狂夜に吼ゆ! 後編
広場の真ん中でアーシアと対峙したのは、巨躯を誇る白毛の獣人戦士パタ。その堂々たる風格は他の獣人と一線を画した迫力がある。
「全く、恐れ入るほど丁重な出迎えね。念入りすぎて、死ぬかと思ったわよ」
「ここは我々の縄張りで、貴様らは憎むべき侵入者だ。人間がこの魔晶の森を踏み荒らすことは断じて許さん」
向かい合う両者は淡々と言葉を交わしたが、そこにはそこはかとない緊張感が漂っていた。
「決闘なんて、ずいぶん潔いのね。あなたたち獣人がこんな格式ばったことを提案するとは思わなかった」
「気まぐれもあるが、退屈しのぎに相手をしてやろうと思ったのだ。人間は歯応えが無さ過ぎるが、どうやらお前は少し違うようだからな」
松明の明かりが、二人を紅蓮に染め上げる。
「この松明はどういうつもり?」
「お前達人間は俺達と違って、夜目が利かんからな」
「ふぅん、意外とフェアなのね。正直、もっと手段を選ばない連中だと思ってた」
パタはフン、と鼻を鳴らした。
「俺は誇りある森の戦士だ。例え相手が人間の女であろうとも、戦士相手に卑怯な真似はせん」
戦士扱いされたアーシアは、そっぽを向いて髪をかき上げた。
(……魔女の次は、戦士ときたか)
この獣人、人間以上に騎士道精神にこだわりがありそうだ。そのうち義を重んじるとか忠に生きるとか言い出すんじゃないだろうか。何やらその精神性も妙に古風な獣人のようだ。
それと同時に、意志は強そうな獣人だが、話の通じない相手でもなさそうな気がした。
「決闘より、もっといい解決の方法がありそうだけどね。……話し合いの余地はあるかしら?」
すでに、広場の周囲は獣人たちに取り囲まれている。その輪の中でパタと一騎打ちをしなければならない。この状況では選択肢はなさそうに見えるが、果たして闘い以外の和解策はあるだろうか。
「……無いな。そんなものは」
(やっぱり、無理か)
アーシアは舌打ちした。どうしても戦闘は回避できないようだ。
こんな戦いにメリットがあるとは到底思えないが、獣人にとっては、人間を駆逐することが本願なのだろう。
「女、この場に出てきた勇気だけは褒めてやろう。……だが、一族の者を傷つけた罪は死を以って償ってもらう」
パタが背負っていた大剣を引き抜き、片手で構えた。刃渡りは少なく見積もってもニメートルはあるだろう。巨大な鋼鉄の巨剣をゆうゆうと扱い、そしてそれを今度は両手で握り直した。
「さあ、お喋りは終わりだ。生き残るのはただ一人」
パタが大剣を横に構えた。さらに体勢を低くすることによって彼の強くしなやかな全身の筋肉が収縮し、爆発的なエネルギーが蓄えられた。
完全な暗闇ならば発光しているであろう彼の狼眼は、今や獲物を狙う獣のそれと化した。そしてその瞳の中心に捉えている者……それは人間の女。いや、旧世界文明の恩恵を受けた、超越者オーファである。今まさに、命を賭した両者の激戦が始まろうとしている。
「いくぞ!」
パタの台詞を皮切りに決闘の幕は切って落とされた。相手に自分の攻撃のタイミングを教えるような真似だが、パタには一撃で相手を物言わぬ肉片に変える自信があってのことだ。
一瞬にて距離を詰める獣人戦士。その動きは尋常ではない。すさまじい脚力による跳躍でアーシアの目の前に現れた。
「!」
その刹那、互いの刃がぶつかり合う。アーシアは丸腰ではなかった。彼女はマントの内側に帯刀していた。使い慣れた黒魔晶石の剣で、獣人の凄まじい打ち込みを受け止めたのだ。
(持ってきて、本当に良かったわ)
備えあれば憂いなし、とはこのことか。アーシアは内心でそう呟いた。
それにしても、彼女の剣は実に小振りな得物である。刃渡りは三十数センチ程度、その上非常に薄くて軽く作られている。その華奢にすら見える剣ではパタの鋼鉄の塊のような大剣と力技を受け止めることができるとは全くもって信じがたいが、彼女はそれをやってのける。
万物の源、神の息吹メナストと、それに反応して光を放つ黒魔晶石の剣に秘められた神秘の力が彼女に味方し、強烈に加護しているのだ。
「ぐるる……」
