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煌空の輪舞曲 〜Ronde of the sky-universe Seare〜  作者: 暁ゆうき
第四章 新たなる鼓動
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港湾都市レンベルン 後編

 レンベルンの誇るマーケットは見所満載だが、広大であるゆえにそう簡単には全てを見て回ることはできない。だが、二人の到着した時間が良かったため、乗船する船が出るまでは、ゆっくりと時間の許す限り市場を見物できそうだ。


「それにしても──」

 トマが市場に建つ時計塔の時間を確認しながら、ぼんやりとした口調で喋り出した。

「あんなに首、突っ込むの嫌がっていたじゃないですか。何でまた、こんなことを引き受けたんですか?」

 今回の役目を引き受けたことが、トマには解せなかった。アーシアはトラシェルム帝国に関わるのを嫌っていたはずだ。先の空戦だけに手を貸すものだとばかり思っていた。

「今回の件は、どうも私達とは無関係ではないような気がしたのよ。あと、妙な胸騒ぎもね。だから、ほとんど自分とリシュ、それにおじい様のためかなあ」


 市場に設けられた物産展には、シーレ中から運ばれてきた衣類、食品、装飾品等々……バラエティに富んだ品々が所狭しと並べられている。魔物のほとんどいないトラシェルムでは珍しい、魔獣の毛皮や角などもあった。冒険に慣れたアーシアでも見たことがない品々が、ここには数多く集められているのだった。


「ここにいると、旅の目的を忘れちゃいそうね」

 アーシアは並べられた果物を珍しそうに眺めながら、そう言った。

 煌天世界シーレは狭いようで無限に広い。それぞれの土地の風土や風習にあった物品、特産物を見ればそれが実感できる。

 人間というのはたくましいもので、発見された無数の浮遊大陸の多くにはすでに人間が居住している。彼女達が向かおうとしているイヴェロム大陸も、人が根を下ろしてからまだ間もない大陸であった。

「確かに、時間がいくらあっても足りませんね、ここは」

 トマが再び時計塔を見た。

 お荷物とは言ったが、彼が付いて来てくれたおかげで、旅のスケジュール管理に気を遣わなくて済むのは確かである。そのため、アーシアは船が出る時間すら把握していなかった。


「そう言えば、トマ。出航まであとどれくらいなの──」

 出港時間を尋ねようとした、その時である。

 悲鳴と思しき甲高い叫び声がアーシア達の耳に飛び込んできた。

「何事?」

 声のした方を見ると、地面に倒れこむ婦人と、布製の鞄を手にして駆け出す男の姿があった。

「誰か、その男を捕まえてえっ!」

 婦人が大声で叫んだ。どうやら鞄はこの婦人の所有物で、駆け出した男は引ったくりのようである。

「なんだ、なんだ」

 驚く程の速度で、その盗人は走り去った。状況を把握した者が捕まえようにも、全く手に負えないような俊敏さである。


 地べたに敷かれた茶色い絨毯(じゅうたん)の上に並べられた、日に焼けた商人の売り物が篭ごと宙を舞い、また道端に広げられた露店の商品は、引ったくり犯の進路上において同様の災難を被った。

 物品に限らず、人間とて弾き飛ばされるもあり、かろうじて避けられるもあり。男の逃げ足はまさしく、猛烈な勢いだった。

 盗人は瞬く間に市場から姿を消し、現場には騒然とした空気だけが残された。

 アーシアとトマは、人の輪の中で倒れている、鞄を盗まれた婦人の元に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ」

 幸い、婦人に怪我はないようである。返事してから、彼女はゆっくりと起き上がった。

「思ったより物騒なところですね、ここ」

 トマは眉間にしわを寄せ、盗人の逃げた道を悔しそうに睨み付けた。

「……まだ追いつけるわ」

「え」

 トマはアーシアが何を言ったのか、すぐには理解できなかった。

「アーシア様、何を言って……」

「ああいうせこい奴は、とっ捕まえて、懲らしめてあげないといけないのよ!」

 言うな否や、アーシアはこれまた猛烈な勢いで走り出した。どうやら持ち前の正義感が燃え上がったらしい。盗人を追いかけて鞄を取り返すため、彼女は市場を駆け抜けた。

「あ、アーシア様! もうすぐ船出るんですよ! ────全く、すぐこれだ」

 トマには全く、彼女を引き止める間もなかった。


 *  *  *


 逃げる盗人の足は恐ろしいほど速かったが、超人的なアーシアは風のようなスピードでそれを追いかけた。狭い路地に逃げ込み、さらに右折左折を繰り返し、男は逃げ続けている。

