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「あはははっ!おっかし……!芹澤くんおかしー!」

「……ま、前田さん?」


 我に返って午後から買い物に出掛けた後、二十三時を過ぎて帰宅した前田さんを迎え遅い夕飯を二人で食べる。


 悩み過ぎて頭がいっぱいになりながら料理する事で一時的に気を紛れさせていたものの、帰ってきた前田さんは私の心境のせいか女神のように美しかった。



 思わず縋り付いて教えを乞いたくなる姉御に、ぽろぽろと今日の話をして。


 そうしたら何故か大爆笑され、今に至る。


「ごめん、ついおかしくて!やぁだもう。佐藤さん深く考え過ぎ。――あのね、恋愛って人それぞれなのよ」


 夕飯の肉じゃがを摘まみながら、缶ビールを煽る姿は色っぽくてとても綺麗。


 明子さんも美人だけれど、前田さんは艶やかな美人だ。


「佐藤さんはきっと、世間一般で言う“重い女”ね」

「わ、私、重いんですか!?」

「考え方がね。貞操観念がしっかりしてるし、控え目だし、何より気持ちに凄く真剣だから」

「前田さんは違うんですか?」

「私はアレよ、もう半分以上枯れてるから。しかも叶わない片想い長いしー」


 あはは、と大口を開けて笑っているのにその美貌は損なわれない。明子さんや前田さんのように、強くて綺麗な女性になりたいと見ていて常々思う。


「佐藤さんみたいな人には、本当葉山さんみたいな人が合うわよ。オッサン間近でピュアな子に弱いって感じ?まぁ、でも」


 ごく、とビールで喉を潤わせる前田さんは私を見て優しく微笑む。


「きっとね、葉山さんと会ってから佐藤さんが綺麗で可愛くなったのよ。だから羨ましくなっちゃったのね、芹澤くんは」


 綺麗で可愛く、というのはお世辞だと思って良いんだろうか。鏡を見ても変わりは無く、変わったという実感は無かった。


 難しい顔をする私に前田さんは再び笑う。


「うんうん、可愛いわねぇ、そんな所が。悩んだり、焦ったり、恋する女の子はみんな可愛くなるものよ」

「でも、我妻さんは葉山さんと付き合ってる事を知らないんです……」

「それはね、佐藤さんの話を聞く限りじゃギャップにやられちゃったのよ。頑張り屋だって分かったら急に愛しくなったのかもねぇ」


 ざっくりと、けれど確かな口調で話す姿は頼もしい。もしも私に姉が居たら、こんな感じなのかも知れない。頷いて聞く私にお茶目なウインクをして、話を続ける前田さん。



「揺れるのも恋愛の醍醐味だけど、佐藤さんは真面目だから、敢えてちゃんとアドバイスするわね」

「お願いします……」

「うむ、苦しゅうない」


 赤い唇を尖らせて、冗談混じりに一つ大きく頷いた前田さんに身を乗り出す情けない私。


「……あのね、ブレなくて良いの。好きな人だけを見て、その人を一番に考えて。芹澤くんとデートしたり、我妻さんだったっけ?その人とご飯を食べたら、葉山さんはどう思うか」

「どう、思うか」

「うーんとね、つまり、葉山さんが全く同じ事をしたら佐藤さんはどう思う?」


 言われてみて、考える。


 言っても良いのか分からない気持ちを、見透かしたように微笑んで前田さんは頷いた。


「嫌だと、思います」

「そうね。付き合いって言うのもあるから一概にそれが嫌とは中々言えないし……難しい所だけど、芹澤くんの指南は大体合ってるわ」


 ご飯や飲みはグループならOK。言われた教訓を思い出して、漠然と意味を理解する。確かに葉山さんが女性と二人きりで出掛けたら私はきっと不安になる。


「あ、でも今回は相手がセコい事したから佐藤さんはあんまり関係ないの。恋愛初心者の女の子が“大事な話”を断るのは難しいでしょ。まして、中卒って大っぴらに話難い話題だし」


