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08.酷薄な笑みの婚約者



トゥインガは部屋にこもり、思案に明け暮れていた。

先代皇帝とのおそらく愛のなかった政略結婚よりも、

愛のあった父との駆け落ちの方がきっと母も幸せだったに違いないと(かんが)みる。

例え貧しい暮らしでも、支え合って生きてきた父と母。

二人は幸せだったはずだ。

娘の自分がそう感じるのだから間違ってはいないだろう。

自分ももしそういう境遇に置かれたなら、確実に後者を選ぶだろうとは思う。



(――私も素敵な王子様に連れ去ってほしい……)



再び脳裏を占めるあの顔に疲弊した少女は、「あり得ないわ」と吐き捨てて追い払う。 

こんな気持ちでいるのは自分らしくない。

部屋に戻る途中で見つけた傀儡(かいらい)の騎士が手にしていた偽物の槍を拝借すると、

突然「ハァッ! ハァッ!」と前後に跳ぶ素振りを繰り出した。

そこへ運悪く、お付きとなった侍女のガーネがノックをして扉を開けて、

カートに昼食を載せて入って来た。



「一体何を……なさっているのですか?」 



普段から(かたく)なな侍女の面差しは、更に硬質化している。



「気分転換よ。あなたもやってみる? 気分爽快よ」

 


つけ加えて仇討ちのため――とはさすがに漏らせず、敢えて妥当な理由を告げた。



「結構です。女性に、ましてや皇女様にそんなものは必要ありません」

 


改めて「皇女様」などと口にされると自分のことだと気付くのに遅れ、

ついでにあまりの不釣り合いさに気も抜けてしまう。

自分が皇女というやんごとなき身分であることに違和感を感じていると、

「これは没収です」と言って、偽物の槍は取り上げられた。



「いかなる時も、おしとやかであらせられますよう、お心に留め置き下さいませ」



無表情でいさめるガーネは、トゥインガより二つ三つは年上だろうが、

それ以上に老けて――否、妙に大人びて見えるのは、

やはり年頃の少女らしくない強張った顔つきのせいによるものだろう。

そして彼女が今ここへやって来たのも、食事と食事作法の指導を兼ねてのことらしい。 



「ねぇ、食事くらい自由に食べさせてよ」 



幾らやっても無駄なのにと、駄々をこねて口を尖らせると、



「駄目です。おやつのチョコレートケーキを抜きにしますよ」



と、にべもなく返された。

それだけは嫌だった。

セッツェン城に来て初めて食べた苦甘い魅惑的な味に、彼女はほだされている。



(侍女まで何て拷問! どこまでも隙のない卑劣なセッツェン!)




***




始末されるのではなく政略結婚の道具となるべくセッツェンへ連れて来られた少女は、

ここでも夜になると女神の来訪にたびたび遭遇していた。

羊皮紙ではない上質な白い紙――()じられたまっさらなページに書き記す。


『バラム暦五八四年 一月二十八日 十一の刻 

 セッツェン城三階 トゥインガ自室に女神現る。

 本日の素振り得物なしで百回完遂。打倒――』 

 

その続きを書こうとして、握っていた羽ペンがふと止まる。 



(もう会えないんじゃ書いても意味ないじゃないの……でも――)



だからこそ、敢えてその名を記す。祈りにも似た想いで、『オルハー』と……。

こうしてここで観察し続けること三ヶ月、

女神ジブエは月に十度はトゥインガの寝室に出現していた。

何を語るでもなく、リーゲル邸に現れていた時のように、

僅かな間突っ立っては(はかな)い泡の如く消えていく。

一体何のために、何を伝えたくて出て来るのかその謎は深まるばかり。

以前より変わった点は、

その出現回数がリーゲル邸にいた時分よりも俄然増えていたこと。

紙のように白く整った顔も、日に日に悲哀に満ちた面差しへ――。



「何を訴えたいの女神様? 

 どうしてそんなに悲しいお顔をするのか、私でよければ教えて……」

 