「かなりの脚力ね。人間離れしている。……それなら」

 アーシアは自らの脚力に意識を集中し、迸るエネルギーをコントロールした。体内のメナストが彼女の意思に従って純粋昇華的に活性化され、走行スピードがさらに増した。この段階で、常人の四倍程度という凄まじいレベルである。

「メナスト開放。もう逃がさないわよ」

 ところが、脚力強化しても男との距離はなかなか縮まらなかった。相手の方が地理的に熟知しているせいかもしれないが、それにしても予想をはるかに上回る相手の速度だ。

「このままだと見失う!」

 アーシアは力強く大地を蹴り、高く跳躍した。そして次の瞬間には建物の屋上に飛び乗っていた。彼女は視界の中に男を捉えたまま、建物の屋根を次々とジャンプで飛び移りながら追走する。いつの間に現れたのか、白銀のリシュラナがアーシアのそばでフワフワと浮いていた。

「大丈夫よリシュ。この程度、私一人で十分だから!」

 逃げる男はさらに狭く曲がりくねった路地に向かって走っていく。アーシアは方向を変えてさらに跳躍した。

 着地した屋根で昼寝をしていた猫が、びっくりして飛び起きた。向かい側の建物の窓から洗濯物を干そうとしていた主婦は、次々と屋根に飛び移るアーシアに驚いて、口をぽかんと開けたまま閉じることを忘れてしまう。

「目立たないつもりだったけど、早速予定が狂ったわね」

 かなり大胆な方法ではあったけども、このショートカットは功を奏し、盗人との距離を一気に縮めることに成功した。


 一方の盗人は、驚く通行人をものともせずに走り続け、ついにレンベルンの郊外へ到達した。石造りの建物が並ぶ、人気の少ない住宅街である。狭い路地に入って立ち止まると、彼は自分の周囲に誰もいないのを確認した。

「へへ、ちょろいもんだぜ」

 人の気配は全く無い。追ってくる者も無いようである。

(まあ、どうせ今の俺の足についてこれる者などありはしないがね……)

 そう心で自画自賛し、男は満面の笑みを浮かべた。今回の獲物は、金を持ってそうな女の鞄である。男はさも嬉しそうにしていた。

「さてさて、中身は何だろねえ……」

 獲得した戦利品の中身をチェックし始める盗人だったが、間もなく、彼は何かが地面に落ちてくるような音を耳にした。

「んんー?」

 物音のした方に目をやると、彼は自分の目を疑わすにはいられなかった。

 彼以外、誰もいなかったはずの路地裏……。その路地裏の石壁が作り出す僅かな日陰の中に、突如一人の人間が現れたのだ。

「!」

 さっきの物音は、こいつか? まさか、人間が空から降ってきたとでもいうのか──?

 だが、ここは建物の間にある狭い路地であり、周りを囲む建物はどれもかなりの高さがあるのだ。上から落ちてきて無事で済むはずがない。盗人には、その人間の突然の登場が全く理解できなかった。

 あれこれ考えているうち、その人間はゆっくりと、盗人に近づいてきた。日陰から日向に出るにつれ、その正体が明るみになってきた。


 ──女、だ。


 丈の短い漆黒のケープ・マントを羽織り、頭には翼を模した豪勢な髪飾りをしている。可憐とも美人ともとれる魅力的な顔立ちだが、やや強気な印象を受けるつり上がり気味の目は少しも笑っていない。顔立ちが端正な分、余計に鬼気迫るものがある。

「悪いことは言わないわ。おとなしくその鞄を返しなさい」

 現れた女──アーシアが、普段の声とは似ても似つかない、地を揺さぶるような低い声でそう言った。

「な……何だ、何なんだよ、お前はっ!」

 突然現れた、威圧感抜群の女。盗人はその気迫にも押され、思考は未だ混乱から抜け出せずにいた。

「くそっ」

 だが直感的に、あるいは経験的に、彼はこの場から逃げることに決めたらしい。走ってきた道を引き返そうとして、彼女に背を向けた。


 ──ところが、今度はその逃走経路を遮るようにして、ひとつの大きな影がぬっくと現れた。


「おっと。悪いが、こっちは通行止めだぜ」

 アーシアが見ると、精悍な顔立ちの大男が、逃げようとする盗人の前に立ちはだかっていた。

「げっ!」

 進退窮まった盗人はうろたえた後、今度はやぶれかぶれになった。彼は胸元から刃物を取り出し、何か喚きちらした。そして勝ち目がありそうなアーシアの方に挑みかかっていった。


 ──が、当然、この盗人は相手を見誤っていた。


 ズガッ!


