◆6−2 「戦慄に染まる遺跡」
獣道を歩き続ける二人。すると,何を思ったかアーシアが急に立ち止まった。
「ちょっと待って。様子が変だわ」
「えっ! まさか獣人ですか」
がさがさ。
茂みが怪しく蠢いた。向こう側に何かが潜んでいる様子だ。
そして。
「キュィイ!」
緑の塊の中から、何かが勢い良く飛び出してきた。
「わ、わ」
慌てアーシアの背中に隠れるトマ。
「大丈夫よ」
「な、何なんですか」
トマが恐る恐る前方を覗き込むと。
「キュイ」
そこにいたのは、長い耳を持ったげっ歯類のような動物であった。綿のような白い毛に、黒いつぶらな瞳。まるでぬいぐるみのような、なんとも愛らしい小型の生き物が、今飛び出してきた茂みを睨み付けながら、威嚇するように背中の毛を逆立てていた。
「……何だろう。見たことも無い動物ですね。魔物でしょうか」
「見た目にはただの動物っぽいわね。……それにしても、一体どうしたのかしら」
「何かを警戒しているみたいですけど」
「……何か来るわ」
「グワォォン」
咆哮とともに茂みから跳躍して現れたのは、見るからに獰猛そうな魔物であった。大型犬ほどの大きさだが、頭には斜め上に突き出た二本の角、左右二つの目の他に額にも目がある。艶のある黒い体毛が悪魔を連想させる、何ともおぞましい三つ目の怪物である。
「ひょえー」
トマは瞬く間に戦意消失し、その場でしゃがみこんだ。
「この子を追ってきたのね」
「グルルルル」
三つ目の怪物は、刃物のような牙が並ぶ口から唾液を滴らせた。目が血に飢えている。このままだとアーシアたちも襲われるかもしれない。
「とにかく、私達は隠れて少し様子を見ましょう」
トマが黙ったまま大きく頷いた。二人は今後の様子が窺えそうな木陰に身を隠した。
「ガァアア」
怪物が大口を開けて小型魔物を威嚇する。だが小さな相手が怯む様子は無い。
そのまま三つ目の獣は跳躍し、小型の魔物に飛び掛った。
「キィ」
このままでは振り切れないと判断したのだろう、小型の方も交戦に移る。真っ向から勝負を望むように、バネのように跳躍した。
小型魔物の方が後からジャンプをして、体当たりを食らわせる形となった。歴然とした体格差にも関わらず、両者互角の衝突だった。空中で一回転し、小型魔物は地面に着地した。三つ目獣にダメージはないが、とりあえずは攻撃を凌ぐことはできたようだ。
「結構強いですね。見た目とは違って」
「キュイ!」
ひと鳴きするやいなや、小型の魔物の周囲が発光を開始する。そして、その小さな身体から前方に向けて衝撃波が発せられた。
ドン!
衝撃波は三つ目獣に命中したが、相手は少し後ろに押し戻された程度で、ほとんどダメージを受けていない。身体が小さいせいか、術の威力も相応に弱いらしい。
「今のロスト・アビリティーじゃないですか?」
「古代術ね。ちょっとオドロキ」
メナスト・コントロールをこなす魔物。だが、力の差を見れば、このまま小型の魔物がやられるのは目に見えている。魔物の間でも弱肉強食はセオリーなのだ。力の弱いものは淘汰されてゆくしかない。
──しかも、である。
「あ」
よく見ると、小型魔物は脚を怪我していた。追いかけられているときに傷を負ったのだろうか。術の威力が弱いのは、怪我が原因のひとつのようである。
「キュ…」
あまりにも憐れで、痛々しい姿である。脚の白い毛が濁った赤色に染まっていた。
「グォォン」
今度は三つ目獣の側が攻撃した。驚いたことに、頭に生えた二本の角が伸びて小型魔物に襲い掛かったのである。それはかなりの速度だったが、小型魔物は横に跳んで辛うじてそれを回避した。そのため二本の槍は地上に突き刺さった。が、すぐさま伸びた時と同じ速度で収縮し、元の長さに戻った。
当然ながら小型魔物にダメージはなかったが、どうも傷の具合が良くないらしく、動きの切れが目に見えて悪くなってきた。時折、ビクビクと身体を震わせている。
