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煌空の輪舞曲 〜Ronde of the sky-universe Seare〜  作者: 暁ゆうき
第六章 深淵に眠りしもの
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蠢く魔眼

 その部屋は、ただ薄気味が悪いだけではない。宗教や儀式を連想させる品物の類がそこかしこに見受けられ、それが原因となって独特な妖しい雰囲気を醸し出しているのだ。

 布製の壁掛けには六芒星の刺繍がなされ、部屋を僅かに照らす松明が、不気味で妖しげな雰囲気を演出する。薄暗いい室内の奥には二段構えの祭壇が設けられ、燭台に立てられた蝋燭の炎が複数の関節を蠢かす生き物のようにユラユラと揺れる。焚かれた香の煙が高炉から這い出て部屋に充満し、咳き込むほどの強烈な匂いを生み出している。祭壇の奥にある巨大な物体を表現することは難しいが、恐らくは何らかの供物と、ここで祀られている神の偶像なのではないだろうか。


 深遠果て無き闇を思わせる暗黒色の黒衣に身を包んだ人物が、一人。祭壇の方を向いたまま、呪文のような言葉を口ずさんでいる。呪詛のように恨みがましく、抑揚の無い調子で途切れなく、延々と何かを唱え続けている。それを言葉として理解することは困難である。

 部屋の出入り口へと目をやれば、石造りの階段の傍にもう一人、別の人物が立っている。その男は顔面に目立つ大きな傷跡があり、体躯は常人と比べて桁外れに大きくて逞しい。

 彼は柱を背もたれに、呪文には全く興味がない様子で遠くを見つめていた。


 ──やがて、意味不明な読経が終わる。しばしの静寂を楽しんだ後、黒衣の人物は背中越しに、もう一人の男に向かって言葉を放つ。

「首尾はどうであったか?」

「あんたの言うとおりだったぜ。オーファが現われたようだ」

 巨漢はそう返し、さらに報告を続ける。

「アフラニールの連中だけじゃなく、トラシェルムの側からも情報を得たから間違いねえ。あっちで噂になっている、例の魔女の件──あんたの読みどおりだったってわけだな」

 大男は独り言でも呟くように、淡々と報告を続けた。

「……で、だ。付け加えると、レンベルンでそれらしき女と接触したぜ。これまた、あんたの考えた餌に食らいついたってところだな。トラシェルムの魔女、なんて騒がれているからな、オーファは女。まず間違いないだろうよ」

 そう語るこの巨漢は、アーシアがレンベルンで盗人を追い詰めた時に遭遇した男と同一人物である。

 あの時、この男はあたかもアーシアに協力するために現れたように見せていたが、実はこの男こそが、彼女をおびき出した張本人である。メナスト制御で脚力を強化した盗人を有効利用し、まんまとアーシアを誘い出したという訳である。

 

 すると、ここでようやく黒衣の人物が振り向いた。

「……そうか。やはりな。我が予想に狂いは無かったか」

 この人物の声。それは地を這うような重低音と、美しく優雅な女性の高声が入り混じった、なんとも形容しがたい、複雑な声色である。そして、口調の抑揚は極端に少なく、発せられる声から喜びの感情を読み取ることは不可能に近かった。

「オーファが出てきたとなれば、話は早い。でかしたぞ、死神よ」

 口角を持ち上げて、彼(実際の性別は不明だが)は笑みを浮かべた。ゆっくりと姿を見せた蛇の牙のような白い八重歯が灯火に照らされ、気味の悪い反射光を放った。

「まあ……。俺はあんたに借りがあるからな、できる限りの手伝いはさせてもらう」

 そう言いながらも、見るのもおぞましい、といった様子で、巨漢は相手と目を合わせようともしなかった。

「それにしてもよ。今のあんたにとっちゃ、オーファなんぞは取るに足らない存在じゃないのか? ここまでこだわる理由があるのかよ?」

 死神と呼ばれた巨漢からの質問である。思考時間を必要としたのか、黒衣の人物が返答する前に、少しばかりの溜めが設けられた。

「──言うまでもない。我に刃向かう可能性のある者は、誰一人として生かしてはおけぬ。それだけのことだ」

 それを聞いた巨漢はにやついた。

「……ふうん。さすがの宰相閣下も、今度ばかりは危機感を煽られたんじゃねえかと思って言ってみたんだがな……違ったか」


 ──途端に、冥府の深淵と絶望とを併せ持った殺気が、黒衣の背後から立ち昇る。それは瞬く間に部屋全体に伝播し、命ある者を虚無の空間へと誘うような明滅を開始した。

「……我を試すような真似はするなと、以前も言ったはずだ」

 見開いたドス黒い眼球の中心に、鮮血を思わせる真紅を帯びた光が点る。並の人間ならば、殺気だけで命が奪われそうな威圧感がある。

「わかった、わかったって。もう二度としねえよ」

 反省など全くしてはいないが、相手をこれ以上怒らせるのは得策ではない。巨漢は口ではそう言っておいた。

「小賢しい真似や余計な詮索など、しない方が身の為だ。己が命が惜しければな──」

 殺気がすっ、と消え、黒衣の男の目は再びフードの向こうに隠れた。同時に張り詰めていた部屋の空気も元に戻った。

「全く……。前はもうちっとは話が通じたのによ。会うたびに人間離れしていくな、あんたは」

 巨漢はそう言いながら、丸太のような腕で自分の顎と額に滲む汗を拭った。彼のような威風堂々たる大男でさえ、すくむような恐怖を覚えたのである。

「確かに、その女はそれなりの力を持っている相手には違いないだろう。だが、オーファなどは所詮は古代人の戯れ、いや児戯に過ぎぬ代物だ。そんなものもずっと厄介で目障りなものがある。それを消すことの方が重要だ」

