六
「全く。どいつもこいつも、肝試しが好きな奴ばかりだとは」
不機嫌なレイの声が、ルージャの耳を圧迫する。半分以上、レイはルージャに対して怒っているように感じるのは、気のせいだろうか?
「その結果がどうなるかも知らないで」
大の男五人に囲まれて脅されたのだから、仕方無いだろう。ライラも、守る必要があったし。そう、言いそうになるのを何とか堪えて、肩を聳やかして歩くレイの背中を見やる。ルージャがどんなことを言っても、「お前が弱いからだ」で片付けられそうな気がするし、ルージャ自身、内心自分のことが情けなく思えてきていた。
ルージャと、件の騎士隊長に率いられた騎士達が廃城に侵入したのは、二日前の夕方。その時に侵入口の穴に落ちた騎士は、何故か、副都のゴミ捨て場で、全身打撲の状態で見つかった。よく分からないことを喚いて走り去っていった騎士は、廃城の外の平原を、正気を破壊された状態で彷徨っているところを保護された。そして。見つけた財宝を抱えて副都に戻った筈の騎士隊長は、次の日の朝から行方不明になっていた。
今朝、ルージャとライラがレイに見たのは、心底うんざりした面持ち。行方不明になった騎士隊長と一緒に居たという目撃情報がどこからか垂れ込まれたらしく、ルージャはレイにこってりと絞られ、しかも今も、野宿を伴う野外探索に必要な食料や装備などを一人で持たされている。
「手掛かりが何も無いのだから、闇雲に探すしかないか」
そう言いながらレイがルージャ達を連れて向かったのは、副都近くの林だった。
「ここが一番、誰からも発見され難い所だからな」
掠われたのなら掠われたなりに、正気を失って何処かを彷徨い歩いているのなら彷徨い歩くなりに、誰かからの目撃情報がある筈だ。副都にも、その周りにも、人は大勢住んでいるのだから。その情報が無いということは、騎士隊長は人が居ないところ、すなわち廃城か、何故か人が近づくことのないこの林にいるに違いない。それがレイの推測。
副都の近くにあるこの林に入るのは、ルージャは勿論初めてである。林なのだから、ルージャ達がかつて暮らしていた山の中の森のように、役に立つ動物や植物がたくさんあり、副都やその周辺に住んでいる人々がその資源を活用していても良いはずだと、林に入る前は思っていた。だが、今は。
「静かね」
小さな声で、ライラが呟く。ライラの声が震えていることに気付き、ルージャは両手の荷物を片手に移してからライラの手を握った。
ライラの言う通り、確かにここは、静か過ぎる。夏は終わった筈なのに、未だに青々とした下草に覆われた地面。その地面からただ生えているだけの細い木々。風が吹いている筈なのに、木々も草も揺れることなく、ただ静かに佇んでいるだけ。そして、レイとルージャとライラ以外、生きて動いているものは何も、無い。虫さえも、居ないのだ。
「ここは、『時が止まった場所』と言われている」
ルージャ達の疑問に答えるように、前を歩いたままのレイが振り向かずに呟く。
「何故ですか?」
しかし、ルージャの次の疑問には、レイは黙ったままだった。
辺りが薄暗くなったので、とりあえず、林内の小さな空間に野宿の準備をする。
「ほら、さっさと薪を拾って火を熾して」
野宿の準備をするのも、何故かルージャのみ。傍の木に背中を預けたレイは、ただ指示するだけ。幾ら何でもこれは、ルージャへの罰としても酷過ぎるのではないか? ルージャはそう思ったが、やはり、黙っていた。
一方、レイは、ライラには優しかった。
「水を汲んでおいで、ライラ。近くに泉があったの、覚えているだろう?」
ルージャが持ってきた荷物から手桶を出して、ライラににこりと笑う。
「水を汲んだら、水浴びをすると良い。汗をかいたままでは気持ち悪いだろう」
ライラがにっこりと笑って、小さく頷くのを、ルージャは焦燥と共に見ていた。
レイは、ライラに優しい。ライラは可愛いから、優しくしたいとルージャも自然に思う。だが、レイのライラに対する優しさは度が過ぎているように、ルージャには思えた。まさか。副都に案内された時に感じたのと同じ、怒りに似た感情を、レイに抱く。レイは、ライラをルージャから奪おうとしているのだろうか。いやいや。ルージャは慌てて首を横に振った。ライラは、誰のものでもない。ライラが誰を選ぶのかは、ライラ自身が決めること。ルージャには、……何も言えない。
「ほら、早く夕食の準備」
ぼうっとしているところを、レイにどやされる。
しかし、ルージャの思考は、夕食の時も、眠る為に横になった時も、同じ所をぐるぐると回っていた。ライラは俺のものだと、はっきり言いたい。しかしそれを言ってしまうと、ライラは、ルージャを軽蔑するだろう。それは、嫌だ。
ぐるぐると回る感情に、水の音が混じる。雨、か? はっとして起き上がったルージャは、焚き火の向こう側で眠っていたはずのレイの姿が見えないことに気付いた。ライラは、ルージャの近くで軽い寝息を立てている。では、レイは、……何処に消えた? まさか、今日は遭遇しなかったのですっかり忘れていたが、『悪しきモノ』に掠われたのか?
