客人は空より
舞台は帝都トラシェリア。アーシア達の留守中に起きた騒動を描きます。
アーシアとトマがイヴェロム大陸に向かった、その数日後。トラシェルム帝国ではある騒動が起きていた。天空より飛来した異様な集団が、颯爽と帝都中央区画の城内に降り立ったのである。
その姿を初めて見た者が驚いたのは、彼らが煌天世界の主要な移動手段である魔晶航空艦船を用いずに飛来したことであった。上空から急降下してきたのは船ではなく大きな翼を持った小型の竜であり、その数頭の飛竜の背中にそれぞれ、甲冑に身を包んだ騎士がまたがっていたのである。
城内の庭園広場に舞い降りたこの飛竜の群れは、各々の背中に乗せた主人を降ろすと、前肢から発達した翼をたたんで地面に伏せた。そして、そのまま首を折り曲げて目を閉じると、寝入ったように静かになった。凶暴そうな外見とは裏腹に、その仕草は訓練された猛獣か、あるいは飼いならされたペットのようでもあった。
とにかく、白昼堂々と帝都のど真ん中に得体の知れない部隊が降り立ったのである。城内ではこの急な出来事に肝を潰したり、混乱して状況を把握できない者さえ現われるほどであった。
連絡を受け、慌てるように集まった城内の衛兵達が、輪になって彼らを取り囲む。鋭い槍の穂先を侵入者に向け、妙な動きでも見せようものならば突き殺しかねない、そんな緊張した事態へと場面は転じていった。
と、ここで侵入者の前衛に立つ黒髪の騎士が、自分の兜に手をかけた。兜と言ってもほとんどゴーグルのような代物で、保護している面積も少なく、防御目的というよりは目に入ってくる日光対策のために着用しているものである。
その人物が被っていた兜を剥ぐと、その下にはまだ少女と呼べる年齢の女性の顔があった。物々しい武具に似つかわしくない、際立って可憐な少女である。
どちらかといえば温和で大人しそうな顔立ちはおよそ軍人らしくもないが、その立ち姿は凛々しく、一触即発の状況下であるにも関わらず、怯む様子も慌てる様子も見せない。その佇まいからして、彼女が只者で無いことは明白だった。
「我々は、アスト・ソレイジアの飛竜騎士団である。急な訪問で申し訳ないが、ロシオウラ様との接見を願いたい。急ぎの用なので、できるだけ早く頼む」
少女は透明感のある声でそう告げた。アスト・ソレイジアと聞いて、取り囲む兵士達は槍を構えたまま顔を見合わせた。
アスト・ソレイジア王国は、トラシェルム帝国の友好国であり、今では事実上同盟関係にあると言っても差し支えない間柄である。好戦的な南方国家がしのぎを削る空域で、諸勢力の勢力拡大に対する抑制力となっている国家であり、この国のおかげで、旧リ・デルテア王国及びトラシェルム帝国は、後方の安全が確保されてきたのである。トラシェルム帝国という、広大な大陸を掌握する大国家となった今でも、両国の信頼関係は以前となんら変わりなかった。
騎士団の中心人物らしい少女が所属と用件を告げたものの、彼女達を取り囲む輪が崩れる様子はなかった。それでも少女の表情は相変わらず穏やかで、腰の剣に手をかける気配を見せない。よほどの自信家なのか、それとも暴力を行使するつもりがないのか──。
その代わり、彼女以外の騎士は今にも鞘から剣を抜いてしまいそうな勢いである。それに加え、さっきまで眠っているかのように静かだった飛竜たちが、今は頭を持ち上げ、衛兵達を睨み付けながら、喉を鳴らすように唸っている。もし主人の身に何かあれば、彼らはたちまちのうちに襲い掛かることであろう。
睨み合いはしばらくの間続いたが、ようやく飛竜騎士団を知る文官が報告を受けてやって来た。
「何をしているか! すぐに槍を収めよ!」
そう叫んだ後、文官は客人たちを取り囲む輪から進み出た。彼はまず、衛兵達の非礼を詫びた。それから少女騎士の要望を聞き入れ、すぐに騎士団を建物内に案内した。
「申し訳ありませんでした。何分、実際の飛竜騎士団を見たことがある者など今の帝国では少ないものですから」
「いえ、謝るべきはこちら側です。事前に来訪を知らせることなく、無謀な降下で驚かせてしまったのですから。ここにくるまでに射落とされなかったのが奇跡なくらいです」
