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危険空域

 煌天新世界シーレ。ここでは、人々は大空に抱かれながら日々を重ねている。彼らはその特殊な環境で様々な制約を受けてはいるが、しかしこの世界で生を与えられた以上、その仕組みと根本原理には服従しなければならない。

 その一方で、無限の大空を制約と捉えず、むしろ自分達に有利な環境と考え生きる者たちがいる。彼らは、いわばシーレにおける影の実力者である。普段は目先の損得のみを価値基準として行動する野蛮な戦闘集団であるが、時には密かに歴史の表舞台に影響を与え、己の欲望を満たすために時代の裏側で暗躍することも少なくない。

 それが、海賊(ないし空賊)と呼ばれる輩だ。各国の空軍が空の主役ならば、彼らは恐るべき敵役であり、またトリック・スターでもある。シーレの海賊は地球で知られるものよりもずっと強い影響力と支配力、そして揺ぎ無い権力を有し、時には暴力や略奪以外の仕事をこなす極めて高度な集団として知られている──。

 

 *  *  *


 恵悟達が部屋を去ると、残されたアーシアとトマは特に何をするでもなくまったりと過ごしていた。トマは相変わらず寝台でゴロゴロしていたし、アーシアは先程までテーブルで読書をしていたが、いつしか睡魔に負けて頬杖をついた姿勢のままでうつらうつらしていた。

 ──すると。

「おわあっーー!」

 二人の穏やかな時間を引き裂いたのは、突然の減速であった。体勢を崩すほどに強烈な揺れが生じ、トマは危うく寝台から転がり落ちそうになった。一方、アーシアの受けた被害は、頬杖が外れて頭をテーブルに打ち付けたことである。

「いったぁー! もう、何の騒ぎよ?」

「何だろう……。こんな止まり方、普通はしないですよね」

「こんなの、普段からされたらたまったもんじゃないわよ!」

 予想するに、緊急姿勢制御による急停止が行なわれたのだろう。頭を押さえつつ椅子から立ち上がったアーシアだったが、すぐさま何かに感付いたらしく、そのまま何をするでもなく棒立ちになった。

「どうしたんですか?」

「ん……。何か聞こえるわ。これは爆発音?」

「僕には、何も聞こえませんけど」

 五感が人間よりも優れたオーファである。アーシアはトマが聞き取れない音に注意して耳を傾けている。不審がるトマの視線を背にしつつ、窓に向かって歩き出した。

「開けるわよ」

 安全装置が解除され、窓が大きく開かれると、強風が部屋の中に吹き込んできた。

 本来、この高度では窓を開けることは禁じられている。なぜならば、シーレの場合は高度が低い方が様々な自然的抵抗が強いためである。

 眼下に広がるサファイア・ブルーの空には目もくれず、アーシアは窓から半身を突き出して船の前方に目をやった。

「船だわ。進路上に別の船影が見える」

 視覚に意識を集中すると、拡大機能を用いたカメラのように視認距離が増す。米粒程度の大きさの船を発見すると、より視野を広げようとして、アーシアはますます身を乗り出した。

「ここからでは遠すぎてよく見えないわね。トマ、おじい様の望遠鏡を貸して」

 荷物を漁って取り出したひとつの望遠鏡を、トマはアーシアに手渡した。それはレンズ部分に特殊なメナスト加工が施された視認距離に優れる逸品で、元々はクエインの所持品であるが、今回の冒険に際してトマに預けられた物であった。

「あれは……もしや海賊?」

 望遠鏡で覗くと、進路上にある船の艦尾にはためくフラッグが確認できた。そして、そのフラッグには黒地に赤い怪鳥のエムブレムが描かれている。間違いなく、有名な武装船団の旗印である。アーシアは、前方に居座っているのが海賊船であると確信した。

「でも、この空域に海賊が現れるなんて聞いたこと無いけど」

「縄張りでも広げたんじゃないですかね。でなきゃ出稼ぎとか? 最近は戦争が多いんで、客船も貿易船の数も減ってますからね」

「それなら、なぜこの船に向かってこないのかしら? 向こうはこっちの船に気付いいないのかしら。手出ししてくる様子は無し。一体何が起こっているのかしら」

 事態を把握しようとさらに身を乗り出してみたが、残念ながらそれは叶わなかった。

「わっ、アーシア様危ないですよ! そんなに身体を外に出したら……」

 見るからに危なっかしい体勢のアーシアを引っ張り込もうとしたトマだったが、どうやらそれは余計なお世話だったらしい。

「こらっ! どさくさに紛れてドコ触ってるのよ!」


 パシン!


