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白銀の守護鎧 前編

特別編、アーシアの少女期のエピソードです。この章に属する二話は連載の中に組み込まれてはいますが、本編から独立した物語だと考えていただければ幸いです。また、同シリーズの別作品として投稿し直す予定があります。

 ここはどこなのか。

 私はなぜここにいるのか。

 そもそも、私とは何なのか。

 身体があるのかないのか。

 わからない。

 理解することができない。

 今の私にはきっと、何の力もない。

 だけど、一人ぼっちではない。

 私に語りかける声と確かな温もりが確かに、すぐそばにある。


(リシュ、気持ちだけでも構わない。あなたの力を貸して!)


 どこからか、声が響いてくる。

 あれはお姉ちゃんの声だ。

 お姉ちゃんはいつも、すぐそばにいる。

 それを感じることが出来る。

 お姉ちゃんが私のために、何をしてくれたかも知っている。


 でも今、私は果てしない闇の中にいる。

 いくらさ迷っても出口が見つからない闇だ。

 私が確かにここにいること、どうやって伝えればいいんだろう。

 どうやって、私の声を届ければいいんだろう。

 どうやってここを出ればいいんだろう。

 私を救ってくれたお姉ちゃん。 

 今度はお姉ちゃんが危ないんだ。

 お姉ちゃんはいつも私を守ってくれたけど、危なっかしいところがあるから。


 助けないと。

 助けないと。

 助けないと──。

 ……。 

 

  *  *  *


 ~煌天暦二百六十三年 ハー・ザディーン領ムスーン島~


 小高い丘の上に腰を下ろし、空を眺める。澄み切った青空を鳥が舞い、雲の合間を縫うように弧を描きながら飛ぶ。実に美しく、優雅な空の情景である。

「う~ん、本当にいい天気ねえ」

 アーシアは大きく伸びをし、みずみずしい草の絨毯に寝そべった。

 広大なシーレの空。それは数多の浮遊陸塊──惑星を包み込む、ひとつの宇宙のようである。広漠たるこの世界の空を仰げば、まるで世界が自分だけのものであるかのような錯覚すら覚えるのだ。

「姿が見えないと思ったら、こんなとこにおったか」

 寝そべって空を見上げていたアーシアの視界に、見慣れたクエインの顔が現れた。

「おはようございます、おじい様」

 アーシアは目を細め、にっこりと笑った。


 研鑽と修行の日々を送るアーシア達は現在、孤島ムスーンにある山岳地帯の街に滞在していた。

 このムスーン島は岩山だらけの小さな浮遊島ではあるが、大量の鉱物資源が眠る経済的に豊かな場所である。鉱夫と鍛冶屋たちによって支えられてきた職人気質の風土が生み出した独特な雰囲気に惹かれ、自然と多くの人が集まってくる南西空域の名所でもある。

「おじい様、ムスーン山に凶暴な魔物が潜伏しているらしいわ。退治したら報酬をくれるって聞いたの」

 まだ容姿と内面の両方に幼さが残るものの、急速に大人びてきた少女アーシア。冒険心と好奇心の塊のようなこの娘は、耳にした物騒な事件にさえ胸を躍らせていた。

「その魔物の話なら、わしも耳にしたが──」

「じゃあ、話は早いわ。みんな困っているみたいだし、退治しちゃおうよ」

「ふむ。まあ、報酬はともかく魔物のことが気にはなるな。ちょいとばかり探りを入れてみるかの」

「賛成!」

 

 アーシアとクエインは出会った日からずっと、各地を遍歴し見聞を広めるため旅の生活を続けているのだが、世界を巡る旅となれば当然ながら多額の旅費が必要になってくる。

 実際のところは財産家のクエインに相当な蓄えがあるため、金銭面での心配は要らなかったのだが、それでも冒険の途上で生活の糧を得るに越したことはないのと、アーシアの訓練も兼ね、これまでに多くの魔物退治の依頼をこなしてきた。魔物退治で腕の立つ冒険者に報酬を支払うのは、この世界では特別めずらしいことではない。


「ところで『古代メナスト制御の応用式』には目を通したか? あれは難解な本だが、スペル分解処理の理解にも必要じゃぞ」

「ああ、あれね。あれなら、昨日夜更かしして全部読んじゃったわ。……おじい様が寝ている間にね」

「なぬ。あれを一晩で読み終えたのか」

 クエインは驚いて目を丸くした。

「読んだはいいが、おぬし。ちゃんと頭に入っておるのか? 読んだだけでは全く意味がないぞ」

「だいたい、内容は理解したつもりよ。スペルの分解・組み換えの基本と応用、集合的メナストと自然メナストの融和原則、力場発生時における相互干渉作用とその制御法、体内外流動魔脈と固着元素間のバランス・キープ、それに神性と個性の整合深化……あ、これはちょっと難しかったかな」