 慰めてくれているであろう前田さんに苦笑しつつ、やっぱりのせられた自分が悪いと思う。


 断れなかったのは自分の責任で、相手が上手だろうとそれを交わせなかった自分の技量が足りないだけだ。


「ただ、恋愛の考え方って本当に人それぞれなのよ。すぐに忘れる事も出来れば、一生忘れられない人も居る。佐藤さんはきっと一生忘れられないタイプ」

「もし、葉山さんと離れる日が来ても、忘れたく無いです……」

「そうね。佐藤さんは、きっと大事に胸に仕舞い込む。だけど、他の人は分からないでしょ?」

「はい」

「だから、佐藤さん一人がそんなに考え込まなくていいの。芹澤くんも我妻さんも、すぐに忘れるタイプかも知れないし、余り深く考え過ぎなくていいわよ」


 前田さんの言葉には、沢山の経験が込められているような気がした。


 現実味溢れるアドバイスが、胸の中で広がって。



「苦しいわね。一方的に想われるのは、佐藤さんにはきっと荷が重い」


 静かに落とされたその台詞が母親のような温かさを孕んでいて、ぽろりと目から涙が落ちた。


 苦しい。とても、苦しい。

 聞くのがすごく怖かった。


 葉山さんとよく似ているから、たまに向けられる視線に気付けた。


 ふっと細められた視線が、私に向く度にひやりと背中を冷たくして。


 勘違い、思い込み。そう思うのに、芹澤さんは優しい瞳を向けてくれた。


「苦しい、です」


 疑惑が本物になるのが嫌で、私は何も聞けなかった。


 確信に近付いたのは、今日の昼。だけど崎山さんが好きだと、芹澤さんは念を押した。


「芹澤さんは崎山さんを、って、言ったんです。私」

「それで良いのよ。芹澤くんだってそうやって佐藤さんを傷付けないようにしたんだと思うわ」

「でも、少し位は、俺で動揺してくれる?って帰り際に」

「うーん、悔しかったんでしょうねぇ。佐藤さんが我妻さんに気を使ったから。珍しく芹澤くんが感情的になったわ……レアよかなり」


 ごちゃごちゃしていた複雑な物が、ゆっくりとほどけていく。


 意味を知れば、理解すれば、ちゃんと私にも伝わって来た。前田さんの言葉で理解出来た塊を、一つずつ確かめて。


 芹澤さんは私が好きで、我妻さんも私も好き。だけど、そこには理由があって。皆が私のように考える訳ではなくて、人それぞれ気持ちに違いがある、ということ。


 分かっていたようで分かっていなかったその事実は、前田さんから教えて貰って初めて私の中に沁みた。


「何も、言わない方が良いんでしょうか。気持ちを伝えられた訳じゃ無いのに……」

「……そうね、大人のズルい所はね、言葉にしない所だわ」


 ふぅ、と前田さんは溜め息を吐いた。


 その溜め息はまるで自分自信にあてたもののように見えたけれど、尋ねるのは何となく憚られて。


「予防線を張って、傷付かないようにするの。もし自分の気持ちが相手と通じなくても苦しくないって思う為に」


 中身の無くなった缶ビールをテーブルに置いて、前田さんが私に微笑む。


「もし、何か言われたら佐藤さんの素直な気持ちを話したら良いと思うわ。何よりも自分に正直に、葉山さんが好きなら葉山さんだけを見つめて。あれもこれもってなると佐藤さんが辛くなるから」

「前田さん……」

「無理は禁物。大人相手に正攻法で太刀打ちしようとしちゃダメよ。向こうはズルいから、徹底的に知らんぷりしてやるのも良いわね!」


 明るく笑った前田さんのその顔は、私を元気付けるみたいに輝いた。


 仕事も恋愛も、どうしようもなく難しい。

 だけど、こうして誰かが教えてくれる。

 導いてくれるから、私は成長する事が出来る。


「前田さん、ありがとうございます」


 そう言ったら、前田さんはぱちんと可愛らしいウインクをした。




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