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深海の暴風

 アーシア達は、甲板への案内を受け入れてくれた船員の後ろを歩きながら、小声でひそひそと言葉を交していた。

「トマ、あなたなかなか芸達者じゃない。役者になれるかもよ」

「いえいえ、アーシア様こそ。もしかしたら、僕なんていなくても大丈夫だったかもしれないですね。さっきのあの見事な交渉術、思わず笑いそうになりましたよ」

「何で笑うのよ。私はあれでも真剣に……」

「……しっ。あんまり声出すと、聞こえちゃいますよ」

「このっ……。覚えてなさい」

 気持ちとしては道を急ぎたい二人だったが、船員の誘導である手前そうもいかない。階段を上り、飾り気の無い通路を歩くと、間もなくひとつのドアへ辿り着いた。このドアの向こうが甲板であり、ここから船外に出られる。

「……では、開けますよ」

 船員はそう断ってから、目の前にあるドアを少しばかり開けた。すると、もうそれだけで勢いよく強風が吹き込んできた。

「わっ!」

 トマは驚きのあまり声を上げてしまった。船外では予想以上に激しい風が吹いているようだ。船員の言うとおり、気軽に外へ出ていいような状況ではなさそうだ。

「はぁーん……。これはさすがに危ないわね」

 そう言いながらも、アーシアの態度には僅かな動揺も見られなかった。

「どうやら、超低空を飛行しているみたいですね、この船」

 すると、二人が会話している最中に、船員はドアを閉ざしてしまった。吹き込む風が消え失せて、通路に平穏が舞い戻った。

「ご覧の通りです。わかって頂けたと思いますが、やはり、今の高度では外に出すわけにはいきませんね」

 船員は毅然とした態度でそう言った。強風の具合を確認して甲板上に出るのが危険だと判断したというよりは、むしろ初めから彼女達を外に出すつもりがなかったと捉えられる語調だった。

「だーかーらっ! 心配いらないってば。何が起きてるのか、ちょーっと見るだけよ」

「その通りだ。ここまで来てそれはないだろう、船員クン」

 今にも激怒しそうな気迫で詰め寄るアーシア達。その迫力に圧倒され船員クンは後ずさりを余儀なくされた。気の強くなさそうな船員は、かわいそうに言動がしどろもどろになるばかりだ。

「し、しかしですね、要人とあらば余計に外へ出すわけには……」

「ああ、もう!」

 じれったくて仕方がないことを、全身で表すアーシア。もう、これ以上は面倒だと思ったのか────。

「……!」

 目にも止まらぬ速さで船員の懐に潜り込むと、その鳩尾に一撃を見舞い気絶させてしまった。気の毒な船員は、うめき声すら発することなくその場に崩れ落ちた。

「お勤めご苦労様。悪いけど、しばらく眠っていてね」

「ちょ、ちょっと、アーシア様! いくらなんでも、これはやりすぎじゃないですか!」

 一仕事終えて手をはたくアーシアに、うろたえるトマという構図である。目の前で人が気絶させられたら、彼でなくても大体こうなってしまうだろう。

「疲れていただろうから、眠らせてあげただけよ。それに、どうせドアをブチ破ってでも出るつもりだったんだから、同じことよ」

「ああ、許せ船員よ! 彼女はやることは滅茶苦茶だが、悪人ではない。……多分」

 信心深いトマは罪悪感に苛まれて、自分の頭を抱え込んだ。改めてアーシアの無鉄砲な性格を疑った瞬間であった。

「で、トマ。あなたどうする? ここで待ってる? 風が強いから結構危ないわよ」

「行きますよ! 船のクルーにこんなことしたら、どうせもう後戻りできませんから。それに、アーシア様みたいに何かしら問題を起こさないと気が済まない人をほっといたら、それこそ大問題ですからね」

「トラブルなんて、起こしてナンボよ! さあ、真実を確かめましょう」

(大丈夫かな、この人……)

 そのトマの心の声が、倒れた船員に向けられたものか、あるいは暴走気味のアーシアに向けられたものだったのか。それは彼にしかわからないこととしておこう。


 *  *  *


 甲板上に出た二人を、強風が容赦なく連れ去ろうとする。特に、突風には細心の注意を払わねばならなかった。二人は風の合間を見ながら甲板の縁まで移動すると、そこにある手すりに掴まった。