 クエインは驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 実は、以前にも同じようなことがあった。初めて参考書を読ませようとした時のことである。アーシアは「私は読書が大の苦手だからイヤ」と主張しなかなか手をつけなかったが、いざ読み始めると驚くほどの速度で学習を行い、古代語や旧世界の文明・歴史などあらゆる知識を習得していった。好奇心が強く、好きなことに関しては本当に勉強熱心な娘だ。

 それだけではなく、メナスト操作と古代術をマスターするのも驚くほど早かった。クエインは自分が見出したとは言え、彼女の才能と進化の速度に驚かされるばかりである。


「それより、おじい様。そろそろ街へ戻りましょうよ」

「う、うむ。では街に戻って、その魔物についての情報を集めてみるか。どんな相手かわからなければ、対策もたてられんからな」

「そうこなくっちゃ! じゃあ私は市場方面に行ってみます。……ムスーン島の民芸品とかも見てみたいし」

「時間はたっぷりあるし、それもよかろう。役に立ちそうな情報を集めてくるんじゃぞ」

「は~い。わっかりました」

 いつもながら、この調子である。これで魔物と戦っていこうというのだから気楽なものだと、クエインは呆れた表情を浮かべた。この性格も若干の不安材料だが、今はまだ年齢的にも能力的にも心配が尽きない娘である。


 妹の方が完全な状態ならば、何の心配もないのだが──。クエインはそう思わざるをえない。


 オーファ、つまりアーシアの守護神サウルであるリシュラナは、今はまだ不完全な状態のまま。神石コアに金属をまとった球体の姿でしか現れることが出来なかった。

 この状態ではいわば魂の入った器に過ぎず、まったく何の力も持ってはいない。

 トラシェルム大陸で出会い、メラニティを施してから二年が経つというのに、新生の兆しが全く見られないのだ。クエインは予想以上にリシュラナのシンボライズが遅いことを気にしていた。


 また、それ以外にも気がかりなことがあった。それはアーシアがリシュラナの存在を確実に認識し、身近に感じてはいるが、それ以上のコンタクトが全くできていないということだ。

 メラニティで新たな超越的生命形態へと転生してから、オーファとサウル特有の、意識を通じてのコミュニケーションが成立したことが一度もない。リシュラナがアーシアの働きかけに反応しないのである。

 これは非常に重大で困難な問題である。この姉妹に限ってそんなことはないとは思うが、リシュラナの側で交信を拒んでいるという可能性が完全には否定できないのだ。

 当のアーシアは妹が存命で今も共にあること、そして彼女を常に感知できるだけで満足らしく、全く問題を気にしていない様子である。

(うーむ。リシュラナ本人が迷っているのか。変化を拒んでいるのか。現実を認めることができず、それが新生を拒んでいるのかもしれぬ)

 クエインはさらに思慮する。金属生命体サウルは、コアに宿る魂の姿を具現化し、様々な姿に進化するという。心臓部であるコアの周囲に魔鋼の装甲を纏い、具現化された仮の身体を用いて現世に干渉するのだ。

 それは人間とはかけ離れた生命体だ。メラニティの際にリシュラナの意見を聞くことが出来なかった以上、彼女が変化を望んでいないということも考えられるのだ。

 これはクエインにとっては、一生消せない罪の意識でもある。自分の行いが正しかったかどうかなどいくら煩悶しても結論がでないことだ。しかし、彼が罪悪の鎖から逃れる術はない。

(わしの行いが許されることはないだろう。幼い二人の娘の運命を変えてしまったことの重大さは償いきれるものではない。

 全ては未来が教えてくれるに違いないと、今はそう信じるしかない。その時のためにも、身勝手な願いではあるが、リシュラナにはアーシアを護って欲しいのだが……)

 もしかしたら、リシュラナはこのまま変化しないのではないだろうか。そんな事態を想像することもある。自分がメラニティを施したのは一度きりだ。万全の自信があるわけでもない。リシュラナは個人の資質によって導き出される、真実の姿へと覚醒するのだろうか──。

