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白銀の守護鎧 後編

加筆修正を繰り返し、気がつけば一万三千文字を超えていました。分割を考えております。


 巡洋艦から発射された魔晶エネルギー砲弾は照準どおり、確かに直撃した。にもかかわらず、攻撃を受けた竜はわずかに体勢を崩したに過ぎなかった。

「な、何だと!」

 このような結果を、騎士団が予想できなかったのは無理もない。巡洋艦の艦砲射撃を、しかも実弾ではなく、純魔晶エネルギー変換弾の直撃を受けて、無事でいられる生物がいるはずがないと信じていたのだから。

 魔晶エネルギー砲は煌天世界の人間が生み出したテクノロジーの結晶、最強の兵器である。それが通用しないのだ。

「おい、何が起きたのだ! 直撃したように見えたが、違ったのか!」

「い、いえ、確かに直撃しました。ですが……。信じられません、あれはどう見ても、障壁……」

「魔物がメナスト遮断壁だと? そんな馬鹿なことがあるか! 出来るはずがない」

 司令官は傍の兵士を怒鳴りつけた。

「しかし、自分は確かに見ました……」

 兵士たちはその目で見たのである。魔弾直撃の瞬間に、魔物が半透明の壁を展開したのを。それはメナストを利用した攻撃を遮断する、障壁の盾だった。


「上を見ろ! 降ってくるっ! 頭の上に降ってくるぞっ!」

「逃げろぉぉぉぉ!」

 余程に当たり方が悪かったらしく、砲弾と障壁の両方が衝撃で砕け散り、その破壊エネルギーが上空高くまで飛散して騎士団の頭上にばら撒かれた。エネルギーの欠片は命中した角度の都合で、彼らの頭上に無数に降り注いだ。

 戦場となった山腹の荒地に、青白い光の雨が落下する。最大出力で放たれた砲弾と障壁の破片である。どんな小さな欠片でも強力なエネルギーを有しているため、それらは岸壁を抉り、地面を砕き、大勢の兵士が次々に巻き込まれて死んでいくのだ。

 彼らできること、それはただ逃げまどうことだけであり、この期に至っては、統率などあったものではなかった。

「ぐぎゃぁぁー!」

 戦場に兵士たちの悲鳴が響き渡り、止むことを知らない。隊長は部隊をまとめようと必死になったが、全体が極度に混乱して収拾がつかなかった。

「貴様ら! 我々は勇敢なるハー・ザディーンの騎士団だぞ! 戦場で死ぬことを恐れてどうする……うお」

 結局、指揮官も光の雨に巻き込まれて果ててしまった。

「駄目だ! こうなっては仕方ない、撤収だ。後退する!」 

「通信兵、ホエイル級に回収の要請をしろ! 魔物との安全な距離を保ちながら後退する!」

 最高司令官不在の中、いくつもの命令が飛び交い、交錯する。誰がどんな命令を発しているのかわからない錯綜した状況下で、混乱は一向に収まる気配を見せなかった。

 

 凶悪な竜の逆鱗に触れてしまった人間たちの悲劇は、まだ終わらない。顎まで裂けた口を全開まで開き、びっしりと並んだ牙を見せながら、魔物が咆哮した。

「ひいっ」

 地面を揺らし空気を振動させる雄たけびは、まるで山全体が唸り声をあげているかのような凄まじい迫力で轟きわたり、後退しようとしていた多くの兵士は足をすくませ、恐怖し、うずくまって身動きができなくなってしまった。 

 その咆哮が止むと、にわかに竜の周囲の空気が青紫色を帯びた淡い光によって染まり出した。

「こ、今度は何だ」

 間もなくその光は一点に収束し、先ほどの艦砲射撃と同等か、それ以上の閃光を伴う光が生じた。直後、魔物の体から空に向かって、強力な光の弾丸が撃ち出されたのである。

 その攻撃は予測していたものではなく、鈍重な巡洋艦の回避行動が間に合うはずもない。  

 一撃の元に。重装甲を誇るホエイル級巡洋魔晶艦はその自慢の船体を貫かれた。

 火薬に引火し、爆発音が断続的に伝わってくる。赤々と燃える焔と真っ黒な煙を噴出しながら船体が傾き、徐々に高度を下げてゆく。あたかも張りぼてに風穴が開いたような無残な姿となって、ハー・ザディーンの軍艦は山の向こう側に落下していった。