二人の戦士は鍔迫り合いのまま、しばらく鎬を削っていた。どうやらパタの腕力が勝っているようだ。ジリジリと、アーシアの体勢が危うくなってくる。パタの体重が、徐々にアーシアにのしかかってくる形だ。
「ハッ!」
その時、パタが何かを察知し、一気に後ろに飛びのいた。一瞬の後、土煙が舞い上がり、草と土が入り混じった固まりが、飛沫のように飛び散った。見れば、パタのいたところの地面が深くえぐれている。
「リシュ、ありがとう。でもここは私の戦いだから、手出し無用よ!」
何が起こったのか。パタが姿の見えないリシュラナの気配を感じとり、後ろに飛びのいて彼女の攻撃をかわしたのである。まさに野性の勘といったものであろう。なるほどこの獣人は恐ろしいばかりの戦闘能力を秘めている。
「貴様、悪霊使いであったか!」
パタは構えを解かずにアーシアを睨み付けた。鋭い犬歯と歯茎とが口の端から覗く。
「まあ、そう呼ぶ人もいるわね」
「フン、小賢しい奴だ」
パタの顔つきが、ますます野性味を帯びてきた。もはや猛獣そのものである。
「心配しなくても、もう手出ししないように言ったから。これは純粋な、一対一の勝負よ」
女性オーファはそう言って、片手の剣を構えなおした。
「ア、アーシア様、もしかして術を使わないつもりじゃ」
使用人トマの勘が冴えを見せる。まさにその通り。アーシアは肉弾戦による、純粋な決闘をしようとしているのだ。
「しかも、リシュラナ様にも頼らないなんて、いくらなんでも律儀すぎますよぉーー!」
バカ正直にも程がある、と言いたくなるようなアーシアの行動だ。目の当たりにしたトマはほとんど生きた心地がしなかった。
「はっ!」
アーシアは一声を発して跳躍し、飛び掛るようにしてパタに斬りかかった。猛烈なスピードを活かした連続攻撃には自信がある。滞空中に三、四回は斬りつけた。しかしこれは、速度はあるが威力に欠けた斬撃である。熟練のパタが防ぐのは容易かった。そのまま、アーシアは相手と距離を置いて着地した。
(さすがに大物ね。口と図体だけではない)
見掛け倒しではない、パタの実力を肌で感じた。仮にオーファであるアーシアがメナスト・コントロール応用攻撃術を併用したとしても、対等に渡り合うだけの戦闘能力を有しているのではなかろうか。
また、一方のパタにとっても。
(まさか、俺の剣を受け止めるとはな。脆弱な人間の女とは思えん……)
まともな好敵手に出会ったのは、実に久しぶりである。人間の大男ですら、彼の剣を受け止めれば粉々に吹き飛ぶところだ。
オーファと獣人は間合いを測り、距離を保ちながら、じりじりと足を横に滑らせた。武器の大きさから言っても、また体格から言っても、間合いではパタの方が圧倒的に有利なのは明らかだ。小柄であること、速度に勝る利点を活かすためにも、アーシアとしては、彼の懐に飛び込みたいところである。
(だが、負けん!)
後手に回りたくは無いが、攻撃範囲の差は歴然としている。先に仕掛けたのはパタであった。彼は低く、速く、鋭く跳躍した。そしてそのまま大剣をアーシアに打ち下ろす。直撃を食らった遺跡の石床が砕けて陥没したが、そこにあるはずのアーシアの姿はなかった。彼女はそれを予測回避し、反撃に移る体勢まで整えていた。
「今!」
アーシアはここがチャンスと見て、パタの懐に飛び込もうとした。しかし敵もさるもの、そう簡単には間合いを取らせてはくれない。彼は、無理と思える体勢から強烈な回し蹴りを放った。パタの繰り出す動作は軽々と人間の予想を超えてくる。それは、彼の卓越した身体能力と反射神経のなせる業だった。
「くっ!」
攻撃態勢から一転、防御の姿勢をとって防いだアーシアだったが、相手の放った蹴りの威力が余りにも強かったために踏ん張りきれず、弾き飛ばされそうになった。防御の姿勢が崩され、上体が浮き上がる。そして当然、そこには大きな隙が生じる。誰がどう見ても、その体勢は危うかった。
「これで終わりだ!」
優れた戦士であるパタが、この好機を逃すはずは無い。踏み込みと同時の、渾身の力を込めた切り払いが放たれた。それは風圧だけでも周囲の物体が切り裂かれそうな、凄まじい一撃だった。
(だめ! ……やられる!)