 クエインは、そういった不安を表に出さず、自分の中にある罪の意識を悟られないよう、おおらかな接し方を心がけている。また仮に未来に好ましくない結果が待ち受けていたとしても、どんな深刻な問題が発生したとしても、親代わりの自分が姉妹を守り、育てることを心に誓っていた。


 *  *  *


 アーシアとクエインは丘を下って街路を抜け、中央広場へとやって来た。

 白い石で出来た大きな噴水が真ん中に鎮座して優雅に水を湛え、端の方では色鮮やかな露店が立ち並び、活気のある街にふさわしい彩を添えている。

 噴水周辺が白色を、広場を取り囲むように植えられた樹木が濃い緑色を、石畳が赤茶色を、露店の屋根が極彩色を。全体のバランスが鮮やかながらも楽しげな憩いの場を演出している。

「おや、あれは」

 そんな憩いの広場に似つかわしくない物々しい集団が、中央手前を占拠するように居座っている。

 重々しい甲冑で身をつつんだ、いかめしい騎士の一団である。軍旗を掲げてはいないが、彼らの身にまとう装備を見ればいかにも立派なもので、どこかの正規兵であることは容易に知れた。馬にまたがった将軍らしき人物の後ろには、多数の騎兵と百人近い歩兵が隊列を組んで並んでいる。規律も行き届いているようだ。


 先頭にいる偉そうな人物が全体に休めの号令をかけた。それから、騎士の内の何名かが、通りがかった風変わりな老人と少女を見て言葉を交わし始めた。

「こっちに来るわ」

 一人の騎士が隊列を離れ、クエインとアーシアの元へやって来た。

 その姿はひときわ立派で絢爛たる濃紅の防具に身を包み、逞しく毛並みの美しい葦毛の軍馬にまたがっている。彼がこの集団の最高司令官に違いない。

「ふん、薄汚い格好をした老人子供がこちらを見ていると思ったが──、やはり冒険者のようだな」

 彼は二人の冒険者の前で馬の歩みを止めると、乗馬したまま高慢な眼差しで見下した。アーシアは口をつぐんで、この相手を睨みつけている。夢見る少女が心に描いていた騎士とは勇敢で礼節や正義を貫くものだったが、現実の騎士を知ったこの頃では、そんな夢見る少女の理想像は崩壊寸前にあった。

「もしやお前たち、山に巣食う魔物に挑もうというのではなかろうな?」

 騎士が訊ねた。

「一体どうしてそのように思われるのですかな? あなたの仰るように我々は力のない、薄汚いただの老人子供ですぞ」

(おじい様! ……もうっ、何でこんなのにへつらうのよ)

 あからさまに下手に出たクエインを見て、アーシアは悔しそうに口を尖がらせた。

「ごまかすな。薄汚いは薄汚いが、そのいでたち佇まい……、ただの冒険者ではあるまい。魔物退治の経験も豊富と見た」

 生粋の軍人のカンとでも言うのだろうか。智謀とは縁がなさそうな、いかにも武一辺倒といった風采の人物だが、相手の実力を見抜くくらいの眼力は持っているようだ。

「ご明察でございます。無駄に諸国を放浪しておりましてな。いくらか旅慣れしております。死線も幾度か乗り越えてきた身ですじゃ」

「そうであろう」 

 騎士は満足そうに頷いた。

「それにしても、壮観ですな。あなたがたはどこの国の部隊ですかな」

「我々は誇り高きハー・ザディーン王国の騎士団である。魔物討伐の任を受けやってきたのだ。報酬を手にしたくて魔物に挑み、命を捨てる愚か者が後を絶たないからな」


 ムスーン島はハー・ザディーン王国の領内にあるので、彼らがここに派遣されたのは何らおかしなことではない。加えて、これは初めてのことでもない。同国の派兵は以前に壊滅の憂き目にあっているのだ。

 魔物退治の報酬が国から支払われるということ自体が、ハー・ザディーンがこの件でいかに頭を悩ませているかを示している。魔物退治で多額の報酬を与える約束は、ハー・ザディーンが講じた一策であった。

 ところが、状況はますます悪化した。どんな剛の者も魔物退治に向かっては帰ってこなかったのである。

 手痛い討伐作戦の失敗と相次ぐ被害報告でハー・ザディーン王国もついに重い腰を上げ、今回の派遣は騎士団員を百名以上を動員するという、それなりに本格的な作戦となった。これが今回の派兵に至った経緯である。


