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その力、誰がために

2012/06/07……全体を見直しました。

 緩やかな曲線を描く優美な船影と、航行中であることをほとんど感じさせない居住性の高さ。それらの特徴から『女神のゆりかご』の愛称で親しまれているグ・アルジーラス級客船フィンネイルド号は、シーレの非武装船の中でもトップクラスの安全性、信頼性を誇っている。特徴的な、楕円形のお椀をひっくり返したような重量級の船体は頑丈さに優れ、それが安全性を高めることに貢献している。

 ただ、それと引き換えに船足が遅い。高速化の傾向がある最近の海賊船から逃げ切ることは明らかに難しい。そこで、もち持ち前の大出力を活かすのである。

 大型動力炉のパワーがもたらす垂直移動の速度は、正規空軍の巡洋艦にひけをとらない。自由な高度まで迅速に到達できるということは、この世界では非常に大きな利点である。それは追手との距離を稼ぐ際に有利だというだけの話ではない。一気に高度を下げられるというのが、ここでは重要なのである。

 得てして、大型船というものは目立つもの。目視、センサー、どちらでの場合においても、船体と魔晶反応の大きさが仇となり、通常高度では発見されやすい。姿ををくらませるためには、視界が悪くセンサーが正常に機能しない魔晶飽和層キャニノゥ付近を飛ぶのが、非常に危険ではあるが最も効果的なのである。そして、その超低空を通過する航法の絶対条件、限界深度領域の航行に耐え得る船体強度とエンジン出力を、このフィンネイルド号は兼ね備えているのである。これらは海賊船には出来ない芸当である。


 今、アーシア達を乗せた女神のゆりかごは上昇を終えた。船は先程の戦闘空域へ引き返すべく進路をとろうとしている。姿勢制御用の魔晶エネルギー噴射スラスターが方向転換を補助し、推進用プロペラが唸りを上げ、噴出ノズルからさらなる推力を得て、船体が風を切って進む。それは確実に巡航速度を上回る航行だった。

「いやあ、しかし言ってみるもんですね!」

 周囲を取り巻く鮮やかなスカイブルーの大空を瞳に映しながら、トマが喋った。時間経過で落ち着きを取り戻した彼の顔色は、もうほとんど正常に戻っていた。

「これは英断ね。感謝しなくっちゃ」

 広大な空の景色を見つめながらアーシアは頷いた。

「でも、今更こんなことを言うのもなんですが。危険を冒してまで戻る必要が本当にあるんでしょうか? こちらには大勢の人が乗っていますし、他国の船の問題なんて放っておけばいいような気もします」

 そういったトマの意見を受け、アーシアはそんなことはない、とばかりに首を左右に振った。

「海賊が軍艦を襲うなんてことは、まず滅多にないことだわ。何かしらの理由があるはず。あなたの言うように、この船の乗客には申し訳ないけど、あの軍艦は絶対に守らないといけない……」

 また、これは決して無謀な賭けではない。関係のない大勢の乗客を巻き込むことは避けられないが、この客船とアスト・ソレイジアの軍艦、その両方を生存に導くだけの自信がこの時のアーシアにはあった。

「わああ。風、気持ちいいーー」

 そんな彼女の傍らでは、葵が雄大な紺碧の景色と清々しい風の流れに身を委ね、絶品の心地よさを味わっていた。

 現在の航行はやや高速ではあるが、甲板上を吹きぬける風は穏やかだ。この空域は適正高度ならば強風が吹いているわけではないし、速度を上げても風の抵抗がさほど強くならない傾向がある。甲板の上でも心置きなく風を切って進む船の力強さと空の美観を感じることができるのだ。

「はあー。しっかし、本当に見渡す限りどこまでも空だよな。ここじゃあこれが当たり前なんだろうけどさ。すげえよな」

 甲板のさらに上空を、翼を広げた渡り鳥の群れが飛ぶ。やがて彼らは左に向きを変え、飛び去っていった。こうした純粋な鳥類だけではなく、空の世界シーレには飛行するための能力を獲得した多種多様な動物や魔物が生息している。それもまた、地球人には斬新かつ新鮮なものだ。

