剣花競宴
「……姫様。サスファウト将軍も困っておられるではないですか」
シオンがエリミティーヌをたしなめた。
「だって……こうでもしないと、いつまで経っても逢うことができないんですもの。大体、私の生活には普段から自由というものが無さすぎますわ」
そう言って、ツンと顎を持ち上げるエリミティーヌ。今度の騒動の張本人ながら、彼女には反省の色が全く見られない。
シオンは呆れて溜息をついた。我の強い王女を連れて帰ることの困難は予想していたが、やはりこれは相当骨の折れる作業になりそうな気配だ。
「そんな、子供みたいなことを仰らないで下さい。大切な御身体なのですから、厳重に護られているのですよ。……さあ、いつまでもここにいては帝国の皆さんにも迷惑をかけてしまいます。一緒に帰りましょう」
「あなた、同い年のくせに年長じみたこと言わないで欲しいわね。大体、シオンはアタマが堅すぎなのよ。そんなんじゃ、すぐにおばあちゃんになるわよ」
相手の言葉に思わずムッとした表情を浮かべたシオンだったが、すぐさま冷静を取り戻して反撃する。
「……なりません。姫様はよく私の頭が堅いと仰られますが、これでも出来得る限り柔軟に対応しているつもりです」
「柔軟? 柔軟って、どの辺りがよ! いつも少し自由に振舞っただけで文句を言うじゃないの! 私のやることが何でも悪いみたいに」
「ご自覚あそばせないようですが、姫様のご自重なさらない行動で周囲の人間が困らないよう、お諌めするのが私の役目です。日頃、我慢を強いられているのは、私だけではないのですよ」
淡々と、だが痛烈に言葉を紡ぐシオン。エリミティーヌは怒りを爆発させ身体をブルブルと振るわせた。
「くぅっ! この頭でっかち! 好きな殿方に逢いに行くことの何が悪いのよ。ロクに恋も知らないあなたにはわからないのかもしれないけどね、人間には理性では抑えきれない感情ってものがあるのよ! もう、こうなったらあなたに罰を与えるからね。シケーよ、シケー。覚悟しておきなさい」
「やれやれ……」
サスファウトは二人のやり取りを呆れながら見ていた。お目付け役という役目に忠実なシオンは一歩も引かないし、感情むきだしのエリミティーヌには言葉遣いからしてすでに王女の風格が失われていた。
「では、こうしませんか」
サスファウトは喧嘩する両者の間に入って、ひとつの提案をした。
「シオン殿と、我がトラシェルム煌翼神騎士団の代表で腕比べの試合を行うのです。その結果、もしシオン殿が勝負に勝ったならば、エリミティーヌ様は彼女の言うことを聞いてアスト・ソレイジアに帰る。……どうですか?」
「それは、面白そうですね」
シオンは興味ありげに眼を大きくして、パチパチと瞬きした。
「……でも、それだとサスファウトはわざと負けるじゃないの。そんなの、不公平ですわ」
エリミティーヌがもっともなことを言った。逃避行の事情と試合後のルールを知るサスファウトがトラシェルム側の代表では、さすがに公正ではないだろう。
「いくら貴方の仰ることでも、認められません。絶対」
相変わらず機嫌悪そうな王女。腕を組んだまま、ちょっと荒めの口調である。
「心配御無用。シオン殿の相手は、何も私である必要はありません。事情を全く知らない人間が良いでしょう」
サスファウトは王女とシオンの両名を連れ、入り口から練武場の内部に戻った。
「ウルネ将軍! ここへ」
名前を呼ばれたウルネは、兵士達を休ませてから駆け足でやって来た。
「何でしょうか?」
ウルネは騎士団長サスファウトの背後に立つ二人の少女をちらりと見てから、そう尋ねた。
「実は今、アスト・ソレイジア飛竜騎士団の副団長が来られているのだが、ひとつ腕試しをしてみないか」
「えっ! ……どこに、ですか?」
