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 翌日、WLへ向かった私はお昼の会食を終えた後、谷澤チーフに設営の手伝いをするよう言い渡された。


 我妻さんは別の会場に入っていて、設営は深町さんと他の黒服二名とする事になっていた。


 既にテーブルや椅子が運び込まれた会場は作り上げられている真っ最中という雰囲気がして、ほんのり笑みが浮かんでくる。


 テーブルを広げていく黒服を追い掛けながらクロスを引く。全てのテーブルが広げられたら、黒服もクロスを引く作業に取り掛かった。


「そっち持って」

「はい」

「せーのっ」


 深町さんの掛け声と同時にクロスを広げ、皺のが無いか確認する。裾の長さが均等になるように調整しながら、クロスピンで角を留めた。


「そう言えば、お前昨日新しく入った子見たか?」


 深町さんを除く黒服が、クロスを引きながら話し出す。話し掛けられた方は興味深そうに声を弾ませた。


「何だよ。可愛い子でも居たか?」

「まぁ、可愛いっちゃ可愛いな。って違ぇよ。顔じゃなくて、経験がそこそこあるっぽい」

「へぇ。お前同じ会場だったのか?」

「ああ。何かチーフが気に入ってるっぽかったな」

「げっ、マジかよ」


 ちらりと黒服を一瞥した深町さんは呆れたような顔をして、それでも何も口にせず新しいクロスに手を伸ばした。


 隣のテーブルに移った深町さんに合わせ、私もそちらへ移動する。


 渡されたクロスの端をお互いに引きながら、テーブルの上で広げる。


「はい、せーの」


 同じ作業を繰返しながら、テーブル全てにクロスを引く。何も言われないのを良いことに、残りの二人は雑談を交わしていた。


「深町さん」


 暫くして、インカムをつけた黒服の一人が深町さんに呼び掛ける。深町さんはぴくりと眉を動かして、面倒そうに相手を振り返った。


「何だ?」


「チーフが休憩って言ってますが、先に行きます?」

「俺は後で良い」

「じゃ、俺ら先に行きます。設営ゆっくりで良いんで」


 話し難そうに顔を引き攣らせ、黒服二人は会場を抜けた。



 広い会場の中で、深町さんとひたすら無言で作業を続けていく。


 無駄な会話をしなかったら、作業のスピードはやたらと上がる。それから三十分くらいしてセッティングが半分まで終わった所で、初めて深町さんは手を止めた。


「ここまでにしよう。全部終わらせると面倒だから」


 何が面倒なのかと考えて、さっきの黒服二人かな?と思い至る。黒服でも人間関係はやっぱり大変なのかもしれない。


 本当はこのままやればあの二人が帰ってくる前に終わりそうな気がしたが、それは余りよくない事らしい。


「はい、じゃあ何をしたら良いですか?」


 業務終了まではまだ時間がある。


 問い掛けた私に深町さんは少し考えて、ぼそりと答えた。


「好きに過ごして良いが……サボりを喜ぶタイプじゃないか」


 困った顔をした私を見て、深町さんは難しい顔をする。WLともなれば仕事が溢れていそうな気がするけれど、一介の派遣にそれらを任せるような事はしないのだろう。


 派遣への指示、というものに慣れていなさそうな深町さんは考えるように黙り込み、数分して顔を上げた。


「グラスでも磨くか」


 無難な仕事を探してくれたのだと、今までの経験ですぐにわかった。


 グラス磨きは初めて入った派遣の子に優先的に回す仕事で時間も掛かるし失敗もしない、だけど大事な仕事だった。


 グラスはあればあるほどに良い。磨いていないグラスを出す、という事態は絶対に起こしてはいけないからだ。


「はい。じゃあ取りに行ってきます」

「俺も行く」


 会場から裏の通路に出た私を追い掛けるようにして出てきた深町さん。


 二人で通路を小走りに進みながら洗い場を目指す。湯気の溢れるその場所は、厨房の端にあった。


 積み重ねられたグラスの洗い上がりのケースを台車に乗せて、深町さんは磨き終わりを乗せる大きなトレイを抱える。


 台車を押しながら会場に戻り、その途中で熱湯を用意した。


 設営途中の会場へ入ったら、グラス磨き用のクロスを手に取る。深町さんはバーカンの上にトレイを広げて、置きやすいようにセットしてくれた。


「他の黒服が戻ってくるまで」

「はい」


 いつもなら、何時何分くらいまで、と指示されるグラス磨きも今日はきっちりと時間が決まらない。


 クロスの角を下にして、グラスの底を支えながら坂さまにして磨いていく。


 三十は磨いただろうか、という辺りで深町さんは声を上げた。


「我妻とは知り合いか」

「はい?」


 突如として振ってきた問い掛けに素っ頓狂な返事をすると、深町さんは苦笑を滲ませ磨き終えたグラスをトレイに置く。


「五十を過ぎたら聞いてみようかと思ってな」


 私が三十、深町さんも三十。合計で六十を過ぎた磨き終わりのグラスを指差し、深町さんが次のグラスを手にする。


「タイミングが掴めなかった」


 五十を過ぎてからずっとタイミングを窺っていたのかと思ったら、何だか凄く意外という言葉が浮かんできた。


「あ、えっと、プライベートでの知り合いではありません」


 遅れながらもそう答え、グラスを照明に翳して確認する。


「そうなのか……ハギノから来たって?」


 ホテルハギノ。葉山さん達が勤務する、あの地域では一番有名なホテルだ。ちなみにハギノは地名でもある。


「はい」


 きゅっきゅっ、と小さな音を出しながら、グラスの側面を磨く。用意した熱湯にほんの少しクロスを濡らして深町さんは申し訳無さそうに呟いた。


「余計な話をするのは好きじゃないんだ。君もそうだろうしな。……ただハギノには行けなかったから、気になってな」


 顔を上げて深町さんを見る。ハギノに行けなかった?就職出来なかったと言うことだろうか。


「どんな所なんだ?」


 ホテル自体の話なのか従業員達の話なのか分からなくて、どう答えたものかと眉を寄せる。グラスがいっぱいになったトレイは下段の棚に移されて、二枚目のトレイに再びグラスを磨いて置いていく。


「……良い、所です」

「WLと比べて、か?」

「人間関係は――と言うより、社員さんはみんな仲が良いです」


 どんな風に説明したら良いんだろう。WLと比べるならハギノは凄く楽しい職場だ。


 怒られる事もあるけれど、派遣だって褒められる事もある。WLと比べたら、ハギノは派遣を大事にしてくれているような印象もあった。


「……大学時代は迷わずWLを選んだが、今になって振り返ったらもっとマシな場所があったと思う」


 それ以降、深町さんは二人の黒服が帰ってくるまでずっと無言を貫いた。




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