船内風景
「う、うーん……」
くぐもった声が部屋の片隅から発せられた。その声の主は寝台で仮眠をとっていたトマである。
イヴェロム大陸に着いてからというもの、緊張を伴う場面の連続であった。特に魔晶の森では常に危険と隣り合わせ、頼れるアーシアと一緒ではあったが、獣人たちに囲まれた時は間違いなく絶体絶命であった。
それが、今は安全な船の客室の中である。緊張から解き放たれ、身心を休ませられる状況になっていた。
「……うぅ、ちょっと寒いですね。今どの辺りですか?」
寝台から半身を起こし、霞む目を擦りながら、現在地を尋ねたトマ。
「南洋、イザルク暗礁空域を抜けたばかりね。空域境界面上だから少し冷えるわね」
「そうですか。じゃあ、トラシェルムまであと七、八時間はかかりますね」
「それでも、往路よりは時間がかからなそうね。この空路はほぼ直線コースだし、寄港する中継点が少ないからね」
そう言いながら、アーシアは壁に据え付けられている時計を横目で見た。
文字盤の上下左右に空を舞う天使の彫刻が取り付けられた、品の良い時計だが、審美眼を兼ね備えたアーシアの目は誤魔化せない。パッと見高級そうだが、作りが簡素で彫刻も造形に粗い部分が見受けられた。高価な逸品とは呼べそうになかった。
時間を確認すると、アーシアはすぐさま目線をトマに向けた。
「それよりもあなた、ずいぶんと奮発したわね」
「あ、この部屋のことですか?」
「ええ。高かったんじゃないの?」
この団体専用の二等客室は、複数名での利用に適したつくりの広い部屋だ。 睡眠がとれるように、簡易型だが多段式の寝台を備えているし、立派なクローゼットやテーブル、ソファ等の家具も一通り揃っている。一流クラスではないにしろ、そこそこ手の込んだ部屋の内装からして、一般座席や並の客室よりずっと豪華なものである。
「まあ、あれですよ。凱旋気分を味わおうということで、ちょっと贅沢してみました。確かに値は張りましたが、思ったよりも旅費が浮いたので、帰りの交通費に僕の手持ちを上乗せして、なんとかしました」
滔々と語るトマはちょっぴり自慢げである。そういった彼の態度を見ると、アーシアはつい意地悪したくなってしまう。それは彼女の性分か、それともいじりやすいトマの宿命か。
「とか言っちゃって。本当は二人にいいとこ見せようとして、見栄を張っちゃったんでしょー?」
顔をニヤニヤさせながら、意地悪魔女が吹っかけた。
「そういう邪推はよしてくださいよ」
さすがにトマも馴れつつある。うまくかわして、特に強い反応を示さなかった。
「うふっ、冗談よ。行きよりも人数が増えたわけだしね、でかしたわ。えらい、えらい。……あ、でも。だからと言って、これを理由に生活費を渋らないでよ」
そんな二人のやりとりを見つめていた恵悟が口を開いた。
「あの、ちょっといいですか。生活費って……? トマさんはアーシアさんに部屋でも借りているんですか?」
トマに宛がわれていた意地悪な笑みはどこへやら。アーシアは質問した恵悟に向けて、さわやかな笑顔を贈った。
「いやいや、違うわよ。この男、私の家に住み着いてるのよ」
「え……っ」
──それってもしかして、どうせい?