女神の力になりたかった。

それでも女神は、表情一つ変えず、いつしか霧のように消えていく……。

絶望的な既にどうでもいい結婚相手の情報以上に、

女神ジブエや父母のことをトゥインガは知りたかった。

しかし父と母については、帝国の資料からは記録が抹消されていて、

ただ名前が残っているのみだと知り愕然とした。

父母を知る重臣たちに話を訊きたくても、おそらくは禁句とされているのであろう。

父母の名を出した直後、

誰もが顔をしかめて口を堅く引き結ぶ――悲しいがそれが現実だった。

ジブエに関しては、伝承が僅かに残されているものの、火を司る女神ということと、

かつてのエルード女子修道院などジブエを祀った数々の修道院や教会の名前が、

列挙されているのみであった。

セッツェンに於ける信仰などの蔵書、歴史書、古文書を一通り眺めたが、

あくまでもジブエ自身を知りたいトゥインガの興味を引く記載は見当たらなかった。

大半を占める権力を誇示する領土の記録はどうでもよかった。

贅沢を言わせてもらえば、

ジブエの想像図の一つでもいいから描かれていてほしかった。


皇帝と姉のことも気になった。

依然、素顔もさることながら(いま)だろくな会話すらしていない。

自分に姉がいたというのも、実際はブローニアのことを指していたのかもわからない。

――が、それでは全く知らされていなかった兄の存在はどうなるのか。

ガインだけ無視を決め込むのはおかしな話だ。

しかもトゥインガが自由に動き回れる城の行動範囲は決められていて、

ガインとブローニアに自由に会うことさえ許されなかった。

興味本位で城を歩き回り、余計な詮索でもしようものなら、

その時こそ命の保証はないだろう。

城から一歩たりとも出るなと釘も刺されている。

お姫様のように優雅な城の暮らしを夢見ていたが、殊の外、

昔の貧しかった暮らしの方がよかったことを彼女は思い知らされた。

でも、もう帰る家はどこにもない。

いっそ父母の眠る墓地の(かたわ)らで暮らそうかと考えてもみたが、

それ以前にこの城から逃げ出すことすらままならない。

脱走壁もあるというオルハルトみたいに、自分は器用ではないのだ。



(それにあの魔法師――……)



リーゲル邸を破壊し父を絶命に追いやった張本人、銀髪のシグネ。

憎くても憎み切れない彼の行動は大方、皇帝命令によるものであろう。

ならば、憎むべき矛先はガイン皇帝なのだ。

無論ガインも憎いが、

それでも一向に憎しみは魔法師(アウド)の方へ傾けられている。



「あの『アウド』と呼ぶ魔法師は何者なの? 何が目的でセッツェンにいるの? 

 ただいいように使われているだけ? ――それとも逆に皇帝を操っているの……?」

 


疑念を抱き(いぶか)しげに呟くと、

何かの気配を背後に感じて刹那に背筋を凍らせた。



「――呼んだか、娘」


「!」



即座に後ろを顧みると、うっそりと嗤笑(ししょう)を滲ませるシグネがそこにいた。

魔法師(アウド)とは得てして薄気味悪いもの、

という先入観を粟立つ彼女にすっかり植えつけてしまっていた。



「呼んでないわ! 勝手に入って来ないで! しかも嫁入り前の娘の部屋に!」



燭台が一つだけの深夜のほの暗い寝室の中で、

悠然と笑む得体の知れない男は嘲笑する。



「小娘なんぞには興味はないが、手に入れるためには詮無いことだ」


「――手に入れるって、一体何をよ!?」



嫌悪感をいっぱいに顔面に貼り付けたトゥインガの表情が一段と強張った。



(まさか……セッツェンを!?)



酷薄な笑みをのぞかせるこの男は、

リーゲル邸のようにセッツェンをも崩壊に導く、

もしくは乗っ取るつもりでいるのだろうか。

無遠慮に壊すことで強引に何かを手に入れるように――。

おぞましさのあまり、恐怖心を堪えて睥睨(へいげい)する。

すると、口端を(ゆが)ませたシグネは、

トゥインガに詰め寄るなり彼女の(あご)を上へ向かせ、

睦言のように甘くささやきかけた。



「お前の婚約者が誰なのか教えてやろうか……? ――私だよ」


「!」



頭の中が真っ白になる。あり得なかった。

信じたくなかった。

この男だけは許せなかった。

この男に嫁ぐくらいなら、死を選ぶ――!



「それだけは絶対イヤッ!」



憤慨し、(かぶり)を振って顎にかけられた忌々しいその手を振り払う。



「嘘よ! 

 そんなくだらない脅しで私をからかったって、そうはいかないんだから!」

 


愉悦(ゆえつ)する魔法師は、くつくつと笑っていた。



(――馬鹿にしてるっ!)



怒り心頭のトゥインガ。

きっと(もてあそ)んでいるに違いないのだ。

そうであってほしい。

この男が婚約者であるなどという戯言(たわごと)が嘘であると、

(あお)りには屈したくなかった。

だがシグネは他人の心を読むのか、先ほどと同様、トゥインガへと言い返す。



「馬鹿になどしていない。

 むしろ、何の取り柄もない小娘を妻にしなければならない(おのれ)が、

 不憫(ふびん)滑稽(こつけい)なだけだ」


「なっ……! 失礼にもほどがあるでしょあんた! 

 確かに私なんて美貌も教養も、

 それこそ自慢できるものなんて何一つありはしないけど!」



(この人もしかしてセッツェンの血が狙い!?)