アスト・ソレイジアの飛竜騎士団と言えば、泣く子も黙る精鋭部隊。勇名轟く南空の牙。全ての騎士にとって注目に値する存在だ。そのエリート戦闘集団の副団長がこの練武場に来ているとなれば、武芸者であるウルネが気にならないはずはない。
「将軍……私です」
そう告げて一歩進み出たのは、ポニーテールが似合う可憐な少女であった。何かの間違いではないかと思い、ウルネは目をパチクリさせた。
「初めまして。アスト・ソレイジア飛竜騎士団の副団長シオン・ノルーグ・ネスティルダと申します」
「あ……これは、失礼しました。私はトラシェルム帝国煌翼神騎士団の将軍ウルネ・レンツィ……ですが……」
ウルネはまだ信じられないといった顔である。シオンという少女の喋り方、言葉遣い、風采、どれをとっても慎ましげで、武将というよりは良い所のお嬢様といった具合だ。何よりも、驚くほど若い。
いや、十代の若い将兵などそれほど珍しくはないが、多くの軍人に畏怖される飛竜騎士団の重鎮であるなどと、それはさすがに無理がある話だ。ウルネはこれは何かの冗談か悪戯か、と思ってサスファウトの方を見てみたが、上官は微笑するだけであった。
「ウルネ将軍、お手合わせ願えますか?」
「……わかりました。喜んでお受けいたします」
事情はよくわからないが、ウルネの側に申し出を断る理由はない。二人はお互いの木剣を手に握り、試合場の中央で見合った。
先程まで訓練に励んでいた兵士達も、周囲に群がって事の成り行きを見守っている。彼らはウルネの勇猛ぶりを知っているので、彼女の前に立つ華奢な少女が猛獣を前にした小鹿のようにさえ見えた。
「王女様。約束の件ですが、異存ありませんね」
ここで、サスファウトがエリミティーヌに念を押した。
「ありませんわ。シオンがコテンパンにやられるところ、見るのが楽しみですから」
どうやら王女は自分のお目付け役がやっつけられるのを楽しみにしているらしいが、実際のところこれは遊びではない。これは親善試合の名を借りた、国家同士の戦いでもある。試合に臨む両者は当然それを心得ているが、彼女達の肩に騎士の誇りと国の威信がかかっていることなど、エリミティーヌにはわからないだろう。
「はじめ」
サスファウトの合図で、ウルネとシオンの試合が始まった。
情熱的な赤い髪に、褐色の肌。女性としては逞しく、やや筋肉質の肉体。精悍な騎士ウルネは例えるならば美闘士。戦場においてはまさに猛将である。彼女に対して、白百合のようなシオンがどれだけ闘えるのだろうか。一同は、固唾を飲んだ。一方は戦闘経験が豊富な生粋の軍人。そしてもう一方は、虫すら殺すことが出来なそうな、楚々とした少女である。
(──きっと、名ばかりの飛竜騎士副団長に違いない)
ウルネには目の前のひ弱な小娘に負けるはずがないという自負心と、トラシェルム帝国が誇る煌翼神騎士団の将軍としての矜持がある。
「はっ!」
勝負を手早く済ませようと、仕掛けたウルネの剛の剣がシオンに襲い掛かった。シオンは流れるような足の運びでそれを退ける。そして、ごく自然に────風に吹かれた落ち葉が遠のいてまた身近に舞い降りてくるように、ウルネのこめかみあたりを狙って打ち込んだ。ウルネは予想を超えた意外な反撃に度肝を抜かれたものの、反射的にそれを防いだ。
「っ!」
これほど柔軟で流動的な剣技に、ウルネは未だかつて出会ったことが無い。例えるならば一点の淀みもない清流。恐ろしく素直で、流れがあり、力に逆らわない。肉弾戦に慣れているウルネだからこそ、始めの一合で相対するシオンの腕前が並ではないということがわかった。
「エエィッ!」
攻撃こそ最大の防御と言わんばかりに、その後も攻め立てるウルネ。
だが、彼女の剣は静かな流れの大河に投げ込まれる石の如く、暫時の波は立てるがやがて消え、水の中に飲まれてしまう。手応えを感じさせないシオンの受けと返しに、翻弄され続けた。
