09.高貴なる庭箒
「同盟など結ばぬと申したであろうが!」
ガイン皇帝の大音声が発せられた。
セッツェン帝国周辺に点在する諸国が、
同盟を結んであることに危機感を募らせていた老獪の参謀ゲオールは、
同盟に加わることを推し進めてきたが、ガインは断固拒否を押し通す。
「ですが、このままでは我々は孤立してしまいます!
何卒お考えをお改め下さいませ!」
「ゲオール! お前は我が帝国軍の力を見くびっているのか!?」
「いいえ! そのようなことは決して……」
「ならば不服はなかろう! もう下がれ!」
「しかしガイン様!」
なかなか引き下がらない参謀に、仮面の奥で気色ばむガインの怒号が飛んだ。
「シグネッ! こいつを拷問室へ叩き込めっ!
二度とその煩わしい面を見なくてもいいようにしろっ!」
「ひっ! ひぃっ…! 皇帝、お許しを! お許しを――っ!」
「くどいっ! 懇願しても無駄だ! シグネ、とっとと連れて行け!」
「――御意」
ガインに命じられるがまま、シグネは戦慄くゲオールに向けて手をかざすと、
参謀の身体を魔法で空中に浮かせた。
「ひいぃぃぃっ!」
扉もひとりでに開き、ゲオールは宙に浮いた状態でスーッと廊下へ出された。
その後にシグネが続くが、そこにいた多くの重臣たちは、
ただ沈思黙考して見ているしかなかった。
下手に口出しすれば、自分たちも同じ目に遭わされるのだから。
魔法師シグネをいつも側に従えている若き皇帝は、
シグネ以外の誰をも信じてはいない。
玉座に深々と腰を据え、足を組んで薄ら笑いを浮かべる新皇帝の姿を、
先皇帝ベモンドルを看取った医師のウェンリッグが見つめていた。
拳を白くなるまで握り締めながら。
(――これは一体誰だ……?)
自分が知る以前の『ガイン』は、こんなにも冷酷非道な人間ではなかった。
『貪欲王』と恐れられたベモンドルでさえ、
こんな無慈悲な命令は下さなかった。
ガインは皇帝の座に就いた途端、別人のように変わってしまったのだ。
(それともこれが真の姿だというのだろうか……)
やがて、拷問を執行し終えたシグネが涼しげな顔をして戻って来た。
「愚か者の拷問は済んだか?」
「はい」
拷問という名の処刑。
彼の魔法によって呆気なく始末したのであろう。
「アーハッハ! クズが! あの世で悔やむがいいわ!
皆の者、これでよくわかったであろう?
私に楯突いたり、同盟の話を持ちかけたりすればどうなるかを。
今後、肝に銘じておけっ!」
「は、はは――っ!」
ガインに恐れをなしたのか、一際大きな声で臣下たちが平伏した。
隅から一部始終を見届けていたウェンリッグは、
苦虫を噛み潰したような衝動に駆られている。
***
陰鬱で寂幕とした地下道は、大人が立って歩けるほどの幅が延々と続いていて、
思ったほど歩きにくくはなかった。
万が一を考慮して、松明を手にしたレッグドが先頭に立って進んだので、
先に行きたかったオルハルトは不平不満をこぼす。
おそらくセッツェンの人間が掘ったのであろう、
何年も使われていない地下道とあって、
数匹のネズミが駆けていったり、天井から襲うコウモリに面食らったりもしたが、
冷たい空気が無遠慮に体温を奪っていく他は特に問題はなかった。
むき出しの岩壁から染み出る地下水と冷気が、先を進む者たちの身体を凍えさせる。
数十ケルほど歩き続けたところで、
ようやく暗く長い隧道を抜けたオルハルト、
ザッハン、レッグド、アルディの四人は、
長い旅路を無事終えられたことに歓喜する。
全員で出口の扉を押し開けると、
辺りは至って殺風景だが何故か瓦礫が積み重なっていた。
扉が重かったのもそのせいによるが、
元々ここに何かの建造物が建っていたという証だろう。
「教会……? リーゲル邸の元修道院とここの教会が繋がっていたわけか」
真っ二つに割れた女神の彫刻が無残に転がっていた。
ジブエ神と刻まれた文字も見える。
オルハルトは、リーゲル邸のあの夜のことが重なった。
「これもまさか、その魔法師の仕業だというのでしょうか……?」
怪訝そうに眉をひそめたザッハンが言った。
「ううむ……、一体どういうつもりなんだろうな。女神に恨みでもあるのか?
