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 葉山さんが宮坂さんを追い返したあの日から、宮坂さんはハギノに来なくなっていた。


 派遣会社には辞めるという連絡もなく、同じ大学のスタッフや友人のスタッフも宮坂さんについては口を揃えて「わからない」と言った。


 多分、わからないのではなく余計なことを言ってはいけない、だったんだろう。


 派遣会社が連絡をしても、宮坂さんは一度ですら出なかった。


 別の派遣会社に居るという可能性は高かったけれど、何もWLで再会しなくても……と偶然の再会に困惑する。


 面倒な噂を立てられなければ良いなと思いつつ、帰りに派遣会社へ一応連絡を入れようと決めた。


 登録の破棄をどうするか考えあぐねて、一先ずは保留にしているらしい。


 もしも、宮坂さんの身に何かあった場合の事を考え、派遣会社は長く働いてくれた功績を見て未だに連絡待ちをしている。


 事故か病気か、その可能性は無きにしも非ず。


 もし見掛けたら教えてくれと、宮坂さんを知る派遣スタッフにも派遣会社は何度か声を掛けていた。


 見た限りでは健在だ。


 それだけは伝えておいた方が良いと思いながら、披露宴の行われる会場へ息を吸って踏み出した。




「かわいい……」


 新婦の希望を出来るだけ叶えたいとプランナーが走り回った結果が、全て詰め込まれているような気がした。


 谷澤チーフいわく、進行にも拘りをたっぷりと詰め込んでいるらしい。


 パステルカラーで揃えられた生花は見事に愛らしく咲き誇り、テーブルクロスも淡い色でナフキンはピンク色。卓上に置かれたキャンドルに、二つ寄り添うテディベア。まるでお姫様のような空間に、くすりと小さな笑みが溢れた。