 恐怖を通り越した今、騎士団は沈黙してしまった。

 人間ごときでは歯が立たない。この魔物に立ち向かうのは愚かな行為だ。

「これが機械の力に頼らない、本来のメナスト・コントロール……。古に我々から失われたという、禁断の力だと言うのか……」

 誰もが逃げることを忘れて、船が撃墜された空を見ていた。あまりの出来事、その衝撃に愕然とするばかりで、自分たちが絶望の渦中にいることすら忘れかけていた。

「……ハッ、これはいかん! 全員、全速で退……」

 それは我に返った誰かが発した退却命令だった。発せられた声と兵士達の輪郭は、魔物を中心として広がっていく光の渦に溶け込み、かき消されていった。魔物の全身が再び発光を開始したのである。心なしか、暴虐の竜は口元に笑みを浮かべているようにも見えた──。


 *  *  *


 ちょうど山に到着したアーシアの目にも、落下していく魔晶航空艦の姿が映った。進むべき方角から強力なメナストの開放が感じられる。これはただごとではない。

(この圧倒的な感覚は、おじい様が言ってた、メナストを持った魔物に違いない!)

 アーシアは飛翔を終え、地面へ降り立った。彼女の立つ山道に、次々とハー・ザディーンの兵士が逃げ帰ってくる。その中に武器を手にしているものはほとんどいない。形振り構わず、誰もが無我夢中で逃げている。

「ロイド……、どこなの!」

 逃げ帰ってくる兵士の中にロイドの姿はない。アーシアは人の流れに逆らい、交戦地帯である山の中腹へと走った。徐々にメナストの反応が強くなっていく。恐らく魔物が開放した純粋メナストが、空間に撒き散らされたのだろう。


 山の中腹、開けた荒野に到着すると、そこにあったのは、想像以上に凄惨な戦闘の傷痕だった。

 見渡せば、大木が無造作になぎ倒され、岩壁が削られて崩落し、地面のそこかしこが不自然に陥没している。そして、哀れな兵士の死骸が無数に、そこら中に転がっている。そのほとんどが、体の一部を欠損した哀れな亡骸である。

「ひどい……」

 ハー・ザディーン騎士団の被った損害は、ほぼ全滅に近いものだ。この様子では、恐らく全体の半分も生き残ってはいないだろう。

 それにしても、どうしてこれほどまでの被害を被ってしまったのか。どうしてもっと早く逃げ出すことができなかったのか──。アーシアはあの指揮官の無能を想像した。


「……ロイド!」

 アーシアは、ようやくロイドを見つけることができた。彼は岩肌に背中を預け、地面に腰を下ろしていた。

「アー、シア。来ちゃったのか……どうして」

「良かった。生きていて本当によかった」

 何よりもまずロイドの生存を確認し、安堵の表情を浮かべたアーシア。

 だが、その直後、彼女は彼の身体を見て、顔をこわばらせた。鮮血に彩られた腹部が深く大きく抉られている。どうみても致命傷。助かる怪我ではなかった──。

「嘘でしょ……。ロイド、こんな……」

 現実を認めたくなくて首を左右に振るも、アーシアの双眸は目まぐるしく泳ぎ回った。  

「やられちゃったよ……。必死で戦ったんだけど……僕ってやっぱり、とろい……ごほっ」

 咳と同時に、ロイドが吐血した。

「しっかりしてロイド! ああ、どうしたらいいの……」

 気が動転して昏倒しそうだ。アーシアはとにかく、ロイドの手をしっかりと握った。

「ここにいてはだめだ……。アーシア……」

 彼の声はますますかすれて、聞き取ることが困難になってきた。アーシアは彼の口元に耳を近づけ、搾り出され言葉を必死で受け止めている。

「相手は……普通じゃないんだ……から……、君は逃げ……て……生き……」

「何言ってるの。いやだよ、ロイド! 私はあなたを助けに来たんだから! 私が、あなたを連れて帰るから……。そうだ……! おじい様の力ならあなたを助けられるかもしれない! だからもう少し頑張って……」

「だめだよ……僕はもう……」

「そ、んな……。しっかりしてよぉ……」

「アーシ……ア……もし……僕の家族に会うこと……あったら」

 ロイドの目から光が失われていく。

「僕は……逃げださなかったって……」

「伝える、伝えるから」

「よ、か……」

「……ロイ……」

 それっきり、ロイドはもう声を発しなくなった。同時に、アーシアの手を握る力も完全に失われた。

「……あ」

 少年兵の最期を看取ると、アーシアは目を閉じて、黙祷するように俯いた。


(ロイドは確かに今日あったばかりの男の子だった。でも、この子は死んではいけなかったんだ。彼はこの後、私と話をするはずだったんだから……)