傍観していた葵は、アーシアの言葉から同棲という言葉を思い浮かべてドキッとしてしまった。
自分にはまだそういった経験がないけど、アーシアとトマは同じ家で暮らしている。それって結婚を考えている、深い関係の恋人同士がすること(世間の常識はともあれ、彼女の家ではそう教えている)で、やっぱり二人は────。
十七歳の女子高生が、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。その顔を見るなり、アーシアは葵が何を想像しているのかを悟った。
「ああー。そういうんじゃないわよ。共同生活っていうのかしらね。トマは我が家の屋根裏部屋に住み着いてる、陰気で憐れな独身男なのよ」
それがアーシアの説明だった。
「何か、むやみに人を傷つける言葉が含まれているけど……。まあ、いいや。僕はアーシア様の家で、住み込みでお世話をさせてもらってるんだ」
ひどい言われようにも、トマはすこぶる冷静であった。彼女の冗談を真に受けていちいち腹を立てていては、悪戯好きなアーシアとやっていくことなど出来はしない。
また、人との衝突を好まないトマだからこそ、アーシアも砕けた態度で語り合えるというものである。
『屋根裏、ですか』
上げた声が偶然に重なって、恵悟と葵はお互いの顔を見た。
「そうよ。ウチ、結構広くてね。屋根裏部屋もあるし地下室もあるのよ」
屋根裏は今はトマの部屋で、地下室は倉庫になっている。
「へええ。それで、生活のためにお金を出し合っているんですね」
納得した様子の恵悟。アーシアは頷いた。
「……と言っても、実は結構ギリギリなんだけどね。一緒にいるのは仕事も兼ねているんだけどさ……特別な手当てが出るわけでも無く──」
トマが寒くて切ないフトコロ事情を語った。
「うーん。安定した収入が約束された、大国のお役人のはずなのにね」
そう言って、アーシアは眉間にしわを寄せた。それは合点がいかない、といった面持ちである。
「だいたい、あなたはあのアフラニールとの空戦の時、勝利に貢献した人材として表彰されたじゃないの。それなのに、ちっとも昇進しなかったわけ?」
「確かに、僕はアーシア様をお迎えすることには貢献しましたけど、あくまでも影の功労者でしたからね。中央が命じたのかどうか、ローセルム政庁からの報奨ならいくらかもらえたけど、帝都では大勢の中の一人みたいな扱いでしたよ。昇進なんてなかったし、ほぼ名誉だけのものでした。戦闘に関わった軍人たちに比べたら、僕ら文官が賜った恩賞なんて微々たるものだったみたいです」
「ああ。不憫というか、やるせないというか。帝国のお偉いさん方の考えることはわからないわね」
泣きまねをしながら、アーシアが哀れんだ。
「あと、別にそのせいってわけではないですが、本当はアーシア様のお手伝いをさせていただくのを機に、役人を辞めるつもりだったんですよ。で、それをヒム様に話してみたら、僕の意思を中央(帝都)に伝えてくれて。特別に役人としてアーシア様の側にいることが許されたんです」
「そんな裏事情があったのね。知らなかったわ」
「ええ。それで、改めて僕に当てられた役職が、いかにもこじつけっぽい『オーファ専属補佐係官』でした。見事に減俸されちゃいましたけどね、ガチガチの役所勤めが嫌だったから、前よりずっと気楽でいいですよ。……何よりもアーシア様といると気持ちが前向きになるし、それが一番の救いかな」
「うふふ。だめな男よねえ、ほんとに……」
そう言いながら、アーシアは嬉しそうに微笑んでいた。
「そんなわけで、上には内緒なんだけど、家庭教師の仕事なんかもして小遣いを稼いでいるんだ。時々頼まれて、教会や広い部屋を借りて教室を開くこともあるよ」
トマはアーシアに向けていた顔を、恵悟たちの方へ戻して言った。
「へええ、凄い。頭いいんですね、トマさんって」
