6−3 「森の守護者」
アーシアとの交戦によって、獣人たちの集落でも騒ぎが起きていた。傷を負った獣人を含む一団が、彼らの集落へと帰ってきたのである。牢小屋の中にいた恵悟たちにも、外部の動揺と騒々しさが伝わってきた。
「何か、騒いでるな」
恵悟は壁にある小さな窓から外を覗いた。慌しく動き回る獣人たちの姿が見える。詳細をうかがい知ることは出来ないが、その喧噪からして、只事ではないことが想像できた。
「何かあったのかな」
「もう、何があっても驚かないよ」
葵は狭い牢の中で膝を抱えたまま、小さな声でそう呟いた。
* * *
騒動を耳にしたパタが、村に帰還した獣人達の元へ向かう。そこでは、森林戦に長けた獣人のレンジャー達が、落胆と苦渋の表情で地面に腰を下ろしていた。中には、深手を負っている者もいたようで、彼らはすぐさま建物の中へと運ばれて行った。
「何事だ。一体、何にやられた」、
「我々の森の中に、人間が侵入してきたんです」
「人間か」
人間、という言葉を聞いただけで、パタの表情は猛獣のように凄まじいものになった。
「はい。どうしてもそいつらの目的がわからず、しばらく監視していたんですが」
レンジャーの一人がそう告げた。族長たるパタは、最近では人間たちが何を企んでいるかを知るために、森に入った人間をすぐには襲わずに監視しろと指示している。
「どうも、例の遺跡が目的地だったらしく、そこで妙な動きを見せたので……」
帰還した獣人たちはなぜか、顔を見合わせたまま、なかなかその先を語ろうとしなかった。どう説明したら良いかわからない、といった様子である。
「それから、どうしたんだ」
「……弓で攻撃したんです。ところが、まるで人間の女の前に見えない壁があるみたいに、途中で弾かれ、全く当たらず」
「逆に、妙な攻撃を受けてしまい、何人かが負傷しました」
獣人たちはありのまま、遺跡で起こったことを報告した。交戦した獣人の誰もが、今でも訳がわからない、といった困惑顔である。
「妙な攻撃、だと?」
「思い出すだけでも恐ろしいですが、光る弾が数え切れないくらい襲ってきました。あれはまるで、古代の人間が使っていたとか言う……」
獣人の一人がそう言いかけた時である。
「──邪術じゃな」
「ばあ様」
杖を突きながらひょっこりと現れたのは、背の低い、老いた獣人であった。彼女はパタの祖母である。
「間違いない。人間が放つ光の弾丸は、古の邪術以外には考えられんからな」
しわくちゃの顔にある口をもごもごさせながら、彼女はそう言った。
「ならば、なおさら許せん。世界を滅ぼしたとかいう、禁断の力を使う輩など」
パタの瞳に憎悪の光が宿った。
「それにしても、何てザマじゃ。こんな奥地まで人間の侵入を許し、しかも自由にさせてしまうとは」
パタの祖母が、しわの奥にある目を爛々と輝かせて言った。惨敗を喫した獣人達は、長老である彼女の視線に怯える他なかった。
「もっともだ。なぜもっと早く攻撃しなかった」
パタが重ねるように問いただした。レンジャー達は面目なさそうに首を垂らしながら、力なく説明する。
「いえ……。いつも見かける人間達とは様子が違っていたもので」
「男のほうなど、見るからに間抜けそうでしたし、放っておいても問題ないのでは、と判断してしまいました」
言い訳に聞こえないでもないが、森の狩人達がここまで追い込まれるのは滅多なことではない。恐らく、本当に相手が強力だったのだろう。
「しかし、パタ。一撃ではありますが、毒を塗った矢を食らわせたので、もうまともに動くことなどできないはずです」
そんな話をしていたところに別の獣人がやってきて、遺跡の現状を告げた。その者の報告によると、目に見えない攻撃を受けるために、近づくことすらできないという話だった。
「それも邪術じゃろうな。しかし、毒矢を受けても無事とは」
「むう、魔物以上に面妖な人間だな。目的も含めて」
獣人たちには、その人間達の正体も、意図するところもわからない。
正気の人間ならば、魔晶の森の危険さを知っているはずである。
命を賭して、場所すら特定できない遺跡にやって来て、そこで何をしようというのか。
──いや、そんなことはどうでもいい。
奥地まで侵入を許した上に、仲間まで傷つけられたことへの怒りが、徐々にパタの中で高まってくる。何を企んでいるかはわからないが、とにかく人間を縄張りの中で自由にさせるわけにはいかない。
「どんな相手だろうが、人間の自由にはさせん。俺が行って思い知らせてやる。それまでは監視を継続するように伝えろ」
獰猛な眼差しを遺跡の方へ向け、パタはそう言った。彼の中で燃え盛る憎悪の炎は、今や森を護るという使命感だけに留まるものではない。彼による報復は、人間を根絶することを最終目的としている。
!
「戦闘準備だ。各々、武器を持て!」
長の掛け声で、獣人たちは慌しく準備を開始した。
弓や斧、剣などを手にし、人間を狩るために万全の体勢を整える。
パタは自慢の大剣を背負った。彼の巨体に相応しい、型破りな得物である。
「兄さん」
ちょうど準備を終えたパタに、声をかける者がいた。
「ニュイ」
「予見で見たあの場所に、また行くのですね」
「ああ。また別の人間が現れたらしい。そいつらを片付けてくる」
「……」
ニュイは無言になった。兄に対して何か言いたげではあるが、躊躇している様子である。
「どうした、ニュイ。言いたいことがあるならば、言ったらどうだ」
「……心配になって」
兄の身を案じるが余り、声をかけただけ。この時のパタには、そうとしか思えなかった。
「いつもの事だろう。一体、何が心配だというんだ」
「その人間……恐ろしい力の持ち主に違いありません」
ニュイがそう言うと、パタは笑って答える。
「フハハ……案ずるな、所詮人間だ」
この程度のことは造作も無い、と言いたげなパタ。
「……」
しかし彼の妹は、まだ何か言いたそうにしている。それを見て、パタの顔つきも真面目に変わった。
「まさか、俺を引き止めるつもりか。それとも、また人間を庇うつもりか」
どんな理由があるにしろ、またどんなに可愛い妹の願いでも、彼にとってそれは到底聞き届けられないことである。
「いえ……、兄さんは言い出したら聞かないから」
ニュイもパタの人間狩りに対する熱意を心得ているから、本気で彼を止められるとは思ってはいなかったようである。始めから諦めていたかのように、そう言った。
「ニュイ、わかってくれ。人間を殺すのは俺の使命であり、またお前の為でもある。人間は我らの仇だ。許しておくわけにはいかないだろう?」
パタは妹の肩に大きな手を置いて、優しく語りかけた。そうされてはもう返す言葉も無く、彼女はただうつむく他なかった。
「……行ってくる」
そんな妹を見て少しでも信念が揺らいではいけないと思ったか、パタはすぐに背中を向けて歩き始めた。去り行く兄の後姿を、ニュイは複雑な表情で見送るしかなかった。
「……気を付けて」
──古代も今も変わらない、天体の運行がもたらす光と闇のローテーション。
魔晶の森に、夜の帷が降りようとしていた。