全く以って信じられん!
神を冒涜するなどとは、罰当たりな魔法師め!」
ジブエ神に敬虔なレッグドは、卑劣な魔法師に代わって神に許しを請う。
「しかし凄いな。
シッカとは比べ物にならないほど立派な教会だったに違いない……。
セッツェン城はそれ以上、か」
遥か遠くにそびえ立つ、
セッツェン城と思しき巨大な要塞を見つめながらオルハルトが呟いた。
何重もの城壁によって囲まれてはいるが……。
一行は、声にすることもできないほど呆然と先を見つめている。
「とにかく錬金術師のいるという山脈のある西へ急ごう。
そのためには、
その界隈を警護している兵士の甲冑をいただくのが先だな。
その方が後で面倒じゃなくていい」
「腕が鳴るぜ」
ボキボキッとアルディの指が音を立てる。
ちょうどその時、近くに数人の警備兵が歩いて来るのが見えた。
自称、平和主義のオルハルトも、
甲冑を奪うには仕方ないなと肩をすくめて兵士に狙いを定める。
「フゥ――。何とかうまくごまかせたな。
振り向きざまに兵士に声をかけられた時は、一時期どうなることかと思ったぜー。
『今晩の飯はなんだろうな』って俺らが知ったことじゃねーよなぁ? ガハハ!」
「無事に甲冑が人数分手に入ったことだし、これで堂々と歩き回れるでしょう」
「さてと、ここから先は……、やはり馬で行くしかありませんね」
目的地までは、結構な道程だ。
閑話休題するかのように、レッグドが間を割って話を進めてきた。
オルハルトも嘆息して言う。
「ガテリスのような駿馬でなくていいから、足の速い馬を手に入れたいものだな」
「おや王子、早くも郷愁ですかな?」
「ガテリスは、俺の息子のようなもんだからな」
「ガハハ! 大きな息子だぜ!」
アルディは笑って、そして辺りを見回した。
「この辺に馬を借りられそうな所は……おお諸君!
あそこに見えるはお馬さんではないか!」
「しかも結構いるぞ。
うまくいけば借りることができるかもしれん。だが慎重にな」
レッグドの言葉に気を引き締め直すと、全員が深く首肯した。
「すんませーん、誰かいませんかぁ~?」
野太い声のアルディが棒読みで民家へ向かって叫ぶが、
中から人の気配は感じられない。
「誰もいないようだな……。
ふむ、これは何も言わずに馬を持っていけという意味かもしれん。
よし、ここは何も言わずに馬を持っていくことにしよう」
アルディが一人納得し、力強く拳を握った。
「アルディ! 勝手な解釈しないで下さい!」
「だけどよザッハン、いないもんはしょうがねーだろぉ?
