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「じゃ、後宜しくね。芹澤くん、無いとは思うけどもし佐藤さんになにかしたら…」

「なにかしたら、なに」

「チーフに言いつけるわよ」

「……それは怖い」


 朝御飯を食べ終わった前田さんは、仕事にいく準備を整えた後、神妙な顔付きで芹澤さんに釘を刺した。


 釘を刺さなくとも芹澤さんは絶対に何もしないだろうなぁ、とは思ったけれど、この油断があんな状態を引き起こしたのだと思い出して、何となく複雑な気持ちになる。


 身近に居る男の人全員を警戒するというのは、案外難しい。



 前田さんを見送って、リビングに戻る。


 まずは洗い物からと袖を捲ると、芹澤さんはするりと私の隣を抜けてシンクの前に陣取った。




「佐藤さん、洗濯して。洗い物は俺がするから」

「え、いや、でも、芹澤さんはお客さ」

「いいから」

「……ありがとうございます」

「うん。家事が終わったら、ちょっと出掛けようね」


 洗剤をスポンジに垂らして泡立てるように揉んだ芹澤さんは、涼しげな顔でさらりと出掛ける予定を言う。


「出掛けるんですか?」


 きょとん、と目を丸くした私を一瞥して。


「そう。昼はバイキング行こう」


 何だか嫌な予感のする予定を口にした。



 洗濯機を回している間に掃除機を掛ける。

 前田さんからは好きに何でも使って良いと言われたけれど、最低限触らないように気を付けながら家事に必要な物だけを使わせて貰う。


 部屋のあちこちにあるアロマキャンドルは様々な形をしていて、「前田さんって可愛いなぁ」なんて歳上の女性なのに思ってしまった。


 壁に飾られている真っ赤なハートのパズルはピースがとても小さくて、作るのは苦労しただろうな…と思ってみたり。


 前田さんの私生活に触れてみてまず思ったのは、サバサバした性格とは裏腹に可愛らしい面があるということだった。



 いつもは背筋を伸ばして姉御、といった雰囲気を醸し出している前田さん。



 部屋には縫いぐるみや少女漫画、アロマキャンドルにハートのパズルなど可愛らしい物がちらほら見えた。



 明子(めいこ)さんがネットカフェで少女漫画を読みながら涙ぐんだりときめいたりしている姿を見て、大人の女性って可愛いんだ……と思っていたけれど、前田さんにも似たような印象を抱いた。



 そんな風に考えていると、自分の周りは余り可愛い物がないことに気付く。



 服も最低限で、アクセサリーなんて殆どない。少女漫画を読む事も余り無く、化粧だって必要だと言われたからするだけで。


 何か買ってみようか、と考えて首を振る。


 そんな事をしていたらいつまで経ってもお金は貯まらない。



「佐藤さん。終わった?」

「あ、はい」


 キッチンからリビングを覗いた芹澤さんに返事をして、隅の部分をもう一度往復させる。


 掃除機を掛け終わり、食器を乾燥機に掛けずに芹澤さんと拭いていたら洗濯機が終了の音を鳴らした。


 下着があるという事もあり芹澤さんの手伝いを遠慮して、換気扇のついた脱衣場に下着を干してからベランダに出る。



 リビングでソファーに座り携帯とにらめっこしている芹澤さんは、時々唸りながら画面を操作していた。




 物干し竿に洗濯物を干しながら、ハイテクになった携帯へ少しの興味を抱く。


 画面を指で操作する、というような最近の携帯は機械に疎い私にはきっと扱いが難しいだろう。

 けれど、やっぱり見ていると楽しそうだと思ってしまう。


 購入する予定は無いが触ってみたい。携帯ショップに行けば見せて貰えるのかな、と過った考えに苦笑する。買うつもりがないのに行くのは迷惑になりそうだ。



 前田さんの部屋着のTシャツやハーフパンツは、色が鮮やかで華々しい。

 干しているだけでも色とりどりのシャツに楽しさが湧いてくる。


 スパンコールがついているシャツ、手触りの良いコットンのシャツ。


 仕事をする時に下に着るのは、薄くて手触りの良いものに限ると以前力強く話していた。




 干し終わったタイミングで、芹澤さんは携帯の画面を私に見せた。


「どう?」


 画面にはバイキングの料理の写真であろう画像が表示されていて、料理の一つ一つを見ながら苦笑いする。


「芹澤さん」

「うん?」

「それって、WLのバイキングじゃないですか」

「うわ、気付くの早いね」

「分かりますよ。パーティーでも料理は見てましたから」


 芹澤さんは本当にビックリした顔をして、携帯をポケットに仕舞った。



 パーティー料理とは多少違っても、使われている物は似通っている。

 コストを抑える為に、同じ業者から買い入れるのは当たり前だ。


 そうなると、やっぱり似たような料理にもなるしアレンジしてもすぐに分かる。


 例えば揚げ物。これは厨房が一から作ると時間が掛かる為、大体は冷凍された物を購入して揚げるだけになっていた。


 それからデザート。こっちも余程の事がない限り、冷凍されたケーキを使う。土台のスポンジから作るなんて期間限定での試みくらいだ。


 ホテルによっては数を限定して手作りデザートを売りにしているけれど、通常の宴会やパーティーなんかには冷凍のデザートが出されている。


 バイキングもフェアをやっていない時期ならば、そういった料理が並ぶだろう。



「料理も覚えてるの?」

「頻繁に出る物だけですが」

「へぇ……凄いな。WLとうちの、どっちも?」

「でも、完璧じゃないですよ」

「それでも覚えようとするから凄い。普通は興味持たないでしょ」

「お、美味しそうだなぁって……」


 単純に、食べたいと思っているから覚えているだけだ。

 何となく恥ずかしくなって俯いた私に、芹澤さんはあっけらかんと爆弾を落とした。


「見てみたいんだよね、佐藤さんを呼んだ奴」

「……せ、芹澤さん」

「だって気になるでしょ。どんなもんかなってさ」

「別に普通の人です……」

「兄貴より良い男ならそっちに乗り換えるのもアリ」


 言われた言葉の意味が、咄嗟に理解出来なかった。


 芹澤さんを見上げ、数秒間目を見開いたまま私はその意味を遅れてゆっくりと理解する。


 反芻する台詞はひんやりと胸を凍てつかせて、言い様のない複雑な感情がふつふつと沸き上がって来た。


 そんなに、そんな簡単に。


 足元に黒い穴が広がるような、そんな不安が押し寄せた。



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