竜尖の牙 ~呪われし血の騎士~
「君と剣を交えるのも久しぶりだな。さあ、合図は無しだ。遠慮なく、好きな間でくるといい」
さすがは騎士団の長。シオンと対峙するサスファウトの立ち姿は実に堂々たるものだ。相手に胸を貸そうという気概が窺える。しかも、彼は木剣を片手で構えている。まさかシオンを見くびっているわけではないだろうが──。
「たッ」
しばらく見合った後に、竜国の騎士が先攻した。木剣同士が衝突し、場内に乾いた音が響いた。サスファウトは相手の斬撃を軽くいなすと、つづく第二撃、第三撃も危なげなく防いで見せた。
サスファウトの剣技は決してシオンの清流を乱したりはしない。むしろその流れを利用し、身を任せる。すると、自然と相手の動きが読めてくるのだ。常人離れした武術の才能の為せる業である。
今度はシオンの側にとって手応えを得られない一戦となった。追い詰めたように思えても、サスファウトは光の粒子が踊る長髪をなびかせて攻撃を避けてみせた。
やがて体を入れ替えた二人は、試合場の中央で激突した。シオンが渾身の力を込めて鍔迫り合いを制しようとするが、サスファウトは相変わらず片手で握る木剣でそれを押し留めている。
「うぁッ!」
相手の力を利用する術を心得ているサスファウトの無駄の無い動き。シオンは押し負けるというよりは振り飛ばされて床に転がったが、敗北を認めずすぐに起き上がって構え直した。
「……まだ、まだこれからです」
幾度か同じような展開が繰り返されたが、シオンは諦めなかった。それは単なる意地か、根っからの負けず嫌いなのか。がむしゃらにサスファウトに挑んでいく意外な根性を見せた。
「降参か、シオン殿」
「しませんッ!」
シオンの額には汗が滲み、呼吸は荒くなるばかりである。
両者の力量差が歴然としるのだ。終了の合図をする者はおらず、明確な勝敗があるでもない。この試合においては、どちらかが負けを認めない限りは、決着には至らないのであろう。ただ誰の目から見ても、シオンが敗北を認めるのは時間の問題であろう、と思われる展開だった。
「まーったく、シオンたら意地になっちゃって見苦しいわねぇ。サスファウトも、もう止めにすればいいのに……」
事件の張本人であるエリミティーヌは用意された布張りの椅子に腰掛け、すまし顔で観戦していた。
今にも終わりそうな試合。ところが、だんだんとシオンの様子が変わり始めた。負けを認めるどころか、一太刀毎により一層の気迫をはらませ、その表情も憎悪する仇に挑むかのような鬼気迫るものへと変貌していった。
それは、ムキになっているなどというような生易しいものではない。勝つことへの執念がそうさせるのか、狂戦士が如く鋭い斬撃をサスファウトに見舞ってゆくのだ。
「おいおい、止めたほうがいいんじゃないのか──?」
シオンの様子が常人離れしてきたので、試合を見守る観衆は気を揉みだした。木剣での打ち合いであるとはいえ、これ以上試合を続けるのが危険に思えてきたのである。
そんな監修の不安をよそに、サスファウトはまだ余裕を持って、心配など無用であると態度で示すが如く、シオンの猛烈な連撃を受け流していた。
尋常ではないシオンの変化は、彼女の中に眠る忌まわしき気質が呼び覚まされたことを意味していた。彼女は自制心を失い、敵を粉砕するという願望成就に駆り立てられていた。
ふと、シオンが間を置き大人しくなったので、サスファウトは木剣を下ろして試合をやめにしようとした。──ところが、シオンは構えを解かない。極端に重心を低くし、柄を絞り、体の後方で武器を構えた。
