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煌空の輪舞曲 〜Ronde of the sky-universe Seare〜  作者: 暁ゆうき
第五章 フロンティア・イヴェロム
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蘇る使命 後編

 祭壇ではちょうど巫女ニュイによる奉納の舞踏が終わったところであった。従者に誘われゆっくりとした足取りで祭壇から降りと、彼女に声をかける者があった。

「ニュイや」

「おばあちゃん! 来てくれたの。あんなに嫌がっていたのに」

 よく知っている祖母の声を聞き、ニュイは驚いた。

「当たり前じゃっ。可愛い孫娘の舞いを見逃してたまるかい」

 何とも素直ではない獣人の老婆である。ニュイは微笑んだ。

「ほれ。持ってきてやったぞ」

「ありがとう、おばあちゃん」

 老婆は多角形の物体を差し出すと、目が見えない孫娘の手に握らせた。ニュイはそれを受け取ると、白いヴェールと伝統の装束に身を包んだまま、アーシア達の元に向かった。

「ニュイ様、裾を引きずるほど長い装束姿では危険でございます。用事は着替えられてからでも」

 それは従者忠言であった。ニュイが余りに急くので、少し諌めたのであった。

「だめよ、急いでいくの。……おばあちゃんの気が変わっても困るから」

 その頃、アーシアとトマ、それに恵悟と葵は宴の中心から少し外れた場所に集まって話をしていた。

「あ、踊りを終えたニュイさんがこっちに来ますよ」

 トマがいち早く、接近してくる巫女の姿に気が付いた。

「みなさん、いらっしゃいますか」

 二人の従者に付き添われて現れたニュイは、先程の巫女の装束に身を包んだままの姿だった。

「さっきの踊り。凄い綺麗だったですよ」

「……い、いえ。まだまだです」

 男性馴れしていないニュイはトマに褒められ、恥ずかしそうにうつむいた。剛直な兄を相手にできるほど芯が強い性格の持ち主だが、乙女らしい仕草がとてもよく似合う。

「それよりも、どうですか。宴を楽しんでおられますか?」

「ええ、お蔭様でね。残念ながらお酒はおじい様に止められてるから飲んでないけどね。全く、何でかしらね……」

 微笑を贈り、ニュイの問いに答えるアーシア。どういうわけだかクエインに釘を刺されたのだ。

「絶対、飲まないほうがいいですよ。お酒が入ると危ないですからね、アーシア様は」

 さらりとそんなことを口にするトマ。

「どういう意味? 何がどう危ないの?」

「それは──」

 帝都で酔っ払ったアーシアに遭遇しているトマは、その時のことを思い出していた。あの時は酒場で勧められるままに酒を流し込んだらしいが、とにかく何をしでかすかわからない雰囲気があった。

「危なっかしいからですよ。酔って危ない目に合うか、あるいは他人を危ない目に合わせるかもしれないってことですよ」

 無論、それは相手のためを思って呈した苦言ではあったものの、「他人を危ない目に合わせる」などと言われて黙っていられるようなアーシアであろうはずもなく──。

「ちょっと待った。危ないって、あなたの方がよっぽど危ないじゃないの。帝都で酔った私を襲おうとしたんじゃなかったかしら?」

 これはまた、聞き捨てならない。腹中を表情に表しながらトマが応戦する。

「濡れ衣ですよ。覚えていないのかもしれませんけどね、あれはアーシア様の方が抱きついてきたんですよ」

「ついに白状したわね。やっぱり、私が酩酊しているのをいいことに触ったんじゃない」

 悲しいかな、トマの釈明はやぶへびでしかなかった。逆上したアーシアは最早聞く耳持たず。勢いよくトマに飛びかかって、両腕で彼の首をギリギリと締め上げた。

「やましいことなんて……うっ、ぐええっ!」

 さらにむぎゅっと身体を密着させながら、絡ませた腕に力を込めていった。

「ぐ、ぐるじぃぃぃぃ」

 バタバタと苦しみもがく、限りなく潔白な女の敵が実に憐れであった。

「抱きしめられる気分はどう? お望みなら、このまま天国まで連れていってあげるわ」

 穏やかではないが、他所からすればじゃれ合うような二人のやり取りを聴覚で味わって、ニュイが笑みをこぼす。

「ふふっ、お二人は本当に仲がいいんですね。……羨ましいなあ」

「……ニュイ様、そろそろ」

 従者がそう言ってニュイに次の行動を促した。

「わかっています」

 ニュイは水を差された気分だ。何をそんなに急かすのか、と言ってやりたかったが、きっと他の獣人たちも自分の行動に期待しているのだろうと思った。

「アーシアさん、これを……」

 真剣な面持ちで話しかけてきたニュイを見て、アーシアはトマを締め上げるのをやめにした。開放されたトマが崩れ落ちる側で、ニュイが祖母から受け取った物体が今度はアーシアへと手渡された。

