出航前夜
カルフィノ・ファリを発ったアーシアとトマ。二人が山間にある関所を通過しようとした時、詰めていたトラシェルム衛兵が次のように告げた。
「西の台地に構築した基地に、空軍戦力を結集しております。オーファ様には道を変えそちらに向かっていただきたいのです」
予定ではこの関所の空港で迎えの船に乗り、帝都で摂政ロシオウラに謁見してから陣へと向かう手筈だったのだが、刻々と変化する状況がそれを許さないようだ。二人を乗せた馬車はやむなく道を変え、トラシェルム空軍前線基地がある台地へと向かった。
ローセルム他の地域との境界線にもなっているバレッセ山脈の山麓を西になぞり、広大な台地に近づくにつれて、縦横に広がるその空軍陣地が姿を現した。
トマの話によると、これはローセルム政庁が用意した急造の軍事施設だそうだが、到着してみれば予想をはるかに凌駕する規模を誇っていた。
──と言っても、さすがに大陸全土から結集した大艦隊を全て受け入れるだけの余裕は無かったようで、敷地内に着陸できなかった多数の艦船が基地の周囲に係留されていた。非物理的接触を利用したアンカーで地面と繋がれ空に浮かぶそれらの船影は、日中ならさぞかし圧巻であろうに、雲のまばらな月光の空に浮かんでは輪郭だけが明瞭で、あたかも夜空に上げられた巨大風船の群れのようであった。
陣の周囲を一周するような道筋を辿り、厳めしい正面ゲートに到着すると、一人の男性将軍がそこでアーシアの到着を待っていた。彼は軽く頭を下げてから、丁重に相手を迎え入れた。
「ようこそオーファ様、我らの陣営に。私はサスファウト・ヴァナ・フレイルースと申します。トラシェルム帝国煌翼神騎士団長を任されております。以後、お見知りおきを」
名乗ったその人物は、豪腕元帥ナーバの片腕と評される将軍。煌翼神騎士団長サスファウトだった。彼はまだ二十代の青年騎士だが、トラシェルム帝国の前身である王制リ・デルテアの時代から同国に仕えてきた、いわば歴戦の将軍である。
穏やかな物腰や挙措のひとうひとつにまで気品が滲んでおり、それが彼の高貴な身の上を物語っている。それに加えて、秀麗な顔立ちをした見事なまでの美青年でもある。
彼はまたフレイルース伯爵家という貴族の家柄の出ではあるが、民衆に接する態度はわけ隔てなく、部下からの信頼もすこぶる厚い。サスファウトは君主から騎士の称号を叙任された人物であり、名門の出であることを笠に着るようなことをしない品行方正な男である。
無論、陸軍の上層にいるだけあって、将軍としての才能にも恵まれている。名将であり武人であり人徳者である。実際のところ、摂政ロシオウラからの評価は、元帥であるナーバよりもずっと高かった。
「初めまして。私はアーシア・ウィルケインと申します。微力ながらもお力添えをするために参上しました」
自然とアーシアの物腰も慇懃になる。「心強い限りです。感謝申し上げます」と、サスファウトが答えた。彼はさらに続ける。
「早速ですが、本題に移らせていただきます。このように直接お越しいただいたのは、出陣の予定が早まったためです。我々の予測では一日分の余裕がありましたが、敵軍の動きに合わせ、明日の明朝に飛び立つことが決まりました。つきましては、今晩はこの基地にある仮設宿舎でゆっくりお休みください。もちろん、女性ですから警備もいたします。ご安心ください」
「それはどうも──」
警備なんて必要ないわよ、と思いつつも、アーシアは軍人とは思えないサスファウトの配慮に好感を抱いた。騎士の称号を持つ貴族階級の人間は、身分や権威を重視するあまり傲慢になったりするものだが、彼はその類ではなさそうだ。少なくても、彼女が今まで会った軍人の中では紳士的な人物だと思えた。
「では、宿舎まで案内しましょう。こちらへどうぞ」
サスファウトに追従して陣地内を歩くと、緊迫感と慌しさに満ちた光景が次々と目に飛び込んできた。
「おい、違う! そのコンテナは三番艦だって!」
「ケノ・スール級に積む特殊鋼弾はどうしたんだ。まだ届かないのかよ。……間に合わせるよう催促してくれよ」
「整備班、シグナルの最終調整急げ! 戦闘が始まってから通信が出来ませんでしたでは済まされんぞ!」