「……むっ?」
サスファウトは相手の構えの変化に気付き、再び木剣を構えた。彼はシオンがとった構えのことを知っていた。
──竜尖の牙突だ。
アスト・ソレイジアに伝わる固有の武技、竜尖。その中でも、一撃必殺を主眼に置いた剣技。その構えは見かけばかりのものではない。肉体と武器に練り上げた竜国の民のオーラを宿らせ、一点破壊に特化させる、力を蓄えた竜の構えだ。
漆黒の炎が宿った悪魔的なシオンの瞳がサスファウトを捉えている。異常なまでの敵愾心を剥き出しにしている。下手に動けば、その瞬間に竜閃剣が牙をむくだろう。木剣だと言っても直撃を食らえばまず命はない。
今この時に慌てたのは、剣を向けられているサスファウトではなく、事態の尋常ならざることを感じとった観戦者たちである。
「ちょっと、シオン! やめなさい、これはただの試合なのよ!」
エリミティーヌの叫びも、今のシオンの耳には届かない。緊急事態とみた練武場の兵士たち、そしてウルネが試合場に立ち入ろうとする。
「来るな! 巻き添えを食らうぞ」
サスファウトは冷静に、それらの介入を制止した。シオンが扱う竜尖剣は亜流ではない。王族伝統の正当な流派だ。もしも奥義が会得されていれば、喰らった者だけが損害を受けるのでは済まない。シオンの父親が模擬訓練でそれを放ったのを見たことがある。だからサスファウトにはわかっていた。
「シオン殿、このままでは誤った力の使い方をしてしまうことになるぞ。それは君にとっては不本意だろう。……まだ間に合う。剣を下ろすんだ」
サスファウトはシオンをなだめ、諭すように言った。しかしその言葉も今のシオンの耳には入らない。悪魔に支配された心には届かないのだ。
「……私は、勝つ。絶対に、勝つ」
竜国人のオーラが一層高められ、シオンの身体から光煙が立ち昇る。サスファウトは木剣を構えたまま身動ぎひとつしない。少しでも動けば相手が掛かってくる気配があったためだ。
(どうやら、逃れられないようだな)
説得が不可能だと悟ったサスファウトは方策を立てようと考えた。
一体どれほどの速度、威力でくるのか。全くの未知数であるゆえに、瞬時の見極めが生死を左右することになるだろう。シオンは力量的にはサスファウトに及ばないが、竜尖の奥義と竜国の民の闘気、そして得体の知れない悪魔的な力──が加味されている。
シオンの間合ギリギリから飛び込めば、活路を見出せるかもしれないと、サスファウトはそう考えた。しかし、彼が何かしらの行動を起こすには、距離が開きすぎていた。出来る限り近づきたいところである。
サスファウトはジリッ、と足裏を少しだけ擦り動かした。それはほんの僅かな動作であった。
「──!」
だが、その微動が竜尖剣の引き金となった。蓄えられた力を解放した竜が襲い掛かる。実に凄まじい勢いで、シオンが突撃してきた。サスファウトは読み違えていた。最初からシオンの間合いに入っていたのである。
竜尖剣の奥義はまさに神速である。それを回避することはさすがの達人サスファウトと言えども不可能であった。
接触の瞬間、爆発的な風圧と衝撃波が練武場内を走った。木剣で打突の直撃を逸らしたサスファウトだったが、彼の木剣は風船のように破裂した。衝突の瞬間のエネルギーは凄まじく、床が波打ちタイルがめくれ上がり、爆風に乗ってエリミティーヌの居る練武場の端まで吹き飛んできた。
(──だが、防いだ!)