「……これは何かしら?」

「私達の一族に古くから伝わる宝物、智慧の書です」

 澄んだニュイの声色。アーシアは首をかしげた。

「智慧の書……? これのどこが本なの?」

 智慧の書と言われたその物体をくるくると回し、色々な角度から眺めた。材質は硬質で、金属のようだが重量をほとんど感じない。二つの三角錐を底面で貼り合わせたような形の立方体だ。

「名前の由来は、はっきりとはわかりません。ですが、その宝は私達の先祖に智慧を与えてくださった神様からの贈り物だと伝えられています。ですから、智慧の書なのかもしれません」

「神様があなたたちに、智慧を──?」

 いよいよ訝しんで、視線をニュイの顔に戻す。

「そうです。でも、今ではそれを開く術が無いんです。はるか昔に書が閉じてしまって、それっきり。どんな方法を用いても、我々では開くことが出来ませんでした」

「ふーん。それで、私にこの大切な宝物をどうしろと?」

「古の力を操るアーシアさんなら、もしかしたら開けることが出来るかもしれないと思ったんです。無理なお願いでしょうか?」

 切迫した面持ちで以って懇願こんがんするニュイ。アーシアは再び智慧の書と言われる物体に目を凝らし、これをさらに執拗に観察した。

「察するに、これはロスト・エラの遺物。そうなると、鍵はやはり──」

 オーファ・アーシアはその立方体を両掌に乗せ、厳かに目を閉じた。

 その直後、傍観していた恵悟は自分の目を疑うことになった。アーシアの身体から、淡い光が溢れ出したのである。彼女を中心に白い光が広がって、新たに生じた無数の粒子が次々と親元を離れて宙を泳ぎ始めた。

「これは……!」

 先程のニュイの踊りも神秘的だったが、今度は目に見える超常現象の目撃である。光の渦の中で祈る聖女のようなアーシアの姿がそこにはあった。

「驚いたかい。アーシア様は、メナストを自在に操れるんだよ」

 瞬きすら忘れた恵悟を見て、トマはまるで自分のことであるかのように自慢げに喋った。

「メナスト……?」

 当然だが、恵悟にはその固有名詞の意味がわからなかった。それでも、アーシアが特別な力を持った人間なのだということは瞬時に把握できた。

 それから間もなく、アーシアの両掌の上に置かれた多角形の物体がカシャカシャと動き出した。ひし形のせり出した部分が開いて、分かれた二つの三角錐がクルクルと回転する。金属だと思っていた材質がどんどん透き通っていって、ガラスのように透明になった。

 そのガラス体の奥から、強烈な光が放たれた。光は夜空に向かって真っ直ぐに飛び、そこに文字と映像を映し出した。


 ──おおっ!


 その瞬間、獣人の集落は驚きと感動に包まれた。夜空に映し出された映像は、遥か昔の獣人族の記録。多角形の物体は、情報記録媒体だったのである。

 頭上で流れる過去の映像。それと共に、恐らくはこの叡智の書に情報を込めた者が残したのだろう、智慧の力がアーシアの体内へと流れ込んできた。

「知性のメナストが溢れて出している。……この力で獣人たちは智慧を得たのかしら」

 惜しむらくは、獣人たちへのメッセージが大半を占めており、そこからロスト・エラ以前の暮らしぶりや文明についての情報を得られなかったことである。おそらく、術者がこの物体に情報を記録する際、必要なことだけを記したのだろう。

 憶測ではあるが、まだ知性を持たなかった獣人達に、ロスト・エラのメナスト応用科学の力が智慧を与えたのだ。古代の獣人たちは空に映し出された(恐らくは、今自分達が見ているものとは異なる)映像と、流れ込んでくる智慧の力に感動を覚えたに違いない。そして、心得たことだろう。自分達に与えられた使命を。

