十
騎士団の宿舎は、一晩で変わり果てるほど荒らされていた。
「これは、酷い」
荒らされる前の状態を知らない、ルージャ達に付いてきたリヒトが、ルージャの後ろから部屋を覗き込んで息を吐く。リヒトの言う通り、応接室も、食堂も、ルージャやライラの部屋も、これでもかというほどにめちゃくちゃに荒らされていた。そして。宿舎中を探しても、レイの姿が、何処にも見当たらない。この宿舎で働いていた賄いの小母さんと、レイの従者である爺の姿も、だ。
「……これは?」
レイの部屋で、リヒトが小さく光るものを拾う。レイの持ち物とは到底思えない小さな宝石箱の傍に落ちていたのは、黒く汚れた、何処かで見たことがあるような、楕円形の留め金。
「ルージャ、ライラも!」
甲高い声に、振り向く。賄いの小母さんが、ライラの身体をその太い腕でぎゅっと抱き締めたのが、見えた。
「あんた達は無事だったんだね」
全く、いきなり押し入ってきて、あちこち荒らすんだよ。あのジェイリという獅子王の三男は、礼儀ってもんを知らないねぇ。涙ぐみながら捲し立てる小母さんにルージャはそっと、尋ねた。
「あの、レイ、は」
「ああ」
ルージャの問いに、小母さんはしゃくり上げると再びライラを抱き締めた。
「王都に連れて行かれたよ。『謀反人を匿った』とかと言われて」
捕らえられたレイは、ジェイリが寝泊まりしている副都の宮殿に連れて行かれた。その宮殿はレイの父がジェイリに明け渡したもので、中で働いている人々はレイの父の頃と変わらなかったので、レイの乳母である小母さんは、伝を辿れば酷いことをされずにレイを解放できると思い、レイの従者と共に宮殿へと向かった。元々レイに掛けられた嫌疑には無理があるのだから。そう思っていたにも拘わらず、画策は失敗し、そして早朝、ジェイリは荷台の上に檻を載せた馬車と共に王都へと向かった。震える声で、小母さんはそう、告げた。
賄いの小母さんの言葉に、背筋がすっと寒くなる。ライラの顔も青ざめていることが、ルージャには見て取れた。おそらく、『女王の力』を持つライラのことを吐かせる為に、ジェイリはレイを連れ去ったのだ。それならば。
「小母さん!」
ライラを抱き締めたままおいおいと泣く小母さんの腕を、ぎゅっと掴む。
「俺達が、レイを助けにいきます」
「え」
ルージャの言葉に、小母さんはぽかんとしてライラを放す。そのライラも、小母さんの腕を掴んで言った。
「レイ、私達の所為で連れて行かれたんです。だから、私達が助けないと」
ライラの言葉に、まだ内容を掴めていない顔をしたまま、小母さんはこくんと頷いた。
「無茶は、しないでおくれよ」
「勿論です」
レイは、かつてルージャを助けてくれた、ルージャにとっては大切な人の一人だ。その人を『諦める』わけには、いかない。だから。ルージャは心配顔の小母さんに向かって、できるだけ強く頷いた。
「……まだ、追いつかない」
無蓋の馬車を操りながら、小声で呟く。
新しき国の第三王子ジェイリに連れ去られたレイを助ける為に、一頭立ての馬車を借りて、街道を北西に向かっている途中。しかし、レイが連れ去られたのとルージャ達が宿舎に戻ってきたのには一晩しか差が無い筈なのに、一日馬車を走らせても、レイを連行する集団らしきものの影すら、ルージャ達には見えなかった。
「彼らも、馬で移動している筈なのに?」
逞しいが穏やかに身体を揺らす馬の背を見ながら、考える。
「馬の速度が違うのでは?」
荷台からのリヒトの、ある意味冷静な声に、ルージャははっと我に返った。レイを護送する為にジェイリ達が利用しているのは、おそらく四頭立ての馬車だろう。馬も悍馬を揃えているに違いない。それならば、馬力が違うのだから、今ルージャが操っている一頭立ての馬車よりは格段に速い。ジェイリ達が乗っているのも良馬に違いないのだから、彼らに追いつけないのも当たり前だ。ルージャは思わず天を仰いだ。ルージャ達も同じものを借りれば良かったのだが、四頭立ての馬車を使えるのは貴族だけ。平民の見習い騎士であるルージャには無理な相談。それに、馬車の操り方は、ルージャの知識にはない。唯一何とか操れたのが、この大人しい馬が引く、一頭立ての小さな無蓋馬車。
