11.亡霊なのか生霊なのか
セッツェンの北方、
サテュ・シス河の下流一帯を警護にあたっていた傭兵が、
不穏な動きを見せているという報告を受けた皇帝ガインと魔法師シグネシェンは、
すぐさま現地へと赴いた。
シグネシェンの魔法によって一瞬で城から空間移動し、
突如現れた二人に傭兵たちは戦き、辺りは急に騒がしくなる。
皇帝を初めて目にする者も多く、
得体の知れない面妖な鉄の仮面に誰もが息を呑み込んだ。
無論、表情を窺うことはおろか、
非情かつ威厳のある風格に戦慄が迸る。
報告を上げた責任者である隊長が前に出て来て慎み畏まると、
皇帝が声を発して告げた。
「狼藉者がいるというのは本当か?」
「はっ! 傭兵の一団が、
夜毎食料庫より貴重な食料を運び出している目撃証言が届いております」
傭兵たちはどよめいた。
「はん、証拠がねーんだよ証拠が。
そういう貴様らも、村人から誅求した金を、
こっそり懐に隠し収めているのを見た奴がいるんだぜぇ?」
傭兵の中でも中心的人物のデャンが叫んだ。
兵士を揶揄する笑い声がどっと上がる。
「き、貴様! 何を根拠に!」
「双方、静粛に。罪のなすり合いはともかく、
反逆と隠蔽は大罪である。
いかなる場合であっても、裏切りは許し難い行為。
殊にガイン皇帝の最も嫌う行為である。
よって、傭兵並びにここへ配属された隊員の兵士全てを死罪に処す」
「全てだと!?」
目を剥いたのは、直属の兵士よりも雇われ側の傭兵たちの方だった。
「こっ、皇帝陛下!
私共は何も罪を犯しておりません! 何故そのような!」
「連帯責任だ。傭兵ごときを束ねられなかった罪は重い」
耳を疑うようなあり得ない皇帝の一言に、場は騒然となる。
「心配するな。一瞬で天国へ逝かせてやる」
シグネシェンの魔法で処刑するつもりなのであろう。
「ほざけっ! 皇帝の犬が! ああそうさ、俺たちは夜な夜な食料を奪い返し、
貧困に喘いでいる農民たちへ食物を返していた!
元は彼らのものなんだから当然だ!
俺はこんな帝国のやり方にはついて行きたくないんでね!
ここからおさらばできるなんざ、むしろ本望さ! とっとと殺すがいい!」
デャンの罵声が飛んだ。
それは誰もが思っている本心。
「――馬脚を顕わしおったか、愚か者め」
シグネシェンがニヤと不敵な笑みをこぼす。
デャンの怒りが更に加速する。
「あんたもいつかは罰せられる日が目に見えてんぜ、魔法師さんよ。
あんた、どうやらそこのナニ様と怪しの恋仲だそうじゃねーか。
皆、知ってんだぜ! ひゃはは!」
ザシュッ!
デャンの首が見えない力で吹き飛んだ。
飛んできた目が開いたままの首に、
悲鳴を上げた兵士たちが慌てふためきながら後退する。
手を宙に挙げていたシグネシェンの手がゆっくりと定位置へ戻された。
「勘違いにもほどがある。
――申し訳ございません。ガイン様のお楽しみを奪ってしまいました」
「よい。駆除すべきネズミは他にも数多いるからな」
ガインは腰につるした剣を引き抜くと、
ビュンッと横凪に一閃させる。
「この剣も早く血が欲しいと騒いでいる……」
うっそりとした眼のガインは、血を滴らせる剣に自らの舌を這わせた。
目にする者全員が慄然とする。
そしてそれが合図であったかのように、
シグネシェンが再び片手を頭上高く掲げて掌を握ると、
こぞって全員の身体が動かなくなった。
「!?」
仮面の向こうで鉄よりも冷たい微笑を浮かべるガインが、
傭兵たちの近くへゆっくり近付き始める。
「ひっ、ひえっ! た、助けてくれぇっ……!」
――数刻後の夕陽に染まるサテュ・シス河の下流一帯では、
多くの傭兵と兵士の死体が無残に転がっていた――。
***
婚礼が直前に迫っているというのに、
事前練習どころか式の内容すら明かされないのはどうかとトゥインガは思う。
元からそんな気は更々なかったので、
別に恥をかこうが何だろうが今更どうでもよかったが、
オルハルトが助けると言った口約束を頭の片隅に置きつつも、
面倒臭いこともなくて結構だわと逆にありがたがった。
――だとしても不気味すぎるではないか。
唯一、婚礼の際に自分がやることは、
ただ大人しく座っていればいいのだと侍女のガーネにも教えられていたが、
それはそれで心許ない。
黙って座り続けることがどんなに苦痛かガーネだってわかっているだろうに……と、
胸中で愚痴を漏らす。
しかし彼女はこの後、
更に愚痴をこぼさずにはいられない局面を迎えることとなる。
事前練習がない代わりに、
聞きたくもない『性の教育』とやらの授業を受ける羽目になったのだ。
想像するだに吐き気がこみ上げる。
(――絶対にあの男とそんな関係になってやるもんですか!)