 怒れるアーシアの回し蹴りがまともに頭部に入って、盗人は回転しながら地面に叩きつけられた。その余りの衝撃に、地面に敷かれた石畳が砕けてめくれあがった。哀れ盗人はそれから立ち上がることもなく、完全にのびてしまった。

「お見事!」

 助太刀に現れた、精悍な男が拍手をした。熊のように大きな手から放たれる拍手は、一人でも十分な音量を備えていた。

「ちょっと、力を出しすぎちゃった。もしかして、死んじゃったかしら? ……!」

 倒れて動かなくなった盗人を見てあることに気づき、ハッとした。男のズボンの裾から覗く足に、無数の線が交錯する複雑な文様が刻印として浮き上がっているのである。これは間違いなく、メナストの力で肉体を強化した時に現れる魔紋である。どうやらこの男、何らかの方法で一時的に脚力を強化していたようだ。

(どうりで速いわけね)


 ここで、一つの疑問が生じる。

 能力を強化するためにはメナスト・コントロールの技術が必要不可欠だが、干渉による肉体強化は、現代の魔晶技術では到底為しえない所業だ。


 では、一体誰がその術を施したというのだろうか?


 この盗人が自分で施したとは考えられない以上、どこか別の場所に、メナスト・コントロールを施した者がいるということになる──。

 アーシアは周囲を見回したが、当然そこに怪しい影があるわけでもなく、自分と倒れた盗人以外には逞しい大男がいるだけだ。

「どうしたんだい? 急に周りを見回してよ」

「……何でもないわ。それより、あなたは?」

「いや、俺もあんたと同じくこいつを追いかけてきたんだがね、あんたらがあまりに速いもんで、ようやくさっき追いついたって話さ。……しっかし、あんた本当にすげぇな。さっきの蹴りと言い、ほんとに女……いや、人間か?」

 男はアーシアを褒め称えると、大きな口を開いてニッと笑って見せた。額から眉間にかかる大きな傷跡が目立つ。……いや、近くで見れば顔だけでなく、両腕にもたくさんの傷がある。

 もしかしたら、全身が傷だらけなのではないだろうか? アーシアは、この男こそ只者ではない気がした。

「あんたみたいなイイ女とこの場限りってのも寂しいが、まぁ後の面倒なことはオレに任せときな。見たとこ、ここいらのモンじゃないだろ?」

「そう……ね。じゃあ、お言葉に甘えようかしら。そろそろ時間だから、急がなくちゃいけないし」

「ああ、任せときな。ついでに、その鞄はあのおばちゃんに返しておいてくれや。気を失ってるこいつはどうやら常習犯みたいだから、俺がしょっ引いとく」

「ありがとう。それじゃあ悪いけど、後はお願いするわ」

 アーシアはその男に背を向け、港方面へと向かった。

 立ち去るアーシアと、その後姿を見送る男。この時、彼がアーシアの背中に意味深な視線を送っていたことには、さすがの彼女も気付かなかった。


「次の便に間に合えばいいけど」

 予定していた便には乗り遅れてしまうかもしれない。足取りが自然と速くなる。

 市場まで帰り着いたアーシア。どうにか出港の時間には間に合ったらしく、港の入り口でトマが手を振っていた。どうやら、もうすぐ船が出るようだ。

 忘れずに、そこにいた婦人に鞄を返すと、彼女は心から感謝している様子だった。お礼の言葉をいつまでも続ける婦人に別れを告げ、合流した二人は急いで港の発着場に向かう。


 レンベルンの港は名だたる国際空港なだけあって、その規模も相当なものだった。歴史を感じさせるひなびた巨大な港は、帝都のそれとはまた違った品格と趣きがある。

 二人はイヴェロム大陸行きの船に乗船した。一騒動あったものの、これで予定通り目的地に向かえそうである。

 船体上部のプロペラが回転を始めた。推進・姿勢制御用スラスター・ノズルからエネルギーが噴出される。

 船はゆっくりと上昇し、高度を増してゆく。地表がみるみるうちに遠ざかっていった。

「実は僕、トラシェルム大陸離れるの初めてなんです。なんだかドキドキします」

「そうね。私もイヴェロム大陸に行くのは初めてよ。帰りにおみやげでも買ってこようかな」


 今は旅行気分で盛り上がる客席上の二人。彼女達には、イヴェロム大陸で何が待ち受けているかなど知りようもないのであった。

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