しかし、三つ目は攻撃の手を緩めない。額にある第三の目がギロリと動いて、小型魔物を中心に捉えた。すると、どういう仕組みなのか、小型魔物は金縛りにあったように動けなくなってしまった。
「あれは……」
アーシアは子供の頃に交戦した、一つ目の巨竜の睨みつけ攻撃を思い出した。恐らく、同じ種類の呪縛に違いない。
三つ目の魔物はチャンスと見るや、再び小型魔物に飛び掛った。
「キュウ」
一方の小型魔物は呪縛の影響で動くことができない。反撃も回避もままならず、もはや、その儚い命は風前の灯かと思われた。
「あっ!」
勝負が決まる瞬間だ。トマが思わず声をあげた。
「ギャヒィィン」
どういうわけか、それは三つ目獣の悲鳴だった。小型魔物の助太刀をしたアーシアが、飛び掛る三つ目獣を思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
哀れ、三つ目は飛び掛った時よりも大きな放物線を描いて、森の彼方へ吹っ飛んだ。そして、それから再び姿を見せることはなかった。
「ごめんね」
この、小さな、傷ついた魔物を見殺しにはできなかったのである。
「キュキュ」
「手当てしてあげましょう」
アーシアが言った。
「また……」
人間の勝手な都合で、と言いかけたが、トマは口をつぐんだ。気持ちがわかるだけに責めることができそうもなかった。人間の都合とはいえ、そこに慈悲の心がある限りは、やはり弱者を助けないわけにはいかなかっただろう。
「よしよし、動くなよー」
トマが小型の魔物の傷を手当して、包帯を巻いてあげた。
「これで良し、と」
「これからは気をつけるのよ。あんまり、強いのに目を付けられないようにね」
「キュイ」
アーシアが頭をなでてやると、魔物は嬉しそうに声を上げた。
「さぁ、行きましょう。予想以上に時間を食ってしまったわ」
「そうですね」
二人は立ち上がると、先を急ごうとした。
ところが、この魔物。アーシアの後ろからトタトタと付いてくる。そして、彼女が立ち止まると、一緒になって立ち止まる。
「あれ? 付いて来ちゃってますよ、アーシア様」
「こらこら、だめよ」
屈んで言い聞かせたが、魔物は彼女に身を摺り寄せたまま、離れようとしない。アーシアが再び歩き出せば、それに付いて来る。どうやっても離れる様子は無い。
「どうも、懐いちゃったみたいですね」
「どうしよう」
「連れて行きますか?」
「うーん、まあ、そうね……。怪我もしているみたいだし……確かに気がかりだけど」
つぶらな瞳でアーシアを見上げながら、魔物は首をかしげた。
「この様子なら、多分、人間を襲ったりはしないわね……。安全なら連れて行っても特に問題はないわよね」
「キュイ!」
魔物が、とても嬉しそうにひと鳴き。
「変な魔物ですね」
「でも、勇敢な分、あなたよりは役に立ちそうね」
「あのですねぇ」
「冗談よ、トマ」
(冗談に聞こえないんだよなぁ)
かくして、一匹の愛らしい魔物が新たにアーシア一行に加わることになった。
「名前がないと不便ですね。どうしましょうか?」
「う~ん、あとで考えましょう」
魔物は身軽な動作で、アーシアの肩に上った。
「キュイ!」
「……それにしても、見つからないですね、遺跡」
「ここら辺にあると思うんだけどな。リシュも私と同じで方向オンチなのかな」
遺跡を探して、森の中を歩き続けるアーシア一行。それから間もなく、立ち並ぶ木々の向こう側に目的の遺跡が姿を現したのであった。
「ようやく見つけましたね!」
その遺跡の廃墟は静寂を保ち、魔晶の森の中央にひっそりと佇んでいた。
「驚いた。本当に遺跡があるわ。こんなところに……」
白みがかった石壁に、巨大な石柱。どちらもその大多数が倒壊しているが、それら石造りの残骸には立派だった遺跡の面影がある。
遺構の損傷は、自然的な劣化か、クァタナル・デフィリースドの影響か。全く人が訪れることのない僻地の遺跡は誰かに修復されることもなく、地面からは草がぼうぼうに生い茂り、倒れた石柱には蛇のような蔓が絡み付いている。