空軍の整備技師、士官らの怒号に近い叫び声が矢のように飛び交っている。誤謬があるかもしれないが、なかなか活気に溢れた職人たちの世界だ。
「ご覧の通り、艦船の整備が夜を徹して行なわれます。騒々しいのはご容赦下さい。何せ、多くが寄せ集めの艦船の上、慣れない空戦につき、色々と混乱も生じておりますので」
置かれた松明の炎が赤々と闇夜を照らし、そこにある物を映し出す。白い布製のテントが数え切れないほど並んでいる。大きさは大小さまざまだが、どれも大切な施設としての役割を果たすものに違いない。兵士たちがテントを出入りし、船に載せる荷物を運び出す様子が頻繁に見受けられる。
「将軍、あの建物は何ですか?」と、アーシアが気にしたのは、少し古びた木造平屋の建物だった。落ち着いた雰囲気が物々しい基地の建物らしくなく浮いている。
「ああ、あれはここに元々あった建物ですよ。民間の宿泊施設だったのですが、空軍将校の宿舎として利用しています」
「ふーん……そうなんですか」
特別に、今回の戦いの準備のために建てられたものではないということだ。
「何せ急造の空軍基地ですから、こういうこともあります。宿の主人はかなり迷惑そうでした。そう言えば、我々が『接収』という言葉を使うまで抵抗を続けましたね。最後はしぶしぶ『貸し出して』くれましたよ」
「それは……そうでしょうね」
真面目な顔で言うのが逆におかしくて、アーシアはクスリと笑った。
「今回のような空軍戦力の侵攻の厄介なところは、進撃ルートと戦闘に巻き込まれるエリアを見極めることの難しさにあるようです。
──もし、事前に敵の上陸ポイントや進攻経路がわかれば、住民の避難もやりやすいのですが。今回のようにそれが困難な場合、広域に緊急の避難勧告を出さねばならなくなるので、大混乱の発生が予想されます。ロシオウラ様が近海(空)戦の勃発を公になさらないのは、そういった事態になることを憂慮してのことです。──もちろん、この近辺の住民の避難は完了しておりますが、ローセルム全体には及んでおりません。難しいところです」
その説明を聞いて、アーシアは頷いた。
「なるほどね。確かに、カルフィノ・ファリには何も通達されていなかったわ。戦域がどう拡大するのか曖昧な状態では、民間人への通告も簡単な話ではないのね」
さらに陣内を歩き続けると、小屋のような建物が見えてきた。様々な太さの丸太や角材と木の板で組み上げられたロッジ風の建物である。
「こちらが、今晩お泊り頂く宿舎になります」
「へえ……ずいぶんと味のある建物ですね」
「恐れ入ります。全く、こんな出来の悪い建物で申し訳なく思っているところです。何せ出撃準備の合間に建てたものですから」
申し訳なさそうなサスファウト。彼によれば、これは元々は別の目的で建てられる筈のものであったが、オーファ、つまりアーシアの参戦に合わせ、急遽人が泊まれる施設に改装したのだという。
当然ながら、その際にはオーファがどんな人物であるかなど知る由もなく、完成した宿舎はサスファウトの美的感覚からすれば何とも不本意な、野暮ったい出来となってしまった。オーファが若い女性だと事前に知っていれば、もっと気の利いた建物に仕上げたものを──と、サスファウトは悔やんでいた。
「いいえ、十分立派で素敵な建物です。どうもありがとう」
そう言って、にっこりと笑うアーシア。その笑顔に微笑で答えてから、サスファウトは軽く頭を下げ、「それでは明朝までゆっくりとお休み下さい」と言って、この場を去った。
アーシアが改めて宿舎を見ると、急ごしらえと言う割にはしっかりしており、また見た目についても考えられて造られている印象を覚えた。非常時だとわかっていたし、お洒落な建物に泊まるつもりはなかったが、サスファウトは自分のために最後まで改装の手間を惜しまないでくれたのかもしれない。
「あのぉ~。アーシア様」
不意に背後から声をかける者があった。何者かと思って振り向くと、いつの間に近づいたのか、そこにはすこぶる落ち込んだ様子のトマが突っ立っていた。
「あら……トマじゃない。……あなた、まだいたの?」