「気をつけないと、空に投げ出されそうですね」

「しっかり掴まってるのよ。風が強いと言っても、突風にさえ気をつければ、どうにかなるレベルだからね」

「そうですね」

 確かにアーシアの言うとおり、突風にさえ注意を払っておけば問題ない風力だ。

「……さて一体、誰と戦っているのかしら」

 持ってきた望遠鏡を用いてよく観察すると、斜め上方、二隻の海賊船に挟まれる形で、一隻の魔晶航空船が交戦していた。重々しい図体からして明らかに軍用であり、この船のような民間船ではない。さらによく観察すると、船体の後方、尾翼部分に翼を持った竜をモデルにしたエムブレムが確認できた。

「あの紋章は……見覚えがある。『アスト・ソレイジア』の軍艦だわ」

「アスト・ソレイジア……帝国の友好国、竜国とも言われるあのソレイジアですか」

 アーシアは頷き、隣のトマに望遠鏡を手渡した。それを用いて彼も斜め上空の様子を窺った。

「でも、どうしてこんなことになっているのかしら。そもそも、こんな空域にまでアスト・ソレイジアの船が進出しているなんて、ちょっと考えにくいんだけど。しかも、一隻だけで……?」

「そんなことよりも、アーシア様。いくら軍艦とは言え、さすがに二対一じゃあ不利に思うんですが」

 望遠鏡を覗き込みながらトマがそう口にした。今、アスト・ソレイジア艦は窮地にあるが、戦況はやや拮抗している。軍艦の装甲が重厚なために、海賊船側が攻めあぐんでいるようにも見える。軍艦の側の健闘が素晴らしいのかもしれないが。

「なかなか勝負がつかないのを見ると、どちらの船も魔晶砲を積んでないみたいね。船体に損傷があるけど、あれは実弾によるものだわ」

「艦砲戦で凌いでいるなら、軍艦側もうまく距離をとっていますね」

「でも、だいぶ形が悪いわ」

 善戦しているとは言え、アスト・ソレイジア艦の損傷は海賊船に比べるとやはり深刻である。それもそのはず、挟み撃ちの形では中々思うような操舵も叶わないのであった。装甲の破損は回避が間に合っていないことの証拠であり、戦況はゆっくりと不利に傾きつつある。

 しかも、距離を詰めようとする海賊船の意思が見え隠れしている。作戦以外で必要がない場合、空軍所属の軍艦には白兵戦用の兵員は乗っていないものだ。もしも船上あるいは船内での戦闘になれば、肉弾戦に不慣れな空軍士官達が武器を手にとって戦うことになる。もしアスト・ソレイジア艦が強制的に接舷され、蛮勇な海賊に乗り込まれるようなことになれば、戦闘能力はもちろん、要員の数から言っても絶対的不利になることは明白だ。


 そうこうしている間も、アーシア達の乗っている船の高度は下がってゆく。ゆっくりとではあるが、先程からずっと下降を続けている。

 逆に、どうやら海賊船とアスト・ソレイジアの軍艦は徐々に高度を上げながら交戦している。海賊が風の弱い上空での決戦に持ち込むつもりなのだろうか。とにかく、二人の乗る船との高低の差が歴然としてきている。

「この船、信じられないくらい高度を下げているわね。キャニノゥのメナスト反応に紛れて、海賊をやりすごすつもりなんじゃないの」

「船が発する反応を撹乱するってことですか? 確かに上昇するよりタイムロスも少なくて済むけど、しかしこんな低空飛ぶなんて正気とは思えないですね」

 船室の窓から覗いた時よりもずっと高度が低い。周囲の空は深海を思わせる程暗く、眼下では肉眼でキャニノゥの禍々しい紫色の雲が確認出来る程である。今ではもう、前方で戦っていた船達は遠く、アーシア達のほぼ真上に位置しているという構図になった。

「アーシア様、どうするんですか?」

「まだ届くから、リシュに乗せてもらって接近するわ。こうキャニノゥの雲に近くちゃ、メナスト・コントロールすら満足に行なえないからね」

 アーシアは上空を睨み付けた。どうしても軍艦を救いたいが、遠のくことはあれ、二人の乗ったこの船がこれ以上戦場に接近することはないだろう。危険は伴うが、あの戦場へ近づかなければならない。

「やはりクルーと交渉して、どうにか船を上昇させて、距離を近づけてもらうのがいいですかね。ちゃんとアーシア様の事を説明すれば、受け入れてくれるかもしれない」

「そうね。それもひとつの手だわ。まあ、彼らが納得するとは思えないけどね(あんな乱暴なことしちゃったし)。その方法で簡単に協力が得られるなら、初めからやっているしね……」