また、人間の姿を模した石像が無残な姿で地面に転がっている。アーシアはその薄汚れた石像を見つめた。雄雄しい男性の像。名前も知らない、旧世界以前の神だろうか。
古代の遺構、刻んできた悠久の歴史。この遺跡はずっとシーレを見てきたのだろう。目を閉じれば、在りし日のロスト・エラの情景が浮かぶようだ。
遺跡の中心付近に向かうと、割と損壊の少ない区画を発見した。さらにその一画に、異質な石壁が立ち並ぶ場所がある。ここの石壁はほとんど崩れておらず、壁自体の造りもかなり頑丈である。
「ここには何かありそうね。壁も他と比べると随分しっかりしているし」
他の壁はほとんど崩れ落ちていて役目を果たしていないが、ここの壁はだいぶ様子が違う。何よりも壁に様々な彫刻がなされているのが特徴的で、その姿はさながら巨大な石碑のようであった。
アーシアは立ち並ぶ壁を見上げた。
抽象的な彫刻──何を模しているのかわからないものが多数だが、ロスト・エラの歴史や生活の様子を彫ったと思わしきものもあった。
「これは興味深いわね……ロスト・エラの物なんだろうけど……。おじい様にも見せてあげたいわ」
その彫刻の中に、気になる発見があった。
「これは……まさかメラニティ? でも、何か違う……どこかが……」
違和感の正体はすぐにわかった。
(サウルが描かれていない? いいえ、多分これがそう。術後なのに、人間の姿で描かれている。でも、どうして……)
「アーシア様」
辺りを調べていたらしい。姿を消していたトマが戻ってきた。
「妙な場所があるんですが」
トマの言った場所は遺跡の中心部にあった。そこは床にも石が敷かれており、彫像が通る人間を監視するかのように向かい合って並んでいる。柱には古代の神聖なルーンが刻まれている。他の場所とは違う、荘厳な雰囲気と威圧感を感じさせる造りだ。
「何か重要な施設だったんでしょうかね」
石壁に切れ間がある。どうやら、遺跡の最深部へと続く道のようだ。
「あそこから、もっと中に入れそうね」
「行ってみましょう」
最深部への入り口らしき壁の切れ間。二人はそこへ向かって歩きだした。
「……」
ところが歩き出してすぐに、アーシアがピタリと足を止めた。
「どうしたんですか?」
並んで歩いていたトマが、不思議に思って後ろを振り向いた。
「アーシ……わっ?」
突然、アーシアがトマの腕をグイ、と引っ張った。思わず、トマの身体がアーシアの方に引き寄せられる。
ヒュン、と風を切って何かが飛んで来た。それは、さっきまでトマがいた場所に寸分違わず命中した。
「え、えっ」
壁に当たって地面に落ちたそれは、矢だった。木製の矢が地面に落ちている。矢を放った者がどこかにいるのだ。
唸りを上げながら、再び矢が飛んできた。アーシアが左に首を傾けると、その飛来物は彼女の側頭部の僅か数センチ傍を通過し、壁に命中。跳ね返って地面に落ちた。
「トマ、走って! あの遺跡の入り口まで」
頭を下げて走る二人。トマの頭上すれすれを矢が通り抜ける。ゾッとする瞬間だが、逃げるのに精一杯で恐怖を感じる余裕すらもない。
さらに矢が飛んで来る。今度の一矢は特に狙いが正確であった。トマの頭部目がけて、まっすぐに飛来した。
間一髪、リシュラナがそれを叩き落した。地面にへし折れた矢が転がった。
続けて、今度は文字通り矢継ぎ早に射ち込まれてきた。二人は何とか壁の切れ間に潜り込み、その内側に身を隠す。
「ひぇえ。お助け~」
カツンカツンと、壁に矢の当たる音がする。一度に複数の数が放たれていることから、相手が一人ではないと予測できる。
「……奴らね」
これが噂の獣人に違いない。
「飛んでくる矢の角度からすると……遺跡の中、周囲の木の上、あるいはその両方か」
アーシアは考えた。壁がほとんど崩れているとはいえ、遮蔽物として全く機能しないわけではない。敵が木の上にいるというのはいい線かもしれない。獣人たちの鋭い爪ならば木登りなど造作も無いことだろう。
それにしても遺跡の外から射ているとしたら、かなりの距離である。
