十二
見つけた地下道は、砦からずっと北の方へ離れた洞窟へと繋がっていた。
「ここからだと、副都へは背後の谷から入った方が早いな」
別行動を取るエル達と別れ、レイの指示通りの道を進む。人里離れた暮らしが長かった所為で、ルージャもライラもリヒトも大陸の地理には強くない。だから、レイに従う他無いのだが、それでも、心配がないのは、レイへの信頼が回復したから、とルージャは思っている。
そして。
「あの橋を渡れば、廃城の裏に着く」
ルージャ達は何とか、追っ手に会わずに廃城の裏手、峻険な谷を刻む小川に掛かる小さな橋の傍まで辿り着いた。
「渡るか?」
物陰に隠れたルージャ達に、レイが問う。
時は、夜。月明かりが小さな吊り橋を煌々と照らしている。月の光があるから渡りやすそうに見えるが、追っ手が現れた時の狙われやすさも倍増している。それでも、早く隠れられるところに行った方が良いだろう。それが、ルージャの本音。だから。レイの言葉に、ルージャは無言で首を縦に振ると、ライラに向かって右手を差し出した。
「行こう」
ルージャの言葉に、ライラがこくんと頷いてルージャの右手を握る。ライラの手の温かさにほっとしつつ、ルージャは月明かりの中に歩を進めた。
吊り橋は思ったよりも細く、少し動いただけでゆらゆらと揺れる。足下のすぐ横に川の白い流れが見えて、ルージャの心臓は縮み上がった。だが、ライラに、自分の怯えを見せるわけにはいかない。少しずつ冷たくなるライラの手をぎゅっと握ると、ルージャはしかし慎重に歩を進めた。ライラを、落とすわけにはいかない。
ルージャとライラの後ろには、少し及び腰のリヒトと平然としたレイがいる。その後ろを何気なく見て、瞳に映った人影に、ルージャの全身は総毛立った。
「レイ、後ろ!」
そう言って、土砂降りの雨の中をライラの手を引いて走る。そのルージャの背後から、多くの者が放つ叫び声が迫って来た。こんな急に、追っ手が。何故? そこまで考えたルージャの足が、濡れた橋桁に滑った。
「わっ」
バランスを崩し、横滑りする。だが、橋から落ちる前に、ルージャの左手は強い力に引っ張られた。
「気をつけろ!」
聞こえる筈の無い声色に耳を疑う。ルージャの腕を引っ張り、橋から地面に飛ばすように下ろしてくれたのは、確かに、……ラウドだった。
「リヒトもレイも、早く」
そしてルージャと同じように、ラウドはリヒトの腕を掴むと対岸の地面へと下ろす。そしてレイが橋を渡り終えるや否や、ラウドは橋の片端に立ち、緩慢にも見える動作で吊り橋を支えるロープを剣で切り落とした。
「ラウド!」
思わず、叫ぶ。ラウドは、橋を渡ってくる新しき国の敵兵達を、橋を落とすことによって全滅させようとしている。ラウド自身の身の危険も、顧みずに。
させない! ルージャはライラの手を離すと、支えるものを失って煽られるロープの一つを掴み、両足で崖に突出する岩の一つに足場を確保しながら、もう片方の手で橋と共に落ちていくラウドの剣を持っていない方の手首をしっかりと、掴んだ。
「ルージャ!」
崖上と崖下から、声が上がる。雨の所為で、手が滑る。ルージャはありったけの力を込めて、ロープとラウドの手首を握った。
「離せっ! ルージャっ!」
崖下からの声が、耳を打つ。
「お前も一緒に落ちる!」
幸い、明かりが乏しいので喚くラウドの顔は見えない。答えの代わりに、ルージャはラウドの手首を更に強く握った。
と。不意に、ロープを持っていた方の手が緩む。あっと思うまもなく、ロープを持っていた方の手が宙を掻いた。だが次の瞬間。その手を、細く冷たい手が掴む。
「大丈夫か?」
レイの声に、ルージャは胸を撫で下ろした。
「レイ、まで……」
ラウドの溜息が、風に乗って聞こえてくる。
「ライラ、リヒト、風の魔法を使えるか?」
次のラウドの言葉に、ルージャは今度は心底ほっとした。
「竜巻系のヤツで、持ち上げてくれ」
リヒトの魔法で、ラウドをルージャごと持ち上げ、固い地面に下ろす。とりあえず、ラウドが無事で良かった。そう、胸を撫で下ろすルージャの襟を、ラウドはいきなり片手で締め上げた。
「このっ、バカっ!」
ルージャの鼻先に、ラウドの鼻が当たる。ルージャを見詰めるラウドの瞳は、怒りで燃え上がっていた。
「過去を変えたら、ライラもレイもおまえも消えるんだぞっ!」
