ある学者の手記
導入部として新しく設けた第一話です。手記スタイルで、時代背景や世界の構造、用語の説明などを語る回にしてみました。飛ばしていただいても問題ないとは思いますが、本編との関係が少しだけあったりします。
──(前略)──
高度に発展した古代文明を終焉に導いた忌まわしき災厄、それが『クァタナル・デフィリースド』である。深き混沌より生まれし『邪なるもの』が破壊の爪にて大地を引き裂き、混沌という名の顎を開いて大空を呑み込み、繁栄を極めていた旧世界を滅ぼした、古の出来事。世界全体の構造と原理を容赦なく組み変え、秩序と均衡を崩壊させ、神によって授けられた力と母なる大地を人間から奪い去った、全ての元凶──。
非常に抽象的ではあるが、以上がおよそ五千年前に起こったといわれている終焉『クァタナル・デフィリースド』についての伝承部分であり、同時に私が知りうる全てである。
まず、書かせていただきたい。このようなことを旧世界の研究者である自分の立場で書くのは無念であることこの上ないのだが、終焉について「ほとんど何もわかっていない」という見解でほぼ間違いないと思う。
残念ながら私を含めた学者の誰もが、終焉の真相を語ることが出来ないのだ。そういうものなのだから仕方がない、などと無責任に開き直るつもりは毛頭ないが、これは動かしようのない事実であることをあらかじめ断っておきたい。
まず第一に、現代に残されている伝承記録の信憑性がそもそも疑わしいものだ。
私は終焉についてのみならず、旧世界の謎多き歴史の全体像について、それを解明する糸口の発見に尽力してきた。が、参考になる文献資料はほぼ皆無と言ってもいいくらいだ。有益な情報はどこを掘っても得られず、運よく発見され導き出された説が清新で見識めいたものであったとしても、それはよくて推論ないし仮説、悪ければ「作り話に尾びれがついたもの」程度にしかならない。自分の考察が真実だと訴えたくても、明確な証拠を提示することが出来ないのだ。
例えば『終焉』で何が起きたのか。発生原因は諸説あるが、真実は不明である。我々がこの答えを明確に示すことは極めて困難────いや、事実上不可能だろう。
クァタナル・デフィリースドのことだけではない。我々には『何か』が原因で終焉を迎えたであろう旧世界とその末期、所謂ロスト・エラ以前の世界がいかなるもので、どのような歴史を歩んだのか、それを知る術が残されてはいないのだ。
我々の真実究明を妨げる要因となったものの一つが、人間の全て(私は、大部分の人間が、ではないかと主張している。でなければ辻褄が合わない部分が出てくるためだ)が、終焉と共に訪れたとされる『黄昏の刻』の影響で変異し、終焉以前の記憶を喪失したことであるといわれている。
さらには、あの禍々しい飽和層『キャニノゥ』である。あの紫色の雲によって、旧世界以前の重要な、歴史的で史料的価値を持った文献資料や遺物、遺構の類が、我々の住む世界と切り離されてしまったのだ。そのせいで、今の我々には当時の歴史を知るための手段が極僅かにしか残されていないのである。
──さて。終焉に関しての話は、もうこの位でいいだろう。これ以上わからぬことをあれこれ夢想し書き綴っても詮無きことだろうし、読む側にも耐えがたき苦痛になると思う。それよりも、今の世界がどのようなものであるかを、後世のためここに記しておきたいと思う。
現在の世界、我々が生きる『煌天新世界シーレ』は、その名が示すとおり、とても美しい空の世界だ。空の世界ではない世界、というのもなかなか想像ができないものであるが、本来、この世界には大地と海が存在していたという。旧世界の終焉の時に、それらが失われたのだ。
広大な空と、浮遊する無数の陸塊だけの世界になってしまってから、人間達は生き延びることを考え、旧世界の科学を研究し、空を飛ぶ船を発明することで、この世界が有する制限を自分達にとっての利点に変えた。人間は空を自由にを行き来する術を得て、閉鎖的世界を見事に克服した。