体勢の崩れた今の状態でこの一撃を喰らったら、さすがにひとたまりも無い。オーファには肉体の修復機能があるが、だからと言って、決して不死身というわけではない。アーシアは自分の生命の危機を感じた。
オーファと言えども、肉体という器は一人の女性である。メナスト・コントロールの特技や、守護神であるサウルの助け無しで、ましてや相手の最も解く意図する肉弾戦では、やはり獣人の力には及ばないのだろうか──。
その時。アーシアの体内に流れる創世の欠片……神性メナストが高らかに躍動を開始した。全能の加護が体内を駆け巡り、宿主を護るためにその本来の力を解放する。オーファ自身が、自らの強大すぎる能力を制限するためにかけていた限界制限機能が、生命の危機に及んで自動的に解除された。それは、自動的な自己防衛機能だ。彼女の意思とメナスト・コントロールを超えた、潜在的メナストの脈動だ。
次の瞬間、パタの一撃がほとんど無防備なアーシアに命中、クリーンヒットした。今度は刃物同士の衝突音などという生易しいものではなく、まるで鈍器同士の激突音だった。その瞬間、トマの悲痛な叫び声が、遺跡は依拠に木霊した。
「な……んだと!」
勝利を確信していたはずのパタの表情が、瞬く間に旋律と驚愕の色に染め上げられた。それほどまでに、彼の目の前に広がる光景は信じがたいものだった。
間違いなく仕留めたはずの、パタ渾身の一振りが、人間の華奢な剣によって、事もなく受け止められていたのだ。
なぜ、無事でいる! この攻撃を受ければ、紙くずのように吹き飛ぶか、跡形も無く粉砕されていたはずだ。それなのに、なぜ、この女は無事なのだ。
動揺が伝播する。勝負は決まっていたはずだ。あの体勢であの一撃に耐え得る人間がいるはずがない。
(何だ、何が起きた!)
アーシアの本来の力の解放を受けて、黒魔晶石の剣の刀身とその鎬の部分に刻印された古代のルーン文字が青白い光を放っている。
また、彼女の双眸、普段から淡い光を湛えるエメラルドの瞳はより鮮明な輝きを宿し、明度を増していた。体内から溢れ出す神性メナストに彩られた瞳が、薄明かりの中に浮かぶ二つの灯火となって、幻想的な光を放っている。
「フッッ!!」
ここから、アーシアは攻勢に転じた。体を翻し、左から右から凄まじい速度で際限なく斬りつける。パタは全力で、それを防ぎ続けた。
「グオゥッ!」
パタは一瞬の隙を突いて、素早く切り払った。しかし、この一撃はアーシアの後ろ髪の先端を、ほんの少しばかり掠めただけだった。斬りつけた相手が身を屈めて、素早く回避したのである。それはもはや、人間とは次元を異にする反射神経だった。
間を置かず、アーシアは低い姿勢のまま、一気にパタの懐に飛び込んだ。彼女は今までより遥かに鋭く剣を振った。パタは大きく身を逸らし、ギリギリでそれを回避した。切っ先が喉元のすぐ傍を通過する。一瞬、パタはひやりとした。人間の女の動きが先程までと全く違う。まるで別人のように動きが速く、鋭い。
この時、パタは生まれて初めて、『恐怖』を感じた。
──いや、恐怖など感じるものか。
パタは自分にそう言い聞かせ、より力強く剣を振るう。
「フンッ!」
今度は、パタによる強烈な切り落とし。
目前にそびえていた石柱の残骸は彼の一撃に耐えられず粉々に砕け散ったが、肝心のアーシアには命中しなかった。彼女は素早い身のこなしで飛び退いていたのである。それによって再び両者の距離が開いた。そしてその距離は、またもやパタの得意とする間合いだった。
「グォォォ!」
獣特有の唸りを伴う咆哮と同時に、パタは遥か上空に跳躍した。彼はそのままアーシアの頭上から剣を打ち下ろす。パタ必殺の剛剣、全力の兜割りである。すさまじい剣撃。すさまじい衝撃。石片が吹き飛び土煙が巻き上がり、強烈な衝撃波が遺跡全体まで広がる。
「オオ────!」
周囲を取り囲む獣人たちから歓声が上がった。
「アーシア様ぁぁぁぁぁっ!」
トマは、ただ絶叫した。
あまりの粉塵と風圧に、目を開けることが叶わなかったのだ。そして、彼が次に目を開いた時──。
そこには、陥没した地面でパタの剣を受け止めているアーシアの姿があった。彼女は本当に、全く、かすり傷ひとつ負っていなかった。
今度は獣人たちの間で、どよめきが巻き起こった。彼らの誰もが、パタと渡り合える人間がいるとは信じていなかった。
パタは唸り声を上げ、歯軋りをしつつ、アーシアと剣を重ねている。
「どうしたの? もう終わりかしら、獣人の戦士さん」