 沸き起こる感情をどう表現していいのかわからなかった。それは、怒り、悲しみ、憤り、その他のやるせない感情が入り混じったものだった。


 どうして彼が死ななければならなかったのか。

 不条理に思えることでも、それが世の常ならば、時代の常識ならば、残された者は疑問を抱いてはいけないのだろうか。人の死に直面することには慣れているはずだったが、それは自分にそうだと言い聞かせていただけなんだと、気付かされた。


 私は受け入れることができない。


 胸に去来するものを捌ききれるほど、アーシアは大人ではない。

 だが彼女にも、ひとつだけ、はっきりとわかることがある。重要なことは、このような残虐な魔物をのさばらせておいてはならないということだ。


 魔物……巨大な竜は、荒地に転がる死体を豪快に食すのに夢中で、アーシアのことなど気にも留めていない。

 この相手が、凶悪で強力であることには違いないだろう。しかし、この戦いは絶対に負けられない。負けるわけにはいかない。


 私は誰?

 私は、オーファだ。

 私のに与えられた力は、何のためのもの?

 大切な人を守り、救うためのもの。

 そう信じることを、この時、決めた。


「──ごめんね、ロイド。あなたの遺言には従えそうにない」

 アーシアは立ち上がり、魔物に向かって叫ぶ。 

「私はアーシア・ウィルケイン! オーファの名の下に、お前を誅する!」

 アーシアの周囲から青白い光が立ち昇る。

「リ・エルシオ・リア、神弓つがえし百光の射手(クレイメイ)、我が敵こそ汝の敵である。放て光の矢!」

 彼女を取り巻く青白い光が掌に収束していく。

「……?」

 アーシアの詠唱で、ようやく魔物は彼女の存在に気がついたらしい。血の色で染まった口元を彼女のほうに向けた。

神弓(セイ・ボア)!」

 オーファの掌から巨大な光の矢が放たれた。高速で飛行し、避けための一瞬の隙をも与えない。

 凄まじい衝突音。竜の身体が反り返り、ひっくり返りそうになる。

「障壁ね。だったら砕いて撃ち込むのみよ」

 再び、アーシアはメナスト・コントロールの準備を始めた。

「グワォォォォォォ!!」

 耳をつんざく竜の咆哮。アーシアは思わず相手を見てしまう。その機会を待っていたに違いない。竜はアーシアを睨み付けた。

「くっ」

 突如、足場が波打つような感覚に襲われ、金縛りにあったかのように、身体の自由が利かなくなった。

「こ…れは…呪縛?」

 どうやら、この魔物の眼力、睨みつける行動には相手の動きを封じる効果があるようだ。アーシアは立ったまま動きを封じられ、手も足も動かすことができなくなってしまった。

 身動きのとれないアーシアに、ゆっくりと接近する魔物。

「……これ以上近づくつもり? 確かに、肉弾戦じゃこっちに勝ち目はなさそうね、でも、これで接近戦に持ち込めると思っているなら、ちょっとオツムが足りないわね。ここらへんが魔物の限界かしら?」

 アーシアが動じる気配はない。それどころか、フッ、と笑うほどの余裕を見せた。


 魔物が新たな一歩を踏み出した瞬間、大地から何本もの岩槍が突き出し、頑丈な竜の鱗を貫いて、その身体を串刺しにしてしまった。これはアーシアの仕掛けたトラップである。

「グワォォォ」

 紫色の体液が槍を伝って流れ落ちる。

「メナスト・コントロールってのは、こうやって使うものよ」

 かけられた呪縛が解除され、アーシアは身体の自由を取り戻した。


 虚をつかれた魔物は身体を貫かれた格好のまま、苦しそうに身悶えている。メナストによる肉体の修復能力は有していないらしい。この魔物はこのまま放っておいても息絶えるだろう。

「せめて楽に……」

 アーシアはそう思い、片手をゆっくりと竜に近づけていく。

 