「俺達の知っている空よりもずっときれいに見えるのは気のせいかな? こっちの世界の空気が汚れてないからかな」

「でも、きっとそれだけじゃないよね。なんていうか、こう──空全体がきらきらしてるみたい」

 何が光っているのかはわからないが、空が煌く。天上から光が差し込む光景も時折見られる。本当に美しい空の世界だ。

「でも、空なんだけど、どこか海みたいなんだよな。高度が下がるほど厳しい環境になったりさ」

「うん。だから、ここの人は空の事を海って呼んだりするのかも。本当の海は知らなくても、私達が海に対して持っている印象を、感覚的に持っているのかも」

 シーレの空は不安定でとても変わりやすいとアーシアが教えてくれた。地球の海もそうだ。いつも穏やかとは限らない。やはり、どこか似ている。

 今は大人しい空模様だが、魔晶元素の乱れが生じると船が航行不能になることがあるそうだ。そんな時には空に留まることは難しいという。空の世界は果てしなく美しいが、人間が生きるには過酷な環境のようだ。

「さぁて、残念だけど楽しいクルージングはもうお開きよ。みんな、そろそろ船内に戻ってちょうだい。ここにいると危ないからね」

 交戦ポイントに近くなり、アーシアが面々に避難を促した。

「ええ、そうですね。じゃあ、みんな船内に戻ろう。ここにいてはアーシア様の邪魔になるだけだから」

 恵悟達の背中を船内に続く扉の方に押しながら、トマはちらりと目をやった。そこには黒いマントをはためかせながら屹立する、勇ましくも美しい後姿があった。

 特別な存在であるオーファ・アーシアと、姿は見えないがサウル・リシュラナである。彼女達には、力ある者としての責任や宿命が死ぬまでのしかかるのだ。今や世界情勢に無関係ではなくなった彼女達。その行動がシーレの趨勢すうせいを決定すると言っても過言ではない。

 この先、間違いなく、彼女達はとてつもなく大きな運命を背負うことになるだろう。トマは、そう予感している。空に飲まれた滅びかけの煌天世界がそれを望んでいるのではなかろうか、と思ったりもする。

「アーシア様、あなたは……」 

 声をかけたい。だが、咄嗟には言葉が出てこなかった。励ましの言葉なら簡単に言えたはずなのに、それすらも口からは出なかった。

 だが、それでいいのかもしれない。今のトマは、出来ることならばこれから先もずっとアーシアの手助けをしていきたいと、そう決意したばかりなのだから。

 先に船内へ戻った恵悟と葵は、船外で佇立するトマの後姿を見つめていた。こちらの二人は先程のトマの事件に直接関わっていないだけあって、立場が全く異なっている。

「……ねえ、ケイ君。アーシアさんてば、あーゆー態度、ちょっと冷たいと思わない? 私達はともかく、トマさんにさ」

 葵が恵悟に耳打ちした。

 もちろん、彼女はアーシアを嫌ってそんなことを言ったわけではない。ちょっとの嫉妬はあるけれども、女性として尊敬しているくらいだ。

「そんなことないって。葵、考えすぎだろ」

「そうかなァ……。だって、ずっと背中をこっちに向けっぱなしだし……。トマさんだってさ、何か一言でも言ってあげればいいのにって思っちゃう」

 甲板上で交わされている無言のやり取り。それを察することは、葵にはできなかった。絶妙な距離を保った信頼関係には言葉が不要だ。表面上のぎこちなさと誤認すれば、冷めたものにしか見えなくても無理もない。

「多分、今回はこれでいいんだよ。俺達の考えることは、きっとお節介てやつだろ。さあ、俺達も邪魔になるし、戻ろうぜ」

 恵悟は空気を読んだ。今の両者の間に言葉は必要ないのだろう、と。心の機微に足を突っ込むのはひどく野暮な真似に違いない。恵悟は体の正面をを船内に向けた。

「えー。これでいいって……どうして?」

 思案顔の葵は、眉間にしわまで作っている。

「ほら、置いてくぞ」

「あっ、待ってよぅ。ケイ君ー!」

 腑に落ちないままの葵は、立ち去ろうとする恵悟の背中を真っ直ぐに追いかけた。少し遅れて、トマも船内へ戻った。


 *  *  *


 他の面子がいなくなったことで、アーシアは気兼ねなく立ち回れるようになった。彼女は大きく息を吸い込むと、迷い無き双眸を空の遥かに投げやった。そして、己が視覚に意識を集中した。