世継ぎを産むための道具に過ぎない結婚なので、
知識を養うことは正論であり、決して避けられない項目・行為なのだが、
そんな気は断固としてないトゥインガにとっては、
実際に役に立つとも思えなかった。
(何であんな奴と、あんなことやそんなことをしなくちゃいけないのよ!
杞憂よ!)
顔を思い出すだけで怒りがこみ上げる。
だけど監禁状態の今、授業を放棄することさえままならない。
だから苦肉の策として、素敵な理想の王子様に脳内変換することで、
何とかこの場を乗り越えることができていたが――
「トゥインガ様……? お加減がよろしくないのですか?
とても青白いお顔をされていますよ?」
「ええ、今にも吐きそう。でも大丈夫よ。
すぐに別の男の顔に取り替えているから」
「――は?」
「ううん、独り言! さ、あなたはあなたの仕事をして頂戴。
私は私の妄想で、この難局を乗り切るから!」
トゥインガの理想の王子様は、金髪で蒼い瞳の優しい笑顔の――
そこで不意にオルハルトの顔と重なり、突然彼女の顔が緋色に染まる。
(や、やだ、何でオルハー王子の顔が……!)
一度その顔が貼り付くと、耳に入ってくる性教育の、
主に夜の夫婦の営みのあれやこれやらがめくるめく。
さながら彼としているみたいな淫猥さにトゥインガは沸騰した。
「ギャ――ッ! イヤ――――ッッ!」
叫んで左右に身体を激しく揺さぶりながらのたうつ。
三十代であろう女教師が冷ややかに、十代のお年頃の皇女を見据えていた。
「……やはり医師をお呼びした方がよろしいようですね。
青白いお次は真っ赤ですよ?」
「へ、平気よ! ちょっと妄想に混乱しているだけだから!」
「左様でございますか……。誰か、ウェンリッグ殿をお呼びして」
「へっ!?」
異常だと判断した女教師は、
セッツェン城の専属医師を呼ぶよう召使いに命じた。
以前、『うつ病』と診断されただけに、慎重になっているのだろう。
おかげで心臓に悪い授業を終えることができたので、
このまま病気になっていようかとも目論む。
七十代後半の老医師ウェンリッグは、先皇帝ベモンドルの専属医師であり、
現在はブローニアの容態も診ているという。
その情報を知るなりトゥインガは、
前のめりになってブローニアについての質問攻めを開始させた。
「ブローニア皇女は一体何の御病気なの!? 治る見込みはないの!?」
しかし返されてきた言葉は、
他の者たちの返答とさして変わらない期待を裏切るもの。
「……。わからぬのです。ブローニア様は眠っておいでです――」
緘口令でも敷かれているかのような常套句。
それでもトゥインガは執拗に食い下がる。
「だったらせめて一目顔を見るだけでもいいでしょう? ね? ね?」
ウェンリッグは首を横に振った。この帝国に長年仕える身とあって、
温厚そうな顔立ちとは一遍、さすがに彼も頑固一徹だ。
そんな態度を取られると、
何が何でもやってやるとムキになる気質はトゥインガの悪癖。
鼻息荒く意気込んでいると、
ウェンリッグが彼女を見つめながらやにわに目元を綻ばせながら言った。
「――トゥインガ様は、シュメーレク様によく似ておいでですね。
昔を思い出しますよ。同時にトゥツァリーネ様にも……。
ええ、お二方はとても明るくお優しい方たちでした。
全てはあの魔法師がおかしくさせたのです。
『ガイン皇帝』とブローニア様をも――」
母に似ていると初めて言われて目を瞠るトゥインガだったが、
それ以上に意味深な後者の言葉にこそ驚愕して言葉と色を失う。
***
セッツェンに来てから半年以上が過ぎたが、
未だ異父姉のブローニアに会ったことがないトゥインガは悶々としていた。
ブローニアが眠っている寝室に近付くことさえ許されないのだ。
それでも絶世の美女だと聞き及んでいるのだから、確認せずにはいられず、
ますます見たくなるのが人間の性というもの。
曲がりなりにも血の繋がる自分は、
どうしてほんの少しでもその美という恩恵に与らなかったのかと、
トゥインガは落胆することがもはや癖になっていたが、
周囲から見れば彼女は充分美しい部類に属していた。
あの皮肉屋のオルハルトですら婚約発表の日、
久しぶりの彼女を目にするなり、
一瞬息を止めて見入っていたぐらいなのだから……。
そんなことなど露知らずのトゥインガは、
自室でハーブティーを飲みつつ一人思案に明け暮れている。
(皇帝が男色家というのがもし本当なら、その相手は一体誰……?)