トマは日本の国家公務員に当たる職業に就いていて、人に勉強を教えるのが得意らしい。話を聞いて、よほど頭のよい人なのだろうと、現役の学生である恵悟達は感心した様子であった。
実際に、トマという人間は実務的には無能ではない。政府役人、空陸の軍人を育成する訓練機関アカデミーを、規定数値をずっと上回る成績で卒業し、地方とはいえ広大な管理面積を誇るローセルム政庁に配置されたのだから、それなりの実力者である。
「確か、ご近所のマリーちゃんにも勉強を教えてあげてるんだっけ?」
尋ねたのはアーシア。
「そうです。あの子には相変わらずタジタジですよ。本当」
「あはは。おじさんじゃなくて、ちゃんと先生って呼ばせるのよー」
おどけた仕草で、トマの肩を小突くアーシア。トマは笑顔である。学歴を活かして他人に勉強を教えるトマの副業は、彼の心を喜びで満たすものだ。
そして、役所を離れてオーファを補佐する本業(これには、アーシアを監視するという中央政府の意図も含まれている。トマは職務には忠実だが、その意図に関してはほとんど意識していない)。収入は減ったけれども、心の安定と満足感においては、アーシア達と出会う前よりもずっと大きい暮らしになっていた。
「でもさ、何か楽しそうでいいよね。家族じゃなくても一緒に生活するなんて」
葵は恵悟の目を見つめながら、そんなことを言った。恵悟の方ではそんな生活が想像できないらしく、顔に疑問符を浮かべていた。
「あと、一応付け加えておくけど、トマと二人きりってわけじゃないからね。おじい様も一緒に暮らしているのよ」
「アーシアさんの、おじいちゃんですか?」
葵が確認するような尋ね方をしたのは、おじい様、という呼び方に引っかかりを感じたためである。
「まあ……そうね。帰ったら紹介するわ。たまに厳しい時もあるけど、普段は優しいし、もの凄い人だから、間違いなく力になるし、必ずなってくれるわよ。あなたたちの帰る方法も見つけてくれるかもしれない」
真剣な顔つきで、クエインについて語るアーシア。血の繋がりがないことは、今は伏せておいた。
「わわ、アーシアさんがもの凄いって言うなんて、相当凄いよ、ケイ君。期待しちゃうねっ!」
葵が自慢のくりくりした大きな瞳を輝かせながら、満面の笑顔を作ってみせた。そんな彼女に向かって、恵悟は穏やかな微笑を返した。
* * *
──長い航海。話し相手になる連れは増えたが、時間はたんまりと余っている。
「ねえ、ケイ君。ちょっと船の中、探検してみない?」
それは、好奇心旺盛な葵からの誘いだった。
「ん、そうだな。アーシアさん、行ってきてもいいですか?」
恵悟に訊かれたアーシアは、若干眠たそうな顔をしていた。
「うん。時間はたっぷりあるし、どうぞ」
「やったぁ!」
嬉しそうに飛び跳ねる葵であった。
「ただし、客の中には物騒な人間もいるから気をつけてね。特に武器を持った人間や、柄の悪い冒険者にばくれぐれも近づかないこと。約束できるかしら?」
「はい。気をつけます」
忠告を胸に、二人は客室を出て行った。
トマは終始黙って見ていたが、少年と少女が出ていったあと、不安材料をこぼした。
「アーシア様。二人きりじゃ、ちょっと心配じゃないですか? この世界に来たばかりで、ほとんど何も知らないのに……」
そう言われると、アーシアの心中にも二人の身を案じる気持ちがこみ上げてくる。
「そうね、確かにそうだわ。じゃあ、私かあなたが案内してあげるのはどうかしら?」
アーシアの提案に、トマは首を傾けた。
「うーん。葵ちゃん、すごく嬉しそうだったしなあ。せっかくの二人の時間を邪魔するのも野暮ですよね?」
余計なお世話だと言えなくもないトマの気遣いではあったが、確かにそれも一理あると、アーシアは何度か小さく頷いた。
「じゃあ、このコに頼もうかしら」
そう言いながら、アーシアは足元にある鞄の口を開けた。この厚手の布鞄は、往路では所持していなかった。イヴェロム大陸を去る際に、必要だと感じて購入したものである。