俺は欲しいんだよあの馬が!」
「駄々をこねないで下さい。あなたは三十を過ぎたいい大人なんですから」
「まだ過ぎてもなってもいない!」
「無理です! あなたはどう見ても三十を過ぎて見えます!」
「俺は永遠の十代だ――っ!」
気の抜け落ちそうな場違いな会話を続ける二人に、
目を据わらせるオルハルトは関わろうとしなかったが――
「……しっ! 誰か来る」
人の気配を察知し、すかさず全員に隠れるよう目配せする。
壁際に背中をつけながら息を潜める彼ら。
――と、そこへ現れたのは、桑を担いだ老人だった。
彼は鼻歌を歌いながらこの民家へと向かって歩いて来る。
「ここの住人かもしれんな」
セッツェン兵の姿をしたオルハルトたちに気付いた老人も、
一時は目を丸くして立ち尽くすが、何度も瞬きをしてから唐突に笑い出す。
「ふぉっふぉっふぉ。わしの老眼も進んだかの。
胡散臭い兵士が何人も見えるわい」
いかにも挙動不審していたためか、彼らはたやすく見抜かれてしまった。
意外に聡くも人のよさそうな老人の前へ出ていくと、
アルディが率先して願い出る。
「じいさん! この馬を貸してくれないか?」
唐突な申し出に、老人はキョトンとしている。
「おや、お前さんたち、これからどこへ行こうというのじゃな?」
「ペネロジ山脈です」
「――こりゃ驚いた。
今時あの山脈を越えようとする酔狂な輩がいようとは……」
老人は馬屋の方へと歩いていき、それから彼らを手招く。
「おっしゃ!」
中でも一番喜び勇んだアルディが、力強く自分の片腕を叩き上げた。
「こいつよこいつ」
アルディは喜んで一頭の黒い馬にすり寄った。
「まだその馬が借りられるとは決まってないのですよ!」
「そんな固いこと言うなよー。じいさん、こいつを貸してくれよ、な? な?」
「よいよい、好きな馬をどれでも持っていきなされ。
わしはかれこれ五十年振りに山を下りて来たばかりで、
専ら俗世のことはとんと疎くなっておる。
しばらく来ない間に、何やら物騒な世の中になっておるようじゃのう……。
下界は暮らすのも色々と大変じゃな」
「何故今になって山を下りたのですか? 何か理由があって……?」
首を傾げたザッハンが老人に訊く。
老人は白い顎ひげをさすりながら唸る。
「好きで下りたのではない。強制的に追い払われたのじゃ。
わしの住んでおったペネロジの中腹には、軍隊がひしめいておる」
一同が互いの目を見合わせた。
「ペネロジ!? で、では、もしやあなたが錬金術を嗜むという……、
魔法国への鍵も握っているという!?」
「おお、確かに錬金術はわしの趣味じゃが……。
はて、何故お前さんたちが知っておるのじゃ? もしかしてわし、有名人かの?」
「凄い! 奇跡だ! これは運命としか考えられない! 神様ありがとう!」
快哉を叫ぶアルディがザッハンを強く抱きしめて喜ぶが、
ザッハンは彼の馬鹿力に苦しみもがいた――
その時、アルディがザッハンの耳元で何かをささやいた。
そんな二人の謎の行動に、オルハルトとレッグドが気付く様子もなかった。
「――ほぅ、そんなことがあったのか。それで魔法国へ行きたいというわけか……」
ひととおり、これまでの過程を老翁に説明してみたが、
老人はセッツェンに住んでいても外国人の彼らを敵視するようなことはしなかった。
むしろ、そんな帝国を諫言するべきだと協力を約束してくれた。
老人はマナートと言った。
マナートは、家の奥に入るようオルハルトたちを手招くと何かを探し始める。
埃を吸ってしまったのかゴホゴホと時々むせていたが、
部屋の中央には朽ちた木のテーブルがあり、
その上に蝋燭が一本だけ置かれてあった。
壁は何一つとして飾りのない灰色の冷たい石壁。
他はこれといって目立ったものがほとんどない簡素な部屋だった。
だがしかし、足元を見たオルハルトが何かに気付いて驚嘆の声を上げる。
「見ろ、魔法陣だ……」
円の中に、奇妙な文字とも記号とも読み取れる何かが描かれていた。
本物を目にするのは初めてであったが、
物語や古い本の挿絵で見たことがあるオルハルトには、
それが魔法陣であるという知識だけは備わっていた。
「ゴホンゴホン! ヤレヤレ、やっと見つかったわい。
何せ五十年も昔にわしの師匠が隠しておいた大事なものじゃ。
探すのも一苦労じゃて……」
マナートが部屋の奥から出て来ると、全身が真っ白になっていた。
頭に蜘蛛の糸も付着していたので、虚を衝かれたアルディは豪快に吹き出して笑う。
横からザッハンにつねられるが、それでもヒーヒー笑っていた。
そんなことにはお構いなしのマナートは、
一本の古い杖を高らかに掲げて誇らしげに言い放った。
「ウェッホン! 皆の者、よく見るがいい! これぞ我が一派に伝わる秘伝の杖じゃ!」
「そんな棒切れ、外に幾らでも落ちてらぁー」
ガツンと、アルディの頭上に老人の杖が振り落とされた。
ザッハンもはたこうとしていたが、老人に先を越されてしまった。
行き場を失くした手が宙をさまよっている。
「って――! 不意打ちとは卑怯な!」
「これはただの棒切れではない! 神聖な移動魔法の杖じゃ!」
「移動魔法の杖!?」
「左様。魔法には、移動魔法、治癒魔法、攻撃魔法、防御魔法……
などなどに分かれておる。わしも詳しいことはようわからんが、
我が師匠は魔法のほとんどをマスターした天才じゃった。
ちなみにここは、師匠の邸宅だった家じゃがな」
「邸宅――? ただのあばら家だろ?」
マナートが再びアルディの頭上へと杖を振り落とす。
またもや、出しかけた矢先に行き場を失くしてしまった手を、
ザッハンは忸怩たる思いで静かに引っ込めた。
「そこな魔法陣を描いたのも師匠なのじゃ」
得意げにマナートはふん反り返る。
「しかしまだまだわしは、ひよっこじゃ。だから日々研究に精を出しておる」
「年なんだしよ、精も根も尽きてるって」
ゴンッ!