「とにかく、老人や女子供の出る幕ではない。領内の魔物の討伐などは我々軍人の役目。馬鹿な気は起こさず、大人しく茶でもすすっているがいい」

 もっともな意見である。領内の問題なのだから彼らに任せておけばそれでいいだろう。

 だが、アーシアは相変わらずふくれっ面をしている。言い分が正しいとか以前に、相手の態度が気に食わないのである。クエインはそんなアーシアの不満気な顔をチラリと見て、彼女が食ってかかる前に引き下がるのが善いと思った。

 「はい、よくわかりましたですじゃ。もとより、我々にはそんなつもりはありません。皆様のご武運を陰ながら心よりお祈りしております」

「おじい様っ」

「ほれ、行くぞ」

 クエインがアーシアの腕を腕を引っ張し、退散を促す。アーシアは仕方なく彼に従った。

「何あれ。感じ悪くない? 頭に来ちゃうわ」

 広場を後にしながら、アーシアは煮えくり返る腹中の臓物を言葉に代えた。

「おぬしの気持ちはわからなくもない。が、感情的になりすぎじゃ。ああいった場面で問題を起こすと、後々面倒になるから気を付けねばならん。特に、ああいう輩は権力というたいそうな武器を振りかざしてくるから始末が悪い」

「どうしてそんなことがわかるの?」

「長年の経験じゃよ。身分を偽って生きてきた、わしの処世術でもあるがな」

「目立つのは避けたほうがいいってのはわかるけど、腹が立って仕方ないわよ」

 広場の方を振り向くと、騎士団はすぐには出発しない様子であった。全部隊が号令のもとに解散され、兵士達の姿が広場から消えていくのが見えた。心なしか、広場を支配していた物々しい気配も和らいだようだ。

「アーシアよ、言っておくが……。ムスーン山へ向かうにしても、わしらは彼らの出発したあとじゃぞ」

 それはハー・ザディーン騎士団とのいざこざを避けるための方策だった。

「……はぁい。わかりました」

「わしは宿に戻って一休みするから、お前は好きにするといい」

 そう言って、クエインは宿に向かって歩きだした。

「それじゃあ、私は……情報収集も兼ねて、予定通り市場の様子を見にいこっかな、と」

 クエインを見送った後、軽い足取りで市場の方角に向かって歩き出すアーシア。ところが、数歩と経たないうちに、背後から呼び止められてしまった。

「あ、あの、ちょっと、いいですか?」

 何事かと背後を振り返ると、そこには甲冑姿の兵士が立っていた。

 身につけている装備品のデザインから察するに、どうやら先ほど広場に居座っていた騎士団の一員のようである。年齢は若くて、アーシアと同じくらいの年頃の少年兵だ。

「何ですか?」

「えっと、その……」

 少女の毅然とした物腰に気後れしたのか。あるいは緊張を隠せないでいるのか。とにかく、用があるはずの少年兵はなかなか肝心の用件を言い出さなかった。モジモジと身体を揺するするばかりだ。

 特に急いでいるわけではないので、アーシアはイライラすることもなく、彼の挙動を見守った。

「ちょっと、その、話が……したいんだけど。き、君と」

「えっ……。私と話を?」

 意を決して告白した少年兵。アーシアにとっては、思いがけない申し出だった。きょとん、とするアーシア。少年は照れ臭そうに俯いているが、不誠実な雰囲気ではない。

(初対面の男の子が、私に何の話があるのだろう? 私達の秘密が目的とは思えないけど──)

 ──見れば。離れたところにある建物の物陰から、他の若い兵士たちが顔を覗かせている。彼らは声を上げずに少年兵をはやしたてている。少年を応援しているように見えるが、面白半分に煽っているようにも見えなくもない。

 それを見たアーシアには、何となくだが事情を察することが出来た。

(ま、いいか。おじい様も、これくらいなら怒りはしないでしょうし)

 自分たちの素性を語ったりしない限りは、クエインが怒ることはないだろう。もし詮索されたら、答えなければいいのだ。アーシアはそんな風に思った。

「うん。いいよ」

「ほんとに! じゃあ、向こうで話そうよ。ここはほら、他のみんなが見てるから」

 よほど勇気を必要としたに違いない。アーシアの快い返事を聞いた少年は、全身で喜びを表している。

 賭けをしていた連中の、手を叩き合う音やらため息やら聞こえたが、アーシアは気にしなかった。連中の目の届かない場所まで移動して、そこに置いてあった椅子に二人並んで腰掛けた。