「僕、行って来ます!」

 善は急げと思ったか、トマはすぐに考えを実行に移した。

「あっ、ちょっと待って! 今は……」

 慌ててアーシアが止めるより早く、トマは強風吹きすさぶ中、甲板の入り口へと向かってしまった。

 高度が大幅に下がったせいで、来た時よりも風の勢いは格段に強くなっているのだ。トマは甲板を渡る際に突然の突風に見舞われ、床を滑る様に吹き飛ばされていった。

「うわっ!」

「!」

 運よく甲板の金属部分に腕を引っ掛かけることができたため、トマは何とか堪えることには成功した。

「ト、トマッ!」

「うぅっ…………」

 トマは甲板の突起物に両腕でしがみ付いている。風が弱まる様子は少しもなく、アーシアすら必死で手すりにしがみ付いている始末である。

「何てことなの! リシュ、お願い、トマを助けて!」

 躊躇している間は無い。アーシアは妹に助けを求めた。

「リシュ! 来て! お願いっ!」

 続けて、アーシアは念じながら幾度か妹の名を叫んだ。しかしどういうわけか、リシュラナは現れなかった。こんなことはあり得ないことである。アーシアの顔から一瞬にして血の気が引いた。

「声が、届いていない……? どうして? もしかして、キャニノゥの影響……。飽和層に近いせいで、交信できないとでも」

 困惑と焦燥から、アーシアの額に冷や汗が浮かんだ。危機に陥っているトマを救う手立てが考え付かなかった。

(不覚だわ……)

 ここまでの事態に陥るとは、予期していなかった。

 アーシアは自分の行動の軽率さを恨む他ない。自分のせいで、トマを窮地に追いやってしまった、と──。


 やらずに後悔するくらいなら、やって後悔しろ、と人は言うが。

 彼女の場合は圧倒的に後者のパターンが多い。頭より先に感情が行動を求め、後から付いてきた理性の働きによって後悔する場面が多いのである。

 それを、悪い事だと言い切ることはできない。後悔や失敗から学び成長することは素晴らしいことに違いない。ただ、そうとわかっていても実践するのは難しく、似たようなミスを犯す度に、彼女は自分の愚かさや直情径行を呪わずにはいられない。この辺りが、クエインのいうところの、彼女の未熟な部分である。

 普段は極めて理性的で賢い女性だが、内側に秘めた熱情に突き動かされてしまうと、歯止めが効かなくなる。


 アーシアは雑念を振り払うために、首を左右に振った。ここで内省していても始まらないことだ。そんなことよりも打開策を見出さねばならない。何としても、窮地のトマを救わなければならない。

 彼は今、かろうじて強風に耐えている状態である。一刻も早く助けなければ力尽きて深青の海に投げ出され、最後は破壊の雲キャニノゥに飲み込まれる運命だ。

 アーシア自身が危険を顧みず、磐石な手すりを離れて甲板上のトマを救うというのが、この局面で出来得る唯一の救助方法であろう。だが今は、そのアーシアとて自由自在に立ち回れるような生易しい状況ではない。彼女が得意とするメナスト・コントロールも、空間内の魔晶元素のバランスがまともではない領域では真価を発揮出来ないのである。


 刻々と時間が虚空に消えてゆく。それは二人にとっては、落ちきったら戻せない砂時計の知らせる時の経過だ。

 アーシアはゆっくりと、少しずつでもトマに近づこうとしているが、しかしそれは何かしらにすがりながらの移動。しかも突風にも留意しつつの接近では、一気に距離を縮めることは不可能だった。

「うう、もう……だめだ」

 必死の形相を呈すトマ。突起物にしがみつく腕の力は、限界に近づきつつある。それに伴い、彼の気力も減衰してゆく。

「ダメよ、トマ! 今行くから、絶対にあきらめないで!」

 アーシアの叫ぶ声が暗い海と二人しかいない甲板上に響き渡った。猛烈な風の中にあっても、両者の声は互いの耳に届く。特にアーシアの側では五感が強化されているのでトマの呟きがしっかりと聞こえる。

「いいんですよ、アーシア様。これは、僕が自分で招いた結果ですから。僕が、自分でとった行動ですから……。自業自得ってやつですよ」

「馬鹿、何言ってるのよ!」

 生きるための努力を諦めようとさえしているトマを、アーシアは大声で叱り付けた。だが、心なしかその声は震えていた。

「だいたい、あなたは往生際が良すぎるのよ! そんなんで私の仲間が務まると思っているわけ! ……いい、必ず助けるから、もう少し辛抱しなさい!」

「でも、このままじゃあ、アーシア様まで危険な目に……」

「そんなこと、生死の境で気にすることじゃないわよ! 少なくとも今は、自分が助かることだけを考えなさい」

「でも、あなたはこうやって僕を助けようとしているじゃないですか……」

 プロペラの支柱から一本の長いロープが垂れ下がっている。シャフトを補強するように、幾重にも巻きつけられた、とても頑丈なロープである。アーシアはそれを使ってトマを助けようと考えた。