「見えた。……まだ交戦中、か」

 遠距離小範囲型に特化された視界に映り込んだ船影は、間違いなく先程の軍艦と海賊船だ。見た目でわかるダメージの蓄積は確実だが、幸いにも軍艦は健在である。戦いは継続中だが、この様子ならば救出は間に合いそうだ。

 アーシアは跳躍まじりに甲板上を駆け、やがて大きく空へと飛び出した。

 飛翔アリアの術は未使用である。

 ケープ状のマントがバタバタとはためき、竜翼の髪飾りが太陽光の反射を受けて鮮烈なまでの輝きを放った。目の覚めるようなブルーの空に身を任せたオーファはそのまま落下するとばかりに見えたが、パートナーであるサウル・リシュラナの腕の上に降り立って、さながら女神像の如く凛々しく佇んだ。

「ん? あれは……」

 戦況の詳細がわかってくると、それが予想よりも大きな変化を遂げていたことに気付く。攻勢だったはずの海賊船に、いくつもの空を舞う黒い影がまとわりついている。それは、翼を携えた飛竜の姿だった。

「へえ、あれが噂に名高きアスト・ソレイジアの飛竜騎士か……。なるほど、高度が上がって通常空域に戻ったから出撃したのね。海賊側の誤算か、あるいはソレイジア側の策が当たったか……」


 ──飛竜騎士。

 旅慣れたアーシアですら初めて目にする特殊な兵種。シーレ中において圧倒的に生存数が少なく、一部の浮遊島・大陸にしか生息しない小型の飛竜(純血モグナート種)にまたがって天空を翔ける騎士達。そうそうお目にかかれるものではない。

 ご近所の空で多大な戦果をあげているにも関わらず、多くの理由からトラシェルム帝国くらいの大国でも全く定着していない兵種だ。


「なかなか格好良いわね。せっかくだから、ゆっくりお手並み拝見といきたいところなんだけど、そうも言ってられないみたいね。……戦況的には」

 この空域にもう一隻の海賊船がいるのは既知の事。今、飛竜騎士が相手にしているのは一方の海賊船のみで、しかも今もう一隻の海賊船から強制接舷用のアンカーが軍艦目掛けて発射されたのである。大型カタパルトから撃ち出されたアンカーは猛烈な勢いで宙を走り、アスト・ソレイジア軍艦の右舷装甲に深々と突き刺さって先端を展開した。

 そのまま間髪入れず、第二射のアンカーが軍艦のわき腹に命中。繋がった二隻は二本の強固な魔晶特殊鋼のワイヤーによって接続され、いまや両者とも逃げられない状態になった。

 このまま距離を詰められ接舷されれば、たくさんの海賊達がソレイジア艦内になだれ込むのだ。海賊にも実戦でならした腕がある。白兵戦となれば、そう簡単に撃退できる相手ではないだろう。しかも肉弾戦の主力である飛竜騎士が出払っているのだから、恐らくアスト・ソレイジア艦の戦力は手薄であるに違いない。


 ──ひらり。


 アーシアは小さくジャンプすると、今度はリシュラナの背中に飛び乗った。白銀の甲冑はすぐに高速飛行を開始し、やがて鳴り響いた重い破裂音は、リシュラナが海賊船と軍艦を繋ぐワイヤーを切断した時に発せられたものだ。張力が突如消滅し、二隻の艦船は大きくバランスを崩した。

 この時にはもう、リシュラナの背中にアーシアの姿はなかった。彼女はすでにアスト・ソレイジア艦の甲板上に立っていた。

「デオ・サスパ・レズア・リセル。白の女帝、黒琴が音色に導かれ禍と化す。星皇、女帝を救いて永遠(とわ)の契りを交わす。トロン・エ・トローリオ・ラグナ。星海の舞曲と呼ばわるもの、これ白星一体の背骨にして、破戒の雷なり。貴き至高の魂よ、不浄を捨て、純潔なる力、光となれ」

 太古の呪文を詠唱しながら、左手で印を結ぶ。みるみるうちに、アーシアの前に幾何学的な古代術の文様が描き出されてゆく。時に白く、時に黒く染まり、明滅する美しい古代ルーン文字が術者体内のメナストに反応し、さらに輝きを増していった。