この試合を見つめる観衆の驚きもまた格別だ。ウルネ将軍と互角以上に渡り合う異国の少女の姿は、竜国アスト・ソレイジアの騎士にふさわしく、動きに合わせてなびく長髪が大空で優雅に舞い踊る黒竜を彷彿とさせた。
「だぁっ!」
ウルネが強烈な一振りを放った、次の瞬間。何が起こったのか、ウルネには理解が及ばなかった。彼女の剣が命中すると思われた瞬間、目の前にいたシオンの姿が突然消え去ったのである。
「うッ」
気が付いた時、シオンはウルネの懐に飛び込んでいた。あまりにも素早い身のこなしで間合いを詰めたため、ウルネには相手の姿が消えたようにさえ見えたのである。
「隙あり、です」
シオンの木剣はウルネの腹部に押し当てられている。もし、これが真剣だったなら、間違いなくウルネの命はなかっただろう。
「そこまでだ」
サスファウトが、試合の終了を宣言する。
「……参りました」
あっという間の勝負だった。ウルネは至極悔しそうにしていたが、そもそも相手を見くびり、力量を見誤っていたのは彼女である。そこに油断が生じたことは確かで、それらを噛み締めたウルネは自分のふがいなさを痛感するに至った。
「おい……あのウルネ将軍が負けたぜ」
「何なんだ、あのコ……」
衝撃的な場面が、観戦していた兵士達の前で展開された。大方の予想を覆す結果となったのである。
シオンは一礼をすませると、サスファウトとエリミティーヌの元に戻った。
「見事だったな。最近慢心ぎみだったウルネも、これでまた精進するだろう」
サスファウトは満足げである。王女を連れ戻したいシオンにとっても、また部下であるウルネが良い刺激を受けた点においても、この方法を提示したサスファウトの采配は見事だった。
煌翼神騎士団の将軍が敗れたことは確かではあるが、咎められるような戦いぶりではなかった。むしろ、精鋭飛竜騎士団のナンバー・ツー相手によく耐えたと褒められるべきである。
「では、エリミティーヌ王女。約束通り、今回は素直にお帰り願えますか。きっと父王様も心配なされていることでしょう」
サスファウトはわざと、優しい口調で促した。
「うーん。何だか、こう……いまひとつ納得がいきませんけど……まあ、約束だからしかたないですわね」
何よりもシオンが負けて悔しがるさまを期待していた王女。渋々といった面持ちだったが、お抱えの騎士が他国の勇将を下したということで、それなりの良い気分を味わったようであった。機嫌も先程までに比べれば、まんざら悪そうでもない。
「あの、サスファウト将軍。ひとつ、お願いがあるのですが」
「何かな、シオン殿」
「今度は約束を抜きにして、私と手合わせしていただけませんか?」
それは、武人の血の疼きだろうか、シオンはこの機会にサスファウトとの立ち合いを希望した。
「む。……そうだな、よし、やろう」
申し出に対して、サスファウトはそれほど悩みもせずに承諾した。
「ちょっと、シオン。言っておくけど、あなた負けなきゃ駄目よ」
断然サスファウトびいきの姫に送り出された二人は、各々が木剣を手にして、試合場の中央で向かい合った。
その様子を、実に心配そうに見つめているのは、先程敗れたウルネである。何と言ってもサスファウトは騎士団の長であるし、親善試合とは言え、万が一にも他国の騎士に負けるようなことがあっては、今度こそ只事では済まされないだろう。
それに、このまま道場破りのようなことを成功されては、栄光ある騎士団の名が傷つくかもしれない。内部だけではなく、取り分け外部に対する影響が強く懸念されるのである。
しかしその一方で、総帥ナーバに次ぐ武将サスファウトの実力を戦場以外で見る機会などまず無いことだから、ウルネの武人としての興味と好奇心からすれば、これはこの上なく気になる一戦であることも確かだった。