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 嫌です、と言えなくさせる葉山さんにそれでも断腸の思いで断りを紡ぐ。


「……ご、ごめんなさい」


 震えそうになる声で、決心した自分の思いを話す。


「私、頑張りたいんです。葉山さんに、見劣りしないくらい、もっと自分を高めたい……」

「どうしてもか」

「はい」

「帰って来ないんだな?」

「今は、まだ……」

「俺の気持ちがいつか変わるかも知れないだろう。それでも離れる方を選ぶか?」

「変わり、ますか」

「さぁな。それは俺にも分からん」


 冷めた答えに胸が軋む。


 葉山さんと離れたくない。ずっと一緒に居たいのに、その道を選べない。


 素直に仕事を放り出して、帰れない自分が凄く嫌いだ。


 だけど、そんな自分だったから……ここまで頑張っ来れたとも思う。


 意地っ張りで頑なで、決めたことを最後まで貫かないと気がすまない。


「……好きです。私は、ずっと葉山さんが好きです」

「全く……強かなヤツだな。――それなら、約束して貰おうか」

「約束、ですか」

「ああ、そうだ。俺は美月を不安にさせない、離れても美月の帰りを待つ。だから、美月は俺と約束してくれ」


 待っていてくれると言うなら、これ以上嬉しい事はない。顔を上げた私に葉山さんがふっと笑う。


「一ヶ月後、俺の家族に会うと」

「……葉山さん、あの、それって」

「結婚する為にな」

「ですよね。……って!違う!それはまだ早っ」

「早い?結婚するつもりはあったのか」

「いつかそうなったら良いな、とは思ってま……じゃなくて!のせないで下さい!」


 どうして葉山さんはいつもこうなんだろう。上手いことはぐらかして、断れないように持っていって。


 これが年上の常套手段だとしたら、私はきっと年上の人にはいつまで経っても勝てそうにない。


「浮気をしたんだろう?」

「……しました」

「その責任はどう取るつもりだ」

「葉山さん!」

「結婚すると言うなら許す。待つ条件として、親に挨拶」


 許さなくて良い、待っていてくれなくて良い、なんて当然言えない私は頷くしか出来ない。


 葉山さんと別れたくない。

 許して欲しいし、待っていて欲しい。


 返す言葉が見当たらない私を見兼ねた葉山さんは、妥協案を切り出した。


「どちらも無理だと言うなら、今すぐ俺に抱かれるか?」

「……抱き締める」

「と言う意味じゃないな」

「ですよね」


 意味くらいは理解出来る。きっと葉山さんは私が頷くとは思っていない。


 やり方すらロクに知らない行為への恐怖はしっかりと胸に潜んでいた。したくない訳じゃないのに、葉山さんが嫌と言う訳でもないのに、漠然と“怖い”と思ってしまう。


 結婚が嫌だとは思わない。

 心配なのは、自分だけの問題じゃないと言うことだ。


「……私、親が居ないんですよ?」

「そうだな」

「親戚だって、知らない人ばかりで」

「だからどうした」

「葉山さんのご両親に認めて貰えるような人間じゃ……」

「関係ない。一応報告してやるだけだ」


 あっけらかんと葉山さんは言うけれど、結婚は二人だけの問題じゃない。


 急に当日結婚式をキャンセルするお客さんの中には、新郎新婦のご両親が理由だと言う人もいる。


「どうこう言うような親じゃない。それに一生独身の方が親不孝だと思わないか?」

「……気持ちがいつか変わるかもってさっき言ったばかりじゃないですか」

「いつかの話だ。実際に変わるかどうかは分からないだろう」

「そんな……」

「卑怯か?」

「……卑怯です」


 楽し気に肩を震わせる葉山さんに、恨みがましく目を向ける。そんな私の視線なんか全く気にせず、葉山さんは私の横髪を耳に掛けた。



「――俺と結婚してくれ、美月。指環も花束も用意出来なくて悪いが……」



 ソファーから立ち上がった葉山さんが、TVボードの引き出しを開ける。



 ひらりと翳されたその紙に、私は驚くしかなくて。



「……何で、持ってるんですか」

「二十歳になった時、貰いに行った」


 一ヶ月前の誕生日。

 葉山さんは私に、シンプルなエプロンをくれた。芹澤さんはシニヨンをくれて、前田さんはポーチを、梶川さんはお菓子の詰め合わせをくれた。


 ケーキは芹澤さんが作ってくれて、細やかだけど、と言いながら随分と豪華な料理を作ってくれたあの日。


 ――葉山さんは何も、言ってなかったのに。


 手にした紙には、茶色の文字と枠が描かれている。婚姻届、と書かれたそれを葉山さんはローテーブルの上に置いた。


「すぐに言うつもりは無かった。焦っても無かったしな。……だが、今回の事があって流石に捕まえておくべきだと思った」

「捕まえて、って……」

「身内じゃないと、都合が悪い。もしお前に何かあった時、今の俺では何もしてやれないだろう。……他人だからな」

 身内で無ければ、何も出来ない。


 それは良く分かる。


 法律は厳しくて、他人に介入を許さない場面は多々存在する。



 分りやすい所で言うなら、例えばICUへの立ち入りだったり、例えば警察への届け出だったり。もしも私が事故にあって重体でも、ICUに入った場合身内以外は面会が出来ない。分りやすい事例で言うならそういったものがあるけれど、他にも細かい所で他人に規制が掛かる法律。