「追いつかなくても、良いんじゃないかな?」
王都に護送するのだから、ジェイリ達はレイを殺す予定はない。レイが知っていると予想される「陰謀」を拷問によって吐き出させる予定なのだろう。街道よりも王都の方が、レイを助ける手立てを色々取り易い。何故そこまで冷静にものを考えることができるのか、リヒトの声は揺るぎがなかった。
「そう、だね」
自分を納得させるように、それだけ、口にする。
荷台にいるはずのもう一人、ライラは、何も喋らない。おそらく揺れる馬車に酔ってしまったのだろう。そう思い、振り向いたルージャは、女王の証である木剣を抱えたままぺたりと座り込んでいるライラの横顔の蒼さに、はっと胸を突かれた。ライラの顔色の悪さは、自分を責めている印。
ルージャ自身、レイが理不尽に捕らえられたことに、責任を感じていないわけではない。ルージャが、『古き国』の騎士であるラウドと歩いていたこと。そしてライラの『女王』としての力。その為に、ルージャとライラを拾い騎士として育てていたレイは「新しき国を転覆せんと企む輩」だという濡れ衣を着せられているのだから。だから、ライラの為にも、レイは必ず無事に助け出さなければ。ルージャは一人こくんと頷くと、再び前を向いて手綱を振るった。
と。風を切る音に、身を竦める。ルージャの頭皮ギリギリを掠めたものが矢であると気付いた瞬間、ルージャは手綱を振る前に怒鳴った。
「伏せろっ!」
おそらく、街道で旅人を狙う盗賊だろう。見えた赤色の人影に、そう、見当を付ける。こんな時に。しかも、ライラとリヒト以外何も乗っていないこの馬車を狙うなんて、馬鹿だ。しかし捕まるわけにはいかない。幸い、相手は徒歩だ。馬車を急かせば振り切れる。そう思った矢先。
「はいごめんよ」
御者席のルージャの隣に、赤い服を着た大柄な影がぬっと座る。あっと思う間も無く、ルージャは太い腕に羽交い締めにされ、手綱を奪われた馬車は簡単に止まった。
「ルージャ!」
ライラの声に、顔を上げる。いつの間にか、ライラもリヒトも、乗り込んできた二人の赤い服の破落戸達に羽交い締めにされていた。
「さて、新しき国の見習い騎士さん達よぅ」
ルージャを押さえつけていた大男が、にやりと笑う。
「おまえさん達に恨みはないが、身包み全て置いていってもらおうか。抵抗しなけりゃ命は取らない」
ここは、大人しく従うしかないか。悔しさと共にそう、決断する。今の優先事項は「レイを助ける」こと。それさえできれば。
と。ルージャに掛かっていた重みが、不意に外れる。戸惑うルージャの横を、緋色と黒の影が通り過ぎた。……ラウド、だ。次の瞬間、ルージャは腰の短刀を抜くと、突然の事態に身体が固まっている御者席の後ろの二人の破落戸に飛びかかった。
「よくもっ!」
ライラとリヒトから破落戸達を引き剥がすと同時に、光が走る。リヒトの魔法で、ライラとリヒトを捕まえていた破落戸二人は馬車から転がり落ち、地面の上で伸びてしまった。そして。
「『古き国』の騎士の格好で盗賊行為とは、良い度胸だな」
ルージャを羽交い締めにしていた大柄な破落戸は、彼の半分以下の体格しかないラウドに襟を締め付けられ、呻き声を発していた。
「しかも『狼』の騎士団長印まで付けているとは」
凄みの利いたラウドの声に、はたと気付く。ラウドが掴んでいる破落戸が着ているのは、ラウドや他の『古き国』の騎士達が身に着けている、赤色のダブレットと黒の脚絆。襟元で短いマントを留めているのも、彼らが身に着けている銀の椿の留め金と、ラウドが身に着けているものと同じ金の狼の留め金である。まさか、この者達が、副都の噂に上り、レイを連れ去る誤解の一つとなった、奴らなのか?