 ──良かれと思ってやった行動の結果。

 トマはキレのある平手打ちを一発頂いた。


「……とにかくッ。どうも、あの海賊が船の急停止の原因らしいわね」

 仁王立ちで語るアーシア。無断で身体に触られたのがよほど気に入らなかったらしく、こめかみの辺りに少し血管が浮き出ている。

「うう。そうは言っても、イマイチ状況がわからないですよ。まあ、幸い襲ってくる気配はないし、これから回避するんじゃないかと僕は思いますがね……」

 叩かれて赤く晴れ上がった頬が痛々しい。半ベソ状態のトマの言い分である。

「いずれにしろ、ここで騒いだってどうしようもないし、何も解決しません。ここは気長に待ちましょうよ」

 そして我関せずといった態度で寝台に座り直し、そのまま事の成り行きを見守る姿勢に入った。トマは今回の旅はもう終わったものだと決め付けている。だから、残りの帰路はのんびりと過ごしたい気持ちが強かった。

「まただわ。爆発音がする。これはもしかすると……。もしかするわね」

 トマの態度など気にも留めない。アーシアは親指を顎に当てたまま、頭の中の想像を膨らませている。それから彼女は若干苛立った様子でこう言い放った。

「ちょっとトマ。何座っているの。行くわよ」

「はい? ……行くって、どこへですか?」

「決まってるでしょう。上よ、上。甲板に出るのよ」

 人差し指を天に向けながらの熱弁。察するに、いつものパターンに発展しそうな勢いである。思い立ったら吉日は、取りも直さず彼女の真骨頂である。

「また……。そう仰りますけどね、船が動くまで、素直に待ったほうが懸命ですよ」

 無駄な努力だと予感しつつも、トマは相手ををなだめてクールダウンさせようと試みた。彼の本質はアーシアとは真逆、面倒を避けたいことなかれ主義である。いつもなら喜び勇んで付き従うところだが、心身両面を酷使した旅からの開放感を味わった今、全くと言っていいほど乗り気ではなかった。

「そんなの、ちっとも懸命じゃないわよ。あなた、もしかしたらここで死ぬかもしれないって状況なのがわからないわけ? 私の聞いた爆発音はまず間違いなく砲撃の音なのよ。何が起こっているのか、この船の安全のためにも、状況を確かめなければならないわ!」

 ……やはり、無駄だった。いやそれどころか、火に油を注ぐ結果となってしまった。こういう時こそ私の出番よ、と言わんばかり。どんどん熱を帯びてくる彼女の闘志は、現在のトマのテンションとはすこぶる噛み合わなかった。

「もし、被弾でもしたらえらいことよ。この船にどれだけの人が乗ってると思うの。好ましくない事態に備え、行動を起こさなければならない」

「だからって、何で僕まで行かなきゃならんのですか」

 トマらしい穏やかな口調ではあったが、言い方には棘も含んでいた。

「何でって、それは……」

「それに、じきに二人(恵悟達)も戻ってくるでしょう。僕はここで静かに待ってますよ」

「…………」

 思いがけず強硬なトマの主張に、アーシアは発する言葉を失った。

「僕もそうだけど、アーシア様だって自分から危険に身を投じる必要はないと思いますよ。杞憂ってこともありますし」

「…………」

 トマの意見が終わるまで、アーシアは終始、無言を保ち続けた。

 彼女には失望した様子はなく、かといって軟弱だと怒り出す様子でもなかった。相手の顔をじーっと見つめ、静かに佇んでいた。しばらくの間その状態が続き、そこからどのような反応が飛び出すかと思わわれたが、しかしその後の反応もまた意外なものだった。

「……そうよね。確かに、そう。あなたの考えは的を射ている。私の勝手な行動にあなたを巻き込んで、わざわざ危険な目に遭わせる必要なんて、ない」

「えっ……」

「でもね、私の場合は何もしないわけにはいかないのよ。私一人で行くから、あなたは留守番お願いね」

 そう言い残し、アーシアは船室の扉へと歩を運んだ。

(私の場合は、って──)

 トマは逡巡を余儀なくされた。まだ選択の余地が残されているのだ。何だかんだ言っても、アーシアは人に強要を迫るような性格ではない。

 アーシアの後姿を見るたびに、トマは考えさせられる。抜き差しならない状況で彼女を放っておくべきではないことを、自分は知っている。そして、何のために自分が彼女の傍にいるのか、そこで何をするべきなのかもわかっている。