 二人のほかには人影なく。青空に浮かぶ綿のような白い雲と、澄み渡る空気と、穏やかな陽光と。とてもすがすがしいムスーン島の朝が続いている。

「……」

 少年と少女の微妙な距離感。お互いに、なかなか言葉を発しようとしない。黙り込んだまま座り続ける二人。アーシアはこういう時にどういう話をすればいいのかわからない。

「僕」

 少年が口を切った。

「名前、ロイドっていうんだ。えっと、君の名前は……」

「アーシア」

「アーシア……。へええ、きれいな名前だね」

 ちょっと気が弱そうだが、心の優しそうな少年である。お世辞などではなく、本心から思ったことを口に出したに違いない。こういう男の子は、アーシアの嫌いなタイプではない。

「ロイドは私と同じくらいの歳なのに、兵隊なの?」

 今度は、アーシアの側から質問した。

「うん、兵役を義務にしてる国はいっぱいあるけど、ハー・ザディーンは特に兵役制度が厳しくて、徴兵の対象になる年齢も低いんだ。戦争は嫌いだし怖いんだけど、逃げ出したりしたら反逆者扱いだよ」


 シーレではいつの時代、どの場所においても戦争の黒い影が付きまとう。特に近年の危うい世界情勢は、戦いの火種をより一層撒き散らすばかりだ。

 この世界は血みどろな戦乱にむかうばかりで、若者はますます戦いに駆り出されるようになる。これが現実である。


 この荒れ狂う世界で生存するために必要なものが戦いである。

 煌天世界を生き抜くためには陸地や資源が必要不可欠だ。

 新たな浮遊陸塊を見つけ出し、時には他者の領土を侵略し、力づくで奪い取る。そうやって、この世界の歴史は綴られてきた。それは必然的なものだ。

 だが、近年の人間の行動は行き過ぎている、とアーシアは思う。シーレ中に不安が広がりつつある。縮小の気配を見せない世界規模の戦争が未来に暗雲を流し込む。これではますます、多くの人間、若者が理由もなく死んでいく。


 アーシアはロイドの話を聞きながら、故郷の村を思い出した。今はもう滅ぼされて、残ってはいない故郷セノスだ。

 セノスが滅ぼされたのは、間接的だが戦争が原因である。大陸戦争の張本人であるリ・デルテア王国は今や破竹の勢いで進軍していると言うが、どんな理由があるにしろ、許せる気分にはなれない。

 また、クエインが言うには、北方空域では軍事国家の台頭が目立つし、これから世界はより混迷の時代へと向かっていくのだろう。


「──でも、良かった」

 ロイドが脈絡なくそんなことを言ったので、アーシアは考えるのをやめて彼の顔を見た。

「何が?」

「だって、魔物退治はしないんだろう? 君とおじいちゃんが魔物退治をするなんて言ったら、誰だって止めるよ」

 ロイドは広場でのやりとりを耳にしたのだろう。

(……まあ、退治するって決めたわけじゃないんだけど)

 不意に、指揮官とのやりとりを思い出した。あの高慢ちきな顔は頭に浮かぶと腹が立つので思い出したくなかったのだが。

(それに。あなたには悪いけど、退治するのを止めたつもりもないわ)

 そんな心の声を危うく声に出しそうになって、アーシアは唇を強く結んだ。

 余計なことを口にしたら、クエインのいうとおり色々な問題が発生するだろう。何よりも、こっぴどく叱られそうだ。そっちの方がずっと怖い。

 アーシアはさすがに自重した。

「ねえ、アーシア。どうして魔物退治をしようなんて思ったの?」

 ロイドが訊ねた。

「思ってないよ。そんなこと」

「でも、あの時。君は、広場ですごく反論したそうだった」

 あの指揮官はともかく、この少年には見透かされていたらしい。

「誰にも言わないから、教えて」

 どう答えればいいのか。そもそも、答えていいものか。アーシアは考えた。

「そうね……人が……困っているから、かな」

 同時に、得られる報酬も目当てなわけだが。

「そうか、うん、そうだよね」

 ロイドの表情がパッと明るくなった。

「凶暴な魔物は、やっぱり兵士である僕たちが退治しないと。みんなを危険な目に合わせるわけにはいかない」

 熱を帯びた口調で語るロイドの顔は、真剣そのものだ。

「ねぇ、ロイド。山にいるのって、一体どんな魔物なの?」

 アーシアはそれとなく情報を聞き出そうとした。

「すごく大きな、竜のようなやつだってさ。ムスーン山の山腹あたりを住処にしていて、山道を通る人間を襲うらしい。物品の運搬にはあの山道を使うのが一番便利だから、この島の人はみんな困っているんだ。ムスーン島内の輸送は陸路しか許されてないからね」