今度こそザッハンは、マナートより先に彼の頭を叩くことに成功した。
満面の笑みを浮かべている。
「ちと早すぎねーか、ザッハンさんよ~?」
頭を抱えるアルディが不服そうに訴えた。
ザッハンは無視を決め込む。
「ともかくじゃ。これからお前さんたちを魔法国アウドリックへ空間移動させよう」
「魔法国アウドリック!? そんな国が本当に実在するのか!?」
全員がマナートを疑う。
しかし老人は顔を綻ばせて言った。
「するのじゃ。
わしの師匠もその昔、神の国に最も近いその国にこの魔法陣から行った事実がある。
我々から見れば幻のようで、にわかに信じられない国ではあるが、
ここから遥かに遠い遠い所に実在している国なのじゃ。
アウドリックへ着いた暁には、是非力になってくれるであろう。
魔法師に対抗するには、やはり魔法師じゃからのぅ」
そして彼は、一同を魔法陣の中へ入るよう促した。
「おいおい、本当にその魔法国とやらに、こんなまん丸の円から行けるのかぁ?」
不穏な目つきをするアルディが、恐る恐る円の中へと足を踏み入れる。
勿論、彼だけではない誰もが半信半疑でいるのだったが……。
――しかし、マナートが怪しげなる呪文を呟き、
幾らその杖を魔法陣に突き刺したところで、魔法陣は何の反応も示さなかった。
何度挑戦してみても結果は同じで、次第に飽きてきた彼らは椅子に腰掛けながら、
各々(おのおの)盛大な欠伸を漏らしている。
「おかしい……壊れてしまったのかのぅ?
いいや! そんな柔ではないはずじゃ!
ううむ……うむむ? お、おお! そうか! 杖が違うのか!
よく見ればこれはただの棒切れであるのぅ!」
「……」
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
「だまされてんじゃねーの俺たち?」と訝しげにささやくアルディ。
だがマナートは怯まない。
「ぬしら! 杖を探すのじゃ! これに似た古めかしい杖じゃ!」
「探すのじゃ……ってどこを探すんだよ?
まさか、広大無辺なこの世界って言うつもりじゃねーだろーな」
目の据わったアルディの抑揚のないボヤキで、更に暗雲が立ち込めた。
「ここを訪ねる人間は限られている。
それも魔法や錬金術の噂や事情を知る者のみじゃ。
おそらくは誰かがその杖を持っていったか、師匠が誰かに渡したかであろうのぅ」
力説する反面、
どこか呑気なマナートを尻目にため息を漏らすオルハルトは不意に、
「打倒オルハー!」と罵るトゥインガの、
一見何の変哲もないあの箒が脳裏をかすめてハッとする。
あれはただの手製の庭箒だが、しかしよく思い返してみれば、
その辺りの木の枝にしては、
いささか赤みの強い赤銅色の異様な艶めき感があった。
思い過ごしの可能性も無きにしも非ずだが、
あのような樹木はこの地方やへブル島では見かけない。
(――まさか……!)