 しかし、彼女の側が自分を必要としてくれているかどうか、もし必要としているのならば、その理由が何であるか。それについてはほとんど憶測の域を出ない。

 可能ならば、それを彼女自身の口から聞きたい。それを聞くことができたら、これほど弱気な自分の背中を後押ししてくれるものはないのだから。

「ちょっと、待ってください」

 背中ごしに呼び止められ、アーシアは首から上だけを振り向かせた。それはちょうど、客室の扉を開けたところだった。

「念のため聞きたいんですけど、どうして今度に限って僕を連れて行こうと思ったんですか?」

 そう。いつもならば足手まとい扱いするか、安全を考えて待機するように言いそうなものだが、今回の彼女はトマに付いて来いと言った。その真意はどこにあるのか、トマはそれが気になって仕方が無かった。

「ああ、それ? ……だってあなたと一緒なら、前に言ってたアレ(・・)ができるでしょう」

「あ、アレって……。この前話した交渉術のことですか?」

「そうよ。他になんかある?」

 トマの気も知らず、アーシアはさらりと言ってのけた。

「何だ……。そんな理由か……」

 がっくりと肩を落とすトマ。てっきり、本心では自分のことを少しは頼りにしてくれているのではないかと期待していたが、見事に期待が裏切られてしまった。

「ちょっと。何だ、って何よ?」

「僕がいないと困るのかな、とか思ってみたりしたんですよ」

 それを聞かされたアーシアはちょっとばかり目を見張った。と思えば、すぐさま(せき)を切ったように笑い出した。

「くっ……あはは、はは。馬鹿ね、あなた。あはははっ」

 なおも哄笑を続けるアーシア。それは自分を嘲ってのことであろうかと、トマにはそういう風に見えた

「馬鹿で悪かったですね」

「違う、違う! 頼りにしてなきゃ、危険な場所に同行させたりしないわよ。そんなこともわからないの? あはは」

「えっ」

 アーシアは笑うのを止めにして真顔に戻った。

「思えば、あなたはいつも客観的に見てくれるから、最近はそれに結構助けられてるな、って。まあ、それだけのことよ」

「アーシア様……」

「じゃあ、またね」

 アーシアは何事もなかったかのように客室を出て行ったが、残されたトマにもう迷いはなかった。

「助けられてる、か……」

 彼女に言われた言葉を噛み締めながら、トマは自分の手のひらをじっと見つめた。

「ずるいなあ。そんなこと言われたら、行くしかないじゃないか」

 荷物から必要な物を引っ張り出すと、トマは急いでアーシアの後を追いかけた。


 *  *  *


 部屋を出たトマとアーシアは合流し、階段ではなく通路の突き当たりにある扉へと向かった。

「空の上じゃあ、何かあったら私でもそう助からないからね。まあ、下手すれば乗客まとめてキャニノゥの雲で心中かしら」

「でも海賊って、金品強奪だけが目的じゃないんですかね?」

「そうとは限らないみたいよ。証拠残さないために、ご丁寧に船を沈めていく奴らも多いらしいからね」

「こわっ! 全く、なんでこうとんでもないトラブルにばかり見舞われるんだろうなあ」

 想像しただけで、トマは背筋が凍る思いがした。


 最短距離で甲板に出るためには客室エリアから扉を抜けて別の区画に行かなければならないが、そう簡単に移動できるわけではない。

「この区画は、飛行中は関係者しか入れませんよ。鍵が掛かってるし」

 トマが忠告したが、アーシアにもそんなことはわかっていた。緊急事態(と、アーシアが推測した)につき、彼女はドアをブチ破ってでも甲板に出るつもりだった。

 だが幸いなことに、彼女がその破壊衝動を爆発させる前に、乗務員の一人が後方から駆け寄ってきた。

「ちょっと、お客さん! 困りますよ。部屋の中で大人しくしていてください」

「どうしてかしら? そんな話は聞いて無いわよ」

「今、クルーが伝えて回っているところです。ただのマシントラブルですから、すぐに直ります」

「ふうん、そう。……本当の事は言えないのね」

「えっ」

 意地悪な顔を作りながらの、アーシアの切り込み。たじろぐ乗務員。非常にわかりやすい反応から確信を得て、アーシアはここぞとばかりに作戦を実行した。

「──いい? ここにいる男性はね、若いけれど有能で、実はトラシェルム帝国から密命を受けている高官なの。もし彼に何かあったら、大変な事になるわよ」

「えええっ!」

 アーシアはクン、と顎を突き出してトマに合図した。

「……ああ。彼女の言う通りだ」

 トマは胸元からトラシェルム帝国の役人の証を取り出すと、それを船員に見せ付けた。そこには正式な煌翼神のエムブレムと共に、確かにトラシェルム帝国トマ・ライグェフの名前が記されている。