「ずっとここに住んでいたのかしら? どうして急に人を襲うようになったのかな?」

「うーん。どうしてだろう」

 一兵士でしかないロイドにはそこまではわからない。彼は一変して黙りこくり、ちらりとアーシアの横顔を見た。

「例えばなにかに怒っているとか──」

 アーシアは前方を見つめたまま疑問を口にした。ロイドはすぐに視線を戻し、それからもう一度アーシアの横顔を見つめた。今度はちょっと長めに──。

 すると。その視線に気づいたのだろうか、アーシアが素早くロイドの方を向く。

 一瞬、目が合った。

 ロイドはドキッとして慌てて目線を逸らした。見とれていたのがバレただろうか──。あまりにばつが悪くなって、必死な少年には話題を変えるほか術が無かった。

「あ、あー、その、髪飾り。すごくきれいだね」

 美しい宝石の嵌った髪飾り。ロイドが見たことが無い細緻な装飾が施されている。

「これ? これはね、お母さんがくれた宝物。私のお守りなの。大切だから、いつもはしないんだけど、今日はただなんとなく……」

 ──ただなんとなく。

 実際には、今日が特別な日だから身につけていた。今日が母と故郷を失った、二年前のあの日と同じ日付だから──。

「へえ、お母さんか。アーシアのお母さんはどんな人なの?」

 それを訊いた直後、ロイドは相手の表情が僅かに曇ったのを見逃さなかった。もしかしたらなにか悪いことを訊ねてしまったのかもしれないと思った。

「ご、ごめん」

「ううん。私こそごめんね。黙っちゃって……」

 少しもいやな気分ではなかった。

 流浪の生活。生きることに精一杯で、こんな風に安らかに、しかも同年代の異性と話すことなど、アーシアにはそう多くはないことである。殺伐とした毎日だ。少し話しただけだが、気持ちが穏やかになり、満たされた気がする。乾いた大地に、水が流れ込んだように。

 またもや、沈黙が流れる。

「……ロイドの、家族は? 兄弟はいる?」

 アーシアが口を開いた。

「父親と母親が家にいる。それに弟が一人。でもずっと会ってないよ。僕は城で暮らしているから、家に帰れる機会があまりないんだ。だから、よく手紙を書いてる」

「そうなんだ。いいね」

「うん。この遠征が終わったら、家に帰るって伝えてあるんだ。手柄を立てて、みやげ話にするつもりさ」

 ロイドが再び、瞳を輝かせた。

『ハー・ザディーン遠征部隊、集合せよ! 山に向けて出発するぞ』

 遠くから、怒声にも似た号令の声が聞こえた。全部隊に召集がかけられたのだ。

「もう行かなきゃ」

 ロイドは立ち上がった。

「アーシア、ありがとう。あまり話せなかったけど楽しかったよ」

「こちらこそ」

 名残惜しそうなロイド。アーシアも同じ気持ちである。

「帰ってきたら、また会ってくれるかな?」

「うん。もちろんだよ。頑張ってね」

 アーシアの返事を聞くと、ロイドは飛び跳ねるように街の入り口の方へ向かっていった。

「……」

 一方、見送るアーシアの心境は複雑である。


「あの子、死んでしまうかもしれない」


 少し足早に、宿にいるクエインの元へと向かった。

「ただいま」

「どうしたんじゃ? ずいぶん遅かったが」

 宿の部屋の窓から、広場の様子が見える。そこにはもう遠征部隊の姿はなかった。

「いえ、別に」

 アーシアはそう言って、窓から目を離した。

「おじい様、いつ出発するの?」

「見つかると面倒じゃからな。もう少し待つか」

 クエインが答えた。アーシアは妙な心境である。今日初めて会った男の子。それなのにどうしてこんなにもそわそわするのだろう。

(ロイド、大丈夫かな──)

