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煌空の輪舞曲 〜Ronde of the sky-universe Seare〜  作者: 暁ゆうき
第四章 新たなる鼓動
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港湾都市レンベルン 前編

 帝都を離れ、イヴェロム大陸へと旅立ったアーシアは、レンベルンという名の大都市に到着していた。ここはトラシェルム本土の玄関口とも言える港湾都市である。

 レンベルンの大規模な港湾区域は、国内線への乗り換えや国際線の入出港が絶え間なく行なわれており、空路の要所として大きな役割を果たしている。また、多くの積荷の取引があり、貿易港としても世界有数の使用率を誇っている。

 広大なトラシェルム空域の中心港として、またあるいは他の空との中継点として、多くの船舶がこのレンベルンを利用しているのである。


 *  *  *


「うーんと、この先が港かしら」

 それは、広大で入り組んだレンベルン市街を歩きながら、港の場所を探すアーシアの呟きである。

「ええ、そうみたいですよ。港は市場のずっと先です」

 返事を求めていない彼女の呟きに答えたのは、巨大なバックパックを背負った青年トマである。

「はあ…………何でまたあなたと一緒なのかしらね、トマ。私は今でも不思議なんだけど」

「いやいや。これも僕の大事な仕事のひとつですよ。やはり僕みたいにアーシア様の身の回りのお世話をする人間が付いていきませんと」

 今や威厳のある役人ではなく付き人、ともすれば使用人的ポジションが板に付いたトマは、いかにも誇らしげに胸を張っている。アーシアのサポートこそが、自分の天職だと言わんばかりである。

「あのねえ、子供じゃないんだからさ……」

 溜息まじりに呟くアーシア。不満を露にする彼女とは対照的に、トマは満足そうにニコニコしている。邪気のない笑顔が憎めない。

「……もう! 頼むから、邪魔だけはしないでよね」

 不満を通り越し、アーシアは呆れてしまった。どうやって情報を嗅ぎつけたのかは知らないが、この男は帝都で旅支度を整えていたアーシアの元に押しかけ、止める彼女の忠告も聞かず、ここまで付いて来たのだ。

「付いてくるのはあなたの勝手だし、全然構わないけどさ……。何度も言うように、かなり危険な目に遭うかもしれないわよ? 私だって、あなたまで守りきれるかわからないんだから。自分の身は自分で守ってよね」

「大丈夫ですって。どんな危険が待っていようとも、留守番よりはましですからね」

 これは遠足やピクニックとはわけが違う。そこら辺がわかっているのだろうか。アーシアはトマの緊張感のなさに、少し苛立ちを覚えてしまう。

「気楽に言ってくれるけど、じゃあ留守はどうなるのよ。今度ばかりはすぐには帰れないし、おじい様だってしばらくは帝都に滞在するって言ってるのよ。私のためを思うならば、家に残ってて欲しいんですけどー?」

「ふふん、その件なら何も問題ありません」

「問題ない、って? どういうことよ」

 トマの自信に満ちた態度が解せず、というよりもいっそ気味悪く、アーシアは怪訝な表情を浮かべた。果たして、どんな理由があってこの男は留守が問題ないなどと豪語するのだろう。

 何となく嫌な予感を感じながら、アーシアは相手の言葉を待った。

「実はですね、優秀な友達に任せてきたんですよ。……留守を頼むぞ、って。だから、全く心配ありません」

「なっ…………!」

 とんでもないことを口にしたぞ。アーシアは言葉を失い、口の端をピクピクと痙攣させ始めた。

「そいつ、エネミオっていうんですけどね。なんと、カルフィノ・ファリ行政管理局の局長なんですよ! いやあ、持つべきものはリッパで頼れる友人ですよねえ。ははは」

 トマはさも自慢げに、自分の友人を評価した。

「……ふぅーん、なるほどね。全部をその立派な友達に押し付けて、自分はのうのうとここまで私について来た、と」

「仰る通りです。全く以って、万事抜かりありません」

 この時────。憤怒せしアーシアの両眼は恐ろしい程につり上がり、両肩はワナワナと震え、全身からは真っ黒なオーラを立ち昇らせ、極め付けには大きく広がった口から鬼のような牙をも覗かせていた。