「ひ、ひどい……」
トマは涙目になりかけている。
「あの……僕、ローセルムの役人だけど、軍の関係者じゃないから、いつまでもここにいては駄目だって言われちゃったんですよ」
哀切を醸しながら語るトマ。
「ふーん。まあ、そういうこともあるでしょうね。地方のしがない事務係官じゃ、こういう時には無力な民間人と大差ないもの」
「……(何か棘があるんだけど)で、でもですね、僕はアーシア様の戦ってるお姿がどうしても見たいんですよ! ここに残れる、いいアイデア、ないものでしょうか?」
「……これまた、そう言われてもねえ。空でのドンパチになるわけでしょう。船に乗せてもらえなければ見れないし。乗船許可なんて到底下りないだろうし」
「そうですよね……ここに残れたとしても、船に乗れなきゃどうにもならないですよね」
盛大に肩を落とすトマを見ては、さすがに気の毒に思えた。アーシアは彼にしてあげられることがないかを考えてみた。
(そうね。私から頼めば、トマも軍艦に乗せてもらえるかもしれないわね)
だが、そうはいっても考えものである。もし乗船している艦船が撃墜されたら、その時は生存の望みはほとんどない。トマを危険に巻き込みたくはなかった。
「うーん。乗船は、やはりムリでしょうね。立場的に」
「……じゃあ、せめてここに居座って、最後まで戦いを見届けたいんですけど」
「あなた、よくそこまでしようと思うわね……」
やはりこの男は変わっている。私に対するその情熱は一体なんなの。
「そうだなあ……だったら、この陣地のそばで過ごしたらどうかしら?」
「へっ、陣地の外で、ですか……?」
きょとん、とするトマ。
「ええ、テントでも張ってさ。それなら許してもらえるんじゃないかな。まあ、この辺りで野宿なんてしたら戦いに巻き込まれて死ぬ恐れもあるけど、今回は空戦だから多分大丈夫でしょう。多分」
「……あの、アーシアさま?」
「ああ、でも今のあなたくらいの覚悟があるならば死んだって構わないか──」
「もしもーし、聞こえてますかー?」
「そうそう。ここにいて爆撃に巻き込まれる可能性はかなり大きいわね。うーん、どのみち死ぬわよね。うん、あなた確実にあの世行きだわ。悪い事は言わないから、ここに留まるのはやめときなさい」
有無を言わさぬ一方的な展開から、トマの目先にビシッと人差し指を突き出すアーシアなのであった。
(うっ、ううっ、何ですか、何なのですか、この感じは。僕の扱いがあっという間にぞんざいになった気がしてならぬのですが)
本当のところはトマを戦場から遠ざけたいと願うアーシアの優しさから出た言動だったりわけだが、トマは思いっきり勘違いをしてしまった。性格がほとんど真逆なので噛み合わないのはいたし方あるまい。ましてや知り合って間もない間柄では、相互理解も不足している。
「いいえッ! 僕はもう決めています。やはり、この陣地の近くで過ごします。軍関係者に許可を貰って」
何だかんだで、トマはすまし顔だ。アーシアが思っていたよりもずっと決意が固いようだ。
「ちょっと待った。あなたローセルムの役人でしょう。お役所仕事はどうするのよ?」
「こちらの方が重要です! なんせ、この一戦に国の命運がかかっているんですから!」
拳を握り、力説するトマ。
(あなたが何かをするわけじゃないでしょう……)
そんな風に突っ込みたかったが、あまり苛めるのもかわいそうなので言うのはやめておいた。
* * *
夜が深まっても、なかなか寝付けない。アーシアは宿舎の外へ出て気分を変えることにした。
「オーファ様、どちらへ行かれるのですか?」
すぐさま、宿舎の警備に当たっていた衛兵に声を掛けられた。
「少し、風に当たりたいだけよ。ちょっとくらいいいでしょう?」
「なるべく早くお戻り下さい」
(……余計なお世話よ。放っておいて頂戴)
ツン、と鼻先を背けてそこを離れる。帝国側の配慮で置かれた警備は思っていた以上に邪魔だった。しかも監視されている感じがして、あまり気分が良いものではない。若干気分を害されたが、気を取り直して幕営地をぶらぶら歩くと、座るのにちょうどいい高さと大きさの石があった。
「嵐の前の静けさかしらね」
