《手作り・数字・影》
「ねぇ、あのさ。もうすぐ卒業だし、皆で何か作ろうよ!!」
そんな一言から始まった、高校最後の思い出作り。
寒さが増し、雪が積もる冬の真っ盛りに、クラスメートの女子の一人が突拍子もなくそう言った。他の女子たちも「お、いいねいいね」「何作る?」と話を進め出す。
横で聞いていた僕は、正直乗り気ではなかった。
僕はそんなにクラスメートとして皆と仲が良かったわけじゃない。
別に話せるけど、あまり話すことが好きじゃないし、ノリを求められるのは正直辛くて、それでも話を合わせようと必死に喋れば皆は苦笑いして遠ざかっていった。
つまり、友達づきあいが苦手なのだ。そして僕は、そんな自分が嫌いだった。
そうは言っても、僕の考えはなんら影響されるものではない。
あれこれ思っている内に、卒業に向けての記念作りは決定してしまっていた。何を作るのか、と黒板を見てみると、白いチョークで〝皆で絵を描く〟と描いてあった。
残念ながら、僕の美術は期待できるものじゃなかった。
やはり、気乗りしない。
放課後から皆が集まった。
受験勉強もあるので、ちょっとずつちょっとずつ、作っていく。
でも、初日の放課後になって思わず「え」と声を漏らした。
クラスメートは45人、なのになんだ、この人数。
教室に残ったのは、4人。
なんだこれ、まるで僕がノリノリで制作したいと言っているようじゃないか。
言いだしっぺの女子までいない状況、僕は顔を引きつらせながら乾いた笑いを漏らした。
―――・・あれ。
ふと教室の隅の方にもう一人座っているのを見つけた。
あれ、最初からいた、かな。
よくわからない。
そこまで考えて、更に首を傾げた。
誰だろう、あの子。僕はそこまで友達づきあいができる方ではないけれど、ちゃんとクラスメートとも話せる。しかし、僕の視線の先で席に着いている女子生徒の見覚えがなかった。
「ねぇ」
僕は隣の男子生徒に、小声で声をかける。
「あの子、クラスにいたっけ」
「ああ、小山さん?うん、このクラスだよ」
あれ、やばい。卒業間近のこの状況で、顔に見覚えのない人を発見するだなんて。
なんて僕は冷たい人間なんだろう、と軽くショックを受けてると男子生徒は「でも」と続けた。
「影薄いんだよね、あの子。なんていうか、そこにいても気付けないっていうかさ。話しかけても無視するし、暗いし、雰囲気怖いし、髪ボサボサで幽霊みたいでさー、気味悪いんだよねぇ」
けらけらと笑いながら耳打ちをする男子生徒に、僕は絶句した。
なるほど、影が薄かったんだ。
だから僕、顔がわからなかったんだ。
しかし、なんて言われようだろう。
皆の輪の中に入らない影が薄い女の子、(男子生徒曰く)小山さんは、なんとなく僕に似ていた。
ただ、僕と彼女での違いは、周りに合わせているか合わせていないか。
無理して合わせている僕は、彼女の眼にはどう映っているのだろうか。
「材料、誰か買ってきてよー」
そう言った女子に、僕は手を上げた。
「僕行くよ」
どうせ、ここにいたって何もできないだろうし。
美術苦手人間なめんな、なんて思いながら手を上げていると、スッともう一人手が上がった。
「!!」
例の小山さんだった。
「マジで?じゃあ頼んじゃおうかなぁ」
先程の男子生徒が笑った。言葉を紡ぐときに浮かべたニヤニヤした笑顔がむかつく。
どうせ、邪魔な人がいなくなって清々したとか思ってるのだろう。
僕も正直嫌だった。
話せない人と一緒に、なんで買いだしに行かないといけないんだろう。
でも、一人で行けるだなんて言えなくて、買いだしの材料のメモ用紙とお金を持った僕らは、買いだしに出かけた。
かつかつかつ、ローファの音が僕の後ろをついてくる。
彼女は決して、隣を歩くなんてことをしなかった。まるで本当の影のように、前から照らされる日光で伸びる僕の影を追いかけるように歩く彼女。
会話なんて全くない。
「あ、あのさぁ」
焦って、声が裏返った。
僕は誤魔化すように咳払いをして、なんとか会話をしようと続ける。
「小山さんは、何か趣味とかあるの?」
「小川です」
下手打った!!名前違うじゃん、話違うじゃん!!しかも何、いきなり趣味とかなんだよ!!
