20
六時きっかりに目覚めた私に、前田さんはけらけらと笑いながらシャワーを浴びてくるよう言った。
シャワーを借りてからリビングに戻り、朝食を作ると申し出たら前田さんが嬉しそうに頷いてくれる。
「本当に床で眠ったんですね……」
「どこでも寝れるんだって。芹澤くんって不思議よねぇ」
玉子焼きは甘い派と言う前田さんに合わせて甘く作り、味噌汁は前田さんが厳選して選んだという合わせ味噌。
具は豆腐とキャベツ。前田さんはキャベツの千切りが入った味噌汁が大好きらしい。
ウインナーを中火で転がしながら、味噌汁の火を沸騰前でかちりと止める。
「考えたんだけど、佐藤さんがあっちのホテルに入る間は夕食は私が作ろうと思うのよ。通勤時間も考えたら、それが良いでしょ?だから、佐藤さんは基本的には朝食ってことにしない?」
「でも、」
「じゃあ、お昼も佐藤さん。お弁当作って欲しいなー。ね、それなら良いでしょ」
「前田さんが、構わないなら……」
「やった。じゃあ今日から早速お願い!冷蔵庫の中身は何でも使っていいからね」
「はい。今日はお休みなので、買い出しに行きますね」
「え!?」
「え?」
「休みなの?」
「はい。派遣会社から連絡が無いので休みだと思います」
「うっわぁ、不安定ね。それじゃ予定も立てられないわねぇ」
ウインナーをお皿に移して、目玉焼きを作るために玉子を取り出す。
「あれ?目玉焼きも作るの?」
「芹澤さんが――」
「やっぱり朝は目玉焼きだよね」
グッと親指を立てながら現れた芹澤さんは相変わらずの無表情で二日酔いなんて全くしていない。
けろりとしている芹澤さんに前田さんは呆れ顔を浮かべた。
「……もしかして佐藤さんに焼いて貰ってんの芹澤くん」
「泊まった日はね」
「あらー……すっごい邪魔ねぇ」
「あんまり二人ともイチャイチャしないから」
「それは芹澤くんが居るからでしょ」
ねぇ?と聞かれたけれど、なかなか答え難い話題だ。――ああ、また思い出した。
思い出しては落ち込んで、を起きてからずっと繰り返している。
「えー…本当にしてないの?」
「してない」
「芹澤くんに聞いてないってば」
焼き上がった目玉焼きは半熟で塩胡椒はなし。冷蔵庫からマヨネーズを取り出して、テーブルの上に醤油と一緒に並べる。
品数が少ないと何かもう一つ作ろうとしたら、前田さんは充分だからと慌てて私を座らせた。
「……牛乳?」
「ああ、兄貴の」
「うわあすみません私飲みます!二つ飲みます!」
「芹澤くんはカフェオレなの?」
「そう。砂糖無し。佐藤さんが俺の傍にいないだけにさとうな」
「朝からそういう寒いやつ止めて」
牛乳をひたすら飲む私に前田さんはふぅと小さく息を吐く。
「帰りたい?」
「……いえ、まだ、何もしてないので」
本音を言えば帰りたい。だけど、当てが外れたとはいえ、WLには学べる物が沢山ある。
大掛かりな披露宴や二百人をあっさりと越えるパーティー。普段入っているホテルとは規模が違って、経験出来ない事が沢山ある。
「ドンデンばっかりなので、する事は沢山あって。だけど、それでも――みんな始まると笑うんです」
一流、と言われるだけあって。普段は殆んど笑わない人でも会場がオープンすると明るく溌剌に笑みを作る。
切り替えの早さ、手際の良さ、ドンデンでも必ず間に合わせる完璧さ。
――ドンデンと言うのは宴会があった会場をその日もう一度使うと言う事で、終わった瞬間から片付けと設営が同時にされる。
一度目の終了時間と二度目の開始時間が近かった場合なんかはまさに従業員は走る、走る、走るの繰返し。
もたもたしていると次に間に合わない。だから、間隔が短いドンデンはかなりの確率で修羅場と化す。
怒鳴り声は飛び交うし、大勢が一気に動くからぶつかる事なんて多々あった。
「まぁ、裏側がどんなでも表向きは一流だしね。従業員の評判は悪いけど」
「そういえば、深町って居ない?」
「あ、居ます」
芹澤さんは思い出したように私に聞く。深町さん、昨日も一緒に仕事をした。
「あれ、兄貴と同期」
「えっ……」
「歳、三十二だよ」
「葉山さんって三十二歳なんですか?」
「ああ、今年で三十三か。美月、知らなかったの?」
「はい、三十路を過ぎてるとしか……」
「一回り以上違うね」
改めて聞くとやっぱり不安になる。一回りも違う葉山さんが、私を好きでいること事態奇跡に近いとも言えた。
「深町は確か兄貴と知り合いだと思う。聞いてみたら?」
「なにを、ですか」
「兄貴が前はどんなだったか」
「……聞けません」
「佐藤さんがそれを聞けるような性格ならキスくらいで死にそうな顔はしないわよ」
玉子焼きを飲み込んで、前田さんはにっこり笑った。……ああ、そうだ、キスだ。
「また落ち込んだ」
「……どうしよう」
「ピュアピュアしてるわねぇ」
お弁当を作りながら、またしても私は深いところにずぅんと沈んでいった。