アーシアはその石に腰をおろして、夜空を見上げた。薄雲の向こうに月の影が滲んでいる。面紗を被った花嫁のように。
この気味悪いくらいの静寂。本当に戦争の前なのだろうか、と思う。軍艦の係留地点から遠く離れているため、戦闘準備や整備の音すらしない。時々、傍に立っている松明のトーチがパチパチと音を立てるくらいだ。吹きゆく風がアーシアの頬を掠めたが、それはとても優しかった。さらにしばらくの間、何も考えない贅沢な時間を過ごした。
「アーシア殿、ここにおられましたか」
そう口にしながら現れたのは、正面ゲートでアーシアを迎え入れてくれたあの青年将軍。即ち煌翼神騎士団のサスファウトであった。
「衛兵が貴女が外出したと報告しに来たので、今までお探ししておりました。眠れませんか?」
「ええ、何だか落ち着かなくて。こんなこと滅多にないのですけれど」
サスファウトはアーシアの隣、彼女が作ったスペースに腰を下ろした。
「将軍、貴方はどうなのですか? そういうことはありますか?」
その問いを耳に受けながら、将軍は遠くの夜空を眺める。
「いいえ、私は何度も戦を経験していますから、そういうことはありません」
まだ若いけれども実戦経験豊富なサスファウト。戦役の際には先帝ベルギュントと共に戦場を駆け抜けたこともある。
「眠れないわけではないですが、こうやって巡視しているのが自然と落ち着きます。僅かでも戦場の空気が感じられますからね。軍人とはそういうものです」
「そういうものなのですか……。こんなにも静かな夜なのに」
「静かだからこそ、ですよ。戦いとは本来、静寂の中にこそあるものだと思いませんか? 静けさに身を委ねれば、私の心中に音無き音が響くのです。──孤独のしじまにたゆたう汝、姿なき真実にこそ戦い挑めよ、と──」
「まあ。将軍は詩がとてもお上手ですね。────でも貴方は、戦いの指揮をしなければならないお方。見回りよりも、やはり体を休めた方がよろしいのでは?」
目を伏せたまま、サスファウトは首を左右に振った。
「今回は大規模な空戦となります。陸軍の騎士である私は蚊帳の外ですよ」
「そうなのですか。では、今回の戦いの、空軍の指揮はどなたが執られるのですか?」
「新たに提督に任命された人物が、空軍の全指揮を執ることになります。……これが少し、いやかなり問題の多い人物なのですが」
「……?」
そうこうしている時である。
「サスファウト様! ……サスファウト様ッ!」
叫び声が静寂を裂く。一人の兵士が駆け寄ってきた。
「なんだ、騒々しい。がなり声など上げるな」
「も、申し訳ありません。つい……」
「反省は後にして、用件を申せ」
「はい。……実はオーファ様の関係者と名乗るご老人が陣の入り口にやってきたので、ご指示を仰ぎに参りました」
その知らせに、アーシアはすこぶる驚いた。
「それって、もしかして……!」
急報に耳にして陣地の正面入り口に向かうと、案の定、そこにはクエインの姿があった。
「お、おじい様! どうしてここに……?」
「なあに、久しぶりに血が騒いでのう。カカカカカッ!」
高らかに笑うクエイン。
(むむ。アーシア殿のご祖父だろうか。ずいぶん溌剌としたご老人だな)
意外な訪問者に目をやりながら、サスファウトはj胸中でそう呟いた。
「サスファウト将軍、この人は私の祖父で、クエインと申します。よろしければ、迎え入れて下さいませんか。祖父はとても物知りですし、私よりも優れていますから、きっとお力になれると思います」
サスファウトの目を見つめながら懇願するアーシア。それは、嘘を語っているような顔ではなかった。
「そうですか……わかりました。アーシア殿の頼みを無下にするわけにはいきますまい。どうぞ中にお入りください」
さして逡巡することもなく、サスファウトはクエインを迎え入れた。
「ありがとうございます、将軍」
相手の厚意に対し、アーシアは頭を下げた。
「ただし、ご承知の通り我が軍は現在出撃準備中です。ご不便が生じるものとお考えください。宿舎も同じまま、お二人ご一緒でお願いします。宜しいですね」
「ええ、もちろんです。それで構わないわ(トマ、ごめんね)」