 やはり、どうしても気になる。大勢の騎士団に対し、相手はおそらく一匹。心配する必要はないようにも思えるのだが──。

「おじい様、彼ら無事に済むでしょうか?」

「む。そうじゃなあ……」

 クエインはティータイムの準備を始めている。宿側で用意された、安宿の割には品のよいポットと食器がテーブルに並べられた。

「魔物の強さ次第じゃろうな、それは」

 クエインはポットの湯を沸かしながら言う。魔晶エネルギーを利用したコンロから、赤々とした火が上がっている。この炎は特殊で、熱はあるが他の物に燃え移る性質をもたないため、火事になる心配がない。

「お前も知っているじゃろうが、シーレの魔物の中には、クァタナル・デフィリースドで生じたメナスト・バランスの崩壊で変異したものがおる」

「……」

「それらの中には、とてつもなく強大な力を持った、桁外れな奴もおるでな。そういう相手だったら、普通の人間では到底太刀打ちできんじゃろうな」

「そんなの、今まで見たことがないけど」

「魔物が凶暴になりつつあるという説もある。理由までは知らぬが、今までおとなしくしていた魔物が暴れだしたとしても不思議ではない」

(ロイドは、巨大な、竜のような奴って言ってたけど……)

 妙な胸騒ぎがする。しかし、クエインが重い腰を上げて動き出す様子はない。

「まあ、急ぐこともあるまい。あの騎士団が魔物を倒すと言うこともあり得るからの」

 クエインはお茶を決め込むつもりらしい。全く、これではあの司令官の言った過ごし方そのまんまではないか。

「ほれ、おぬしも座るといい。あわてる必要はないじゃろう」

「でも、彼らを見殺しにしてしまうかもしれない」

 クエインの、コップを運ぶ動きが止まった。

 じっと見つめられ、アーシアはつい目を逸らしてしまう。こんなことは滅多にないので、クエインは何かを感じたようだ。

「どうしたのじゃ、一体」

「別に……何でも、ないです」

 年頃のアーシア。男の子が気になる、なんてこと言えっこなかった。

「助けたい気持ちはわかるが、今行くと面倒が起きるに決まっておる。それに、我々が素性を隠す必要があるのは、おぬしもわかっておるじゃろ」

 自分たちは異端すぎる。存在を世に知らしめることは重大で、みだりに人間のことに関与すべきではないとさえ教えられている。それが超越者の掟というものだ。

 つまり、今回のように人間が自分でどうにかしようとしている以上、魔物を退治するのはあくまで敵が強力すぎて人間の手に負えない場合だけにしろ。クエインはそう言いたいのである。

 だが、今のアーシアにはまだその自覚が足りなかった。

(どっちにしろ、私たちがそんな魔物を倒したら、結局目立つじゃない。そんなこと言ってたら何もできないわ)