 だしぬけに強烈なメナストの反応を感じた次の瞬間、戦艦の主砲に匹敵する強力な魔弾がアーシアを襲った。高速で迫る魔弾。避ける間もない。

「あっ」

 戦いは終わったと、油断していたせいもある。障壁で防いだものの、直撃を受けたアーシアの体は派手に吹っ飛ばされた。

 いくらオーファだといっても、アーシアはまだ子供だし、メナスト・コントロールも覚えて間もないためまだ未熟である。体内に宿る力もまだ成長段階で、強力なメナストによる攻撃術を無力化ほどの能力はまだ持っていなかった。

「くぅっ」

 地面と衝突し、一度派手にバウンドした。地面に身体を打ち付けたが怯まず、顔は敵がいるであろう方に向けた。 

 一体、何が起こったというのだろう。放ったのは目の前の死にかけた敵ではない。

 森の奥から、地響きのような足音が聞こえる。その後、姿を現したのは、今さっき闘ったものよりも一回り大きい竜だった。

「う、嘘……。こんな巨大な魔物が山中に潜んでいたっていうの」

 アーシアは自分の目を疑った。

 現れた魔物は敵意むき出しで、一つ目をギョロギョロと目まぐるしく動かしている。

 その動作を視界の中心におさめながら、少女オーファは、ゆっくりと立ち上がった。不意打ちで喰らった魔弾の衝撃が抜けず、頭が揺れている感覚があるが、対策を練るため頭を働かせた。

「どうするの……どう立ち向かうの……。それとも、逃げる……」

 逃げる、という選択肢もあった。あくまで戦術的撤退なので、一旦距離を置いて体勢を立て直すのが目的だ。そして、後から来るはずのクエインと共に戦う。この作戦ならば、今よりはずっと勝ち目があるはずだ。

 あぁ、しかし。今更ではあるが、なぜクエインを置いて一人で来てしまったのか。これは想定された状況であったはずなのに。

 ロイドが死んだときは、一瞬だがクエインを恨みもした。しかしそれは大きな間違いだったと、今気付いた。

(全ては私の身勝手、思慮の浅さが原因、ね)

 ロイドも救えず、また自分の身すら危機に晒しているではないか。これは考えうる最悪の結果にすら思えてくる。


 しかし、アーシアは思い直した。反省や、後悔などする必要はない、と。自分が正しいと信じる道を選んだのだ、と。

 オーファの掟とか、超越者たる者がとるべきではない行動もわかる。だけどそれを理由にして何もしなかったら、もっと激しい後悔に襲われるだけだ。


 私には、傍観するだけなんて、できやしないんだ。


 出来る限りのことはしたい。ただ、それだけのことである。彼女にはオーファである以前に、人間一個人としての確固たる矜持がある。

「おじい様はきっと来てくれるわ。それまでどうにか持ちこたえて──」

 ……ところが、そんな彼女の思惑とは異なり、事態は非常にまずい展開に向かいつつあった。

 魔物が山を降りようとしているのだ。同類を失った怒りに、完全に我を失っているに違いなかった。

 もしこんな凶竜が街へ向かったら。魔晶エネルギー砲で倒せない敵を、倒す術が人間に残されているのか。どれだけの軍隊を出せば止められるのか。どれだけの損害が出るのか。


 暴走する魔物。もはや迷っている時間も、選択肢もない。何がなんでも、ここで食い止めなければならない。

 アーシアは術の詠唱を終え、再び光の矢を放った。

神弓(セイ・ボア)っ!」

 光の矢は敵の障壁にぶつかって、破裂音と共に敢え無く消滅した。当然敵は無傷だったが、しかし注意を引くことはできたようだ。

 魔物は向きを変え、アーシアに接近する。

「こっちよ」

 街から遠ざけるために、敵をおびき寄せながら移動する。

 相手が自分についてくることを確認してから、アーシアは駆け出した。魔物は木をなぎ倒しながら、彼女を猛追する。

  

 気がつけばそこは、アーチ状の大橋が架かった渓谷の桟道であった。谷間から下を覗けば遥か下方まで続くクレバス。もし落ちようものならばいくらオーファでも命の保障はない。

 ここで再び、竜が魔弾を撃ちだした。今度は不意打ちではない。アーシアは難なくそれを回避した。

 図体が大きい分、小回りが利かず、敵の動きは鈍い。接近を避け、例の睨みつけにさえ注意すれば戦えない相手でもないのかもしれない。アーシアは意識を集中し、メナスト・コントロールによる攻撃を放った。

「これならどう? 風裂陣(フェイド)よ」

 古代術ではなく、風のメナストを利用したメナスト・コントロール応用攻撃術だ。鋭利な無数のかまいたちが発生し、敵を切り刻む。これなら相手のメナスト抵抗力に関係なくダメージを与えることができるはずだ。