「そうか。我々は神から、この森とあの遺跡を守ることを命じられていたのだな」

 パタが腕組みをしたまま、感慨深そうに呟いた。使命感溢れる彼にとっては、一族伝来の智慧の書に込められたもの全てが至宝に違いなかった。

 また、この時パタ以上に感激していたのは、彼の妹であるニュイであった。

「……良かった。きっとみんな、一族の本当の誇りを取り戻してくれる」

 盲目の彼女にはその映像を見ることはできなかったが、流れ込んでくる智恵の力でそれを感じることができた。

 忘れ去られていた獣人の起源と、与えられた使命。そして、何よりも一族の誇り。それが今、森の守護者たちに蘇ったのである。

「……」

 アーシアは口には出さなかった。だが、間違いなくこの物体はロスト・エラの術者が残したものだ。神の仕業などではないと断言できる。これを残したのは紛れも無く人間で、そしてその目的は、獣人にこの森と遺跡を守る役目を与えることだった──。残念ながら、それ以上のことを、この記録媒体から知ることはできない。術者の正体、この物体を使用したいきさつなどは闇の中だ。


 それにしても、映像を記憶できたのはこの多角形の機能だとして、智慧の力を知性のメナストとして封じ込めるなど、一体どんな方法を用いたのだろう。アーシアはこの時、自分の遠く及ばないような、とてつもなく優れた術士を想像した。


 *  *  *

 

 夜空に流れる映像は一周するとリピートされて再び最初の場面に戻る。

 繰り返し同じものが映し出されるだけだが、全ての獣人たちは飽くこともなくそれを見続けている。

 恵悟と葵も夜空に浮かぶ映像や文字を眺めていたが、こちらはぼーっとした面持ちで、特に感動した様子は見られなかった。

「私達、このままずっと、帰れないのかな……」

「……葵。きっとあるって、帰る方法が」

 こんな映像をを見せられても、自分達が異世界へ迷い込んでしまったことを痛感するばかりだ。無言に陥った二人の間に、重苦しい空気が流れた。

「ねえ、ちょっといいかしら?」

 落ち込んでいる少年少女を見かねてか、声をかけたのはアーシア。恵悟達はそんな彼女の顔を見上げた。

「お願いがあるんだけど」

「──何ですか?」

 恵悟は訝しんだ。他所から来たばかりの自分達に何を頼もうというのだろうか。

 ──すると、突然。アーシアのマントの内側から、一匹の生き物が弾けるように飛び出してきた。

「キュ!」

 それはアーシア達が森の中で出会った、可愛らしい小型の魔物であった。ことのほかアーシアのことを気に入っていて、常に彼女のマントの内側に潜んでいるのだ。

「きゃああ、かわいいいいっ!」

 さっきまでの暗い表情から一転、葵はその生き物の愛らしい姿に目を輝かせた。

「このコ、アーシアさんのペットですか?」

 葵はウキウキしながら訊ねた。

「え……う〜ん、まあ、そうなるのかな」

「白くてふさふさ、耳が長くておっきくてウサギみたい! 尻尾も大きくてふわふわしてる! 目がくりくりして超可愛いっ! ……何だろうなあ。ウサギ・リス? あ、でもネズミにも見えるかな?」