「粗暴な海賊さん、ごめんね。でも……あなた達が悪いのよ。少しは反省なさいな」

 詠唱を終えたアーシアは、僅かに憐憫の眼差しを見せた。

白光星槌リセア・オウ・ラグナ・スドゥーム……!」

 古代ルーン文字の中心から打ち出されたのは一発の眩い光球。しかし、放たれた方向は目標であるはずの海賊船目掛けてではなく、見当違いな上空である。

 光の球体はシーレの天よりもさらに高く舞い上がり見えなくなった。その後、すぐには何も起きなかったが、やがて光球は姿を変え、圧倒的な威力を持つ破壊の鉄槌となった。それは狙い済ましたように、海賊船に向かって落下し襲い掛かってゆく。海賊の頭上に、まるで隕石のような光塊が降ってきたのだ。

「三発か。……もっと砕ければよかったけど、今はこれが限界かしら」

 星槌は第一弾は大きく外れ、二発目は船の外装をかすめた程度、三発目は海賊船の退避行動もあって命中せずに終わった。本来真価を発揮する拠点破壊・大規模殲滅とは用途が異なっていたのが、効果が薄かった一番の理由であろう。

「やっぱり、ほとんど外れちゃった。まあ、初めてにしてはなかなか悪くないコントロールだったわ。これなら、地上では実用的かもしれないわね」

 眉の上に平手をかざし、日除けのようにして戦果を見る。アーシアは新しい術の発動にご満悦だ。海賊とは言え人間の乗った船を相手に覚えたての術の実験とは、なかなかえげつないことをする。

 それにしても、慌てたのは術を喰らった海賊側である。隕石かと錯覚するような巨大な光が機関部をかすめて、動力伝達機構に深刻なダメージを受けてしまった。スラスターの一部が使い物にならなくなった上、推進用のプロペラがへし折れたり捻じ曲がったりで使用不能になった。姿勢制御もままならず、沈没とはいかないまでも、中破以上の損害を受けたことは間違いなく、低速での飛行にも支障が出ているようである。

「あら、逃げちゃうの?」

 海賊船はやむなく向きを変えて、この空域を離脱しようとしている。その見た目は痛々しく、左弦からは黒い煙をぼうぼうと吹いてるし、このまま放っておいてもそのうち墜ちそうだ。

 これ以上の追撃は必要ないだろう──そう判断し、アーシアはこの海賊船を見逃してやった。

「あとは残る一隻だけど。さて、どうかしら」

 アーシアはさっと振り向いた。だが、もう一方の決着は、彼女が強大な術をかましている間についていたようである。飛竜騎士達は海賊船を完全に制圧し、海賊達を次々とお縄にかけていた。甲板上に続々と無抵抗になった海賊達が引っ張り出されてくる。

「へえ、やるわね。さすがは精鋭アスト・ソレイジアの飛竜騎士団」

 アスト・ソレイジア艦は、これから牽引用のワイヤーを海賊船に結びつける作業に入るようである。海賊達は縄にかけたまま艦内に収容し、拿捕だほした海賊船はこのまま引っ張って本国へ運ぶつもりなのだろう。

「では、ここにいたら面倒になるし、ささっと退散するとしますか。……リシュ、協力ありがとう。帰りましょう」

 そう言ってアーシアは軽やかにリシュラナに飛び乗ると、そのまま何事も無かったかのようにグ・アルジーラス級客船フィンネイルドへと戻った。

「……ふう、到着、と」

 安定感のある女神のゆりかごの甲板に降り立つと、そこではさっき船内に戻ったはずの見慣れた連中が彼女の帰りを待っていた。

「お帰りなさい、アーシアさん」

 にこやかに出迎えてくれたのは葵。横に立つ恵悟も同じだ。特に、トマは特に穏やかな表情をしていた。彼はアーシアの無事な帰還を見て、心底安心した様子であった。

「あなた達……」

 アーシアは何とも形容しがたい気持ちになった。皆を危険から遠ざけるためとは言え、必要以上に冷たくあしらってしまった手前、このように暖かく出迎えてもらえるとは考えてもいなかったのだ。