 守られている事がそれだけ多いと考えたらとても心強い事だけれど、一人きりの私には不安も沢山存在する。



「俺は美月を他人だとは思っていない。それでも戸籍では完全に他人だ」

「……それは、分かってます。葉山さんと結婚したくない訳じゃ有りません」

「孤児だから何だ。そんなに世間体が気になるか?」

「私は良いんです。葉山さんに迷惑を掛けたくなくて、もしかしたらご両親にも何かしら迷惑が掛かるかも知れません」



 過去に一件だけあった。

 孤児の新郎を良く思わない新婦の親戚が、会場で新郎を罵ったことが。


 新婦のご家族は承知の上だと言う様子だったけれど、親戚はまた考えも違い孤児を良く思わない人だっている。


「――俺の義理の母親は孤児だ。つい最近再婚したばかりだが、特に何も言われていない。迷惑を掛けると言うのが理由ならその訴えは却下だな」

「……却下、ですか」

「他に心配な事は?」

「葉山さんは、決めてしまって良いんですか。……他にも、良い人が現れるかも知れないのに」

「それは美月にこそ言いたいが。俺で良いのか?まだ二十歳だろう」

「二十歳は関係ないと思います」

「いや。俺とは一回り以上違うしな、まだまだ先は長い」


 確信犯だと思うのは私だけだろうか。


 嫌だと答えるとは思っても居なさそうな葉山さんに、何となくむっとする。


「……じゃあ、考えます。まだ先は長いですから」

「……」

「葉山さんがそう言ったんですよ」


 ちょっとばかり意地悪な所が移ったのかも知れない。一瞬固まった葉山さんに笑いを堪えて強がってみる。



「まぁ、先は長いと言ったが、やっぱり身内は必要だろう」

「大丈夫です、いざとなったら遠い遠い親戚が居ます」

「……おい」

「何ですか?」

「意地を張るな」

「張ってません」

「……美月」

「はい」

「俺が好きか?」

「分かっ、りません」


 少しだけ焦った様子の葉山さんが可笑しくて、つい笑ってしまった私の瞳に不機嫌そうな顔が写る。



 どん、と肩を強く押され、ソファーのやわらかい肘掛け部分に後頭部が当たった。


 倒された身体の上に、葉山さんが覆い被さる。


 急接近したその距離に、どきんと胸が高鳴った。



「――からかうな」



 ほんのり香った葉山さんの香りが、懐かしくて切なく胸に広がって行く。


 頬に当てられた手のひらと、降ってきたキスに反射的に目を閉じた。


 ああ、駄目だな。

 やっぱり甘えてしまっている。


 葉山さんが近くに居ると、気持ちが緩んで温かくなる。こんな優しい空間に居たら、やっぱり駄目になってしまいそうだ。


 角度を変えて何度も何度と交わされた口付けは、身体の芯を震わせて幸せの味を染み渡らせる。


「……葉山、さん」

「美月、返事は?まだ聞いていない」

「断って良いんですか」


 問題を抜きにしたら断るつもりは全く無いけれど、そんな事を聞いてみた。


 またしても選択はYesかNoか。


 好きになったか、と聞かれた時と同じく頭の中だけで返事をする。


 ――Yes、です。葉山さん。


 したいのに、素直に返事が出来ない私。



 そんな私に葉山さんはゆるりと口角を上げて囁いた。


「――簡単に断れると思うなよ。頷くまでは離さない」


 恥ずかしい台詞を口にしているのに、それが格好良いなんて狡い。


 だけど、もう少しだけ触れていたいから。

 だから、頷くのは少しだけ後にして。



「好きです、……直哉さん」



 名前を呼ぶのは初めてだった。


 驚いた顔と、僅かに緩んだ目元が愛しい。



「名前、知ってたのか」



 当然だ。


 葉山直哉。


 世界で一番格好良い、私のたった一人の恋人だから。


 この世で誰よりも大好きな人、だから。



 呼ばせて欲しい、……何度でも。




「是が非でも、幸せにしてやる」

「はいっ……」



 泣きじゃくって、鼻を真っ赤にして、子供みたいに顔をぐちゃぐちゃにしたとしても、直哉さんが笑ってくれる。


 頭を撫でて抱き締めてくれる。


 そんな風にこれから先も二人でずっと歩めるなら、私はきっと世界中の誰よりも幸せで恵まれていると思う。




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