威勢よく立ち上がる。
「どうしたんですか王子? 何か心あたりでも?」
「ああ、そのまさかだ。
ザッハン、リーゲル邸の焼け残っていたものを確認しに戻るぞ!」
「戻るって王子、簡単に言いますけどもねぇ……」
「戻るならこの魔法陣から移動するがよい。
地下道でここと繋がっていた場所ならば、
きっとその入り口付近に魔法陣があるはずじゃ。
そこに辿り着くであろうからな」
「え? だってさっきその杖はただの棒切れだって……」
「魔法国に行くための杖ではないという意味じゃ。
使えなければただの棒切れじゃろ?」
「ま、まぁ、そうですけども……」
「それじゃ早速頼む」
オルハルトは迷うことなくマナートへ頼み込んだ。
どこに飛ばされるか確証もないのにとザッハンはやや狼狽してみせるも、
元来た道を戻るのも億劫で無駄に体力も使いたくない。
一度決めたことはよほどの理由がない限り、
変えようとしない主の融通が利かないことは百も承知なので、
ここはマナートを信じる他はなさそうだ。
「安心せい。例えとんでもない場所へ着いたとしても、
わしが杖を魔法陣から離さない限り行き来は自由じゃ。
すぐこちらへ戻って来られるわい」
「絶対、離さないで下さいよ!」
「ふぉっふぉっふぉっ。心配なら誰か一人がここへ残るがよい」
「では私が残りましょう」
レッグドが名乗りを上げた。
マナートの笑顔が心なしか胡散臭く感じてしまう。
マナートが、先ほどとは異なる異国の言葉の如き呪文をボソボソと呟いて、
手にしていた棒切れならぬ杖を刺すと、
ヴーンと羽虫の羽音に似た奇妙な音がして筒状の白い靄が立ち昇った。
「これは……!?」
マナート以外は皆、驚きのまなざしと共に驚嘆の声を上げて口を開いているが、
老人は三人にさっさとその中へ入れと顎をしゃくる。
だが、オルハルトが先に足を踏み出そうとすると、
安全確認のために自分が先に入るとアルディに制された。
そしてアルディが中へ入ったその瞬間、彼の身体がその場から忽然と消える。
思わずマナートを振り返ると、相変わらず彼は笑いながら顎をしゃくり、
王子らにも入るよう示唆している。
「俺たちも行くぞ! ザッハン、何してる!」
矯めつ眇めつ筒状の靄を眺めて感心していた従者の名を、主は呼んだ。
――彼らが辿り着いた場所は暗闇の小部屋だった。
魔法陣の神々しい光のおかげで扉まで見通すことができたが、その部屋から出ると、
かつての葡萄酒が保存されていたエルード女子修道院の崩壊した地下貯蔵庫に出た。
この小部屋は、
開かずの扉から入って地下道すぐ右側の壁の中にあった隠し部屋だった。
オルハルトはすぐさま、
リーゲル邸の焼け跡の片隅にかき集められた瓦礫置き場へと向かう。
ザッハンとアルディにも箒を探すよう告げてから一通り視線を辿らせていると、
トゥインガが武器として愛用していたあの庭箒が、
運よくオルハルトの視界へ飛び込んできた。
柄の部分だけが焼けずに無事でいたが、
それがまさに杖にしか見えない状態で置かれているのを見て手に取ると、
彼は即行、魔法陣へと引き返す。
「おお……! これじゃ、これじゃ! 一目見ればわしにはわかる!
他の杖とは格段に放つ気が異なる高貴な杖! 間違いない!
これこそが魔法国アウドリックへと導いていくれる特別な魔法の杖じゃ!」
「しかし何て運のいい杖だ。
普通なら燃えカスになっていてもおかしくないのにな」
興奮するマナートの背後で、別の意味で感動するアルディが口にする。
「とんまめ! ぬしのその耳は飾りものか?
さっきから特別な杖だと申しておろう!
普通と一緒にするではないぞ!
魔法がかかった本体だけが燃えずに残ったのじゃ。
それこそが偉大なる魔法の威力というもの。
幾ら折ろうとしても折れない丈夫な杖でもある」
「なるほど……」
杖にも色々なタイプがあるらしい。
アルディとザッハン、それにレッグドは感慨深げに相槌を打っていたが、
オルハルトだけは悪寒を背中に走らせていた。
彼はその杖で幾度もトゥインガに振り下ろされていたのだから……。
もし些細であってもあたっていたら、魔法の威力とトゥインガの怨念とやらで、
どんな力が発揮されていたのかわからない。
「――さて、本命のアウドリックへ移動させてみるかのぅ?