少女が背中まである長いポニーテールを左右に揺さぶりながら歩いた。その美しく艶やかな黒髪が揺れる光景は、戦いと無縁に見える優しげな彼女の顔立ちと相まって、男臭い城内の無骨者どもに半端ではない癒しを振りまいた。
さて、騎士団が案内された摂政の間は、ロシオウラの意向で設けられた特別な部屋である。主にロシオウラが客人と接する場合に使われるが、その意図するところは、身分や出身の隔たりを除去して接することを目的としている。
またロシオウラを含む場合の会談や会議の場として使用されることもあるために十分な広さが確保されているが、さすがに今回は物々しい騎士団を全員を入室させるわけにはいかないので、代表として先程の少女と逞しい壮年の騎士が接見することになった。
二人が摂政の間に入ると、旨を聞いたロシオウラがすでにそこで待っていた。
お互いに挨拶を済ませると、それぞれがテーブルの席についた。巨大な丸いテーブルを挟んで、二人の向かい側に座るロシオウラ。彼の横には数名の帝国軍人と文官も佇立している。
「……シオン将軍。この度は遠路を労されての来訪、非常に痛み入ります」
「いいえ。こちらこそ、ロシオウラ様にはご多忙のところ、突然の来訪にも関わらず、これほど迅速に接見をお許しいただきありがとうございます」
そう言うと、黒髪の少女──シオン・ノルーグ・ネスティルダは、騎士らしく浅めに頭を下げた。
「何を仰いますか。アスト・ソレイジアは我が国にとって大切な盟友。その国よりの客人、しかも飛竜騎士団の副団長がお越しとあらば、一刻も早くお迎えせぬわけにはいきませんでしょう。幸いなことに、ちょうど時間が空いたところでしたし」
「恐れ入ります」
シオンは再び頭を下げると、結われた黒髪が馬の尾のように揺れた。
「それで、この度のご来訪は一体どのような用件ですかな。何のご一報もなく来られたからには、よほどの急務とお見受けしますが」
そう言われると、なぜかシオンは意味ありげに表情を曇らせた。ロシオウラはそれに気付いたが、部屋内に自分以外の者がいることを踏まえて、ここでは敢えて何も言わなかった。
「……はい。貴国の、先のアフラニール公国との海戦での勝利に関し、お祝いを申し上げると共に、我がアスト・ソレイジアも手に余る問題を抱えており、十分なお力添えができないことに対する謝罪を申し上げに参りました次第です」
「…………ふむ。なるほど。そうですか」
シオンの表情は相変わらず曇っている。ロシオウラは静かに、顎の髭を撫でた。そしてそのまましばらく無言でいたが、「皆の者、すまないが席を外してくれぬか」と、室内のトラシェルム側の者たちに言った。一同は摂政の言葉の真意が読めず、この場にロシオウラ様だけを残すわけにはいきません。せめて護衛の者だけはお残しください、と抗議したが、ロシオウラは無用だと言ってそれを聞き入れない。仕方なく、同席していた全てのトラシェルム家臣は部屋を後にした。その結果、部屋に残されたのはアスト・ソレイジアからやって来た二人の騎士と、トラシェルムの支柱ロシオウラのみとなった。
「シオン将軍、これでよろしいでしょう。さあ、お越しになった本当の理由を話していただけますかな」
「……はい」
シオンはロシオウラの厚意に対し、感謝せざるを得なかった。ロシオウラがこのような人払いに及んだのは、先方の言ったような謝辞が来訪の目的ならば、わざわざ武将であり軍部の重鎮でもあるシオンが来る必要が無いと悟ったためである。そのような仕事は外務担当の文官にでも任せれば済むことで、急を要することでもない。それよりも何よりも、シオンの様子を見て、別の理由──何か言いづらいことがあるのを見抜いたのである。それは恐らくは重要なことだろうが、同時によほど言いにくいことなのだろう、とロシオウラは踏んだ。
「……はぁ。つくづく、こういうのは苦手だと思い知らされました」
シオンは目を閉じて息を吐いてから、そう語った。ロシオウラの取り計らいでほっとしたに違いなかった。
「いえいえ。将軍はまだお若いし武将なのですから、それでも構わんでしょう」