 だんだん我慢できなくなってきた。そして。

「おじい様、私一足先に行ってきます。後から来てください」

「こら、待つんじゃアーシア!」

 クエインの制止も聞かず、アーシアは宿を飛び出した。

 ロイドを見殺しにするわけにはいかない、その気持ちが彼女を掻き立てた。足の運びも速くなる。

 彼女は若い。はやる気持ちを抑えることができない。クエインが危ぶむのも無理はない。


 宿を飛び出したアーシアは、広場を駆け抜け、街の外へ向かう。

 巨大な看板のかかった出入り口のゲートを潜り抜け、ハー・ザディーンの遠征部隊を追いかける。山岳地帯なだけあり、なだらかな勾配のある道が続く。

 蛇行する細い道を走るが、なかなか追いつけない。人数を考えれば、あちらの移動速度は遅いはずなのに、どうしたことだろう。

「おかしい。彼らの姿が見えない。もしかして道が違うのかしら」

 アーシアはここに来るまでに、いくつかの分岐点があったのを思い出した。

 麓から山道へ至る道は複数あり、しかも今では山道が危険になったので、迂回路や間道が増えた。彼らと違う道を通っては追いつけるはずがない。

 また、脚力には自信があるが、まだ肉体強化のコントロール術も完璧ではない。それほど速くは走れなかった。

「仕方がないわね。力はできるだけ温存したかったけど……」

 意識を集中し、術の行使に入る。

「フェゼ・フェリテ。我求む、天上に舞い踊る翼神の加護を。飛翔アリア

 アーシアの足が地面から僅かに浮かび上がった。その状態で身を屈めて反動をつけ、大きくジャンプする。周辺の空気が押し出され、その風圧で土煙が巻き起こる。

 足場に光の波紋を残し、少女の体は空高く舞い上がった。あとは目的地に向かって飛翔するのみである。


「あんれま、人が空飛んでら」

「ほんとだあ、おったまげたぁ」

 地上の人々は空を見上げ、飛行する人影に驚いた。

 残念ながら、飛翔の術は際限なく飛べるわけではない。滞空時間が限界にきたら、再び空中ないし地上で跳躍する必要がある。

 だがその心配はいらなかったらしい。直線コースならすぐだった。かなり高めに跳躍したおかげで、一回の飛翔で山道の入り口にたどり着いた。

「こんなに近かったなんて。これじゃあ逆に……」

 アーシアは地上に降り立った。ごつごつした岩肌、麓の様子とは打って変わって、荒涼な風景が目の前に広がっている。

 険阻なことで知られるムスーン山は島の中心部にそびえる。その山道は確かに険しいが、山岳地帯における交通の要所で、通過すると島の対岸へと容易に出ることができるのである。以前はちゃんとした関所もあったが、魔物騒ぎが起きてからはほとんど機能していない。

 山道に入ると、魔物の雄たけびらしきものが聞こえてきた。侵入者を威嚇しているのか、あるいは……。

 アーシアは再び飛翔する。目指すは中腹だ。

「お願い、間に合って」


 *  *  *


 一方、ハー・ザディーンの遠征部隊はすでに山の中腹部で魔物と戦闘を開始していた。

 魔物は、巨大な一つ目の竜であった。

 口は顎まで裂け、鋸のような巨大な牙が不気味な輝きを放っている。巨躯を支える大木のような四本の脚、しなやかで長大な尻尾。皮膚は青黒い竜鱗で覆われている。その禍々しい姿だけでも十分な威圧感があった。

 騎士団は数の上では圧倒的だったが、いざ戦ってみると魔物の強さが尋常ではないことが判明した。尻尾を振り回せば岩を砕き、人間をごみ屑のように弾き飛ばす。近づこうものならば踏みつけられて死骸と化すだけ。しかも、硬い皮膚に阻まれ、いかなる武器でも傷を与えることができなかった。

 兵士たちはどうすることもできず、右往左往するばかりだ。遠巻きに魔物を取り囲んだままである。

「得ていた情報とずいぶん違うぞ。どうするんだ」

「何せ逃げ帰ってきた腰抜けたちの話だからな」

 歯が立たない、とはまさにこのことであろう。 

「隊長、砲兵隊の準備、完了しました」

「よし! あの醜い化け物に目にもの見せてやれ」

 後方に陣取った数門の野砲から放たれた砲弾が唸りを上げ、次々と竜に命中した。しかし残念ながらこの砲撃もほとんど効果はなく、敵は無傷であった。

「なんてことだ、平然としていやがる。……こんな化け物、見たことも聞いたこともない」

 部隊の動揺がさらに強まる。

 ふてぶてしき魔物は人間をコケにしているのか、自分から攻撃を仕掛ける様子を見せない。しかし、こちらが油断して安易に近づこうものならば命の保障はないのだ。

 かと言って、警戒して距離を保ち、弓を射掛けても、それは硬い皮膚によって跳ね返されるだけ。生半可な攻撃では埒があかない。

「我々の戦力と武装ではどうにもならない。……か」

 攻撃隊長は苦い表情を浮かべた。為す術なしかと思われたところ、指揮官が決断を下す。

「こうなれば、最後の手段だ。援護要請の狼煙を上げろ! 船に攻撃させる」

 遠征部隊の母艦には実戦投入間もない新兵器、魔晶エネルギー砲が搭載されている。これこそが煌天世界の科学力の結晶、現在の人類が作りえる最強の兵器だ。鋼鉄をも容易く貫通する魔弾の狙い撃ちで、憎らしい凶竜に引導を渡してやろうというのだ。

「見えました! ホエイル級です」

 山の尾根の上空に一隻の軍艦が到着した。黒鉄色で尾びれを有する流線型の船体は、ハー・ザディーン空軍が誇るホエイル級巡洋艦である。

「よし、全員退避! 艦砲射撃に巻き込まれるな」

 騎士団は魔物から距離を置いた。


 魔晶航空艦の下面に据え付けられた魔晶エネルギー主砲が、ゆっくりと魔物に照準を定めた。

「目標、射程内で静止中。距離、射角良し。照準、良し。変換効率、安定しています」

 管制官が艦長に報告する。

「よし、発射!」

 艦長の一声に呼応し、艦砲魔弾が撃ち出された。圧縮された光の弾丸の威力は絶大で、魔物を一撃のもとに葬り去る。

 ──はずだった。

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