「あ、あの、そ、それは。……ばあちゃんが、その」
破落戸が吐き出した言葉に、ラウドの手が緩む。その隙に逃げだそうとした男は、しかしすぐにまたラウドによって襟を締め上げられた。
「……祖母?」
案内しろ。ラウドはそう言って、男の襟元を放す。観念したのか、男は街道脇の森の方へ顔を向けると、森の向こうを指さした。
その男に付いて行くように、ラウドが歩き出す。
「ラウド」
そのラウドの服を、ルージャは強く引っ張った。
「逢っておきたい。それだけだ」
それに。ルージャの心の怒りと葛藤を知っているのか、ラウドはしっかりとした声で囁いた。
「レイの件で、彼らの協力が得られるかもしれない」
「盗賊の、味方なんて」
「味方は多い方が良い。今の時点では」
ラウドの言葉に、リヒトとライラが大きく頷くのが見える。そうだ。レイが捕まったのは、半分は彼らの盗賊行為が原因としても、もう半分はルージャとライラ、そしてラウドにあるのだ。ルージャは何とか気持ちを飲み下すと、馬車を操り、盗賊の後に付いて行くラウドの後にのろのろと付いて行った。
ルージャ達が辿り着いたのは、森の中にある小さな集落。
その集落の外れにある大きな家から張り出されたテラスの、安楽椅子を揺らしている小さな影の傍で、破落戸の男は立ち止まった。
「ばあちゃん」
男は屈んで、安楽椅子の影にそっと声をかける。
「ばあちゃんに会いたいって人が」
次の瞬間。安楽椅子の小さな影が、ぱっと起き上がる。
「ラウド様!」
今にもラウドに飛びかかりそうな小柄な老婆を、ラウドはそっと安楽椅子に戻した。
「久しぶりだね、メアリ」
確か最後に逢ったときは、まだ騎士見習いの兄達の傍を駆け回って邪険にされていた子供だったっけ。ラウドの言葉に、メアリと呼ばれた老婆はほろほろと涙を流す。
「あいつ、本当にばあちゃんが言っていた『伝説の団長』なのか?」
いつの間にかルージャの横に来ていた男が、ルージャに向かって当惑げに尋ねてきた。
「ああ」
短く、ルージャが答える。
「すげぇや!」
ルージャの答えに、男は――エルという名前らしい――感嘆の声を上げた。
古き国に仕えていた騎士達が新しき国の侵攻を逃れ、森の奥に作ったこの集落で、エルは祖母が話す『古き国』の騎士達の物語を聞いて育った。そして長ずると、祖母が作ってくれた『古き国』の騎士の制服を着て、徒党を組むようになった。銀の椿の留め金と、金の狼の留め金は、祖母からその形を聞いて自分で作ったもの。そして、街道を通行する新しき国の騎士達や、新しき国の見習い騎士の制服を身に着けたルージャ達を襲ったのは、『古き国』を滅ぼした新しき国に、漠然とした怒りを抱いていた為。
「そう」
やっとそれだけ、口にする。と、すると、大本の責任はラウドにある、のか。半ば諦めと共に、ルージャはふっと息を吐いた。
「これは、仕方ないね」
リヒトの言葉に、今度は素直に頷いた。
そこへ、老婆との短い話を済ませたラウドがやってくる。
「もう夕方だから、泊まるところを探そう」
エル達の、新しき国の騎士達に対する攻撃の件があるから、『古き国』の騎士の制服を着ているラウドはここに泊まるわけにはいかない。泊まって、あらぬ疑いが老婆とこの集落にかかってはいけない。ラウドははっきりと、そう言った。
「レイの件は、明日考える」
そしてラウドは、驚くべきことを口にした。
「第三王子、だったか? そいつは王都に行っていない」
何故? ルージャがそう口にする前に、エルが丁寧口調で答えた。
「ジェイリ、ですか? 彼の領地なら、この近くです」
「あ、確か、そうでしたね。書物にも、そう書かれていました」
続いて、今まで黙っていたリヒトも、ラウドの言葉に同調する。
「ならば、レイはおそらくそこにいる」
確かめる必要は、あるが。ラウドの言葉は、はっきりと、ルージャの耳に響いた。何故、そう断定するのだろう? 思わずラウドを疑念の目で見つめる。
「『昼頃、森の中を、黒い覆いの馬車を守るような格好の騎馬隊が、森の中を走っているのを、エルの友達が見ている』。メアリがそう言っていた」
しかしラウドの次の言葉に、ルージャは頷かずにはいられなかった。ここはジェイリの領地に近いということ、そして黒い覆いの馬車。レイがジェイリの領地に連れ去られたことを推測するには、十分だ。
「ばあちゃん、いや祖母には、起こったことを何でも話しているのです」
ラウドに話すエルの言葉も、ルージャを納得させるに十分だった。
「仲間に話して、確かめてみます」