近くに置いておいた短刀を握りしめ、音の方へと急ぐ。だが、水音のした方、泉がある場所の傍で、ルージャの身体は動かなくなった。
微かな月明かりが、泉と、泉で水浴びをしているレイの仄白い裸身を浮かび上がらせる。レイの左肩にある黒々とした痣は、ライラの左肩にある痣と同じもの。そして。レイの両胸は、ライラよりも大きく膨らんでいた。
「お……」
無意識に、呟く。
次の瞬間。飛びかかって来た冷たく濡れたものに、ルージャの身体は為す術もなく冷えた地面に押しつけられた。
「見たな!」
ルージャの瞳に、目を吊り上げたレイの顔が大写しになる。
「私の秘密を知った者を、生かしておくわけには……」
レイの両手が、ルージャの首に掛かる。
「レイ?」
だが、レイの手がルージャの首を締め付ける前に、ライラの声が、救いのようにルージャの耳に響いた。
「レイ?」
驚きで目を大きく見開いているライラが、木々の間に見える。レイは諦めたように目を伏せると、ルージャの身体の上から退いた。
「しばらく向こうを向いていてくれないか?」
ぶっきらぼうに、ルージャにそう指示する。起き上がったルージャは、ライラの立つ場所へ向かった。
「レイ、って」
「ああ」
ライラの問いに、首を縦に振る。男の人だと思っていたレイは、女性だった。
しばらくそのままでいた二人の前に、服をきちんと着たレイが現れる。制服をきちんと着たレイは、どう見ても、大柄な男性にしか見えなかった。しかし、肩の痣も、胸の膨らみも、幻ではない。
「話しておくよ」
泉の傍の木に背中を預け、レイが座り込む。ルージャとライラはレイの傍に座り、呟くようなレイの告白を聞いた。
副都を支配するレイの父は、『統一の獅子王』レーヴェの血を引いていることが自慢だった。そして、父が若い時に即位した現在の獅子王に飽き足らぬものを感じていた。自分なら、もっと良い政治を行い、新しき国をますます富ませることができるのに。しかし獅子王の血を引くが、獅子王の証である『左肩の獅子の痣』を持たない自分は、王にはなれない。だがしかし、自分の息子に、獅子の痣を持つ者が生まれるかもしれない。そうなれば、自分が実権を握ることができる。そう思い、レイの父は奥方に多くの子を産ませた。しかし、残念なことに、獅子の痣を持って生まれたのは、レイチェルと名付けられたレイと、末の妹の二人だけ。諦められないレイの父は、レイを男児として育て、性別を偽ったままレイを王にしようとした。だが、蔑んでいたはずの獅子王の治世は、父が納得するほどの賢政だった。偽って娘を王にするよりも、もう一人の娘を王あるいは王子の正室にし、その息子に希望を託した方が賢明だ。そう判断したレイの父は、レイを見捨てた。
レイの告白に、怒りを感じ、そっと身動ぎしてレイから離れる。ルージャのその行為に、レイは嘲るような笑みを浮かべた。
眠れぬまま、朝を迎える。
頭が痛くて起き上がったルージャは、木々の向こうから聞こえる微かな叫び声にはっと耳を欹てた。
「誰か、居るな」
飛び起きたレイが、剣を手にして声の方へ向かう。ルージャも短刀を手に取ると、起き上がったライラに木剣を渡してレイの後を追った。
「こいつは」