「……え、と」

 珍しく言葉が出てこないアーシア。居たたまれなさに苛まれつつ、またこそばゆい感覚、嬉しい気持ちを悟られるのが恥ずかしく、何かを言って誤魔化そう、紛らわそうとした。

 ──と、その時である。

「あっ!」

 と、声を上げたのは、アーシアの背後の空を見つめていた葵だ。彼女は一体何を見たというのであろうか。一同はその声に反応して、葵の視線の先に目をやった。すると。

「……!」

 直後、客船の甲板上に大きな何かが舞い降りた。

 もしやアーシアをつけてきたのだろうか、それは何と、先程まで海賊船と交戦していたアスト・ソレイジアの飛竜騎士の一人であった。

「ほ、本物のドラゴンだ……。すげえ、でけえ」

 まさかファンタジー物語の定番モンスターをリアルで見れるなんて、と恵悟はビビりながらも感動していた(ただし、彼の前にいる竜はシーレにおいては決して大きな種ではない)。

  飛竜は甲板に降り立つと、蝙蝠の持つような翼をたたんで姿勢を低くした。搭乗する騎士は竜が一連の動きを止めるまで待ってから、軽やかにその背中を降りた。

「……」

 この人物は何者だろう。たった一人で何をしにきたのだろう。一同の視線が注がれる中、騎士は落ち着いた動作でヘッド・ギアを脱いだ。

 竜国の騎士。その素顔は、恵悟達とそう変わらない年齢に見える娘であった。彼女は甲板上にいる人間の顔を簡単に見回してから、一歩一歩確かな足取りで歩み寄った。

(うお。な、何なの。超可愛いじゃないの)

 恵悟は少女の可憐な容姿に思わず見とれてしまったが、それも仕方のないこと。相手は恵悟少年が見た試しがないほどの美少女だ。結わいた黒い長髪がよく似合っていて、顔立ちは至極端正。上品で清楚な雰囲気があり、その上細身ながらもスタイルがよく、葵のような幼児体型ではない。恵悟は無意識に葵とやって来た少女を見比べてしまった。

 目ざとい葵がそんな恵悟の挙動を見逃すはずは無く、すぐさま、彼の右手の甲に激痛が走った。

「いてて! 何すんだよ、葵!」

「……バカ(今、見比べたでしょ)」

 女の子に対して失礼よ、と言う代わりに実力行使。つねられて赤くなった箇所をさする恵悟である。

 それはさておき、少女騎士はアーシアの目前で立ち止まると、うやうやしく礼をしてから自己紹介を始めた。

「私はアスト・ソレイジア飛竜騎士団の副団長、シオン・ノルーグ・ネスティルダと申します。この度は我々の艦の窮地を救っていただき、心より感謝いたします」

「別にいいのよ。当然のことをしただけだからね」

 初対面の相手だが、アーシアの反応はいつも通り気取らず、フランクであった。

「恐れ入ります。広いお心で感服いたしました。……ところで、あなたをかの有名なトラシェルム帝国のオーファ様とお見受けいたしますが、相違ありませんか?」

「そうよ。まあ、トラシェルム軍所属になった覚えはないけどね」

「やはり、そうですか。空中から様子を窺っておりましたが、先程の恐るべき攻撃といい、その竜翼の髪飾りといい、まず間違いないだろうという確信がありました」

「え……この髪飾り?」

 疑問を覚えたアーシアは首を傾げた。

「私はともかく、この髪飾りがそんなに知られているとは思わなかったわ」

 まず、トラシェルムの魔女はそこそこ有名な存在かもしれない。だが、そのトレードマークが髪飾りであること、しかも賜ったばかりの竜翼の髪飾りを知っている人物が国外にいるとは思わなかった。知れ渡るだけの時間があったはずはない。

「……我々は存じ上げております。それは我らがアスト・ソレイジアが誇る最高の職人が作り上げたものですから。見間違えるはずはありません」

 シオンの言葉に、アーシアはますます疑問を燻らせた。

「アスト・ソレイジア王国と関係があるなんて初耳だわ。だってこれはミュリオン皇帝から直に賜ったもので、……」

 言葉を紡ごうとしたアーシアの脳内で、たちまち過去に行われたやりとりが蘇った。

 竜翼の髪飾りを受け取った時、確かミュリオンは「作らせた」と言っていた。

 意味深なその言葉は、アスト・ソレイジアの職人にこの髪飾りの製作を依頼したという意味だったのだろうか。

 シオンの言葉が真実ならば、当然そういうことになる。だが、仮にそうだとして、なぜトラシェルムを象徴し、名誉と威信をも意匠化した逸品を、わざわざ友好国とは言っても無関係なアスト・ソレイジアの職人に頼んで作らせたのだろうか。

