二
「あれが、副都だ」
住み慣れた山腹の集落から離れ、レイが麓の村で雇った無蓋の馬車に乗り込んで二日目のこと。御者席に座るレイが示した街道の先に、そそり立つ峻険な岩山と、その麓にこぢんまりと盛り上がっている茶色の塊が見えた。
「ここからだと、まだ小さいがな」
副都というものがどういうもので何処にあるのかすら分からず、遠くを見据えて首を傾げたルージャに、横に乗っていたレイの部下の一人が笑う。
「その内びっくりするぜ」
その騎士の言う通り、副都に近付くにつれ、茶色の塊はどんどん大きくなり、傍に来た時にはルージャの背の何倍もの高さのある石造の城壁になっていた。
「この中に何万人もの人が住んでいる」
副都の城壁の中に入ってしまえば、野原をうろつく盗賊や悪さをする者なんかは入って来れないからな。安全なんだ。次々と発せられる騎士達の言葉を、ただ呆然と聞く。しかし。ふと、副都の裏にある岩山が目に入り、ルージャは思わず首を傾げた。副都の裏に、峻険な岩山に囲まれた平地があるのが、街道から少しだけ見えた。平地への入り口を副都が塞いでいる格好になっている。城のようなものも見えたその平地に街を作れば、岩山が城壁の代わりをするだろうからこのように高い城壁を作る必要は無いのに。しかし、ルージャがその疑問を口にする前に、馬車は城壁に設けられた小さな門を通り、灰色の壁が立ち並ぶ一角にある両開きの木の扉の前に止まった。
「ここが、私の騎士団宿舎だ」
そう言いながら、レイが馬車を降りようとするライラに手を貸す。誰の手も借りずひらりと飛び降りたルージャがライラの手を取ると、レイは二人を宿舎の中へ押し入れ、扉の向こう、吹き抜けになっている玄関ホールで出迎えた眼帯の老人の前に立たせた。
「爺、新しい騎士見習いだ」
そしてライラの手を取ると、レイはライラだけを玄関ホールの奥にある扉の方へと連れて行った。
「婦人の着替えを覗くのは失礼に当たる」
そのライラの後に付いて行こうとしたルージャの腕を、『爺』と呼ばれた老人が意外に強い力で掴む。老人はルージャの腕を掴んだまま、手近の戸を開いた。
灰色の家屋に囲まれた中庭を突っ切って、老人はルージャを井戸へと案内する。
「騎士は清潔であることが必須だ。身体を洗え」
静かな、それでいて有無を言わせぬ言葉に、ルージャは頷くしか無かった。
ルージャが井戸の水を被り、老人から貰ったタオルで全身を拭いている間に、老人が服を一式持ってくる。新しき国の見習い騎士が着るという青色のチュニックも青色の脚絆も、ルージャには少し大き過ぎた。
「すぐに大きくなるだろう」
しかし老人は意に介さず、ルージャに青色のダブレット(キルト地で作られた前開きの上着)と剣帯、そして白色の短いマントを渡した。
「剣は持っているようだから、後は短刀と、……何か得意な武器はあるか?」
「弓を、習っていた」
父の後ろ姿が脳裏をちらつき、喉が詰まる。黙って木剣を剣帯で吊るしている間に、老人は一張りの短弓と矢が沢山入った矢筒を持って来た。
「とりあえず、これで良いだろう」
そしてルージャを促し、再び家屋の中に入る。次に案内されたのは、二階に並ぶ部屋の一つだった。
「ユーイン、アルバ、いるか?」
そう言いながら、爺はノックも無しに部屋の扉を開ける。部屋の中に居たのは、青色のチュニックを身に着けた大柄な男と小柄な男。
「でかい方がアルバ、小さい方がユーイン」
簡潔に、老人が男達を紹介する。
「どちらも、レイ様が預かっている見習い騎士だ。仲良くしろよ」
そう言ってから、老人はルージャを部屋に入れて去って行った。
「あんた、新しい見習い騎士か?」
すぐに声を掛けてきたのは、ユーインという名の小柄な男の方。
「あ、はい。ルージャと言います」
父に教わった通り、ルージャは短く頭を下げた。
「俺はユーイン、細剣が武器だ。あっちのでかいのがアルバ、大剣を振り回すのが得意だ。無口だから何も言われなくても気にするんじゃないぜ」
「よろしく」
ユーインの言葉通り、アルバは座っていた窓際のベッドから立ち上がって少しだけ頭を下げると、再び自分のベッドに座った。しかしルージャのことを邪険にはしていない雰囲気だ。
「ここは一応三人部屋だから、そこのベッドを使いな。荷物入れる長櫃はベッドの右のやつな」
ユーインが指し示す、扉のすぐ近くに設えられている綺麗に整えられたベッドの上に、ルージャは腕に抱えていた武器や服を置いた。
「疲れているだろうけど、もうそろそろ飯だから片付けたら降りて来いよ」
そう言って、ユーインとアルバは部屋から出て行った。
一人残ったルージャは、ほっと息を吐くと、ベッドに腰をかけた。と同時に、思い出したのは、ライラのこと。レイの、ライラに対する馴れ馴れしさが気になる。何も無ければ良いのだけれど。そこまで考えて、急に心がざわめく。ルージャは大急ぎで立ち上がり、部屋を出た。宿舎は中庭を囲むように建っているので、廊下も中庭を巡るように設えられている。二階には人の居る気配が無かったので、ルージャは階段を見つけ下に降りてみた。……いた! 玄関ホールの奥にある部屋で、レイと談笑している。
「あ、ルージャ」
部屋に入って来たルージャを見て、ライラがにこりと笑う。
「綺麗な色のチュニックね。似合ってる」
ライラに言われて、着心地の悪かった服の調子が良くなったようにルージャは感じた。
ライラが身に着けているのは、首元と胴回りをきっちりと詰めた青色のローブと、ルージャと同じ白色の短いマント。魔法を伯母に習っていたライラらしい服装だ。ルージャは何故かライラを眩しく感じた。
「胸元は、開いていた方が今風なんだけど」
不意に耳に入ってきたレイの声に、ムッとする。
「ライラは、きっちりの方が良いと言うから」
ライラの左肩に大きな痣があることは、今ではルージャだけが知っている秘密。レイは、それを見たのだろうか? いや、口ぶりからするとおそらく見ていないし、痣のことを恥ずかしがっているライラがレイに積極的に話すとは思えない。しかし油断は禁物だ。何故かそんなことを考えながら、ルージャはレイを睨むように見詰めた。
「さて、見習い騎士達の仕度もできたし、御飯にしますか」
しかしレイは、ルージャの視線など何とも思っていないらしい。二人を見詰めてにこりと笑うと、食堂はこっちだよと中庭の向こうを指差した。