一連の受け答えが交わされている間。慧眼なクエインはさりげなく、サスファウトの人物像を探っていた。
(ふうむ、なるほどな。これがナーバ元帥の片腕とされる人物か。まだ若いが……)
トラシェルム帝国の成立後に誕生した精鋭集団『煌翼神騎士団』。その騎士団を統べるのがこのサスファウトということだ。
外見は剛毅には程遠い細身で優顔の青年だが、双眸には研ぎ澄まされた鋭気と気迫を宿している。人物の眼光を見て相手を見抜く才能に長けたクエインはこの時、外柔内剛とは彼のためにある言葉に違いない、と思った。
「では、おふた方。もう夜もだいぶ遅いことですし、宿舎にお戻りください。我々がクエイン殿のお話を伺うのは明日でも宜しいでしょう」
アーシアとクエインはその指示に従って宿舎に向かった。
* * *
宿舎に篭り、寝支度をしていたその最中のこと。
「ねえ、おじい様。どうやってここまで来たの? 街から結構な距離があったけど」
アーシアがクエインに尋ねた。
「偶然、カルフィノ・ファリの近くに客船が停まったものでの。それに乗ってビューンとやって来たんじゃよ。始めはおぬしを追って帝都に向かうつもりだったが、気が変わって、こっちで待とうと思った。結果的には正解だったわい。わしの勘も、まだまだ鈍っておらんな。ほほっ」
地面に碇を撃ち込んで係留できる魔晶航空船は停泊に特別な施設が不要なので、旅客用の臨時便などが何もない場所に停泊していることはよくある。
「出発する時、わしは絶対に行かんぞい、なんて言ってたのに……」
「なに、カルフィノ・ファリでの暮らしがずっと平和だったからな、おぬしにとっては久しぶりの実戦じゃろう。何となく心配になってきたんじゃよ」
途端に、アーシアの顔色が変わった。
「どうして? 訓練は毎日欠かさずしているし、腕はなまってないわよ。それに、今までだって危険な戦いはたくさんあったわ。それに比べたら──」
往年の冒険生活。その中で苦楽を共にしてきたクエインに改まって心配されるのが、アーシアには納得がいかないのである。
(おじい様は一体、何を心配しているのかしら。私とリシュがどれだけ多くの戦いを、多種多様な艱難辛苦を潜り抜け成長してきたかを、一番よく知っているのに)といった心境である。
「いやな……今度の相手は他でもない、『人間』だからのう。今まで戦ってきた、魔物なんかとはだいぶ勝手が違うものでな」
「大丈夫よ、おじい様。私だってわかってる。これが戦争だってこと。それくらい、わかっている。人間相手だからって手を抜いたりはしないわ。そう、どんな汚名を着させられようともね──」
「うむ、確かに優しさが仇になることもある。……が、わしが言いたいのは、それだけではない。もっと心配なのは、お前がたまにやるような無茶を起こさないかということじゃよ」
「もうっ、またそれなの? 大丈夫だってば。自分の弱点くらい心得ているから」
「心得ていても、対処できねば話にならん。お前は大人になってもまだ未熟なところがある」
いつもは非常に機転が利く怜悧な娘だ。そんな彼女の弱点が露呈する原因、それは自分に関する分析や感情の制御がやや未熟なところである。自分をコントロールできなくて、熱くなって無謀とさえ思える打開策や危険と隣り合わせの行動に打って出る傾向が見受けられる。クエインが案じているのは常にその部分である。
「ううーむ。……よし、決めたぞ。わしも船に乗せてもらうことにする」
「ふえええっ! 何でよっ!」
横になろうとしたアーシアは思わず飛び起きた。
「言うまでもない。お前に注意を促すためじゃ。わしがいればそう無茶もできんはずだからな」
「何なに。そんなので、私にプレッシャーをかけるつもりなの? ……おじい様って本当に意地悪ね!」
口を尖がらせて相手を非難したあとは、不貞寝まじりで再び横になった。クエインはそんなアーシアをしばらくの間見つめた。
(まあ、リシュラナがサポートしてくれれば、今回も大丈夫だろう。しかし、いやはや、大人になっても心配な娘だこと)
その心配な娘が寝息を立て始めた。これ以上あれこれ考えていても仕方がないので、クエインも眠りにつくことにした。