心境はもうどん底で、これ以上話を続けたくなくなった。
あの小山とか言った男子生徒、あとでどついてやろうか(そんな度胸はない)。
小山さん、改め小川さんは僕の言葉に冷静な声で、さっくりと言い放った。
「・・・ごめん」
「いえ」
僕の謝罪にも、何も感じていないようで。
小川さんは動じず、下を向いた。
「趣味は」
「え?」
何、話続いてるんだ!?
下を向いた小川さんは、口を開いた。
「絵を、描くことです」
「へ」
あんまり意外過ぎて、僕は声を漏らしてしまった。
再び「ごめん」と謝ると、小川さんは先程と同じような口調で「いえ」と言った。
ボサボサで整えられていない黒い髪の毛、長すぎる前髪。
下を向くことしか許さないような、そんな髪型だった。前を向いたって、髪の毛が邪魔して前を向けないだろう。
小川さんは再び口を閉じた。
僕は、会話が切れたことに焦って言った。
「羨ましいな、僕は何も無い」
その言葉に、小川さんは少しだけ上を向いた(気がした)。
僕は歩を遅めて小川さんの隣に移動する。小川さんは、僕の行動に驚いて足を止めた。僕も足を止めた。
「高校生活、なんにもしてこなかった。帰宅部だったから、仲間と喜び合うこともなかった。話すことが苦手だから、友達を100人作ることもできなかった。難しいことは嫌いだから、勉強もできなかった。結果、何も残らなかった」
「これから、残るじゃないですか」
「え?」
いきなり、小川さんが口を開いた。
「皆で手作り、卒業記念で何かを作る。私は嬉しいです、大好きな絵を描ける。あなただって、残ります。何かを残したいのなら―――・・残す気があるのなら、これからの思い出を残せばいいじゃないですか」
凛とした、綺麗な声だった。
そして、その声は僕の意表を突くのには充分な音量だった。
〝残す気があるのなら〟
図星をさされ、心臓がドキッとする。
考えてみれば、と僕はふと思った。〝残す気があるのなら〟僕はもっと生活が変わったのではないか。〝残す気がなかったから〟僕は今の僕なのではないか。
苦労していない、何も変わろうとしていない。
その癖に僕は、悔もうとする。
卑怯だよ。
そう言われているようで、僕は少しだけ後ろめたくなった。
*
少しだけ距離を置いた。目も合わせない、話もしない。
隅っこで座る小川さんは、いつも通り下を向いていた。でも、彼女は毎日毎日、放課後は必ず制作に携わった。だから、僕も放課後は教室に残った。
影が薄くて、最近まで全然顔も知らなかった人なのに、何故か僕は見ていた。目で追っていた。
彼女は影が薄いから、皆気付かないときもあるけれど、僕だけは彼女を見失わなかった。
あー、なんだろう。
彼女を見てると、なんか居ても立っても居られない。落ち着きがなくなる。
これは一体、どういうことなんだろう。
*
クラスで製作を始めて2週間ほど経った。
絵の色を塗るところが始まって、彼女がそわそわしだした。でも、やっぱり周りは彼女に目なんか向けなくて、なかなか絵の具を手に取ることができないのに気付いた僕は、パレットと筆と絵の具を持って、彼女に近づいた。
「はい」
これどうぞ、とそれらを差し出すと、彼女は何も言わずに受け取って、教室に広がった大きな白い紙に向かった。ざわざわと周りがざわめき出す中、彼女は筆を動かした。
無我夢中で筆を走らせる彼女の横顔が、長い前髪の隙間から覗いた。
彼女の顔は、彼女の目は、どことなく綺麗で、輝いていた。
それに続いて、皆が色を塗り始める。
「小川さんて、絵うまいんだねー」とか言って喜ぶ女子、さっきの(小山とかぬかしていた)男子生徒も見直したようだった。
それから更に2週間後、皆で最後の仕上げをして完成したらしい。
らしい、と言うのは、最後の最後の仕上げは、絵がうまいと発覚した小川さんと、他の生徒3人で仕上げたからだ。
どうやら、お楽しみにしたいらしい。