 ところが、敵の強固な皮膚は大気の刃をあっさりと弾いてみせた。やはりこの個体は、さっきのものとは桁が違うようだ。ナチュラル・メナスト・コントロール程度では、相手に傷を負わせることは難しい。

「防御に関してはほとんど完璧ってことか」

 敵ながら本当に手強い相手だと、アーシアは舌を巻いた。

「グオオオオオオオン」

 魔物が新たな攻撃を放った。それは目標を追尾する誘導光弾だった。魔力の強さによって一度に発射される弾数が違ってくるものだが、この魔物は一度に二十発は放った模様。

 一発ごとの威力はそうでもないが、多数を連続して受ければ致命傷は必至だ。

「騎士団もこれにやられたのかしら」

 接近する弾の数を極力減らしながら、追尾を振り切らねばならない。アーシアは迎撃のための弾丸を放ち相殺しながら、極力動き回った。衝突した誘導弾は小さな爆発を起こして消滅する。

「逃げてばかりじゃ、どうにもならないって、わかっているけど」

 アーシアはそう言って、腰に佩いている剣の柄に手をかけた。

 それはクエインの家系に伝わる古代遺物で、アーシアの護身用に持たせた黒い魔晶石の剣である。アーシアは元々運動神経に優れているので、武器を用いた戦闘も得意である。

 ただ、クエインでは剣の指導ができないので、アーシアが振るう剣は完全に我流だ。技術的に、剣技と呼べる代物ではない。実戦で使う機会もそう多くはなかった。

「これならば、効果があるはず!」  

 アーシアは剣を鞘から引き抜いた。太陽光の反射を受けて輝く漆黒の剣。その丈は普通の剣よりずっと短く、取り回しは楽そうだが、確かに護身用と呼ぶにふさわしい物だった。

 薄い刀身には古代のルーン文字が刻まれ、アーシアのメナストに反応して青白い光を放っている。この黒魔晶石の剣は、刀身にメナストを蓄積する構造を有しているのだ。

 そのため、よほど頑強でない限りは硬度に関係なく切断できるし、メナストを身体に宿す相手に対しては、特に有効な攻撃手段となりうる。

 また、この特殊な剣は相手が障壁を持っていたり、術に対する耐性を持っている場合にも効力を発揮する。術が全く効かない場合、術攻撃主体のオーファでは極端に不利になる。その場合、相棒であるサウルによる攻撃のみが頼みの綱になってしまう。だから、オーファ自身が武器で攻撃できるメリットは非常に大きい。


 さて、では今回の場合はどうであろうか。明らかに、この魔物と戦うのに接近戦は避けるべきである。彼女もそれをわかっている。だが、他に有効な攻撃手段が考えられないのだ。


(リシュ、気持ちだけでも構わない。あなたの力を貸して!)


 強く心の中で願い。アーシアは果敢にも、強大な敵に向かっていった。

 魔物の巨大な尻尾が鞭のように襲い掛かってくる。アーシアはそれを跳躍して回避し、滞空中に斬りつけた。飛び散る紫色の体液。魔晶石の剣は硬い竜鱗の皮膚を易々と切り裂いてみせた。

 だが、浅い。敵が被った傷は、山のような巨体にとっては軽微なものだ。ひらりと地面に着地したアーシアは、次の攻撃のために再び跳躍した。

「たっ」

 上昇しながらの一閃。アーシアの身体に魔物の返り血が吹きかかる。

「グォオオン」

 だが、敵は斬られてなお余裕らしい。それを見て、アーシアは今一度、空中へと飛翔した。今度は、竜の喉元目掛けて斬りかかる。

「今度こそ!」


 ──その時、竜の顔がアーシアの方を向いた。


 竜の首がニュッ、と伸びて、その顔面がアーシアの目の前に現れたのである。巨大な一つ目が、飛び掛ったアーシアを捉えた。それは、つまり。

 