爆心地にいるサスファウトは姿勢を保つことができた。そして衝突の威力でシオン自身がよろめいたため、一瞬のうちに彼女の横に回りこんで、細い腕を掴んだ。
シオンは暴れてサスファウトの手を振り払おうとするが、サスファウトはそれを許さない。そこから身体のアンバランスを見ると、サスファウトは相手の足を大きく払った。
「ッ!」
鈍い音を立てて、シオンが床に倒れた。サスファウトは組み付いて、彼女の手から木剣を奪い取った。
「くっ」
組み伏せられながらも、なおもシオンはサスファウトに抗った。
「シオン! いい加減にしなさい!」
駆け寄ってきたエリミティーヌが、シオンを怒鳴りつけた。だが、シオンは一向に大人しくならない。サスファウトに抑えられながらも、猛烈に暴れている。
「シオンッ! 私の言うことが聞けないのっ?」
もはや絶叫に近い、張り上げられた王女の声である。
「……は」
ようやっと呼びかけが届いたらしく、シオンは唐突に暴れるのを止めた。彼女は瞬時には現状を把握できない様子だったが、すでに理を取り戻していた。
「あ、私……は」
サスファウトに組伏せられたまま、呆然と呟くシオン。
「もうっ! あなたまで国の恥を晒してどうするのよ!」
そう怒鳴りつけるエリミティーヌには思いがけず、自分も恥を晒したという自覚があったようだ。
正気を取り戻したシオンを見て、サスファウトはスッと立ち上がった。続いてシオンが上半身を起こして床に座る。
「申し訳ありませんでした……姫様、サスファト将軍……」
消沈した気持ちでは、王女に対する口答えもない。サスファウトはそんな茫然自失状態のシオンを見つめ、思った。
(これこそがネスティルダ家の血の為せる業、か──)
血塗られしアスト・ソレイジア王家の影、それがネスティルダ。竜国の歴史に咬傷を残したその祖が正統王家と分かたれたのは、備わっていた忌まわしい気質にあったと言われている。
(そして、この若さでこれほどの剣技。末恐ろしい娘だ──)
練武場内を見回す。彼女の竜尖剣が完成されていなかったのと、武器が木剣であったのが幸いし、死傷者は出なかったが。ほとんど柄の部分しか残っていない木剣や、無残に吹き飛んだ床のタイルを見れば、シオンが尋常ならざる力をもっているのは明白だ。そもそも、竜尖はそう容易く習得できるような技ではない。
「シオン殿、他国の将軍に対し厳しいことを言うようだが、力というのはコントロールできなければ意味がない。感情を制し、己を律することは一人前の騎士の条件だ。君は優れた武人だが、それだけでは足りない。君はまだ若いのだ。精神の練磨を心に留め、努めていかねばならない。それが正しい騎士の道だ。……わかるかな?」
「身にしみて、よくわかりました」
悄然と、また言葉少なに答えるシオン。大先輩からの教示を受け、自己の未熟を痛感せざるを得なかった。
「ほら、いつまで座ってるのよ、シオン。もう行くわよ。みんな待ってるのでしょう」
「姫様……」
頑なだった態度を急変させたエリミティーヌと、その顔を見上げるシオン。
「あなたの言うとおりにするって言っているのよ。それで文句無いわね」
エリミティーヌはぶっきらぼうに言い放った。
「では、サスファ……フレイルース卿。お名残惜しいですが、これで失礼いたします。また逢える日を楽しみにしていますわ。……シオン、先に行くわよ」
佇まいを正してから、エリミティーヌが言った。彼女の心中を察するに、一刻も早くこの場を離れたかったのであろう。案外あっさりとサスファウトに背を向け、練武場の出口に向かった。
「あ、姫様、お待ちを……あぅ」
シオンはエリミティーヌを追うために立ち上がろうとしたが、失敗した。どうやら足腰に力が入らないらしかった。
「大丈夫か、シオン殿」
サスファウトが気遣った。自分を見失った人間が気付かないのは無理は無いことかもしれない。実力以上の力を発揮し、竜尖の技を放ったことで、彼女は相当に疲労していた。
「姫様を、お一人にするわけには……」
「あの方のことならば心配はいらない。すでに、君の部下が外で待機しているようだ」
「皆が……。そうですか」
「中に入っては来なかったがね。まあ、さっきの衝撃は伝わっただろうな」
そう言ってサスファウトはチラリと、練武場の入り口の方に目をやった。王女はすでに外に出たようである。
「申し訳ありませんでした。この練武場を壊してしまったお詫びは、必ずいたします」
「いや、それは気にしなくてもいい。ここは皆が暴れる場所だから、壊れることは頻繁にある」
それもまた気遣いだ。サスファウトは優しい笑みを浮かべた。
「それにしても、竜尖の技を会得していたとはね。竜国の武神と謳われたお父上譲りといったところか」