「キュイ」
中から顔だけをピョコリと出したのは、白毛で長耳の生き物。首を左右に振り、つぶらな瞳で辺りの状況をしきりに確認する。
「ねえヘイゾー、話は聞いていたわね? 恵悟君達の後を追いかけて。あなたが二人を護ってあげて」
「キュ!」
護衛という重要な任務を託されたヘイゾーは、高らかにひとつ啼くと、トマが少しだけ開けたドアの隙間から、勢い良く飛び出していった。
「安全面は、これで大丈夫でしょう。あのコは見た目からは想像が出来ないほど強いからね」
適任といえるかもしれない。見た目が愛くるしいヘイゾーならば誰からも魔物とは思われないだろうし、この役にはうってつけだ。能力的にも、普通の人間相手ならば、恵悟達を護るくらいのことは出来る。
トマはアーシアに同調して頷いた。
「何せ、メナスト・コントロールができますからね、ヘイゾーは」
「しかも、人間の言葉までわかる。やたら賢いし、考えてみれば不思議な魔物よね」
* * *
通路を歩いていた恵悟と葵は、聞き覚えのある鳴き声を耳にし、振り向いた。
「あっ、ヘイゾー!」
「キュイ!」
お気に入りの動物(?)を目にした葵は、迷いなくヘイゾーを抱き上げた。
「来てくれたのねっ……」
葵が胸に抱いて優しく頭を撫でてやると、ヘイゾーは嬉しそうにヒゲをピクピクさせた。その一方、苦手意識のある恵悟は触る気すら起きなかった。
ヘイゾーは葵の肩にチョコンと座り、二人と一匹になった一行は船内の探検を続けた。大きな客船だけあって、通路にはたくさんの客室のドアが並んでいる。
「あんまり遠くに行くと、迷っちゃうかな?」
歩きながら、葵がささやかな不安を漏らした。
「ほとんど直線の一本道だし、心配する必要はないだろ」
通路を一直線に進むと、上り階段と下り階段があった。
二人が階段を上ってみると、その先は思いのほか広い空間で、どうやら利用客のための共有スペースらしかった。そこでは、大勢の人間が各々好きなように過ごしていた。
「あ、すいません」
階段を上りきった所で突っ立っていたため、後ろから上ってきた客の通行を妨げてしまった。するりと脇をすり抜けたその通行人は、恵悟らの服装を妙に思ったらしく、訝しげな目をしてから奥にある一般の自由席に向かっていった。
「人、いっぱいだね」
見れば、手元に剣などを置いた乗客も多い。そういう者に限って粗暴そうな容姿をしているので、恵悟達は、彼らがアーシアの言う柄の悪い冒険者の類なのだろうと思った。
「怖いよ」
葵が恵悟の背後に隠れるように後ずさりした。それは無理は無いことだ。刃物を所持したまま乗り物に乗るなど、自分達の暮らしていた世界では考えられないことだ。アーシアに言われなくても、二人はこういった人種には近づきたくないと感じたに決まっている。
「ねえ、もう下りようよ」
若干声を震わせながら、葵が言った。
「ああ。そうすっか」
この場にいると、背筋がゾクゾクして仕方がない。二人はそそくさと、上ってきた階段を今度は下った。
「じゃあ、次はどんどん下に行ってみるか」
船内は多層構造になっている。階段を下った先は恵悟達の客室がある階と似たような作りの客室エリアだった。
「ねえ。やっぱり、外には出られないのかな?」
「そりゃあ、俺たちの知っている海上の船みたいにはいかないだろうな」
これが水に浮かぶ船ならば、船外に出て海をわたる風に当たることもできようが、空飛ぶ異界の船に同じ楽しみを求めることはできるだろうか。
「ぶ厚い窓からじゃないと、外の様子がわからないなんてね」
そう言いながら、葵は窓にへ張り付いた。船外には、低空ほど深く暗い青色をした、海中を思わせるシーレの空が広がっている。出来るならばもっと広く、空全体を見渡したいが、残念ながら小さな窓からでは壮大な景色を味わうことはできない。
「うーん、どうにかして、船の外側に出られないもんかな?」