 技術的な問題だと考えるのは無理がある。トラシェルムの職人の腕が劣っているなどという話は聞いたことが無い。むしろ金属加工においてはずっと優れているはずだ。


 浅からぬ疑惑が生じ、すぐさま様々な憶測がアーシアの頭を駆け巡る。やがて絡まった線は正しい箇所へ繋がり、ひとつの答えが導き出された。竜翼のヘアドレス、その品が含有する真意をとうとう理解した。


 ──そうか。考えてみれば、翼はトラシェルムのシンボルであり、竜はアスト・ソレイジアのシンボルだ。つまり、この髪飾りは二つの国の象徴が合体した形になっている。自分のしているこの髪飾りには、思っていた以上に大きな政治的思惑がある。言うなれば、両国の親睦をより深めること、他国に威光を知らしめることに、オーファである自分が体よく利用された形だ。


 ──しかし、だ。


 恐らく、これはミュリオン皇帝の意図したところではないだろう。彼は政治に関与できる立場に置かれていないし、まだ独断でこんなことをするとは考えられない。幼い彼に真意が知らされなかったことは容易に想像できる。

 やるとしたら、彼の側近──ロシオウラだ。彼ならばこれくらいの策を弄しそうである。この髪飾りは、彼がアスト・ソレイジアの職人に作らせたに違いない。全く、食えないじいさんだ。これでは、自分の存在がトラシェルムという枠だけに収まらなくなるではないか。そんなに私を目立たせたいのか──。

「悔しいけど……してやられたって感じね」

 アーシアは足元を見つめながら頭を掻いた。自分なりに分析して辿り着いた真実であろう回答に、何とも複雑な心境にさせられた。

 しかし、髪飾り自体に罪はない。ミュリオン皇帝から賜った物であるし、自分もとても気に入っている品なので、真実がどうであれ外す気にはなれなかった。ロシオウラの裁量とて、良い方に考えれば自分の能力を評価してくれているからこそと考えられなくも無い。

「つまり……その髪飾りの示すように、我らがアスト・ソレイジアとトラシェルム帝国は確かな友好国、いや正式ではないものの事実上の同盟関係と言ってもよい間柄です。ですが……」

 言葉を発する口の動きを終えないうちに、何故かシオンは身体の向きを変え、アーシアに背中を見せた。何となく只ならぬ気配を感じ、一同が振る舞いを怪しんでいると──。

「!」

 次の瞬間に、何が起きたか。

 シオンが素早く鞘から剣を抜き、振り向きざまにアーシアに斬りかかったのである。

 当然、この狂剣はリシュラナによって防がれたが、それもかろうじて間に合ったといったところである。あまりにも鋭くて速い剣筋は、全く誰の目にも留まらなかった。

「お、おいっ! 何するんだっ!」

 初めに荒げた声を発したのは、意外にもトマであった。

「これは一体、どういうつもりかしら?」

 アーシアは感情を抑えた静かな声で問いかけ、同時に鋭い眼差しでシオンを睨み付けた。対面しているシオンはずっと、怒りと殺気に満ちた眼でアーシアを見据えている。

「ならば、聞け。今、我々の船は祖国のある高貴なお方を乗せている。そして、そのことを知っているのは、トラシェルム帝国だけだ。……この意味がわかるか──?」

 先程までの丁寧な物腰から一転、口調も刺すように変わり、シオンはまるで別人のようになっている。

 空中で防がれた剣はそのままアーシアの頭上で制止してはいるが、リシュラナの姿が見えない者達には、シオンがそのまま剣を振り下ろせば、難なくアーシアを切りつけられる状態にしか見えない。

「あなた……トラシェルムが海賊をけしかけた、とでも言いたいの?」

 恫喝的なシオンの態度にも、さすがアーシアは臆するところなどない。

 さらに、睨み合う両者は瞬きを忘れている。まさに、お互いの視線の交わるところで火花が散っているかのようである。二人を見つめる周囲は気が気でならない。

「事情が飲み込めないないけど、トラシェルムはそんな不名誉なことをするような国じゃないと思うわよ。第一、そんなことをして帝国に何の得があるのよ。言いがかりは止めて頂戴」