 しかし、哀れで鈍感なトマは、アーシアの変化〈へんげ〉のたった一つにさえ気が付かなかった。

 

 ぽかっ。


「痛っ! 何するんですか。暴力反対!」

 自分よりずっと小柄な女性の怒りの鉄拳を喰らい、頭を抱えてしゃがみこむ無責任男。それは、なんともみっともない姿であった。

「うるっさい、こんのバカトマ! どうしてそんな無責任なことができるわけ?」

 しかし、大声で怒鳴りつけるアーシアの姿も負けじとみっともなかった。

「だから、心配しなくても大丈夫ですって。行政の協力の下、責任をもって厳重に管理してくれますから、僕なんかよりずっと安心ですよ!」

「ちっがーーう! そういうことじゃないでしょうが! 全く信じらんないわ……家には貴重な古文書や、歴史的価値のある文献や、力を秘めたメナスト文明遺物がたくさんあるのよ! もし何かあったら、全部あなたのせいだからね!」 

 完全にご立腹のアーシア様は、癇癪を起こした子供のように、容赦なくトマを罵った。道行く人々が、派手な痴話げんかの最中にも見える二人を横目に通り過ぎていく。

「ほら、人がたくさん見てますよ。みっともないですって」

「知らないわよ、そんなこと! 留守番サボって、その役を全部他人に押し付けて来たんでしょう、あなたは! うら若き乙女(注・あたし)の暮らす家をよ! 全く、非常識にも程があるわ!」

「こうやって、公衆の面前で罵り散らすのは非常識じゃないんですか?」

「口答えは許さないわ。あなた、今すぐに帰りなさい」

「そんな、殺生なー」


 ──その後。アーシアの怒りが収まるまで、しばしの時間を要した。


「はぁーあ……。今更、何を言っても始まらないか」

 肩を落とし、大げさに溜息を漏らすアーシアに──。

「そうですよ。悪い事ばかり考えず、前を向いて歩きましょう」

 などど言ってのけるトマ。反省をしていないというか、罪の意識がないらしい。

「また殴られたいわけ?」

 と、アーシアが再び拳を振りかざすも。

「あ、港はあっちじゃないですか」

 見ない振りをして、うまくすり抜けていった。

「……逃げたな」

 

 そんなこんなで、とんだお荷物を連れて行く羽目になってしまった訳だが、それこそ今更言っても仕方の無いことだ。

 アーシアは連れのトマと共に、レンベルンの市場へと向かった。目的の港エリアは、その市場を越えた先にあるのだ。


 二人が辿り着いたレンベルンの市場は人の往来が激しく、非常な賑わいを見せていた。その様子には目を見張るものがある。

「さっすが有名なレンベルンの市場! 何とも賑やかね」

 交易の要所としても有名な港湾都市レンベルンは、トレーダーや貿易商をはじめとする商人たちの力によって栄えている。

 当然、その市場の規模も尋常ではない。広大な敷地に数知れない露店が軒を連ね、どこを見ても人でごった返している。

 客を呼び込もうとする主人の声、激しく飛び交うセリ市での声、それをかき消す雑踏の声。帝都の市場でさえ、これほどの賑わいは見せない。

「その上、この前の空戦でずっと船が飛べませんでしたからね。定期便も、輸送船も運航休止してましたから。この活気は、その反動かもしれません。もっとも、またすぐに戦争が起きるでしょうけどね」

 戦端が開かれた以上、トラシェルム帝国が戦いの渦中に飲まれていくと予想ができる。

「……でさ、色々考えたんだけど、このレンベルンから定期便に乗ってイヴェロムに向かう方法しか、思いつかなかったのよね」

「いいんじゃないですか、それで。民間の船なら怪しまれずに入国できますし」

「そうね」

 そういった安全性を考慮して、この港湾都市にやってきたのだ。向かう先は、このトラシェルム帝国ほど平和で安全な場所ではないことを肝に銘じておかなければならない。国家間の関係もシビアだ。もし帝国の息のかかった者だと知られたら面倒なことになる。