「今はこんな格好をしているがね。これも敵を欺くための詐術なのだよ。そして、彼女は私の護衛係だ」

「は、はあ……」

「もし私がトラシェルムに帰らなければ、非常に困ったことになる。これは国の存亡に関わるのだよ。どうか、真実を話してほしいな」

「弱ったなあ……」

 乗務員は頭を掻いた。目の前にいる役人らしき男は、ふんぞりかえって偉そうにしているし、隣の女性は護衛係というには可憐すぎる。胡散臭いことこの上ないが、もしもということもある。

「じゃあ、他のお客さんには内緒ですよ。──実は、前方の空域に海賊船が二隻もいるんです。……と言っても、今はまだこの船に手出しをするつもりはなさそうなんですが」

「それは、どうしてかしら?」

「軍艦と交戦中なんですよ。だから、こちらには手が回らないんです。まあもっとも、こっちも存在を悟られないためにできるかぎりの方策を講じていますので、まだこの船に気付いていない、といった可能性もありますが。海賊船のセンサーはだいたい粗悪品と言われていますからね」

「ふーん。なるほど。やはり、さっきの爆発音は砲撃戦の音だったのね」

「──で、今ブリッジは会議の真っ最中なんです。このまま上手に回避すれば問題なくこの空域を抜けられると予想していますが、でももし海賊船の方が勝ったら……船足の遅いこの船では絶望的で……」

 船員の言葉の語尾がどんどん弱々しくなっていった。

「反転とか上昇はできないの? 振り切れるくらい距離をとればいいじゃない」

「それを含めて検討中ですが、航行スケジュールが大幅に狂う恐れがあるし、相手のセンサーから逃れて確実に逃げ切れる程に航路をそれては、お客さんにご迷惑をかける、ということで……。それに、あまり高度を上げては相手のセンサーに引っかかりやすくなりますし……」

「むーん、煮え切らないな、チミ。人命よりも大切なものがあるのかね。はやく結論を出さねば、それこそ手遅れになりかねんぞ。ん?」

 トマが偉人を気取ってそう言うのである。アーシアは笑いを堪えるのに苦労した。

「は、はい。それは重々、わかっておりますが」

「では、早速そうしたまえ」

 偽物の威光に騙され、乗組員は姿勢を正した。

「では、ブリッジに戻って今の話を伝えてきます」

「ああ、待って。その前に、私達が甲板に出る許可をくれるかしら」

 船員はそれに関しては断固として許可しない構えをとった。

「だめです! なんと言われましても、それだけはだめです。危険すぎます」

「でも、私達には全容をこの目で確認する義務があるのよ。これは仕事の一環なの。出来る限り迷惑はかけないようにするから、連れて行ってくれない?」

「しかし、特例を許すわけには……」

「……ねえ、船員さん。ちょっといいかしら?」

 そう言ってアーシアは船員の視線を自分に向けさせると、傍に寄って、瞳を潤ませながら、彼を上目遣いで誘惑した。胸当ての隙間をチラつかせること、首の角度を魅惑的に傾けることも忘れない。

「おねがい……ね?」

 止めと言わんばかりに、どこから出したのか、艶やかな声で囁いた。今度はトマの方が笑いを堪えるのに必死になった。

「わ、わわ、わかりましたよ。でも、ちょっと外を覗くだけですよ? 高度が低いんですから。そもそも、肉眼ではっきり見えるものでもないし……」

 成年クルーはデレデレになりながらも、持っていたキーを使って扉の鍵を開けてくれた。

(新米クン、ちょろいわね)

 その背中ごしに、アーシアは悪女の如くニタリと笑った。

「ああ、それと船員君。ブリッジで行なわれているという会議に、私も加えてくれんかね?」

 それは、あわよくばこの船を誘導してやろうというトマの魂胆であったが。

「ブリッジには、例え聖人君主だろうが入れません」

「……言うね、チミ」

 さすがにその目論見は無理があったが、しかし目標の第一段階は達成された。二人は目配せし、ひとつ頷いた。オーファであるアーシアが甲板に立てば、最悪の事態は未然に防ぐことができるだろう。

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