「頼む」
エルの言葉に、ラウドがにっこりと笑って頷く。その笑いが、ルージャにはかなり悔しかった。
その夜は、エルが勝手に住み着いている、街道から外れた丘の上にひっそりと建つ廃砦に泊まることになった。
「ライラ、メアリから頼まれたことがあるんだけど」
案外小綺麗な広間に設えられた、藁の上に綺麗な布を敷いた上に落ち着いたライラに、ラウドが静かに言う。
「『出来損ないの孫だが、彼とその仲間達を古き国の騎士として認めて欲しい』って」
ラウドの言葉に、目を丸くするライラ。しかしすぐに、ライラはこくんと頷いた。
「ありがとう。すぐにみんなを集めよう」
しばらくすると、この小さな砦に何人住んでいるのだとルージャが驚くほどにたくさんの、赤いダブレットを身に着けた者達が広間に集まってきた。男もいれば、女もいる。皆、様々な理由から普通に暮らせなくなった者達だと、エルがラウドに話しているのが聞こえた。
リヒトから王冠を、ルージャから木剣を受け取ったライラが、赤い石の首飾りを身に着ける。その前に最初に現れたのは、エル。
「エル、あなたは騎士になって何がしたいの?」
跪いたエルの右肩に木剣の切っ先を置いたライラが、優しく尋ねる。
「俺は、……ラウドみたいになりたい」
「おいおい」
戸惑うラウドの声に、ライラの優しい笑い声が被る。
「分かった。頑張ってね」
凛とした、それでいて優しい笑顔のまま、ライラは次々と、自分の前に跪く者達の騎士叙任を行う。
その様子を、ルージャは何故か沈んだ心で見守って、いた。
眠れずに、砦の中庭に佇む。
考えるのは、やはり、自分の至らなさ。
ライラは、既に、女王としての『風格』と呼べるものを身に着けている。夕方の騎士叙任の儀式で、ルージャは確かにそう感じた。ライラがずっと遠くに行ってしまったような気がする、その感覚と共に。
そして。今回も的確な判断をして、ルージャ達を救ってくれたラウドに比べて、自分はどうだ。情けないくらい成長していないではないか。ルージャはイライラと、足下の草を蹴った。自分は、ライラを守ることができない。騎士としての素質がないのではないか? 泣きそうなほどの悔しさが、ルージャの心を噛んでいた。
「……ここにいたのか」
不意に、カンテラの明かりが目に入る。まぶしさに目を細めると、明かりの向こうに大柄な影が見えた。エルだ。よく見ると、エルの背中に小柄な影がある。
「ばあちゃんが、話したいことがあるって」
そう言って、エルはルージャの横に老婆を下ろした。
見知らぬ老婆が、ルージャに何の話を? 首を傾げつつ、座り込んだ老婆の横に座る。老婆はルージャの顔をじっと見つめると、ラウドに逢ったときと同じようにほろほろと涙を零した。
「やはり、あなたはルイス様の……。良く似ていらっしゃる」
ラウドの異父弟の名を、老婆が呟く。
「噂通り、ルイス様は、女王の血を引く者を守っていたのですね。自分の長子を、アリア様の娘に付けて、子々孫々まで守るよう言いつけて」
始祖であるルイスの言葉通り、ルイスの長子とその子供達は、アリア(アリ)が生んだ娘とその子供達を守る為に大陸中を彷徨い、人目を避けて暮らしていると風の噂で聞いた。老婆は囁くように、そう、言う。確かに、ルージャの父親と伯父伯母は、山奥に人目を避けるように暮らしていた。その理由は、ライラが女王の血を引いていると、知っていたから。そして、新しき国の騎士達の格好をした者達に襲われた、無残に殺された理由も。
その時、ふと、気付く。確か、あの時、ルージャ達を襲った騎士達の背後には、『悪しきモノ』のような黒い影がべったりと付いていた。まさかとは思うが、『悪しきモノ』が、彼らを滅ぼす力を持つ『古き国』の騎士達を任命できる『女王』となることができるライラを殺す為に、新しき国の騎士達を利用してルージャ達の棲む場所を襲ったのではないだろうか? きっとそうに違いない。
「本当は、若いあなたをこんなことで縛ってはいけないんだと思うけど」
不意に、老婆が言い淀む。
「あなたも、ルイス様の血を引く者。だから『古き国』の宿命には抗えない」
「大丈夫です」
老婆に、大きく頷く。ライラを守ることは、ルージャ自身が決意したこと。自分には、ラウドのような判断力も、リヒトのような知識も、エルのような体力も無い。それでも、ライラを守りたい。その気持ちだけは、誰にも負けない。
「あなたに会えて良かった。新しい女王にも」
老婆の言葉に、ルージャはもう一度こくんと頷いた。