そしてその翌日、高校生活に終止符を打った。
卒業式では、いつもみたいに周りで馬鹿騒ぎしていた生徒も、喧嘩していた生徒も、気弱な生徒も、皆背筋を伸ばして前を向いた。
皆、顔つきが違った。
僕は変わっただろうか。
小川さんのように、周りのように。
変わったのだろうか。
心配になって下を向こうとした僕の背中を、弱々しくだが隣にいた小川さんが叩いた。
ちゃんと整えられていて、ピンでとめられているから顔がちゃんと見える。
前を向いて、そう言っているようだった。
涙ぐむ生徒もいる中、僕たちは3年間過ごした教室に集まった。
担任の先生も、涙が滲んでいる。鼻をすする音が響く中、大きな布で隠した大きな紙を皆で囲んだ。
「さん、にー、いち、で見よう」
言いだしっぺの女子生徒が、布の端っこを手に持った。
「皆でカウントダウンしよ!!」
そう促され、せーの、で数字を唱える。
皆の声が、混じり合う。
無駄に高い声、男勝りな女の声、低すぎる声、野太い声。教室でさんざん聞いてきた声が、大合唱。
「さん、にー、いちッ!!!」
バッと布が引かれた。
「うっわ」「何これ」「すげぇ・・・」と、皆の感動の言葉が漏れた。
僕も同感だ、これは気乗りしていなかった僕でも、不覚にも感動してしまった。
おもちゃ箱の中から、音符が飛び出す絵。
がちゃがちゃうるさいおもちゃ箱、そこから奏でる音楽はきっと、騒々しいものだろう。
このクラスは本当に、うるさかった。
「・・・ッ・・」
そんなに進んで皆と話したこと無かったのに、何故か泣けてきた。
鼻の奥の痛みを我慢していると、ゆらりと視界が揺れた。ポロッと、頬を伝って滴が落ちる。
いつの間にか隣にいた小川さんは、絵を見ながら言った。
「残りましたか?」
「ッ・・・」
何も言えなくて、ただ頷いた。
さん、にー、いち。
きっと数字を唱えたこの瞬間は、一生忘れられない。
胸の奥底から湧きあがる何かを手で抑えて、歯を食いしばりながら小川さんの顔を見た。ピンでとめた長い前髪、今日は卒業式だからちゃんと綺麗に整えたのだろうか。
小川さんの瞳にも少しだけ涙が滲んでいた。
「そうですか」
小川さんはそう言うと―――・・笑った。
無表情で、無口で、絡みにくくて、気味悪いと言われていた小川さんが、笑ったのだ。
僕は息を呑んだ。
小川さんの笑顔は、とても綺麗だった。ボサボサの黒髪だったけど、今日は前髪をピンでとめていて、そんな過去の印象を吹き飛ばすくらい、小川さんの笑顔は美しかった。
「あなたのおかげです」
小川さんがふと言った。
「?」
「あなたがいたから、私も前を向けました」と言って、小川さんは前髪を触った。どうやら、ピンでとめるのは少し落ち着かないみたいだった。
「僕は、何もしてない」
「いえ、あなたが話しかけてくれたから、私は前を向けた」
あれは会話を続かせるためだったんだけどな。と思いながら、僕はふと我に返った。
ああ、そうだ。
きっと、図星を指されたあのとき、会話を続けようと頑張ったあのときからだ。
僕は彼女が好きなんだ。
〝残す気があるのなら〟そう言われた瞬間から、僕はきっと彼女に惹かれていた。
ずっとずっと、惹かれていた。
一ヶ月とちょっと、小川さんと一緒に卒業記念の製作をした。
そうして今、やっと気付いた。
「小川さん」
言えるかな。
変われるかな。
〝残す気があるのなら〟その言葉に僕は、背中を押された。
小川さんは首を傾げて、きょとんとした。
正直彼女は秀でて可愛い顔ではなかったし、ボサボサの髪は僕でも引いた。
でも、もう今の僕には彼女しか見えなかった。
「僕と付き合ってください」
僕はもう、変われたかな?
無駄に過ごした、高校生活の最後の一か月とちょっと。
僕は自分が少しだけ―――・・
ほんの少しだけ、好きになった。
こんなの、恋愛じゃないなんて言葉受け付けない(逃亡)