「しま……」

 警戒を怠っていた。この竜の睨みつけには呪縛の効果がある。それを忘れるなんて……。

 しかも、その効果は先ほどの竜のものよりもずっと強力だった。アーシアは空中で金縛りにあい、そのまま力なく地面へ落下する。

「あぅ……」

 指一本動かせない。声帯が縛られているに違いなく、声すら出すことができない。それは詠唱すらできないことを意味していた。


 魔物はすでに、アーシアを完全に攻撃圏内に捉えていた。そして、アーシアの頭上で、その巨大な足を振りかぶる。振り上げられた足は躊躇なく彼女の上に落ちてきた。

「がはっ……!」

 残酷にも、無防備な少女は竜の足によって踏みつけられてしまった。竜の力と重量とで、地面が深く陥没するほどの威力だった。アーシアはもがくことすらできなかった。

 彼女だからこそこの一撃に耐えられたものの、普通の人間ならば間違いなく絶命していた。

「う、ぅ……くっ」

 歯を食いしばり、どうにか起き上がろうとする。この金縛りの効果はどれくらい続くのだろう。今は僅かに身体を動かせるが、自由が利くほどではない。思い通りには、四肢に力が入らない。

「まだ、よ……まだ、このくら……い……」

 戦意を表すが、すでに目が霞み始めている。焦点が定まらず、意識もぼんやりとしてきた。

 アーシアは両腕に力を込めて起き上がろうとした。が、その行為は上半身を起こせただけで終わり、結局はうつ伏せの姿勢で地面に崩れ落ちてしまった。


 魔物は目前にいる。アーシアは唯一残された冷静な思考で、これから自分の身に何が起きるかを想像した。

(私はきっと、この残忍な魔物にいたぶられるのだろう。そして最後には食い殺される)

 実にあっけない。死の間際とはこういうものなのだろうか。生を終えるということは、こんなにもあっけないものなのか。

 村を逃れ、クエインと出会い、リシュラナの命を繋いだというのに。

(これまで、なの、かしら)

 魔物は唸るばかりで、一気に殺すようなそぶりを見せない。相手に抗う力が残されていないと判断して表す余裕か、あるいは獲物が苦しむのを眺めて楽しんでいるのか。腐肉のような臭いのする息を周囲に撒き散らしている。

 アーシアは本気で死を覚悟し、瞼をゆっくり閉じた。すると、どういうわけか、瞼の裏に人間だった頃のリシュラナの姿が浮かび上がってきた。


(お姉ちゃん、あきらめてはダメ。私はいつでも、そばにいるから。あなたを、みんなを、守るために)


 そんな声が聞こえてくる。いや、聞こえたような気がした。

 断じて、記憶の中の妹の声ではなかった。今、確かにリシュラナが語りかけてきたのだ。

「リシュの声? まさか……」

 妹の声に激励され、アーシアは観念して閉じた瞼を持ち上げた。

 すると、どうだろう。

 おぼろげなアーシアの視界の中に、突如何かが飛び込んできた。

 錯覚などではない。それは、リシュラナとアーシアの魂を繋ぐ神石(コア)。竜とアーシアの間に割って入り、姉を庇うように彼女の目の前で静止した。

「リシュ……これが、あなたの意志なの?」

 メラニティの後、リシュラナの能動的な行動はこれが初めてである。コアを通じた感覚的コミュニケーションも。

「……そう。力を貸してくれるの。ありがとう……」

 アーシアに届けられたメッセージは、肉声ではなかった。しかし、彼女には妹の声が聞こえたような気がした。

 二人の心が触れた瞬間、コアが凄まじい光を解き放った。あまりに眩しくて、目を開けることすらできない程の閃光だ。

 その光の中で、変化が始まる。コアの内側から金属の帯が飛び出て、心臓部に巻きついていく。金属の塊は急激に質量を増し、球体から形状の異なる立体オブジェに変化していく。鏡面のような外装を有する、待機形態のサウルが完成した。

 さらにこの鋭角的な金属の物体は内部から開くように変形し始めた。瞬く間に複雑な装甲が表出し、最後に頭部が現われ──ここに白銀の甲冑、サウル・リシュラナが完成した。


 シンボライズ時の閃光に怯んでいた竜だったが、回復するやいなや、巨大な足を高々と振り上げた。姉妹もろとも踏み潰すつもりなのである。

 アーシアにはこの窮地を脱することが出来そうにも無かった。避けようにも、身体が言うことを聞かないのだ。

 目の前には生まれ変わったばかりのリシュラナがいる。庇ってくれるという妹の気持ちは嬉しいが、こんな化け物が相手では、二人して殺されるのが目に見えている。ましてや、この危機的状況である。やはり、死とはあっけないものなのだ。


(あきらめては、ダメ)


 アーシアの脳内でリシュラナの声が聞こえた気がした、その直後。竜の踏みつけ攻撃を、白銀の甲冑が腕を交差させて防いだのである。リシュラナは巨大な竜の圧力に耐え、なおかつ徐々に押し戻しているではいか。