汗ひとつかいていない。アーシアの肌は乾燥しているし、上気もしていない。彼女は冷淡な表情を浮かべ、憎らしい程の余裕を見せつけた。
「おのれ、人間の分際で!」
対して、パタはもはや必死の形相である。
両者の攻防はその後も一進一退で続いた。幾度と無く、遺跡に剣戟の音がこだました。力で押すパタ、それに速度と身のこなしで対抗するアーシア。両者の闘いはより白熱し、昂ぶったお互いの放つ闘気が目に見えるようですらある。命を懸けた闘いではあるが、極限まで高められた命のやり取りは余りにも美しく、この場にいる誰もが固唾を呑んでこの勝負の成り行きを見守った。
戦闘時間が長くなるにつれ、パタに疲労の色が見え始めた。対してアーシアが衰えていく様子は無い。相対的に、パタの判断が自然と遅れがちになる。
「ウォォ!」
勢い任せに振られたパタの大剣が、空を切った。命中には程遠い、見事なまでの空振りであった。
アーシアは彼の攻撃が空振りに終わることを予想していたに違いない。この時点で、すでにパタの頭上に飛び上がっていた。
「!」
この時のパタの判断は、決して遅くはなかった。しかしながらアーシアの動きが速すぎた。パタは彼女の動きを把握しきれなかった。
「ぐお!」
上空から襲い掛かるアーシアの攻撃は飛び蹴りだった。強烈なキックがパタの肩口にヒットした。パタは一瞬よろめいた。身のこなしで圧倒的に勝るアーシアは、そのチャンスを逃すことはない。すぐさま、パタの懐に潜り込む。
「ガァァッ!」
相手の動きに素早く反応し、パタは右拳で殴りかかった。岩をも砕く、強靭な拳による打撃である。人間がまともにくらえば、頭蓋骨など微塵も残さずに砕け散るだろう。
しかし、それもアーシアの左手で難なく受け止められてしまった。
パタの瞳に、驚愕の色が見え隠れする。当初、力に関してはパタの方が圧倒的に上回っていたはずだ。ところが、どんなに右手に力を込めても、相手の手を押し込めない。
それどころか、アーシアの小さな手で掴まれた彼の巨拳が、超常的な力でもってギリギリと締め付けられるのである。人間の女のか細い指がパタの拳に容赦なく食い込んで、彼の手の甲の骨がミシミシと軋んだ。パタはうめき声をもらすまいと必死になった。
「グォォ……」
至近距離で見るアーシアの顔はこの時、獣人のパタでさえギョッとするほど凄みのあるものだった。もし慈悲の気持ちの全くない冷酷な女神がいたとしたら、恐らくは今のアーシアのような眼差しをしていることだろう。
(この女──何者だ)
パタが心中でそう呟いた、刹那。
彼の腹部に強烈な一撃が見舞われた。それはアーシアによる、剣の柄を用いての打突だった。直撃を受けたパタの巨体が矢の様な速さで吹っ飛び、遺跡の石壁に激突した。彼の巨体を受け止めた石壁は轟音とともに砕け散り、見るも無残な瓦礫の山と化した。
そして次の瞬間にはもう、アーシアはパタに馬乗りになって、彼の首筋に剣の刃を当てていた。パタにはもはや抗う力はない。アーシアはパタの上に乗ったまま、彼の顔をじっと見つめた。、
「殺さないのか……甘いな。そんなことではいずれ殺されるだろう」
パタは全身の痛みに耐えながら、苦しそうな声を絞り出した。
この時トマはあることに気付き、ハッとした。自分達を取り囲んでいた獣人の輪が、狭まっているのだ。いつの間にか、森や遺跡の中に隠れていた獣人達も距離を詰め、この遺跡中心広場を完全に包囲していた。数え切れないほどの、物凄い数の獣人である。これは、他の集落からの応援も含まれているのだから、当然だ。
「ぁぁあ!」
トマが恐怖のあまり声を上げた。パタは自分を倒せば無事に逃がすと言ったが、他の獣人たちを見る限りそんなことは絶対ないように思えた。パタの命を奪っても奪わなくても、結果は目に見えている。結局、獣人たちとの戦いは避けられないのだろう。
「さぁ、殺せ! 敗者に情けは無用! 殺さなければ逆に自分が殺されるだけだ! 」
パタは、敗者としての死を望んでいる。
「……」
すでに決着は付いた。敗北を認め、戦意を失った彼の命を奪う必要があるとは思えない。
しかし、相手が戦死を名誉とし、今ここで果てることを望むならば話は別だ。
体内を巡るメナストが高揚し、破壊衝動の抑制が甘くなっている今のアーシアは、例えるならばかなりハイな状態にある。普段の彼女の性格では考えられない行動をとってもおかしくはない。
だから、彼女は逡巡することもなく、剣の柄を両手で握って力を込めた。そしてそのま切先を自分の頭上まで振り上げ、パタの喉に突き立てて切り裂くに十分な勢いが得られる構えをとったのである。、