到着したら一度王に会って話を持ちかけてみるがよいぞ。
きっと力になってくれることじゃろう」
***
絵に描いたような幻想的な風景の中に、
耽美で古風、異国情緒溢れる造りの家々や街が広がっている。
ただ、空間移動で降り立った場所の前には巨大な宮殿がそびえていて、
青い法衣姿の人々がオルハルトたちに気付いて会釈をした。
美しい人たちだった。
見た目もさることながら、身も心も陶然と澄み切った、
穢れを知らない純粋培養の世界に暮らす人たち……。
オルハルトたち一行は、建物の中へと案内された。
「お待ちしておりました。アウドリックへようこそ」
玉座から立ち上がった王らしき威厳と風格のある男が、
オルハルトたちの前へと歩み出る。
彼らが迎え入れられたこの部屋は、まごうことなき王の間であった。
「何で俺たちが来ることがわかったんだ?」
「マナート殿から連絡でもいっていたのでしょうか……?」
オルハルトとレッグドが小声でささやいた。
すると王が微笑んだまま語り出す。
「そなたたちがこちらへ来ることは事前に知っておった。
先見の識があるのでな」
「先見の……。やはりここは魔法国なのか……?」
ようやく彼らは、ここが魔法国であるという真実味を感受し始めていた。
「余が、アウドリックのケルスカーザレオンと申す王である――」
王が慇懃かつ優雅にお辞儀をするので、
つられたオルハルトたちも、より深々とお辞儀する。
「ゆめゆめ、そなたたちの世界が今どうなっているのかも全て見越しておる」
「全てお見通しだというのですか!?」
ザッハンが、血の気が引いたように顔を蒼白させていた。
その様相を見たオルハルトが訝しげに眉根を寄せたが、
王は彼らを見据えたまま言の葉を神妙に継ぐ。
「実はセッツェンにいる魔法師シグネとは、我々の同胞だった者だ。
かの名をシグネシェン・モードンという。
悪事を働き、牢に閉じ込めていた罪人なのだが脱獄し、
その後はあろうことかそなたたちの世界へ逃亡してしまったのだ。
この場を借りて切に謝らせていただきたい」
王にならい、この場にいる他の侍従たちも一斉に前屈し、非礼を侘び始める。
「同胞!? 彼は元々ここの魔法師だったのですか!?」
「そうだ。
だが、アウドリックから軽々しくそちらの世界へ我々が入り込むことは、
様々な秩序を乱すゆえ、干渉はほとんどできない掟になっている。
しかし、そちら側からこちらへ来ることには問題はない。
むしろ魔法陣を発動させて、そなたたちが訪れる日を待っておったのだ。
よくぞ来てくれた。これで我々も身動きが取れるというもの。
とかく、シグネシェンを捕らえねばなるまい。
そのために我が国の有能な魔法師を紹介したい。
――ルフィネリアン、セシリージェン」
王が名を呼ぶと、
整列する青い法衣姿の人々の中から、少年と少女が前に進み出る。
「この二人は、アウドリックの魔法師の中でも上位の魔法師だ」
十代半ばの美少女と美少年に魅了されたザッハンとアルディは、
しばし忘我の心地で彼らを見つめている。
「あなた方のいる世界の年齢に換算すれば私たちの見た目は十三歳ですが、
我々の世界では百三十歳ということになります」
「ひゃく……ええっ!?」
度肝を抜かれたザッハンが、思わず数歩退いた。
「私のことはルフィネ、彼のことはセシリーとお呼び下さって結構です」
「この二人はかつて、シグネシェンを打ち負かした過去があるのだ。
ゆえに此度も大丈夫だと汲んでこの二人を遣わそう」
余裕の笑みを浮かべた王が滔々(とうとう)と語る。
しかしレッグドが胸中で呟いた。
(本当にこの小さな魔法師だけで、
あのシグネをやっつけることなどできるのか……?)
思わず不安に駆られるが、後にその憶測は的を射てしまう――。




