス・メルセニアのとある市街で、ひとつの公開処刑が執り行われることになった。そこには、罪人としてこれより死刑が科せられるドゥハルグの姿があった。
処刑場の周りは、名誉と悪名の両方を極めた傭兵の最期を見てやろうという人や野次馬で埋め尽くされ、尚も見物人は増え続けていた。
「この罪人ドゥハルグには、傭兵という名目で盗賊団の一味に手を貸し、夜間に富豪ワムカール氏邸宅を襲撃、同氏の邸宅にて殺人、暴行、窃盗という一連の悪事に助勢した挙句、最後に邸宅に火を放ち、逃げ惑う使用人たちの口を封じるため手当たり次第に殺害し、さらには駆けつけた自警団の命をも躊躇い無く奪ったという明白な証拠がある。よって、これより刑法に照らし合わせ、公開処刑を執行する」
背の高い帽子をかぶった、赤いローブ姿の役人が告げた。手枷をはめられたドゥハルグは観念している様子で、罪状が述べられる間はずっと瞳を閉じていた。
それから彼は執行人によって引き立てられ、ゆっくりと処刑台へと向かっていった。その途中で、観衆の中から飛び出すひとつの影があった。
「ドゥハルグ!」
「よお、レゼリス。……俺の最期を見に来てくれたのかい。嬉しいねえ」
「悪い冗談はよしてくれ! 一体、これは一体、どういうことなんだ!」
「見ての通りさ。大悪人の見事な散り際ってやつだ。悪くねえだろ」
「馬鹿な! 馬鹿げている! こんなことがあるはずがない……。嘘に決まっている!」
レゼリスは甲冑姿の兵士に観客の中へと押し戻されそうになりながらも、力の限り叫び続けた。
「待って、彼を殺すのを、待ってくれ! これは何かの間違いだ、彼は何もしていない! 彼はそんな人間じゃないんだ! ……」
大事な喉をも潰さんばかりに、ドゥハルグの無実を叫んだ。だが、それを聞き届ける者などあるはずもない。罪人は処刑台の階段を上り、着実に死へと近づいていった。
「こんな……。こんな最期で……あっていいの……こんな……」
レゼリスは脱力した。少年の頃、共に夢を語り合った無二の親友が今、悪人として裁かれようとしている。
「……ドゥハルグって、あの『死神ドゥハルグ』だよな? まさかあの有名な傭兵が、こんなところで罪人として殺されるとはなあ」
「昔は正義を重んじる、汚い仕事をしない男で知られていたのにねえ……。この頃では極悪人どもと手を組んで、悪事を働いていたって言うじゃないか」
「あいつはただの人殺し野郎で、ついたあだ名が死神さ。全く、仁義の一匹狼も地に落ちたもんだな」
「おい! 早く殺しちまえよ!」
周囲の市民達がドゥハルグのことを好きなように言っている。しかし、レゼリスにはそんなことはどうでもよかった。彼は歯を食いしばり、拳を握り締めながら、処刑台を睨みつけていた。
──事件が起きたのは先日の夜だ。
この市街にある資産家の邸宅に強盗が徒党を組んで押し入った。そして、その先頭にドゥハルグの姿があったのである。彼は盗賊達の手助けをし、さらには駆けつけた市の自警団十数名を事も無く斬り殺した。
最終的にはメルセニア軍隊までもが集結し、邸宅近郊を封鎖。盗賊達が捕縛されたり、かろうじて逃走する中、孤立したドゥハルグだけがまるで悪鬼に取り憑かれたが如く、迫り来る兵士達を圧倒する。この最強の傭兵に敵うものなどいるはずもなく、夜の闇の中で鈍く輝く彼の薙刀は血を吸うことを悦んでいるようにさえ思われた。
──にも関わらず。結末は実にあっけないものだった。新たにやってきた兵士達がドゥハルグを取り囲むと、彼は武器を捨て、いとも簡単に降参したのである。まるで、やるべきことを全てやったかのように。
処刑台の上で膝をつくドゥハルグ。公開処刑は今、まさに執り行われようとしていた。罪深き傭兵は天を見上げ、その目に最期の景色を焼き付けた。
(最期に、このシーレの美しい空を眺められて良かったぜ。……あばよ……)
そして、ドゥハルグは瞼を閉じた。一人の豪傑がここに命を散らす、その瞬間であった。
(……?)
待てども一向に途絶えない意識、絶えない自分の生命。ドゥハルグはいぶかしんで、目を開いた。後方に目線をやると、そこでは大斧を構えた処刑人が、後からやって来たらしい見慣れない制服を着た人物と言葉を交わしていた。
(何だ?)
その後の展開はもはや誰にも予測の立てられないものに違いなかった。
処刑が決まっていたドゥハルグが処刑人と制服の男に連れられて、上ってきた処刑台の階段を、今度は下り始めたのである。
「中止! 死刑は中止だ! このドゥハルグには特例が適応され、死罪を放免にするための猶予が与えられた」
執行人が大声で周囲にそう告げた。死刑直前での執行中止という異例の出来事に、観衆はどよめき、ざわついた。当のドゥハルグも、どんな理由があれば自分の命が助かるものかと思い、全く状況を理解できずにいた。
それから、ドゥハルグはドルトス・メルセニアの兵士達に連行され、とある施設の地下牢へと投獄された。彼は隔離され、そこで悶々とし始める。
「何故だ。何故、俺はまだ生きている? 死地を求めて、悪事を働いたはずだぜ……」
ドゥハルグは頭を抱えて自問した。悪人として死することが、世間への罪滅ぼしだと信じ起こした行動だった。それがどういうわけか、投獄されて未だに存命している。
こうして彼は、生き長らえていることに苦悩しなければならなくなった。牢の中で命を絶つことも考えたが、自分の身に何が起きたのかを知るまでは死ぬ訳にはいかないと思い、それを思いとどまった。