ロシオウラはまるで彼女のおじいちゃんであるかのように、優しい顔になって、微笑して見せた。策を弄したり、自分を偽るのが得意ではない性格のシオンは、彼の笑顔のおかげでずっと気持ちが楽になった。
「シオン様、私が代わりに申し上げましょうか?」
「……いや、ゾール。ここは私に任せてくれ」
壮年の騎士ゾールが代弁を申し出たが、シオンは責任を感じているらしく、自らの口から語ることを選んだ。
「実は、今回の訪問は意図したものではありません」
「それは、一体どういう意味ですかな。目的も無く、遠く離れた帝都まで来られたというのですか」
「それは、その……大変申し上げにくいのですが……」
シオンは面目なさげにうつむいて、中々その先を言い出そうとはしなかったが、ようやく意を決して口を開いた。
「私がお側に付いていながら、このような事態になるとは、今でも悔やまれて仕方ありません。……姫様が、お逃げになられてしまったのです」
「何と。エリミティーヌ王女が、ですか」
「はい。飛竜の試し乗りをなさると言うので、騎士団がお供したのですが、それをいい機会とみて貴国へと飛ばれたのです。追いかけてお戻りになるよう再三申し上げたのですが、結局はお止めすることができず、姫様を追ってやむなくここまでやってきた次第です」
ロシオウラもそれを聞かされては驚くほかなく、これでもかと目を大きく見開いた。
「何と、王女様が? なぜそこまでして……いや、そのようなことよりも、それでは今この国に貴国の姫君がいらっしゃるということではないですか」
重要なことは、一国の王女たる重要人物がトラシェルム帝国に来ているということであり、しかもその王女の姿がどこにも見当たらないという点である。騎士団が守護して参ったのならば、一緒にやってきて然る筈ではないか。
「肝心の王女様は、一体どこにいらっしゃるのですかな? よもや、お一人にしている訳ではないでしょうが」
「それが……恥ずかしながら、姫様の手馴れた飛行のために、途中の山中でうまく巻かれてしまったのです。恐らく、我々より先にこの帝都に降り立ったはずなのですが、空からではどこにいらっしゃるかわかりませんでした。当てになる姫様の飛竜も、遠くを舞っているらしくどこにも見当たりませんし……」
「それは一大事ではないですか。早速、お見かけした者がないか調べさせましょう」
風采優れた他国の姫君であるから、余程のことでもない限りは他の女性たちに紛れる心配がない。人手を投じて捜せば、御身の情報はすぐに飛び込んでくるだろう。ロシオウラは慌てて立ち上がったが、シオンはそんなロシオウラに向けて、割と大きな声でこう言った。
「待って下さい! 大事になっては、こうしてあなたに直々に申し上げた意味もなくなってしまいます」
なるべく穏便に、秘密裏に済ませたいというのが、彼女たっての希望なのであった。
「しかし、ですな……」
シオンは他国への体裁を気にしているのかもしれないが、そんな事よりも、一刻も早く姫君を見つける事の方が大事であろう。ロシオウラはそう思った。
「摂政様、どうかお察しください。我々がこうしてあなたの元に参ったのは、あなたのお力を頼み、出来るだけ目立たぬ形で解決して欲しかったからなのです」
実直な騎士ゾールまでもがそう訴えたので、ロシオウラは席を立ったまま困り顔になってしまった。
「ううむ。そこまで仰るならば再考しますが。……よほど表に出したくない理由がおありのようですな」
摂政は再び椅子に腰を下ろすと、二人の顔を順番に覗き込んだ。そして、その後は口の重い相手を急かす事もせずに、そのままじっと黙っていた。
──窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりが、静寂に支配された部屋に響きわたる。
しばらく経ってから、シオンは観念したように、王女逃避行の真相を語り始めた。
「……摂政様の仰る通りです。この騒動を大事にしたくないのは、全て姫様がこちらにお逃げになった理由によるものです」
ロシオウラは、待っていたと言わんばかりに、伏し目がちなシオンの瞳をまっすぐに見据えた。
「では、お聞かせ願えますかな。姫君がこちらにやってきた理由というのを──」