彼らは相当視力に優れているようだ。また狩猟を生業とする種族だけに弓の腕前が恐ろしく良い。
壁の内側に隠れて少し経つと、矢の飛来が収まった。森の狩人がアーシア達の動向を窺っているようである。
「ど、どうしましょう」
「追い払うわ。このコお願い」
小さな魔物をトマに預け、アーシアは物陰から勇ましく飛び出した。
彼女めがけて矢が雨のように降り注ぐが、リシュラナが盾となってその身を護る。巨大な腕を振るい、可能な限り矢を叩き落す。
アーシアは棒立ちのまま、飛んで来る矢を避けようとしない。唯、意識を集中して術の詠唱に入った。
「リ・ムークン・シュゼイン、リ・ラルウァ・シュドー。汝、百光の射手よ、無限に連なる光の旋律を奏で……」
唸りをあげて飛んできた一本の矢が、アーシアの左腕を掠める。白い肌に鮮血が流れた。
「アーシア様!」
見つめるトマが心配の余り叫んだ。
アーシアが胸の前で包み込むようにして重ねた両手に、みるみる輝きが集まってくる。漆黒のマントがバタバタとはためき、全身を巡る輝きはさらに増大していった。
「主が道を阻む罪深き咎人に、裁きと終わり無き責め苦を与えよ」
──術の詠唱が終わった。
眩いばかりの閃光を発し、アーシアの手元に集中した魔力が今、解き放たれようとしていた。
「裁きの光弾!」
重ねたまま伸ばした両掌から、青白い光の弾丸が連続して撃ち出された。とんでもない数の弾丸が、拡散しながら発射され続ける。正確さには欠けるが恐るべき攻撃範囲で、大体の敵の位置の見当さえ付けられれば、あとは『数撃ちゃ当たる』という発想だ。威力も絶大で、敵のいるであろう方向をなぎ払うように攻撃すると、射線上にある石壁は破壊され、その先にある樹木も容赦なく貫かれた。
「グゥオオォォッ」
野獣の呻くような声が聞こえ、それに続いて──ざわざわ、と草木の向こうで何かがうごめく音がした。
「す、すごい。これが古代術なんですね」
トマは壁の隙間から首だけ出して、恐々と周囲を窺った。もう矢が飛んでくる様子は無い。
アーシアは再び、トマのいる壁の内側に戻ってきた。
「はあ。森を傷つけてしまったわね」
「それよりも、傷は大丈夫ですか?」
アーシアの左腕に、矢が掠めてできた傷がある。深くはないようだが、流れ出た血が指先まで伝って地面に落ちている。
「大したことないわ。すぐに癒える」
しかし。
「……っつ」
アーシアの表情が苦痛で歪んだ。
「ど、どうしたんですか」
「矢に毒が塗ってあったみたいね」
獣人が用いる矢には、植物から抽出された猛毒が塗ってあるのだ。
「そ、そんな」
「だから、平気だって。そんな情けない顔しないでよ」
アーシアの右手が緑色の光を放つ。彼女はその右手を左腕に出来た傷口に当てた。毒素を含んだ血液が飛沫となって飛び出し、瞬く間に傷口が閉じた。
「凄い。一体、どうやったんですか?」
「体内のメナストに働きかけて、新陳代謝を活性化させたのよ。毒素自体を無力化することも可能だけど、それだと時間がかかるからね。こっちの方が手っ取り早いと思ってさ」
自力で毒を排出し、尚且つ傷の回復速度を早めるという芸当である。
(どこまで常識が通用しないんだろう)と、トマは思った。
「でも、才能っていうのは悲しいものでね……私は他人を助ける類のメナスト・コントロールが全然行なえないのよ。あなたを守るにも、さっきのようにしなければならない」
メナスト・コントロールは万能ではないし、得手不得手というものもある。クエインが得意とするところの、他者を治療したり強化する術を、アーシアは苦手としている。誰にでも不得意な分野があるものだ。
「心配はいらないと思いますが……気分というものもありますし、一応手当てをしておきましょう」
傷痕はまだほんの少し残っているが、血が滲まないほどに閉じている。それでもトマはアーシアの手当てを始めた。
「そう簡単には死なない……いや、死ねない身体。オーファになった時からずっと、私はこの身体で生きてきた」