 竜は結局リシュラナに力負けして、ひっくり返された。

 さらにこの時。過剰な防衛反応の発露により、オーファとサウルを繋ぐ見えない鎖が自動解除された。

 肩部装甲を展開し空へ飛び立ったリシュラナは、青空に光の軌跡を描きながら自由自在に飛行した。

 アーシアは白銀の守護者サウルの強靭さと美しさに見とれるばかりであった。サウルは図体ばかりの凶竜の周囲を蜂のように飛び回り、目で追うのが困難な程の速度で翻弄し、放たれた攻撃術を自慢の装甲で難なく弾き返す。

「凄い。これが……サウル……リシュ……」

「おーい!」

 唐突に、遠くから響く何者かの声。頃合を見計らったかのようなタイミングで現れたその人物は、息を切らしたクエイン老翁であった。

「おおーい、アーシアよー! 無事かのー?」

「おじい様! ……って、遅すぎよ……」

 杖を振り振り走ってくる能天気なクエインを見て、アーシアはガクッと項垂れた。

「ふう。全く、年寄りにはきつすぎる山道じゃい」

 と本人はのたまうが、素晴らしい健脚である。クエインは素早く駆け寄ると、他者干渉型ナスト・コントロールを行使し、アーシアの負傷を治療し始めた。リシュラナが魔物を引き付けてくれているおかげで十分な余裕があった。

「全く、お前と言う奴は。無茶しおってからに」

「ごめんなさい」

 謝るアーシアは目の端に涙を溜めていた。気丈な少女がまず見せない顔である。クエインは彼女の顔をじっと見つめた。

 本当は、物凄く怖かったのだろう。そう思うと、クエインは相手を責める気持ちにはなれなかった。

「いや……。確かに無茶は無茶だが、おぬしは必ずしも間違ってはおらん。ある意味では正しい」

 アーシアが持っている利他心は、この殺伐とした世界においては稀有かもしれない。


 続いて、クエインは新生したリシュラナの姿を見た。

「サウルを目にするのは初めてだが、何という……」

 何という凄まじさだろう。そう口に出しかけたが、声にはならなかった。驚愕がそれを許さなかった。

 うっとうしくて仕方がないのだろう。竜は飛び回るシュラナを叩き落とそうと懸命になっているが、鈍重な動作だからかすりもしない。

 また、リシュラナが狙ってやっているのだろうか。魔物がだんだんと渓谷の方に誘いこまれているようである。

「どうじゃ、もう立てるか?」

 アーシアはゆっくりと頷き、すっくと立ち上がった。被ったダメージがほとんど回復している。クエインのメナスト・コントロール応用治療術に加え、本人の治癒能力の高さが功を奏したのだ。 

「アーシア、良いか。超越者たるオーファとサウルが一組になれば、あんな魔物など取るに足らん。すなわち、お前達がこの世界における超越者であることを知るいい機会じゃ」

「はい」

 少女オーファは返事をし、ゆっくりと頷いた。

「よろしい。では、注意深く、だが確実に、奴の目を狙うのじゃ。皆まで言わずとも、わかるな?」

 クエインが短時間で見抜いた突破口。アーシアはすぐに理解することができた。あの竜の眼は強力な武器ではあるが、それと同時に最大の弱点にも成り得る、ということだ。

「わかりました。やってみます」

「ちょっと待つのじゃ」

 魔物の元に向かおうとするアーシアを、クエインは呼び止めた。

「……メナストの加護を……」

 クエインの身体から明るい緑色の光が立ち昇る。その状態で彼が片手をアーシアの頭上にかざすと、今度はアーシアの身体が発光し、白い肌に不思議な文様が浮かび上がった。肉体が強化された証、魔紋のタトゥーである。

「ありがとう、先生。じゃあ、行ってきます!」 

 アーシアはおじぎをしてから、魔物に向かって走り出した。

(やれやれ、丈夫な娘でよかったわい)

 元気に走り去るアーシアを見て、クエインはそんな風に思った。

 

 *  *  *


 リシュラナはアーシアの到着を待っているかのように、空中で待機していた。凶竜自慢の睨みつけも、サウルであるリシュラナには全く効果がないようであった。

 ここでようやく、オーファが駆けつけた。

「リシューーーーッ!」

 アーシアが全力で叫ぶと、その呼びかけに応じるが如く、リシュラナの装甲が眩い光を放出し始めた。

 彼女は自分に宿る力の一部をを開放したのである。ボディ全体が白銀色のメナストに包まれると、リシュラナは光の砲弾と化した。凄まじいスピードで、竜に向かって突撃したのである。