「おお、なるほど。そいつあ、秘儀、転生術メラニティを施した奴だな?」

「……察しがいいな。腕力しか取り柄の無い男だと思っていたが」

「ケッ、それでやりかえしたつもりかよ」

 巨漢は眉間にしわを寄せ、つばを吐く真似をした。

「メラニティが可能な者は、純粋なる古代の末裔。原始のメナストを持つ者は断じて生かしておくわけにはいかぬ。こうして今、オーファと術者、そのどちらもがトラシェルムに居る可能性がある以上、お前にはまだまだ働いてもらうことになるな」

 そう言いながら、黒衣の人物は祭壇の上に立つ蝋燭の一本を新しいものに取り替えた。

「それは構わないけどよ。トラシェルム自体はどうするつもりなんだ? あの国はこのまま放っておいたら意外と厄介な勢力になりそうだぜ。あんたの野望とやらの障害になるんじゃないか?」

 尋ねられた黒衣の人物は振り向きもしない。祭壇の上を整えながら、こう答える。

「そのことならば問題ない。あの国は統治が不十分で体制にも不完全な部分が多く、付け入る隙などいくらでもある。こちらには打つべき手段、手駒も揃っているし、急がずとも叩き潰す機会などは幾度でも訪れる」

「へえ、そうかい。さすがだね。まあ、アフラニールを誘導してけしかけたのも、あんたの入れ知恵だしな」

「あの無能どもが、急襲に失敗して惨敗しおったがな。まあ、あのような愚かな国ひとつを操るなど、造作もないことだ。今の地位を利用すれば、な」

 その直後、風もないのに松明や蝋燭の炎が大きく揺らめいた。そのまま消えるかと思えたが、赤い灯火は堪えて生き残った。

 しばらくの間、互いの思惑が間隙に迷い込み、含みのある無言が生じた。耐え切れなくなった巨漢が口を切る。

「で、俺は何をすりゃいいんだ?」

「ひと暴れしてもらう」

 具体性に欠ける返答だったが、黒衣の人物の意図するところが、巨漢にはすぐに理解できた。

「あー、わかった。あの女をもう一度おびき出せばいいんだな」

「そうだ。どんな手を使っても構わぬ。古代の末裔の正体、居場所、能力などを吐かせろ。そして、用が済んだら無論その女も──」

「やはり一緒に消すのか?」

 黒衣が言い終えないうちに、巨漢の方が問うた。

「そうだ。今回に関してはオーファの発見が主目的だったゆえ不問にするが、次はそうはいかぬぞ。オーファと術者、両方とも確実に消せ。そいつがどんな女かは知らぬが、殺すに忍びないなどと、下らないことは考えるな」

「こりゃ驚いた。……全部、お見通しってわけかい」

 言われた巨漢は呟いた後、瞑目して鼻の穴から空気を押し出した。

 レンベルンでおびき出した時に、葬るチャンスは確実にあったと言える。だが、現れたトラシェルムのオーファが余りにもいい女だったので、一人の男として手に掛ける気が起きなかった。さらに言うならば、目的を忘れさせるような、とても清々しい女だったと思う。

 黒衣の人物に、私情を挟んだことが見透かされたかたちである。

「うぬは任務となれば、人を殺めることに何の躊躇ためらいも持たない男だと思って重用してきたが、どうやらそうでもないらしいな」

「今は傭兵じゃない。昔とは違うさ。。……それに、あんたのやり方が汚くて気に食わないってのもある」

 大男はそう言ってから、挨拶代わりに片手を上げると、部屋の出口に繋がる階段に足をかけた。そのままこの地下室を去るかと思えたが、彼は階段の途中で立ち止まると、再び口を開いた。

「あんたが何者で、何を企んでいるのかなんて、そんなことは今更どうでもいいが、野心むきだしってのはあまり感心できねぇな。この国はもうほとんどあんたのモンだ。それでも飽きたらねぇっていうのはどうも欲深いもんだな」

 皮肉まじりの捨て台詞を吐いて、顔面に傷のある巨漢の男は去っていった。残されたのは黒衣の怪人物のみである。部屋は静けさを取り戻したが、その場には依然としてよこしまなオーラが立ち込めていた。

「……トラシェルムのオーファか。もしも報告通りならば、メナスト制御法だけではなく、純粋古代術をも身につけている。あの男をもってしても、必ず勝てるという保障はない。我が混沌の瞳が完璧に回復すれば話は早いのだが、口惜しいことに、今はまだ力が足らぬ」

 そう呟くと、黒衣の人物は祭壇の奥に鎮座する奇怪な偶像を見上げた。

「しかし、さりとて案ずるほどのことでもなかろう。今や『ファバースの門』が開き、我が宿願は成就も同然となった。時が満ちるのも、そう遠い未来ではないであろう」

 ──そう。オーファの出現など、取るに足らないことだ。今は、全てが意のまま、計画通りに進んでいる。全てが、我が掌裡にある。

 黒衣の怪人は悦に入り、思わずほくそ笑んだ。

 するとその直後、影の中から不気味な瞳がスッと浮かび上がって、ぎょろりと動いた。そしてまた浮き上がった時と同様に、一瞬でその姿を消すのであった。

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