恵悟の方でもだんだんと冒険心が燃え上がってきた。
「甲板に出られれば一番いいのにね。もしかすると、さっきの一般席からい行けるのかもしんないけど……さ」
確かにそうかもしれないが、あの先に進むのは気が引ける。
「でも、闇雲に歩くのも怖いよな。せめて案内図でもあればいいのにな……」
二人共、一般客のわんさかいる自由席がある上階へ行くのは気が進まない。
結局、上層は避けて、もっぱら代わり映えしない中・下層部を歩くことにした。
何回か階段を下りると、下り階段の代わりに重々しい扉のある階に辿り着いた。この扉は鉄製でとても頑丈に作られている上、厳重にも鍵が掛けられていた。
「これ以上は、下に行けないようになってる」
「関係者以外立ち入り禁止、って事じゃないかな?」
目の高さくらいにガラス窓が張られていて、扉の向こう側を確認することができた。そこにはこれまでとは違う、金属製の下り階段があったが、その階段がどこに通じているかまではわからない。
「じゃあ、今度は上に行ってみるか。甲板を目指してさ」
「ええっ」
恵悟の提案に、葵は身をこわばらせた。
「でも……やっぱり、あっちは怖いよ」
状況を楽しむ余裕が生まれつつある恵悟とは異なり、葵はかなり怯えている。彼女の視線は心許なさから、ずっと下を向いている。
まだ、この世界に住む人間の常識とか道徳観を知らないのだ。先程の一般席の様子を思い出しただけで、背筋に冷たいものが走るのだ。
「キュイ!」
すると、葵を励ますために違いない。ヘイゾーが大船に乗ったつもりでいろ、と言うが如く自分の胸を叩いて見せた。
「あはは、ヘイゾーは勇敢だね。ケイ君みたい」
葵は笑顔を取り戻したが。
「おい、そんなのと一緒にすんな」
恵悟は面白くない。
「キュ、キュ」
ヘイゾーは恵悟のことを無視し、葵に頬を摺り寄せている。
「チッ、褒められて喜んでやがる。ただの女好きじゃないのか、こいつはよ」
「ケイ君、そんなこと言ってると、またやられるよ?」
その時、である。
「おわ、何だァ!」
「きゃっ!」
突如、先程までの静かな航行が嘘のような、強烈な揺れが二人と一匹を襲った。体勢が崩れ、思わず壁に身を委ねる恵悟。葵はそれすらできずに尻餅をついてしまった。
大きな揺れが収まった後も、ガタガタという小さな振動が続いた。天井から吊るされた照明が振り子のように揺れて、なかなか止まらない。
「大丈夫か、葵」
「うん……平気」
葵は頷き、立ち上がった。
「でも今の、絶対普通の揺れじゃないよね」
「ああ。わかんねーけど、急ブレーキをかけたみたいな感じだったな。どうしたんだろう」
すると間もなく、通路の奥からライト・グレーの制服を着た女性が駆けてきた。慌てた様子で恵悟達の元へ向かってくる。
「お客様、お席にお戻り下さい」
「何があったんですか?」
「はい。ちょっとした機械のトラブルにより急停止し、今は停船しております」
丁寧な説明を行う船員だったが、その顔色はまさに蒼白そのものである。
「ご迷惑おかけしますが、大した問題ではありませんので、復旧までお席でお待ち下さい」
切迫した口調から只ならぬ状況であることが想像できる。イヤでも緊張が伝わり、葵はどんどん不安になってきた。
「ケイ君、言われた通り部屋に戻ろうよ」
「ああ」
船員の指示に従い、恵悟達は部屋へ戻ることにした。再び揺れが襲ってこないよう祈りながら、来た道を引き返す。
階段を上り、自分達が借りている客室のドアを開けた恵悟は、佇立して部屋の中を見回した。部屋の内部が荒らされているとか、そういった類の異変があったわではない。だが、そこにいるはずのアーシアとトマの姿が見当たらなかった。
「あれ、二人ともいないね……」
「鍵もかけずに……どこに行っちゃったんだろうな」
そう言って、二人は顔を見合わせた。こんな時に限って、という共通の思いが、頭の中を巡ったのである。