今ほどこの身に流れる血を疎ましいと感じた瞬間はない。

その場に崩れるトゥインガは脱力してうなだれた。

もうどうでもよかった。

自分の一生など所詮、何の意味もないのだ。 

いいように使われてそれで生涯を閉じるのも運命だったのだろう。

そしてこんな境地であっても、

ひねくれ王子の小憎らしい顔がぼんやりと浮かんでは消えていった。



(――助けて……)



我知らず、涙が零れ落ちる。



「そもそもあんた何者なの? 一体どこから来たっていうの!?」



少女は釈然とせず、半ば投げやりに訊く。



「アウドリック――と言ってもお前は知らぬだろう。

 魔法師(アウド)が沢山いる、いわゆる魔法国だ」


「アウド……リック? 魔法国? 聞いたことないわ。

 そんなのどこにあるってのよ!」


「――どこか近くて遠い場所に、だ」 


「……わからないわ。魔法師の言うことは全然っ!」

 


ふとトゥインガは、リーゲル邸の離れの地下貯蔵庫にあった『開かずの扉』、

彼女が命名する『おとぎの扉』の存在を思い出す。



(……まさか――)



あるわけがない、そんなおとぎ話。

シグネは企みを孕んだ笑みを浮かべたままだ。

(しやく)(さわ)る。

しかし彼は、奇怪な術を(たく)みに操る異能者だ。



「話しすぎた。子供はもう寝る時間だぞ」



そう告げた魔法師は、彼女の寝室から忽然と姿を消した。

トゥインガは茫然としたまま、

あの扉から入り込んだおとぎの世界の夢を想起させる。

確かに魔法師たちが沢山いた。

記憶はあやふやだが、話もして何かと厚遇を受けた気もする。

あれは夢ではなかったのだろうかと夢の記憶にしばし思いを馳せた。

 




虚ろなまなざしで無気力感に包まれていたトゥインガは、

見るともなしに自室の窓から殺風景な中庭に視線を送っていた。

このところ、急激に生きる気力を失っていたセッツェン第二皇女トゥインガは、

シグネの魔法でも治癒することができない精神的な病に陥り、

セッツェンの専属医師ウェンリッグには『うつ病』だと診断されている。



(私がうつ病……)



それでもどこか気もそぞろに客観視している自分がいて、

『打倒オルハー』を掲げる手前、「『打つ病』の間違いなんじゃないの?」と、

どこか楽観的にもうそぶいてしまう。

深夜に現れる女神と対面していても、どことなく自分に似ているようにも窺え、

おこがましくも鏡と向き合っているかのように錯覚してしまった。

但し自分は女神ほど美しくはないのだからそれだけは違うのだと、

はっきりと認識もできていた。



 

ある日、ガーネがノックをして「トゥインガ様にお客様です」と取り次ぐ。

うろんげな瞳でドアの方を逡巡させると、

そこから入って来た姿に彼女は目を見開いた。



(どうして……オルハー王子が……?)



「どうしたんだお前、そんなにやつれて。しっかりしろ!」

 


――それにそのドレス、似合ってねーぞ!



そう言われた気がして、カチンとなったトゥインガはにわかに本調子に戻る。



「覚悟しなさい! 今日こそあんたをとっちめてやるんだから!」



庭箒を両手に握り締め、上段に身構えた。



「ハーッ! ハーッ! 打倒、オルッハ――ッ!」



ブンッと両手を振り下ろし――、そこで彼女はハッと我に返る。

数度瞬きをして辺りを見回せど、部屋には誰もいなかった。

握っていた庭箒もない。

トゥインガは即座にため息をこぼした。

このところ悲壮感に苛まれ続けているせいか、幻覚や妄想が激しくなっている。

もう戻れない日々。

王子を倒すことさえ叶わない現状。 

寝台に突っ伏して、自分は一体何のために生まれて来たのだと改めて考えあぐねる。

決して、父の仇と結婚するためではないはずだ。



(よりによって……あんな奴とだなんて……。

 でもここでくじけていては父は浮かばれない。負けてなどいられない。

 


少女は奮い立つ。



「私がセッツェンを、お父様とお母様が暮らしたこの帝国を守ってみせる!

 何の取り柄もない小娘だなんて二度と言わせないんだから! 

 女神様もきっと応援して下さるはずよ!」




***




それから三日後――、

皇帝に呼ばれたトゥインガは、婚約者の名前を正式に告げられることとなる。

更に一ヶ月後には、

その魔法師(アウド)シグネとの婚礼も近親者のみで()り行われるという。

この残酷な宣告に途方に暮れるトゥインガは、

残忍な男との間に嫡子(ちやくし)(もう)けることだけが、

結婚の目的だとも知らされた。

セッツェンのスモンジェルダン家である皇族の血と、

アウドリックのシグネの和子(わこ)こそが、

次代の皇帝――永遠なるセッツェン帝国の次代を()べる後継にふさわしいと……。

置いてきぼりのトゥインガは、様々なものに押しつぶされそうになる。

それでもそんなものには屈しないと心に決め、

父親と同じ鳶色をした孤高のまなざしで毅然と前を見据えた。



(絶対あの男の子供は身ごもってやらない! 誰が産んでやるもんか!)



牢固たる決意。

それこそが唯一彼女ができる反撃、仇討ちでもあるのだと自身に言い聞かせる。 

一方、威厳に満ちたその姿を目に入れた誰もが驚きを隠せないでいた。

僅か数ヶ月前に連れて来られたばかりの、あの田舎臭い小娘であるのかと――……。







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