 そう放ったアーシアの顔は、やや右に向けられている。自分のしている竜翼の髪飾りを、わざとシオンの正面に突き出して見せているのだ。光の反射を受け、髪飾りが波打つように輝いた。その様子を見つめながら、シオンは帝都で会ったロシオウラの顔を思い出した。


 此度の王女逃避行のことを知っている人物はごく限られており、アスト・ソレイジア側でさえ乗船している者達しか知らない状態だ。そんな中で、帝都で接触したロシオウラは一部始終を知る数少ない人物である。シーレ随一と謳われる程の人物であるから、彼が友好を尊重すると見せかけ、その一方で何か先を見据えての計略を施したと考えられなくもないのだ。

 もちろんシオンとて、ロシオウラがこんなことを画策したとは思いたくはない。彼は尊敬に値する人物で、優しく情に厚い面がある。

 だが、偶然という言葉で片付けるにはどうしてもタイミングが合いすぎなのだ。王女エリミティーヌを乗せたアスト・ソレイジアの軍艦が、帰路で待ち構えていた準備万端の二隻の海賊に襲われたのである。これはトラシェルム帝国以外に出来得ない所業ではないか。それ以外にどういった可能性が考えられるというのだ。

「いずれにしろ……」

 ここでようやく、シオンは剣を自分の手元に引いた。

「……捕らえた海賊共に尋問すればわかることだ。残念ながら、今は確証がない」

 シオンの考えでは、この件に関して帝国が絡んでいないとしても、何者かの明確な意図が働いていたのは疑いようが無いことだ。

 そう。いくら戦力が一隻の軍艦だけだと言っても、特別な理由がないかぎり海賊が武装した軍艦に手を出すことなど、まず考えられないことだ。大量の物品を積んだ輸送船ならともかく、軍艦を狙ってもリスクの割に利益が少ないのは明白。

 故に、もし敢えてそれを実行するのならば、それ相応の報酬を与えてくれる誰か……『依頼主』がいるはずだ。海賊が国家間のパワーバランスを乱すような陰謀や世界情勢に絡む活動を起こす時は、決まって何者かが裏で取引相手として暗躍している。だから、彼らは間違いなく自分達の船を狙っていたのだ。その証拠に、近くを通りかかったこの客船には海賊は目もくれなかった。

 シオンは目をつむったまま剣を二、三回舞わしてから、流麗な動きで鞘に収めた。アーシアは何も言わなかったが、相手の挙動からはずっと目を離さなかった。

「この場は素直に引かせて頂きます。……あなたに助けていただいたのは事実ですから」

 シオンは無邪気とも冷酷とも取れる笑顔を浮かべてから、再び愛竜の背中にまたがった。

「それから。……オーファ様は噂どおり見えない盾に護られているようですが、次は必ず斬り付けてみせます。ネスティルダの名にかけて」

 そう言って、シオンは脱いだ頭部用防具を装着した。竜は鋭い鳴き声を上げて、翼を左右に大きく展開した。すると、それだけでも甲板上に旋風が巻き起こった。

「では、皆様。またいつかお会いしましょう。……できれば味方として」

 一瞬の後、シオンを乗せた竜は翼を躍動させ、風を引きつれて力強く空へと昇っていった。アーシアは何も言わず、少女飛竜騎士の影が消えるまでずっと空を見続けた。

「……」

 シオンの飛び去った甲板上に残されたのは、ほとんど驚愕の一色であった。みんなぽかんとして空を見上げている。

「いや、まさかアーシア様と知った上で喧嘩を売る人間がいようとは驚きました。肝が据わっている──というより、かなりぶっ飛んだ女の子でしたね」

 トマの言うように、只者ではない娘だ。恐るべき二面性の持ち主である。スイッチが入ると性格が豹変するような。

「可愛かったけど、怖え……二重人格ってやつか?」

 身震いする恵悟。容姿が可憐で雰囲気が楚々としているからこそ、変化してからが余計に恐ろしく感じられたのだ。要するにギャップによる恐怖だ。普段大人しい人が怒ると尋常ならざる気迫を醸す場合があるのと似ている。

(海賊……それに竜国アスト・ソレイジア……か。この一件、どうやら私達の知らない何かが背後にありそうね)

 思いもしない形ではあったが、シオンという未来の大器に出会ったアーシア。やがて一陣の風が飛竜が飛び去っていった方角の空から吹き渡り、佇む彼女のマントをはためかすのであった。

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