「本当に、本当にごめんなさい……。私、使うつもりなどなかったのに、途中から訳がわからなくなってしまって」
「……いや、おかげで君が負けず嫌いだということがよくわかったよ。エリミティーヌ様といい勝負かな?」
冗談めかして言うサスファウト。
「うぅっ……」
殿方にからかわれたのだ。耐え切れず、シオンはうつむいてしまった。
彼女は、恥ずかしくて仕方がないのである。王女に対して偉そうな口を利いた割に、自分を見失ったり、腰を抜かしたりと、ひどい醜態を晒してしまったこと。それが戦場ならばまだ救いがあったに違いないが、ここは仮にも他国の都の中心部である。
また、将軍といっても、根が豪胆なわけではない。シオンの中身はうら若き乙女だ。本来ならば深窓の令嬢であるはずの高貴な身の上だ。武人以外の選択肢も選べたのだが、それをしなかった経緯がある。彼女は本来、戦場に立つ必要が無かった人物である。
「どうだい。立てるかな?」
「は、はい。よい……しょ」
差し伸べられたサスファウトの手を取って立ち上がるシオン。触れ合う手を通して伝わる体温。それは、王女が彼を慕う気持ちを少なからず理解した瞬間であった。
「あの、……サスファウト将軍」
「何かな?」
「実はここに来る前にロシオウラ様との接見が許されたので、全てをお伝えしました。お二人の問題ということもありましたし、出すぎた真似とも思いましたが──」
「そうか……いや、これは私達だけの問題ではないからな」
サスファウトは神妙な面持ちで言い、瞼を閉じた。──決して、深い関係なのではない。しかし、この重大な事実が知られてしまった以上は、放埓な王女に付き合うのも、これが最後になるかもしれないと思った。
「それでは、私に対しても厳粛な処罰があるだろうな。……是非もない」
「案ずるには及びません、この度の事件は姫様の身勝手が招いたことですし、両国の友好関係と情勢とを鑑みて、ロシオウラ様にも寛容な取り計らいをお願いしてまいりました。出すぎた真似とあらば、お叱りもお受けいたします」
シオンとサスファウトの利害は一致している。また、国家間の問題となればロシオウラも万事に抜かり無く対処するに違いない。むしろ、今の早い段階で発覚したことは幸いである。シオンの機転が功を奏したのもあって、穏便に治まりそうな気配である。
「すまない、君に気を遣わせてしまったな」
シオンは微笑を含みながら、当然のことですと言い、さらに
「姫様は我慢の限界だったのでしょう。城にいるだけでも、閉じ込められているような気がして苦手だそうですから。王様も王妃様も頭を悩ませておられますよ」
と言った。
「なるほど。アスト・ソレイジア王はまだご存知ないのだな? 今回の騒動を」
「それは確かです。ただ、我々の母艦は近隣の空域にあってまだ帰港しておりませんし、不自然に帰りが遅れてしまうと困ったことになりかねません」
「誤魔化すつもりはないが、かと言ってご心配を煽ってしまうのもよくない。ここは急いで戻った方がいいな」
「では帰還のため、私達の母艦がトラシェルム帝国の領空内を飛行し、帝都近郊に停泊することをお許しいただけますか?」
「もちろんだ。近郊と言わず、帝都の中央港に着陸するとよい。早速手筈を整えよう。安全も保障する。──まあ、アスト・ソレイジアの紋章がある船を攻撃するほど我が軍は愚暗ではないがね」
会話を交わす二人の傍らにウルネ将軍が立った。彼女は子細を知っているわけではないので、この状況を飲み込めてはいなかった。
「お伺いしたいのですが、どういった事情なのですか。先程の佳人は誰なのですか。……王女とはもしや、アスト・ソレイジアの……ですか?」
眉間に皺を作って訊ねた。
「いいか、ウルネ将軍。君がこれ以上のことを知る必要はない。また、今日ここで関わった出来事について、一切他言無用だ。特に兵士達には余計なことは決して言うな。……決して、だ」
「……は、ハッ! 了解しました」
念を押す上司の両眼に射すくめられ、ウルネは反射的に表情を引き締め、佇まいを正した。
「すみませんが、どうかお願いします」
続いて、シオンがそう言いながら丁寧にお辞儀をしたのだが、そを見つめるウルネは反応に困ってしまった。
サスファウトとの試合中に見た、まるで別人の彼女。その時の何かに取り憑かれていたとしか思われない姿が脳裏に焼きついていた。可憐な少女という印象と、不気味で狂ったな印象が融解せずに残滓となった。
しかし、まともかどうかは別として、とてつもない逸材である予感がした。
(世界は広い、な……。私も、まだまだ精進が足りないな)
仔細を知る由も無いウルネは、騒動に巻き込まれた挙句、そんなことを考えさせられたのであった。