 ここまで可愛らしいセッティングは余り見ない。珍しいな、とも思いながらやるべき事を目で探す。


 我妻さんから直接的な指示は出されていなく、自ら考えて行動するしか無かった。恐らく“自分で考えて行動しろ”という無言の指示なんだと思う。



 会場内を歩き回り、一通り確認をしてバーカンへと爪先を向ける。グラス磨きの人数を声には出さずに数えて、これ以上は不要だと判断し別の仕事をまた探す。


 ふいに視線を感じて振り返ると、約二メートル先に宮坂さんの姿。


「こんにちは」

「……何でこっちに居るの?」


 それを聞きたいのは私の方だ。


 派遣会社に連絡の一つも無しに別の会社に登録するなんて、社会人としてルール違反。呆れのような、落胆のような気持ちを押し込めて、宮坂さんへ笑い掛ける。


「WLにも入らせて頂けるようになったので。……お元気そうで良かったです」

「ふぅん、今度は我妻さんってワケ?」


 無駄に耳が早い。

 挑むかの如く私を睨む宮坂さんは、最近になって出始めた噂を既に把握しているらしい。


 だけど、勘違いは止めて欲しい。ハギノに入っていた人なら尚更だ。


「我妻さんとプライベートでのお付き合いはありません。誤解は止めて下さい」


 最初から諦める事はしない。誤解は誤解だと必ず一度は説明する。


 それを端から信じようともしない人には、何を言ったって時間の無駄だと思うけれど。


「……別にどうでも良いし。私には関係ない事だから」


 これは、少し予想外な反応だ。

 宮坂さんはフイッと顔を反らし、気まずそうに目を伏せた。


「葉山さん、どうしてるの」

「――今は……分かりません」

「はぁ?」

「会っていないので。――宮坂さん、お料理取りに行きましょう」

「……私に指図しないでくれる?もう佐藤さんの下に着いてるんじゃないんだけど」


 心底不愉快そうに歪められた顔に苦笑しつつ、それでも同じ方向に歩いて来る宮坂さんに久し振りの感覚を味わう。


 入って来たばかりのときはこんな風によく一緒に動いていたのに、いつからか宮坂さんは私を目の敵にするようになった。


 何となく、理由は分かる。


 昼間に入る事が頻繁にある私はそれだけ社員さんとも面識があり、働く時間も長かった。宮坂さんはきっと、そのどちらも羨ましいと思っていた。


 バッシング――とはいかずとも、嫌がらせがあった時期や距離を置かれていた時期の絶頂期を知らないから、宮坂さんはそんな風に羨ましいと言えるのだ。


 辛かった、と今になっても思う。


 まだまだ気持ち的にも幼くて、ただ必死になるしかなかった。


 認めて欲しいと強く願い、形振り構わず走り回って。


 仕事だけが私の生きる糧だった。そんな時期とはずれて入って来た宮坂さんは、私がどんな風に扱われていたかを余り知らない。


「ねぇ、向こうには戻らないの?」

「戻ります。直ぐにとはいきませんが」

「早く戻りなさいよ。私の邪魔しないで」


 相変わらず面倒臭い。

 嫌々私の隣を歩く宮坂さんには気付かれないよう、小さく溜め息を吐き出した。



 偉そうな態度で台車を押す宮坂さんは、以前と変わらず手際が良い。


 私に怒鳴るかとも思っていたけれど、どうやら杞憂に終わったらしい。


 ねちっこい嫌味をバンバン吐きつつ、小さな嫌がらせを繰り返す宮坂さんは全く以前とかわりない。


 台車のキャスターをロックしてみたり、わざとぶつかってみたりと忙しく、毎度毎度受け流す私に不満そうな顔をする。


 久し振りだからか、妙にあからさまな嫌がらせが楽しい気がして、自分自身の性格が思いの外悪かったのだと自覚する事も出来た。



 途中で何度か谷澤チーフから指示を出されていた宮坂さんは、その度に誇らしげな顔をして私を馬鹿にするような視線を向けて来る。


 ……ちょっと、いろいろな事が重なって私は今おかしいのかも知れない。


 もしくは、ハギノでの楽しかった記憶を思い起こさせてくれる存在だからかも知れない。


 ――何だか、宮坂さんが可愛く見える。



 子供のようにあからさまな敵意を向けて、対抗心を燃やしてくれる。WLでは珍しく、本当に真っ直ぐな嫌がらせだった。


 影でこそこそ言う派遣スタッフと違い、宮坂さんは影でも表でも悪口を言う。


 影で言う場合は陰湿で、表で言う場合は黒服にバレないように。中途半端なやり方ではなく、ある意味突き抜けたそのやり方が妙に笑いを引き起こす。


 とは言っても、笑ったらきっと怒るだろう。だから顔はにっこりと愛想の良い表情から変えずに。


「なに笑ってるのよ。気持ち悪い……」


 気味悪そうに引いた宮坂さんに笑い掛けながら、じわじわと思い出していく。


 笑う事を癖付けた最初の理由は、泣かない為だった。私を守る防御壁、鉄壁の笑顔はそんな切っ掛けで作られたのに、WLで過ごすにつれて「無駄な笑顔は必要ない」と思い込んでしまっていた。


 ハギノは確かに今私にとって、居心地が良くなっている。だけど、最初は――やっぱりWLと同じように距離を置かれ、見定められていたと思う。



 初心に返る、というのはこういう事だったのかと視界が開けたような気がした。


 ふふふ、と微笑む私に宮坂さんは顔を引き攣らせたけれど、今だけは抱き着いて感謝したいくらいだ。



「宮坂さん、ありがとうございます!頑張れそうな気がして来ました」

「……なに?何なの?なんか怖いんだけど。っていうか前から思ってたけど、本当にアンタ薄気味悪い……」


 無理無理、と首を振って台車を押しながら先に駆けていってしまった宮坂さんを追いかけ、新鮮な気持ちで息を吸う。


 最初みたいに、足掻いてみよう。


 出来るだけ色々なことを身に付けて、ハギノに帰る。やっと私の中で明確に定まった目標はもう絶対にぶれたりしない。


 まずは、我妻さんの意表を突くくらい素早く行動する事から。そして、我妻さんからの駄目出しが一度も無くなるまで。


「よし!」


 気合いを入れて踏み出した。


 明るくなった私の道に一筋の黒いモヤが入る。今はまだ、考えてしまったら抜け出せなくなる。


 黒いモヤを隅に押しやって、考えないようにした浅慮な私に――大きくそれが跳ね返ってきたのは一週間が過ぎた頃だった。




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