やがて、人間はまだ見ぬ空域、浮遊島、大陸を求め、空と言う大海原へ進出していった。思えば、この時代の人間が欲に目を眩ませたことが、現在の世界が抱える重大な問題の発端だったのではないだろうか。
煌天世界の資源には限りがある。エネルギーの源になる魔晶石などは人工的に製造する技術があるため特には困らないが、食料や木材や鉱物資源、それに水源など、生きていくために必要な資源は、大国はもちろん領土に恵まれない貧しい国ならばなおさら、是が非でも獲得したいと思うのは当然のことだ。
そして時代は、ごく自然に争いを欲していったのである。愚かなことだが、平和的共存と言う考え方はこの世界では生存の意思を放棄するに等しい。どの国の民衆も生き残りたいと思っているし、そのためには力が必要だと考えている。こうなってくると、旧世界のテクノロジーも違った目で見られるようになる。つまり、兵器としての利用だ。
空を飛ぶ船、魔晶航空船はいつしか戦争の道具になっていた。軍艦には旧世界の技術である機械のテクノロジーが応用され、魔晶エネルギーを利用した兵器などという、まことに下らない代物が開発されている。平和に活用すれば役に立つはずの技術が、人間の智恵と欲望によって次々に軍事転用されているのだ。実に愚かく、また嘆かわしいことだ。こんなことを続けていては、この世界は再び滅びを迎えないとも限らない。
学者の中には、クァタナル・デフィリースドが発生した原因が古代文明の軍事テクノロジーが強大になりすぎたことにあり、それを用いた破壊行為の応酬によって滅亡したのだと、そう提唱する者もあるのだ。
かく言う私も、その可能性を信じている一派のひとりだ。伝承にある『邪なるもの』が、戦争にまつわる何かではないかという説は近年、有力である。
さて、話を元に戻そう。現在のシーレには血生臭い争いが蔓延している。そして、今の時代を恨めしく思い、平穏な暮らしを求める人間は大勢いる。戦禍は拡大するばかりで、沈静化する兆しはない。やがては大国同士が衝突する時代が到来するだろうが、恐らく誰も幸せにはならないだろう。
私は些〈いささ〉か歳をとりすぎたし、出来ることはほとんど残されていない。シーレの未来を任せられるような有望な若者が、どこかにいないだろうかと思っている。
さて、そろそろこの手記を終わらせるのにいい頃合のようだ。
我ながらずいぶんと長い歳月、この手記を書き続けてきたものだと思う。これまでに費やした紙数とインクの量は半端なものではないが、個々の項をまとめて一冊の本にするつもりでいる。私が残す記録と知識が、未来の子孫たちの役に立つことを願ってやまない。
そして、この世界の行く末に『煌天の世界』の名に恥じぬような、明るい未来が待っていることを祈りつつ、ここに筆をおきたいと思う。
────ハスキュアン国立古代文明研究所主任 ヘルヴァエ・ユルシュ・パズドーア
大事なことを書き忘れたので追記する。
私は、このハスキュアンを去るつもりだ。去る、といっても穏便な形ではなく、研究所秘蔵のある品を奪って逃亡するつもりでいる。
正直、古代テクノロジーの兵器利用を推し進めようとするこの国のやり方に嫌気がさした。行く当てがあるわけではないが、私の所持する貴重な古書、古代遺物の類はしばらくの間友人に預け、世界各地を巡りたいと思っている。
最近大荒れのトラシェルム大陸にでも渡って、戦役の実情やリ・デルテア王国の本質を探るのも悪くはないだろう。戦好きなベルギュント王はともかく、切れ者と評判の宰相ロシオウラならば、あるいは私の意見を聞いてくれるかもしれない。果てして、彼にメナスト・テクノロジー平和利用についての理解があるかどうか。甚だ疑問だが、会って話をするだけの価値はあるはずだ。