「そうでなくても、この前の戦いで私のことが結構広まってしまった感があるし」

「そうそう。アフラニールでは、あなたのことを魔女って呼んで恐れているらしいですよ」

 それについてはアーシアも知っていた。『トラシェルムの魔女』は、空戦から命からがら生還した者たちが、口を揃えて恐ろしい魔女の出現を語ったことで有名になった。今では近隣の空域でも通じる呼び名だ。

「信じられないわよね。本当に失礼な話だと思うわ。こんなに若くてイイ女を捕まえて、魔女だなんてさー」

「……そういうの、自分で言いますかね、フツー」

 アーシアは盛大に膨れている。通り名が気に入らないのだ。言動がユニークな彼女を恐ろしいだけの魔女にしておくのは、いささか勿体無いかもしれない。

「まあ、そうですね。魔女って言うと、何となく老婆のイメージがありますよね」

 相槌を打つトマ。

「ね、そうでしょう? それにさ、何となく悪者っぽいじゃない」

「わかります、わかります」

 トマはうんうんと頷いている。彼女は魔女だなんて妖しげなものではないし、エネミオが言っていたような、世界を滅ぼすような恐ろしい存在とも思われない。

 むしろトマは、アーシアの事を神聖な存在だとすら感じている。型破りな言動は全くもって聖女らしくはないが、彼女の存在は、殺伐としたこの世界を照らす希望の光ではないかと思える。そうでなければ、こうやって彼女と行動を共にすることもなかった──。

 そんなことを考えながら、横目でアーシアの機嫌を窺う。のだったが。

「……あれっ?」

 自分の隣を歩いていたはずのアーシアの姿が、いつの間にやら消えていた。すぐさま立ち止まって、慌てて周囲を見回した。

「アーシア様ー、どこですか?」

 周囲に彼女の姿はなかったが、後ろを振り向いて見ると、やや引き返した場所にある人ごみに混じって、露店の店先を覗くアーシアの姿があった。どうやら興味の対象が、魔女の話題から市場の品々へと移ったらしい。

「何か面白い物、ありました?」

 途切れない人波を掻き分けて、トマはアーシアの傍へ歩み寄った。

「髪飾り」

 アーシアの目線を追うと、店先でアクセサリーが売られていた。台上に所狭しと並べられた装飾品は色とりどりで実に多彩。凝った造詣の物ばかりである。

「そう言えば、いつもしていますよね、髪飾り……。何か特別な理由でもあるんですか?」

「ん、一応ね……」

、 トマの問いかけに対し。アーシアは不明瞭に答えた。

「でも、その立派な竜翼の髪飾りをもらったばかりなのに……。もう新しいのが欲しいんですか?」

 すれ違う人間の誰もが必ず一度は目を留める、壮麗で、煌びやかで、驚くほど大きな髪飾り。ヘッドアーマーと呼んでも差し支えないほどに主張する銀色の竜翼が、アーシアの左側頭部に輝いている。

「まさか。ただ眺めてるだけよ。素敵だなーって。こう見えても私は目利きの商人の娘だからね。実家は雑貨店だったし、審美眼には自信があるつもりよ」

「雑貨店で、審美眼が養われるもんですかね」

 トマにしてみれば、聞こえないよう、ボソッと呟いたつもりだったが。

「……何か文句あるわけ?」

 オーファの耳を騙せるはずがなく、ばっちりと聞こえていた。

「雑貨店とは言っても、うちは本当に色々な物を扱っていたわ。宝飾品も売っていたし、商品の値段には結構幅があったと思う」

 飽きもせず、台上の商品を眺め続けるトラシェルムの魔女。そのうち、並べられた髪飾りのひとつに、彼女の目は釘付けになった。

「わあ、いいなぁ。これ……」

 それは、恐らくはアーシアの好みなのだろう。彼女が特に興味を示したのは、意外にも花と蔓をモチーフにした可愛らしい、そしてとても品の良いアクセサリーだった。

(ふ~ん、確かに似合いそうだけどね……)