 自己強化し、身体そのものが武器となった今のリシュラナの前では、竜鱗など薄紙の如きものである。

 はじめの体当たりで一つ目。取って返した次の体当たりで二つ目。竜の身体にトンネルのような風穴が開いた。

 だが、敵はそれでもまだ倒れなかった。身体に大穴ができても、である。この竜には想像を絶する生命力があるのだ。──苦痛のために暴れまわってはいるが。

「たあっ」

 アーシアは上空目指して跳躍した。そして、渾身の力をこめて、暴れる竜の顔面に剣を突き立てた。黒魔晶石の剣が、深々と竜のひとつ眼に突き刺さった。

「グギャオオオオオオオオ!」

 轟き渡る絶叫。急所を突かれた竜は苦しみのあまり、一段と激しく暴れだした。視力を失って気が動転しているのもある。

「ガァァァァ」 

 暴れ続けた結果、竜は自分から渓谷の谷間に近づいてしまった。

 竜は足を踏み外し、その巨体が深く切り立った断崖の底に落ちてゆく。叫び声を上げながら落下する魔物は底の見えないクレバスに吸い込まれ、吼え声は全く聞こえなくなった。


「……ふう」

 リシュラナが溜息をつくアーシアの眼前に降り立った。

 白く輝く美しい装甲。女性的な曲線美と刃物を連想させる鋭角的なパーツが生み出す優雅なボディライン。全身を取り巻く強大なメナストの波動。

 サウルの力強さには、病弱だった妹の面影はない。だが優美さについては共通していた。

 頭部の切れ込みの奥にぼんやり灯る紅い瞳。無機質な顔から表情を読み取ることはできない。

 でもきっと、自分を受け入れることができたに違いない。リシュはきっと、晴れ晴れとした気持ちでいるはずだ。アーシアはそんな風に思った。


 こうして、オーファのパートナーであり守護者。白銀の甲冑、サウル・リシュラナが新生したのである。


「やったな、アーシア」

 合流したクエインが嬉しそうに話す。。。

「これでおぬしも一人前のオーファになったわけだ」

 リシュラナはフワフワと浮きながら、残る二人の様子を紅い瞳で見つめている。

「ありがとう、おじい様。そしてリシュ……守ってくれて本当にありがとう」

 アーシアは妹の姿を柔和な眼差しで見つめた。セノスで暮らしていたあの頃と変わらない、やっぱり誇らしい妹である。

「これからもよろしくね」

 そう言って、アーシアはにっこりと笑った。


 こうして、魔物退治は終わった。クエインはすっかり荒れ果てた周辺を見回した。巨大な魔物が暴れまわったのだから当然であるが、散々になぎ倒された樹木が痛々しい。

「察するに、相当凶暴な魔物だったようだな」

 遅れて来たクエインは一部始終を知っているわけではないが、多くの兵士が犠牲になった現場は既に見てきた。

「あんなのがいっぱいいたら、シーレは滅亡よ」

 アーシアは腕を目一杯広げて言った。

「力も強大だが、凶暴性はさらに問題じゃな。人間だけを襲ったり敵視する魔物がこれ以上増えたら大変なことになる」

 クエインは深刻な顔である。実際にそういう日が訪れないとも限らない。

「……まあ、いずれにしろ今回は倒せたからいいわ。報酬はいただきね。でっかい方は証拠ごと谷に落ちちゃったから、小さい方しか残ってないのが残念だわ。がっぽり儲けられたのにさあ」 

 そう言って、笑顔を作るアーシア。彼女には激戦の勝利を心から喜ぶことができない理由がある。

 蒼い空を見上げ、命を落とした彼のことを思い出す。

(ロイド……あなたのこと……あなたとの約束……絶対に忘れないわ)

 アーシアは心優しい少年兵に黙祷を捧げた。


 *  *  *


 凶竜騒ぎの解決から約半年後。ムスーン山の頂上に石碑が立てられた。

 長い碑文が刻まれたそれは、凶竜に襲われ命を落とした島民を弔い、戦いで命を落とした戦士達を顕彰ための石碑である。

 ムスーン山の頂上からならば、もしかしたらロイドの故郷が望めるかもしれない。

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