「私は、もう──」

 彼女はまずそのロープを限界まで手繰り寄せ、適度な長さで切断し、一方を支柱に巻きつけ、もう一方を自分の身体に巻きつけた。ロープが解けないよう固く結びながら、アーシアは唇を強く噛み締めた。それこそ、血が滲むほどに。

「──誰も死なせたくない。私と関わる人を失うのは、もうたくさんなのよ!」

「アーシア様……」

 決死の接近によって、二人の距離はかなり縮まってはいたが、手を差し伸べて救出できる程ではない。アーシアはさらにトマに接近しなければならない。

 これより先はだだっ広い甲板が広がるばかりなので、掴まって突風をやり過ごせる物が何もない。アーシアは引き抜いた魔晶の黒剣を、床に深々と突き刺した。これを杭にして掴まり、吹きさらしの甲板を乗り切ろうという考えである。さらに、風への抵抗を考慮して、床を這う姿勢をとった。

「そんな、無茶ですよ……」

 絶体絶命のトマからしても、彼女の行動は無茶を通り越して無謀にすら見えた。だが、彼女は危険を顧みようとはしなかった。

「大丈夫よ。もう少しだから、待っててね」

 オーファの力を以ってしても、狂った自然の脅威には抗い難い。じりじりと地面を這っては、頃合を見て剣を甲板に穿(うが)ち直す。風にさらわれそうになったら、歯を食いしばって耐え凌ぐ。そうやって徐々にトマとの距離を詰めていく。

「例え何があろうとも、私が守ると決めたら、絶対に守るんだから」

 今、口からこぼれ出たその言葉こそが、アーシアの本質であり、信念の中核を成す部分である。彼女が生きてきた中で学んだ最も大切なことが、彼女が最も価値を見出したことが、この危機的な状況下であるが故に発せられたのである。


 振り返れば、両親、故郷との別離から始まったアーシアの長い流浪の生活。今までに越えてきた死線では、人の死はそれ程珍しいことでもなかった。

 彼女は自分がこれまで歩んできた道の途上で、他者の死を幾度となく経験してきたが、特に親しくなった人間が命を落とす場面を何度も見てきた。しかし、当のアーシアは生き抜き、現在に至っている。彼女が限りなく不死身の存在であるためだ。

 これは、オーファゆえの悲しい宿命と言えるかもしれない。クエインが言うような、普通の人間とは深く関わらないほうが良いという教訓は、今思えば確かに間違ってはいなかった。行動派のアーシアには、自分の生と知り合った他者の死とが、強烈な対比になって付きまとっていたのである。


 そして、彼女が自分に関わる幾多の死を目の当たりにしたその結果、いつの頃からか自分が周りの人間を巻き込んで不幸にしてしまうのではないだろうかという疑念を持ち始めた。彼女はそれを誰にも語らない。だが、恐れていた。現在の彼女の行動力の源泉は、そんな自分の弱み、迷いを打ち消す意味も大きい。

 そういった経験と記憶によって培われた使命感、さらに彼女が生来持ち合わせる強い正義感。失われなくても良い命、何よりも大切な人達を守り抜きたい衝動が、血生臭いこの世界の時勢にあって、時として彼女に他者の被る死を拒絶させるのであった。


 トマはゆっくりだが着実に近づいてくる勇ましい女性の姿を、強風でずっと開け続けることがままならない眼を向けて、視界の中心にしっかり捉えていた。

(……どうして、そこまでして。どうして、この人はこれ程までに他人を思えるのだろうか。一体、彼女の研ぎ澄まされた迷いの無い信念は、どこからやってくるのだろうか)

 単なる無鉄砲なだけにも映りかねない。だが彼女の言動は、揺ぎ無い意志の源、信念によって貫き通されている。トマはそれを垣間見た。


 彼女の過去はまだ詳しくはは知らない。冒険談ならたくさん聞かされたが、心の奥に触れたことは多分一度も無い。だが、彼女の抱えているものは、恐らく自分では想像が及ばない程大きなものに違いないと、トマはそう思った。

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