「どれも似たようなもんだろ」

 気分が高揚している葵とは異なり、恵悟はいかにも興味なさげだ。

「全然違うよ! ケイ君、いい加減すぎ!」

 葵はやけにはしゃいでいる。恵悟は本来の彼女らしい姿を見て、少しほっとした。

「名前、なんて言うんですか?」

 葵がアーシアに尋ねた。

「まだ決めてないのよ。だから、それをあなたたちに決めてもらおうかなって思って」

「えっ、いいんですか?」

 ますます、葵の瞳が輝きを強めていった。

「ええ。私、そういうの苦手だからね」

 魔物はお腹を空かせているのか、器用にも両手で木の実をつかんでほおばっている。

「凄い食欲……」

「今まで寝てたからね、このコ」

 自由気ままな性格で、動かない時はほどんど眠って過ごしている。アーシアのマントの中で、どうやって眠りながらも姿勢を保っているかは謎だが。

「名前、どんなのがいい? 無いと不便だもんね」

 甘い声で魔物に語りかける葵。彼女はすっかり、この魔物の虜になってしまったようである。

「じゃあ、ヘイゾーっていう名前はどうですか?」

 それはこの件に関して第三者的立場をとっているはずの、恵悟の提案であった。

「ヘイゾー? 不思議な響きね」

「家で飼ってた犬の名前なんですよ。うちでの生活に不満があったのか、脱走してそれっきり帰って来なかったけど」


 ヘイゾー。それは見事なまでの雑種犬で、恵悟が子供の頃から一緒に育った仲であったが──ある日突然、何の前触れも無く脱走。二度と帰ってこなかったという伝説の犬の名前である。


「け、ケイ君、それはちょっと──」

 さすがに、葵が嫌そうな顔をした。ネーミングもさることながら、恵悟の幼馴染である彼女はその犬のことを知っているのだ。

「いいじゃんか。なかなか似合ってると思うぜ。なあ、ヘイゾ……」

 恵悟がヘイゾーに触れようと手を伸ばした、その刹那。

「キュイ!」

「おおうっ!」

 ヘイゾーの跳び蹴りが、恵悟の顔面にクリーンヒットした。恵悟は堪らず仰け反った。

「あら、まあ」

 その瞬間を至近距離で目撃したアーシアだったが、魔物の好戦的な態度にも、特に際立った反応は見せなかった。この魔物の気質がそれなりに荒いのは、初めて会った時からわかっていた事である。

 蹴りを食らわせてから空中で一回転し、鮮やかに着地するヘイゾー。シャキーン! と、自慢げにポーズなんぞ決めたりする。

「こ、この小動物がぁぁぁぁ!」

 逃げるヘイゾーと、追いかけて捕まえようとする恵悟の構図。小動物は、軽やかな身のこなしで彼の手を幾度と無くすり抜ける。

「ケイ君、やめなよー」

 恵悟とヘイゾーのチェイスはなおも続き。

「待ちやがれぃ、こんちくしょうめ!」

「キュキュ!」

 恵悟の魔手がヘイゾーの背後に迫り、そして今まさに捕らえようとした、次の瞬間。

「キュ!」

「ぐへぇぇぇ!」

「きゃあ、何なの?」

 眩い閃光と、耳をつんざくような破裂音。それに続いて轟く恵悟の叫び声。

 ヘイゾーが、自己防衛のために電撃を放ったのである。

(そんな馬鹿な……)

 電撃の直撃を受け、黒焦げになりながら倒れ伏す恵悟。どうやら、命に別状はなさそうだ。

「──早々と、意気投合したみたいね」

 アーシアが頷き、感心したように言った。

「そ、そうは見えませんけど」

(やっぱり、危険な生き物──魔物ね。うん)

 一人で納得し、声無き呟きを発するアーシアであった。


 さて、ヘイゾー(恵悟が命名)は相性の悪い恵悟以外なら、こちらから危害を加えない限りは安全な生き物のようだし、今後の扱いについてはこのまま飼い続けても問題はないと思われる。それよりも重要なこと、それは恵悟と葵。この二人の来訪者の扱いについてだ。

「行くあてもないでしょう。とりあえず、私たちと一緒に来ない?」

 これはアーシアからの提案だった。

「そうですね……」

 言われた通り、この世界では恵悟たちに行く当てなどない。これから先、身を置く場所を得るためにも、アーシアに従っていくのが得策に思われた。

「アーシア様、やはりあの遺跡を調べませんか? 何か有益な情報が得られるかもしれませんし、我々の目的を達成できるかもしれません」

 これはトマの意見だが、アーシアの考えと一致するものであった。

「そうね。当初の予定通りに」

 遺跡を調べれば、ファバースだけでなく、恵悟達が辿った道筋についても何かわかるかもしれない。

「それなら、俺たちも一緒に行きます。あの中のこと、結構わかりますから」

 恵悟は自分から案内役を買って出た。たとえ僅かでも元の世界へ帰る方法の糸口を掴みたかったし、また何か具体的に動かないと不安で押しつぶされそうだった。

「じゃあ、明日の朝、出発しましょう」

 その日の宴は夜更けまで続いたが、異界の少年はさざ波が立った心のままで一夜を越さねばならなかった。

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