誰に語りかけるでもない口調で、アーシアはそう呟いた。
「──だからって、無理してはだめですよ、アーシア様。クエイン様だってそう言ってるじゃないですか」
荷物袋から治療用の道具を取り出しながら、トマが言葉を送った。
「わかってる、わかってはいるんだけど」
「犠牲の上に立つ勇気なんて、僕は嫌いですよ」
アーシアが優しい人だということはよくわかる。彼女は困った人を放ってはおけない体質なのだろうし、他者を守るために最善を尽くす人なのだろう。
だが、自分を犠牲にすることは美談に思えても実際に良いこととは限らない。例え後世が美徳と称えたとしてもだ。自己犠牲や無謀は明確に、勇気とは別のものだ。
「獣人たち、倒せたんでしょうか」
傷口を消毒しながら、トマが尋ねた。
「さあ、どうかしら。手ごたえはあったけど……多分、逃げただけだと思うわ。まだ気は抜けない」
この森の中では危険を身近に感じずにはいられない。気持ちを休める暇は一瞬たりとも訪れそうにない。
「これでよし!」
トマはアーシアの左腕に包帯を巻き終えた。手際が良いうえに、見栄えも悪くない。どうやら彼には応急手当の心得があるようだ。
「ありがとう。でもこんなのどこで覚えたの?」
「アカデミーですよ。実技で習ったんです」
護身術や応急治療などは役人になるための必須科目だと、トマは語った。
「まあ、護身術とか剣術の単位はなかなか苦労しましたけどね」
「それは苦手そうね」
いかにもトマらしいと、アーシアはクスッと笑って言った。
「そう言えば、さっき思ったんですが」
「何?」
「アーシア様が飛び出さずとも、妹さんに獣人退治を任せれば良かったんじゃないですか? 獣人たちにも、サウルの姿は見えないのでしょう?」
「ああ、それね。リシュは私を護ることを最優先するから、ああいう状況下だと、お願いしても無駄なのよ。それに、サウルの行動範囲は制限を解除しない限りは私のすぐ傍までなのよ」
アーシアは壁にもたれ掛かり、若干疲労した様子でトマの問いに答えた。長丁場での気疲れだろうか。彼女でも疲れることがあるんだな、とトマは思った。
「──で、この内側には何があるわけ?」
トマとアーシアは改めて、身を隠している石壁の内側を見てみた。
「見てください。妙な祠がありますよ」
四方を石壁に囲まれたこの区画に、同じく石で造られた祠があった。
「とりあえず、この遺跡の調査が先ですよね。とっとと済ませて帰りませんか」
「うーん」
トマが急かすように言った。しかしアーシアは乗り気ではない。
「そうなんだけどね……この中に入るのはあんまり得策じゃないかも」
「何でですか?」
「もっと追い詰められるかもしれないからよ」
「でも、今がチャンスじゃないんですか?」
獣人たちを追い払った。調査するにせよ逃げ出すにせよ、今が好機ではないかとトマは考えた。
「確かに追い払ったけど、まだ気配があるわ。どうやら監視されてるみたいね」
彼女の勘がそれを告げている。ここは獣人のテリトリー。森が目を持っていると考えるべきなのだ。
「ほんとですか」
そう言われると確かに、殺意の混じった視線で見つめられている気がする。
「常に、私たちを殺す機会を狙っているようね。簡単に姿を見せないあたりがさらに手強い」
獣人は執念深く、人間を無事に帰したりはしない。再び襲ってくるのは目に見えたことであり、この上に遺跡内部へ入っては袋のネズミと成りかねない。
「それじゃあ、どうするんですか?」
「下手に動かない方がいいわ。もう少し様子を見ましょう」
チャンスを見て、突破口を切り開こうというアーシアの考え。彼女一人ならまだしも、トマが一緒では彼の身の安全も考えなくてはならない。また、仮に今ここを飛び出しても、森の中には安全な場所など無いことがわかっている。それらを踏まえると、ここで膠着した状態が続くことは仕方がないと言えた。
「うぇぇー、このまま睨み合いなんて辛過ぎますよー」
監視の目は未だ強く、森そのものがアーシアたちを狙っているようにさえ思えた。