ラウドの言葉で、ようやく、ルージャは自分達が過去に居ることに気付いた。ラウドが無謀な作戦を敢行し、『統一の獅子王』に殺される、その時に。それでも。いや、それならばなおのこと。ライラも大切だが、恩人であるラウドを、見殺しにはできない。
「ラウドに、いや誰にも、死んで欲しくない」
ラウドを、睨み返す。
「それが俺の我が儘でも、構わない。諦めたくないんだ」
睨み合ったまま、時が流れる。先に目を反らしたのは、ラウドだった。
「だ、だが、しかし」
躊躇う声が、響く。ルージャは確かめるように、後ろを振り向き、そしてラウドの襟元をぎゅっと掴んで引き寄せた。
「見ろよ。あんたを助けても、俺もライラもレイもリヒトも消えていない」
ルージャを見詰めるラウドの口から細い息が漏れるのが、確かに、聞こえた。
その時。
「ラウド様!」
雨が上がり、少しだけ明るくなった崖上の道から、甲高い声が上がる。岩場の間から緋色の服を着た少年が現れるなり、ラウドとルージャに向かって短槍を構えた。
「あ、新しき国の兵士達! ら、ラウド様にそれ以上無礼を働くと、許しませんよ」
従者らしきこの少年、何を言っているのだろう? 思わず、首を傾げる。しかしレイの服に目を留め、ルージャはすぐに納得した。レイは、白色のチュニックに青色のマント、完全に新しき国の騎士の格好をしている。怪我をして着ていた服を汚してしまったルージャは、貰い物の緋色の服に元々の白のマントを羽織っている。ライラの服装も青のローブに白のマントだから、見ただけでは新しき国の兵士達がラウドを襲っているように見えるだろう。
「あ、こいつらは味方、だから」
従者の少年の思考にルージャより先に気付いたラウドが、ルージャのマントを留めている銀色の留め金を引っ張って少年に見せる。そういえば、この従者を前に見たことがある。ラウドが「アリ」と呼んでいた、男装の従者だ。ルージャがそれを思い出すより先に。
「ラウド様!」
アリが手槍を投げ捨てるなり、ラウドの胸元へ飛び込む。
「えっく、えっく、ラウド、様、心配、しました。勝手に、無謀なことをして、勝手に、私を置いて、死んでしまうんではないかと」
彼女の言葉に、ラウドは気まずそうに顔を上げ、ルージャの方を見た。どうすればよいか分からない、ある意味情けない顔をしたラウドに、思わず吹き出す。しかし味方はできない。無謀にも命を投げだそうとし、アリを泣かせてしまったのは、ラウドなのだから。
「あらあら、泣かしてしまいましたね」
ルージャ以外の三人もそう思っているらしい。あくまで冷静に、リヒトが呟く。
「それでもご立派な騎士さんなんだろうかねぇ」
ルージャも、助けを求めるラウドを、軽蔑した目でじっと見つめた。
「あー、もう、わーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーった!」
皆のその想いに、折れたのはラウドの方。
「分かったからそんな目で見ないでくれ!」
ラウドはふっと肩を落とすと、まだラウドの胸で泣いているアリの頭を撫でてから、諦めたように言った。
「何とかしましょう。みんなの命を、助ける為に」
そして少し唸ってから、再びルージャ達の方を見る。
「とりあえず、城に戻るか」
濡れた服を着替えたいしな。ラウドの言葉に、ルージャはふっと笑った。
アリの先導で、城の裏手から城内の『狼』騎士団長の部屋へ入る。
着替えを探す為に隣の詰所へ向かったアリと女の子達の姿が見えなくなってから、ラウドは濡れた制服をあっさり脱いで部屋の奥に置かれている櫃を開けた。
「ほら、下履きと下着」
うら若き乙女達に男の下着を探させるわけにはいかないからな。そう言いながら、ラウドは櫃の中に入っていた白い衣服をルージャとリヒトに渡す。
「新しいものを常備しておいて良かったよ」
ラウドの持ち物らしい下着は、ルージャには小さ過ぎ、リヒトには大き過ぎた。
「ま、そこら辺はしばらく我慢して貰って」
不意にラウドが、下着姿のまま二人の前に立つ。
「女王の宝物、持っているな」
「あ、はい」
慌てて、脱ぎ散らかした衣服の下になっていた木剣を取り出す。リヒトの方は、王冠をきちんと騎士団長用の机の上に置いていた。
「うん、なら良い」