しばらくして、レイが立ち止まる。レイの足下にいたのは、四つん這いになって咆哮を上げる人間。すっかり泥と血で汚れてはいるが、白と青の、新しき国の騎士の制服を着ていることが、ルージャにもはっきり分かった。金の縁取りのあるマントを身に着けていることも。……件の、騎士隊長だ。
飛び下がりながら、レイが剣を抜く。騎士隊長の背が、泥と血以外のもので黒く汚れていることを、ルージャは認めた。
不意に、騎士隊長が大きく伸びる。飛びかかって来た騎士隊長をレイは何とか躱した。だがバランスを崩したレイの身体は、地面に横様に倒れてしまう。そのレイの上に、騎士隊長は素早くのし掛かった。
「レイ!」
どうして良いのか、分からない。ルージャは不覚にも、その場に固まってしまった。
と。
「レイ!」
聞き知った声と共に、空間が揺れる。いつの間にか、ラウドがレイの身体から騎士隊長を引き剥がし、その身体を遠くに投げ捨てていた。
「我が血と力で以て、彼を鎮めよ」
ラウドの剣が、一閃する。それまで唸り声を上げていた騎士隊長は一瞬にして地面に伸びた。
「あ、ありがとう、ラウド」
やっと呪縛が解けたルージャは、ラウドに向かって頭を下げた。
「このくらい」
「まだだ」
だが。ラウドの言葉に、レイの緊迫した声が被る。
「あそこに」
レイが指さす方向を見て、ルージャはあっと声を上げた。
木々の間に、黒っぽい小さな影が四体。地面からふわりと浮かんで佇んでいるのが、見える。前に見た『悪しきモノ』とは違う形だが、これも『悪しきモノ』なのだろうか。
「ああ、これは違う」
起き上がり、剣を構え直したレイの肩を、ラウドがぽんと叩く。そしてそのまま、ラウドは四体の影の方へ向かうと、その影を四体全てぎゅっと抱きしめた。
「怖かっただろう。ごめんよ。俺に力が足りないばっかりに」
ラウドの言葉に、腕の中の影が震え、そして消えていくのを、ルージャは呆然と見詰めていた。
「これで、良いのだろうか?」
ラウドの呟きが、静かな森を駆け巡る。
この場所は、新しき国が『古き国』を滅ぼした際、城から逃げた女王の幼い妹達が獅子王自身によって惨殺された場所。その悲劇の為に、森は時を止めた。未来を知っていても、過去を変えることはできない。ラウドは吐き捨てるようにそう、言った。
ラウドの言葉に、胸が冷たくなるのを感じる。首を斬られ、焼かれた伯母の遺体を思い出し、ルージャはぎゅっと目を閉じた。ルージャも、何もできないまま、後悔だけを胸にして生きていかなければならないのだろうか? いや、そんなのは、嫌だ。
不意に、ルージャの肩を、ラウドが叩く。
「大丈夫。俺も、おまえも」
ラウドの言葉に、ルージャはこくんと頷いた。
そして。
「久しぶりだね、レイ」
ラウドが、親しげにレイに声を掛ける。しかしレイはラウドから顔を逸らした。
「何時になったら機嫌直してくれるのかな」
諦めたように、ラウドがそう、口にする。次の瞬間、現れた時と同じく唐突に、ラウドの姿は消えた。
そして。思い出したように、森の草木が、風に煽られて音を出す。
「……行くぞ」
レイがそう言って、歩き出したのは、ラウドが消えてしばらく経ってからだった。
「あの」
虚勢を張ったような、その背中に、思わず声を投げる。
「レイは、ラウドを知って……」
「それ以上言うな!」
しかし、勇気を振り絞ったルージャの質問は、突きつけられた剣の切っ先に黙らされてしまった。