思い浮かぶのは、シグネシェンやロイゼンなど身近な側近の青年層。
但しシグネシェンは自分と結婚する一身上、その毛はなさそうにも窺えた。
だとすれば、残るは宰相のロイゼンなのだが、再度、
性教育で習った埒も明かない行為を想像して火が点いたように頬が熱くなる。
(や、やだ。私ってこんなにふしだらだったかしら……?)
落ち着かせるために僅かに残っていたハーブティーを一気に飲み干して、
ハァーと息を吐き出した。
空になったカップを片付けるため、ガーネがカートを押して部屋を出ていく。
その様子を横目で見ていたトゥインガは、
(――今だわ!)
一人になったその隙に行動を開始させる。この瞬間を待っていた。
こっそり部屋を抜け出して、辺りに人がいないのを見計らいながら、
ササッと壁伝いに物陰に移動する。
幸い今は、皇帝も魔法師も外出中で城にいなかった。
好機は今しかない。
ここに来てから半年も過ごせば巨大な城の構造も、
彼女が動く範囲内であれば大体は把握できていた。
ブローニアの寝室も、感覚的にではあるがその方向を知り得ている。
同じ皇女の部屋なのだから、距離的にもそう離れていないのが幸いした。
数人の召使いたちの目をかいくぐった不審者もどきのトゥインガは、
とうとうブローニアの寝室らしき一角へと辿り着く。
見張りの二名の騎士が並び立つ一番奥の部屋に目星を付ける。
ふと近くを一人の年若い侍女が通りがかったので、トゥインガは声をかけた。
「ねぇ、ちょっと」
突然声をかけられ驚く侍女は、
その声の主を見るなり「ひぃっ」と声を上げてすくみ上がった。
ここに近付いてはならない人物がいるのだから、
露骨な反応を示すのも無理もない。
「ブローニア皇女の寝室は、あそこでいいのかしら?」
震えながら頭を下げた姿勢の侍女は口を引き結んでいたが、
やがておずおずと上目遣いをしながら語り出した。
「あ、あの……どうしてトゥインガ様がここへ……?
来てはならないとご存知のはずでは……?」
「勿論知っているわ。でももう我慢できなかったの。
だからこうして独断で来たのよ。――あの部屋で本当に間違いないのよね?」
立ちすくむ侍女はどう反応していいのかわからず、
目を泳がせながらうろたえている。
次第にトゥインガも苛立ちを覚え始める始末。
「――もう、いいわ。行って頂戴。こうなったら強行突破してやるんだから!」
深呼吸して覚悟を決めると、ツカツカと正々堂々、
騎士の並び立つ扉の前へと突き進んでいった。
槍を構えギョッとする騎士たちをよそ目に、
臆することなくその部屋へ飛び込もうとしたその時――
「これはトゥインガ様。一体どのようなご用向きでしょうか?」
若き宰相であるロイゼンが間に立ちはだかった。
ここで彼と出くわすとは思いもよらなかった。
「どいて頂戴! お姉様にお会いしたいの!」
「ブローニア様は、お眠りあそばされています」
「知ってるわよ!
口をそろえたように、皆それしか言わないってこともね!」
ロイゼンは冷徹なまなざしで、息巻くトゥインガを見下ろした。
「どきなさい! ロイゼン!」
負けじときつく睨み上げる。
すると意外にも、
その声に脳天を貫かれた彼は懐かしさが不意に込み上げたのか、
うっそりと目を眇めさせた。
「皇妃……様……」
(――え……?)
彼もまたウェンリッグのように、母の面影を自分に重ね合わせたのだろうか。
刹那にロイゼンの面から微かに力が抜け落ちる。
もしかしたら皇妃も口にしていた言葉だったのかもしれない……。
ロイゼンはおもむろに片方の手を上げ、扉の前に立つ騎士たちを下がらせた。
(え、まさか私を入らせようとしているの? こんなに簡単にいっていいの?)
