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ワンピースは女の子の為の服。
芹澤さんはそう言ったけれど、それは少し違うと思う。ワンピースは“お洒落”な女の子の為の服だと私は思う。だから、着なれていない私が着ても――
「似合わない……。」
服に着られているようにしか見えない。
ブラウンの七分丈ワンピースに、焦げ茶色のブーツ。芹澤さんが有無を言わさず入ったアパレルショップで、店員さんに宛がわれたのはその二つだった。
WLに行くから少しは洒落た格好で、と言った芹澤さんに頷き私が引っ張り出したのはベージュのスキニーパンツに黒のチュニック。
よそ行きカジュアルだと組み合わせて売られていたマネキンの服をそのまま購入しただけの格好は、どうやらお気に召さなかったらしい。
ダメ出しをことごとくされて、最終的に芹澤さんが口にしたのは「スカートは?」という簡素なセリフ。
スーツ以外では持っていないと答えてから、芹澤さんの行動は早かった。
無言の圧力を掛けつつ私をアパレルショップに引き入れ、次々に言葉を被せていく。
「スカート穿きなよスカート。大体、私服が全部パンツってなんなの、寒がり?そうじゃないでしょ、スカート穿いて。兄貴もスカート好きだから」
そんな話は聞いたことがない…と反論しようにもそもそも私服の話すらしない事に気が付いて、見事なくらい答えにつまった。まぁ一着くらいなら、と必要性を感じ初めて買う事に渋々了承はしたものの。
「似合うよ。可愛い」
試着室から出てきた時点で芹澤さんは会計を済ませてしまっていた。
ワンピースを買うつもりは無かったのに、というよりも買って貰う気は更々無かったのに。
財布を出して主張しても、一瞥するだけで全く取り合おうとしない。葉山さんの強引さは、優しいものだったと改めて思い知らされた。
芹澤さんは私の気持ちを考えない。
私が支払えなかった事に悔しさと歯痒さを感じても、芹澤さんには痛くも痒くも無いのである。
芹澤さんの運転する車の助手席で、私は深く息を吐く。
「押し付けるのは簡単でしょ?佐藤さん現に断れて無いし」
「それは芹澤さんが、」
「男からの贈り物は警戒して。俺は別に佐藤さんをどうこうする気はないけど、下心のある奴だっているし。断れないようにするのは簡単だから」
言い返せない。
芹澤さんの言葉は的を射ている。
教訓にしろ、という言葉の数々に頷いて、遠回しの気遣いを受け取った。
私に教えてくれたのだ。他の男から、そうされたら疑えと。男女の事に何の教養もない私に芹澤さんは教えてくれる。
贈り物の押し付けや、知らない内に支払われているという可能性、葉山さんならきっとしないであろう行動を私にして見せてくれた。
「佐藤さんは良くも悪くも世間知らずだから、知っておいた方が良い。きっと、裏にあるのは親切だけじゃないよ」
思い返してみたら、断った親切の中には首を捻るようなものもあった。考えもしなかった事を可能性として吸収するだけで、沢山の事が浮かび上がる。
「仕事中でも急に異性から触られたら、そこには下心があると思って。頻度が高くなればなる程に疑って。事故を装う事も出来るから」
「……はい」
「増田って覚えてる?」
一年以上前に、派遣で入って居た人だ。
髪の色がホテルの許容範囲ギリギリで、派遣会社も容姿に関しては要注意で少しでも派手になったら教えてくれと言っていた。
「覚えてます。少し怠け癖があって、確か大学生の」
「そう、少しじゃないけどね。かなり怠け者だった。増田からアプローチされてたのは気付いた?」
「……え!?」
「ご飯行こうとか飲み行こうとか。送るとも言われてたでしょ」
「でもあれは」
「社交辞令だと思った?それとも仕事中だから、敢えて無視してた?」
理由としてはどちらもだった。
仕事が終わってから声を掛けられる事は無かったし、てっきり只の社交辞令で言っているのだと思っていた。それに、業務中に誘われても頷く事は出来なくて。
「あれ、兄貴が注意したんだ」
「……葉山さんが?」
「前田さんにもモーション掛けてたから、仕事中に私情で雑談するなって叱ったらあっさり泣いた」
「泣いた、んですか」
葉山さんどんだけ怖い顔をしたんだ……。
叱り方が怖かったのか顔が怖かったのかは分からないが、あんな般若のような恐ろしい顔をされたら泣きたくなるのも頷ける。
「急に来なくなったでしょ。怒られたから辞めたんだよ」
「でも、そんな話は、聞いてな」
「怒られて泣いたから気まずくて行けませんなんて派遣会社にも言えないでしょ。って言うか、今言ってるのはそういう事じゃなくて」
信号で車を停めた芹澤さんが私を見る。
真っ直ぐ向けられた眼差しに、何となく気まずくて狼狽えた。
「佐藤さんが口説かれてた事に気付いていなかった、って所が重要」
こうして聞かされて、初めて気付く。
耐性がついていないのは私が世間知らずで、そんな可能性を考えもしなかったからだ。それじゃあ気を引き締めても、あんまり意味を為さないと、芹澤さんは暗にそう言っている。
「はい……」
「だから、気を付けて。WLに行かれたら助けられないから、佐藤さんが自衛するしかないし」
「……勉強になります」
「うん」
芹澤さんからの指南は続き、WLに着く頃には私の男性に抱く警戒心は随分と強くなっていた。
アドレスの交換はしても、番号の交換は余程の事が無い限りNG。食事や飲みへの誘いは必ずメンバーに同性が二人以上居なければ怪しいと考えて良い。
様々な事を教えられて、漸く私は自分の迂闊さを思い知った。
キスをさせてしまった事は一生消えない。
誠心誠意謝って、それで駄目だった場合には私は一生それを悔やんで生きていこうと決意した。せめて、ずっと一人で。葉山さんが居なければきっと今も一人だったのだから――と言ったら、
「いつの時代の女?」
芹澤さんは心底おかしそうに笑った。
レア中のレアな顔にぎょっとして、それでも何だか嬉しくなって。
「芹澤さんも、笑った顔が素敵です」
「“も”って所がなんか嫌」
困ったような、複雑な顔で、芹澤さんは私の頭に手を置いた。
「これは下心がないから見逃して。可哀想な男にせめてもの施しだって思うように」
その表情が何だか苦しそうに見えたのは、きっと気のせいなんだろう。
考えたらきっと、分からなくて混乱する。
そして、芹澤さんも何も言って欲しくないとばかりに顔を反らして車を進めた。
一瞬だけ触れたその手のひらは低体温なのか、とてもひんやりしていた気がする。
崎山さんのことが好きな芹澤さん。
だからきっと、私は余計な事を何も考えない方が良いんだろう。
「崎山、そういや休みだって言ってたね。何してるんだろ」
改めて言われた言葉が、無性に胸を切なくした。