 トマはその髪飾りを差したアーシアの姿を想像し、そんなことを考えた。値段が安ければ、プレゼントしても構わないだろう。

「あの、すみません。これいくらですか?」

 トマが尋ねると、店主は品物を確認して答えた。

「それかい? 十万デオムだよ」

「じゅ、十万デオムッ!」

 一瞬にして、トマの脳内に稲妻のような激しいスパークが走った。

 デオムとはシーレの一般的な通貨単位のひとつであり、特にトラシェルム大陸の近海で多く流通されている、金貨、銀貨、銅貨、紙幣から成る通貨である。印刷技術が未発達なため紙幣は数が少なく珍しいが、それ以外にもトラシェルム帝国建国記念に鋳造された、ベルギュントの横顔が彫られた希少金貨も存在する。

 十万デオムと言うのは、最も高額なそのベル金〈巷ではこう略すことがあるらしいが、公務に忠実な役人に知られたらただでは済まないだろう〉およそ六枚分の値段である。

(こ、こんな高いものを、露店で販売するか? ……いや、フツーはしないって。もし、盗まれたらどうするんだ。レンベルンの商人は頭がおかしいのか?)

 トマは頭がクラクラ、目の前が真っ暗、急速に気が遠くなった。

 だが、それよりも何よりも、一番厄介なのは他でもない。隣にいる、あの人だ。警鐘が鳴り響く中、恐る恐るアーシアの顔を覗いてみると……。

「いいなあ。綺麗だなあ。ほしいなあ……」

 夢見る少女みたいに、キラキラと瞳を輝かせていた。

「……」

 襲い来るめまい、そして予想通りの嫌な展開に耐えられず、自分の両耳を手で押さえて聞こえないふりをするトマ。

「これ、すっごく可愛いなあ。ほしいなあ……」

「全然、聞こえません」

 ばっちり聞こえているが、そう答えてしまった。いや、この場面ではそう言わざるを得なかった。彼女が相手では、黙っていては強引に押し切られ、まずい方向にいきかねない。

「ねぇ、ダーリン。これ欲しいの」

 普段は絶対に使わないであろう、いや、もしかすると一度も使ったためしなどないであろう、とてつもなく甘ったるいアーシアの声色である。

「誰がダーリンですか。気持ち悪い声、出さないで下さい」

 と、トマの抵抗。

「……だめ?」

 隣の魔女は、背けられたトマの顔を下からすくうようにして覗き込む。

「当たり前じゃないですか。そんな手持ちはありません」

 それを聞いた途端、アーシアはふくれっ面になった。

「……ケチ。『お前のためならば、借金してでも買ってやるぜー!』くらいの甲斐性見せたらどうなの? ……そんなんだから、女が出来ないのよ……」

 最後のくだりあたりは、かなりぼそりと呟かれた。

「だからぁ、ケチとかじゃなくてですね! 常識的に考えて、こんな高いものをポン、と買えるはずがないでしょう! 買えるとしても、そんな男はロクでもない奴です! それに、こう見えても僕は結構モテるんですよ(もちろん強がり)!」

 一枚上手なアーシアにペースをかき乱され、純情で真面目なトマのリアクションは必死そのものだ。非常に気の毒だが、反論を続けることだけで精一杯な彼である。

「んふっ……」

「な、何ですか、急に笑ったりして! 馬鹿にしてるんですか」

 憤慨し、顔を紅潮させるほど熱くなったトマは、アーシアに笑われたのが気に入らない。

「違うわよ。本当にトマは、からかい甲斐があるなぁ、って思ってさ。ちょっと可愛かったかもね。……んふふっ」

「い、今の、全部冗談だったんですか」

 愕然とするトマ。

「当たり前でしょう。あなた、本気にしすぎよ。あはははっ」

 お腹を抱えて笑い出すアーシア。思い切り笑ってから、その場を去ってしまった。

(くっそぉー!)

 見事に振り回されたトマは、悔しさから軋むほどに歯を噛んだ。

 こんな風なやりとりが、この頃では日常的な光景となっている。初めて会った時と、何も変わっていない。時々やたら憎らしい真似をする、悪戯好きな女性だ。

 しかし、彼女の人柄を知るにつれ、単に人を試すのが好きなだけなんだということがようやくわかってきた。彼女の性格は依然としてつかみどころがないが、もう少し一緒にいれば、どんな人物なのかはっきりするかもしれない。

 それよりも、今は──。

「待って下さいよー」

 悔しい思いはしたものの、アーシアの機嫌が直ってよかった。そう思いつつ、トマは彼女の背中を追いかけた。

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