「よろしいでしょう。そのようにお望みであるのならば、どうぞお入り下さい。
そして御自身の目でブローニア様のお姿を御確認下さい――」
意外だった。
こうもすんなりと許可が下りるのはかえって不気味だ。
不気味に不気味を上乗せさせられては逆に躊躇してしまう。
しかも皇帝の承諾なしにだ。
「いいの……?」
一応、確認してしまう。
後で痛い目を見るのは、彼も例外ではないのだから。
「はい。皇女様の御命令には、幾ら宰相の私といえども逆らえませんから」
「……」
「但し、口外はなさらぬようお誓い下さい」
「わかったわ、誰にも言わない。全責任は私が取るから。
私がここへ来たことは秘密ね――あなたたちもよ!」
騎士たちに命じると、彼らは畏まって「はっ!」と敬礼した。
ロイゼンが扉に手をあて押し開けると、
トゥインガは高鳴る胸を抑えながら固唾を呑む。
待ち望んだ瞬間だった。
ようやく会えるのだ。
トゥツァリーネ皇妃とそっくりだというブローニア皇女に――血を分けた姉に……。
――しかし、開け放たれた部屋の中は、華美な調度類はほとんどない実に質素な、
ただ無駄に広いだけの空間が広がっていた。
トゥインガは愕然とする。
これでは自分の部屋の方が断然皇女らしいではないかと。
だが、天蓋付きの大きな寝台だけは豪勢だった。
いささか一人で眠るにしては大きすぎる感もあるが、
そこでトゥインガは信じられない光景を目の当たりにする。
寝ているはずのブローニアの姿がどこにもなく、寝台はもぬけの殻だったのだ。
「え……!? どういうこと!? ブローニア皇女は、お姉様はどこにいるの!?」
長年眠ったままだったのではないかとロイゼンを顧みるが、
彼は動揺どころか微動だにせず感情のこもらぬ冷淡な口調で繰る。
「――ブローニア様は眠っておいでです」
「それは聞き飽きたわ! これはどういうことかって訊いてるの!」
「ブローニア様と私は……愛し合う恋仲でもあるのです」
「だから……って、えぇっ!?」
駆けつけて来たガーネに引っ張られるようにして自室に戻ったトゥインガは、
長々と説教を食らい、その後は再び一人になれたものの、
ガーネに扉の前へしっかりと見張りに付かれた。
何が何でも二度と自由にさせないつもりだ。
「これじゃまるで監禁の上に更に監禁じゃないの」
ガーネの意固地なところは自分に似ているのかもしれないと、
トゥインガは自嘲する。
しかし彼女もまた、
皇帝やシグネシェンに内密にするという条件を呑んでくれたのだから、
これぐらいは安いものだろう。
シグネシェンに秘密が通用するのか不明な上、
謎だけが残ってしまう結果となってしまったが……。
(ブローニア皇女はどこへ消えてしまったの……?
それとも最初から存在していなかったの……?)
様々な憶測が渦を巻くが、ロイゼンの言葉を振り返るなり、
おどけた仕草で鸚鵡返しした。
「愛し合う恋仲、ですって……?」
ロイゼンの妄想にしては酷すぎる。
痛いにもほどがある。
自分以上に妄想壁が激しいのではないかと宰相を哀れんだ。
「きっとシグネの魔法で見えなくされているのよ!
だとしても何のために……?」
あまりにも無意味だ。
合点がいかない。
姿を見えなくさせて何の得があるというのか。
何はともあれ、
このセッツェン帝国とは不可解な事象だらけで常軌を逸している。
トゥインガがおもむろに手に取って開いてみた、
『女神様観察日記』をパラパラとめくっていると、
答えが突然舞い降りたように、はたとある思惟が合致した。
(――まさか……そんなこと……)
女神は相も変わらず寝室へ出没していた。
出没回数を記録したページも、ここ半年で随分と進んでいる。
確かに女神の容姿は、
自分より幾つか年上のブローニアとなら年齢的にもつり合うだろう。
話に聞かされていた幼くして亡くなったという姉とは違い、
異父姉であれば女神の姿に条件がピタリと一致するのだ。
トゥインガはその晩、現れた女神に向かって初めて声をかけてみた。
「あなたはジブエなの? それとも、ブローニア……お姉様……?」
それまであてどなく逡巡していた女神の美しくも寂しげな顔が、
より深みを増した悲しみに投じられトゥインガへとゆっくり振り返る。
そして初めて――、女神は笑みを浮かべた。
亡霊なのか生霊なのか不可解に消えゆく儚い姿で。