そういって、ラウドは再び衣服を入れてあるらしい櫃の方へと向かった。
ラウドの、何か吹っ切れたような明るさに、不安を感じてしまう。冷静になって考えると、やはり、ラウドを助けて過去を変えたことは間違っていたのではないだろうか? そう考えたから、というわけではないのだが。
「ラウド」
探し出した上着を着ているラウドに、尋ねる。
「怒って、ないか?」
「はい?」
ルージャの言葉に、ラウドは心底驚いた顔をした。
「助けたのは、おまえだろ?」
「うん、それは、そう、なんだけど」
言い淀むルージャの前に、着替え終わったラウドが立つ。ラウドは、ルージャの顔をじっと見詰めると、ルージャの、雨の所為で更にもじゃもじゃになってしまった髪を更にぐしゃぐしゃにした。
「昔、殺したいほど憎い奴がいた、って話をしたよな」
顔を上げると、ラウドが笑っているのが見える。
「そいつに殺されなくなって良かったと、ほっとしてるよ」
ラウドの言葉より、その心底清々しく見える姿に、ルージャはほっと息を吐いた。
「着替え終わりました」
丁度良く、古き国の騎士団の制服を着たアリとライラとレイが入ってくる。アリが急いで直したのか、それとも丁度良い大きさの服があったのか、ライラもレイもぴったりと背丈に合った服を着ていた。ライラは緋色のローブに黒のマント。レイは緋色のダブレットに黒の脚絆と黒の短いマント。
「ルージャさんとリヒトさんの着替えも持って来ました」
アリから手渡されたのは、ラウドやレイが着ているのと同じ形の緋色のダブレットと黒の脚絆。二人がそれを身に着けている間に、ラウドはライラに尋ねた。
「女王の首飾りは、まだ持っているよね」
ライラが頷いたのが、見える。
ライラの答えに満足したラウドは、まだルージャが着替えているというのに「じゃ、行くよ」と皆を促した。
ラウドを先頭に、上階の謁見の間に行く。
謁見の間にいたのは、女王と、おそらく女王の妹達であろう怯えた顔の幼い少女達に囲まれたラウドの異母妹ロッタ、そして心配そうに顔を歪めたラウドの実妹リディア。
「ラウド! 何故?」
「砦にいたんじゃ?」
「新しき国の兵士達と戦って行方不明になったと」
現れたラウドに、三人の女性が叫ぶ。
「このルージャが、ちょっと無茶をしましてね」
リディアとロッタ、二人の妹に両脇を挟まれたラウドは、それでもあくまで冷静に、女王に向かって言葉を紡いだ。
「それに。……悲劇を減らす策を、考えついたので」
そう言って、ラウドはルージャ、ライラ、リヒトを女王の前に押し出した。
「今、この場所に『女王の宝物』は二組あります」
『古き国』の女王の『証』となり、『悪しきモノ』を滅ぼす力を持つ騎士達を叙任する為に必要な『女王の宝物』とは、『古き国』を創った初代の女王が持っていた王冠、剣、首飾りのこと。その三つの宝物はどのような魔法を使っても複製できず、それ故に、置いて逃げることができないもの。
「でも、二組あれば、片方を置いて逃げても問題は無いわけです」
置き去りにされた片方を、新しき国の王である獅子王レーヴェが見つければ、彼はその宝物を再生ができないほどに破壊し、それで目的は果たしたと満足するだろう。例え後世に『女王の力を持つ者』が出てきたとしても、女王であることを証明し、『悪しきモノ』を滅ぼす力を持つ騎士を叙任する為の宝物が無いのだから。
「なるほど」
「確かに」
ラウドの言葉に、リディアが目を丸くし、女王がにっこりと微笑む。
「みんな、逃げなくても助かるのね」
ロッタがほっとしたように呟き、少女達をぎゅっと抱き締めたのが見えた。
女王が徐に、身に着けていた宝物を外す。そしてその宝物三つ全てを玉座に置くと、女王はひらりとラウドの前に降り立った。
「それならば、……妾も生きていて良いのじゃな」
「はい」
ラウドが頷くと、女王は微笑みを浮かべたまま静かに床に膝をつき、床の一部分をそっと撫でた。すぐに、かつてルージャとライラが地上に出る為に上ってきたのと同じ螺旋階段が現れる。
「ラウド、先導を務めよ」
女王の命令に、ラウドは腰を屈めて了承する。そしてラウドは、従者であるアリの方へその小さな手を差し出した。
「おいで、アリ」
幸せそうな笑みを浮かべたアリと一緒に、ラウドが地下へ消える。
その様子を、ルージャは晴れやかに見詰めて、いた。




